○プロローグ

 

ある日部室に行くと、長門が本を読んでいなかった。
「どうしたんだ長門? めずらしく読書してないんだな」
すると長門は顔を上げ、
「え、何で? わたし読書あまり好きじゃないし」
と、天地がひっくり返っても言わないような驚きの台詞を告げた。
「おいおい冗談だろ? だったら今までずっと本読んでたお前は何だったんだよ」
「あぁあれ。あのね、無口属性にもそろそろ飽きたから、普通の女の子っぽくしようと思って」
非常に今さらではあるが、長門は普通に笑っていた。
まるでクラスの誰かの人格だけ借りてきたかのような無理のない笑いだった。
俺は仰天した。待て待て待て。そんなあっさり変わっちまうものなのか。何か事情があって
無口になっていたんじゃないのか?
「え。別にそんなことないよ? 統合思念体から許可が下りたからその、イメチェンしただけ」
夢か。そうだこれは夢に違いない。そうでなければまた世界改変だろ。きっとそうだ。
すると長門は俺の袖を軽くはたきながら
「えーちがうよー。ただ今まで結構迷惑かけちゃったから、せめてもうちょっと人当たりよくしたほうがいいと思って」
んなアホな。俺が口をぽかんと開け絶句していると、
「長門さんはもう少しSOS団と親密になりたいと思ったらしいですよ」
古泉が言った。いたことに今気がついた。そんなことを易々と受け入れたのかお前は。
「ええ。涼宮さんの傍にいれば、誰でも少なからず変化しますよ」
変化しすぎだろうが。守るべき範疇ってものがあるんじゃないのか。
「ここは現実ですよ。超えてはいけないジャンルの枠など、本来あるはずもありません」
またもっともらしくいかがわしいことを古泉は言った。
「そんなわけだから、これからもよろしくね! キョンくん!」
長門が笑った。俺はまた唖然。

 

 

直後、ドアを開ける大きな音。
「有希古泉くんハロー!」
ハルヒが入ってきた。まずいだろおい。いくらなんでもここまで性格激変した長門を見過ごす
はずがない。だが古泉と長門は別段表情を変えることもなかった。
「やっほーハルヒちゃん!」
ザ・リニューアル長門第一声。ハルヒは案の定きょとんとした。
「あら、有希……」
無駄にでかい瞳をばしばし瞬かせ、口を無表情の形にしてハルヒは、
「今日はカーディガン着てないのね」
そこかよ! 全然見当違いじゃねぇか! おかしいだろどう考えても!
だがわざわざハルヒにそんなことを進言するのも野暮である。しかるに俺は悶々としていた。
長門の方を見ると、「どうしたの?」と言わんばかりににっこりと笑って首を傾けている。
長門はハルヒの方を向くと、
「そうなの。もうだいぶ暖かくなったから、たまにはなしでもいいかなって思って」
「あってもなくても有希はかわいいから、問題ないわね」
……置いてかれてるのは俺だけですか、そうですか。
だが朝比奈さんならさすがに驚いて慌てまくってくださるに違いない。きっとお茶を載せたお
盆を盛大にひっくり返すくらいの動揺はする。
俺が自分に言い聞かせるようにしていると、間もなくドアが開いた。
「遅れてごめんなさぁい」
他でもない、唯一女神の登場である。
「あ、みくるちゃんこんにちは」
普通の明るい子と化した長門は朝比奈さんに挨拶をした。

 

 

「あれ……長門さん?」
そうです。正しいリアクションです。朝比奈さんは不思議そうに愛らしい瞳をぱちくりさせて、
「髪切りましたかぁ? なんかかわいくなってるー!」
えぇぇぇぇぇっ! ちょっと待ってくださいよ、違うでしょっ! そうじゃないでしょ!
というか朝比奈さん、あなた長門にそんなためらいなく話したりしないでしょうが!
「うん。前髪をちょっとだけ。よく気付いたねー」
俺のモノローグなど軽やかにすっとばし部室内の会話は展開される。
古泉は穏やかスマイル平常営業でその行方を見守っている。

 

 

 

無口ドールだった長門が明るくなったことで、このSOS団の本拠地たる一室はすっかり活気に満ち満ちてしまっていた。調子を狂わせているのはどう見ても俺だけのようで、そのせいか今日は古泉がゲームで俺に全勝している。今までこんな事は一度もなかった。ありえん。
というか、長門じゃないだろこんなの! 俺のこの一年で構築された何たるかがガラガラと音を立てて崩れていく気がしていた。
「ねぇキョンくん!」
「んなっ!」
急に呼びかけられて俺は椅子ごとひっくり返った。もちろん声の主は別人と化した長門有希さんである……って、何敬称呼ばわりしてるんだ俺は。

 

 

 

例えばこれが文字情報だけだったら、俺なら情景の想像がまったくできないだろう。無口娘が急に普通の女子高生になる。今までダンディに振舞っていた老紳士が急にソッチの気に走ったとか書かれているほうがまだイメージしやすい。
だが新生長門は間違いなくここにこうしているのである。止められない止まらない。
「な、何だ?」
俺の声は自分でも分かるくらいに震えまくっていた。何に脅えてるんだ俺! しゃきっとせい!
長門は笑ったまま、
「そんなにびっくりしなくても。ふふふっ。もうすぐクラス替えだねぇ」
「そ、そうだな……新学期だ」
俺は椅子を元に戻して、できるだけ落ち着いて見えるように振舞いつつ言った。
「一緒のクラスになれるといいねっ!」
俺は盛大に茶を噴出した。松田優作も真っ青である。ついでにむせた。えらいむせた。
「げほっごほっ! ……ふぅ、げほっ」
「だ、大丈夫!?」
長門は俺の背中をとんとん叩いている。
俺は前にハルヒにこんな事を言った……幼馴染が照れ隠しで怒っているように頼む。
その手のゲーム的キャラであるが、今のこの長門はそれそのものじゃないのか!?
何かの間違いだろ。きっと情報統合思念体そのものがエラーしたに違いない。でなきゃこれは夢だ。悪夢じゃないから白日夢だ。
「夢じゃないよ? ほら!」
長門は俺の頬をやんわりとつねった。痛すぎないが痛い。わかった。わかったからもう止めてくれ。

 

 

「で、何だっけ? クラス替え?」
俺は三度居住まいを正すと、もはや演技でしかない平静さで言った。
「そう。折角だから、わたしと古泉くんとキョンくんとハルヒちゃんで同じクラスになれればいいのになぁって」
長門有希さんはおっしゃいました。えぇ、おっしゃいましたとも。
「わぁ……いいなぁ。あたしも同じ学年がよかったです」
朝比奈さんもうらやましがるようにそう言いました。俺の脳内言語に若干の狂いが生じているが勘弁してもらいたい。この状況で普段どおりにしているこいつら全員が変態なのだ。
朝比奈さんは2年生である。俺たちよりいっこ上だ。当然進級しても同じクラスにはなれない。
「別にそうなると決まったわけじゃありませんし、第一、古泉は理数クラスですから」
弁解めいた口調で俺は朝比奈さんに言った。すると、
「分からないわよ。あたしの予感では、4人とも同じクラスになることもあり得るわね」
ハルヒが言った。一足先に真夏になったような笑顔である
ないないないない。お前がそんなこと考えるな。宇宙法則が狂う。
今さら殺人アンドロイドが送り込まれてくるような筋書きもごめんだが、授業中までSOS団で固まっている必要などない。確かにそんなことを夢想したことがないでもないが、長門が激変してしまった今となっては不吉な気配しかしない。

 

 

「楽しみだなぁ……ふふ」
長門さんは本を読まずに机に両手をついてるんるんとしていた。
ほんとに夢じゃないのか、これ?

 

 

 

「なぁ、古泉」
下校途中の一幕である。
「何でしょうか」
半分以上質問を予想しているような顔色をしている。笑うなこの二枚目。
「長門はどうしちまったんだ。それでもってなぜ俺以外普通にしてるんだ」
「おや、あなたも普通だったじゃないですか。ある意味いつも通りのリアクションだったと言えます」
クスクス笑うな。やたらと女々しいぞ。
「これまで日常が突然覆ったことなど何度もあったでしょう? 今回もまた、そのうちの一つです」
お前はあの年末の恐怖を知らないからのん気にそんなことが言えるんだ。
今回の長門は、あの時と違って無口じゃないってのも引っかかる。
「長門さんがそう望んだのなら、さほど憂慮すべき事態ではないでしょう。それに、本人が戻りたいと願えば元の性格に戻ることもありうるのではないですか?」
至極正論だった。だがそれゆえに俺は言葉にできない気持ちになり何も言えない。
古泉は俺の心を見透かすように、
「まぁ、しばし様子を見てはいかがですか? いざとなれば、あなたが頼み込めば彼女は元の人格に戻ると僕は思っていますよ」
思わず古泉へ眼光を飛ばしてしまう俺であった。
「……いやすまん。確かに動揺しすぎだったな。あまりに予想外だったもんだから」
俺の言葉に古泉は苦笑して、
「例えば、僕が実は女性だったといったら、あなたは驚きますか?」
驚くだろうな。きっと今と同じくらいの衝撃を受けた後にお前との会話数を激減させる。
「それは困りますね。涼宮さんに関する重要なお話もできないとなると」
「だがお前は女性じゃないだろ」
「その通りです。ですがね、いつ何時何が起こっても不思議はないのですよ。もう少し大らかに構えることがコツ……ですかね」
何のコツだろうか。というか俺自身、この一年でかなり思考回路は柔らかくなったと思っていたのだがな。

 

 

 

この日はそれで終わった。長門激変もこのまま終わってほしかったが、そうはいかないらしかった。

 

 

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最終更新:2020年03月15日 22:34