月曜日だと思って大学に行ったが今日は火曜日だった。
小学生でもあるまいし、まさか自分がこんな初歩的なミスをするとは夢にも思わなかったな。
もしも俺がタイムマシンとか、超能力とか、時間を越えるための何かを持ってたなら俺は間違いなく
数時間前の俺を殴りに行くね。そんなものは無いので不可能だが。
火曜は午後まで取っている講義が無いので俺は暇つぶしにそこらをぶらぶらすることにした。
ぶらぶらするというものの、勝手知ったる地元の街並み。そんな二、三日で周囲の環境が
変わるはずも無く……
「……ん?こんな所に喫茶店があったか?」
この辺りは俺の庭だと吹聴している自分なので、見知らぬ建物があっては同級生達に示しがつかない。
幸い講義までは軽く三時間ほどの猶予があるのでとりあえずこの喫茶店に入ってみることにした。
その喫茶店の店先には『長門喫茶』と書いてあった。
「……ちょうもん……いや、ながもんきっさ?」
店の名前に少しばかりの疑念を抱きつつ俺は店内に足を踏み入れることにした。
 
戸を開けると、カラン、とベルか何かの音が店内に鳴り響いた。
喫茶店になんかあまり入ったことの無い俺だが、喫茶店とはもっと
オシャレでくつろげる空間を作り出しているものだと思っていた。
店内にはカウンターと、いくつばかりかのイスがあって、あとはカーテンも
装飾品も何も無いがらんとした空間だった。「ゴチャゴチャ」というと喫茶店に失礼だが、
いろいろオシャレっぽいものを用意するのも、それは喫茶店の仕事の内じゃないのか?
少なくとも彼女と来たいと思うような店内ではない。そして俺には連れてくるような彼女など
存在しているわけではなく、俺は一人で思考を展開させていささか鬱な気分に陥っていた。
「静かだし、まぁこれはこれでくつろげそうだけどな。」
 
俺が店の勝手な批評を脳内で終らせ、もう一度正面に顔を向け直すとそこには
セーラー服の少女が立っていた。お盆を抱えているところから推測するに従業員の
一人らしい。……俺はコスプレ喫茶に入った覚えは無いのだが。
静寂。店員が居ないのならこのまま店を出ることも出来たのだが、あいにく俺の正面には店の
女の子が立っている。残念ながらこの状況で店を出るなどという図太い神経を俺は持ち合わせておらず、
同様に女の子を無視して店内に上がり込むような度胸も同様に持ち合わせていない。
とりあえずコミュニケーションの初歩として彼女と会話をしてみようと思う。
「えっと……従業員さん?」
「そう」
注意深く観察していないとわからないくらい小さく、少女は首を縦に振った。
「君一人なの?」
「そう」
「この店今営業してるのかな?」
「お客さん」
少女は僅かに首を傾ける。俺が頭を縦に振り肯定の意を伝えると
「入って」
と言い店内に歩き出した。付いて来いという事らしい。
 
付いていくといっても店内はさほど広いわけでもなく――俺のアパートの部屋よりは
段違いに広いが―― 、歩き出してすぐに俺はカウンター正面の木製のイスの横に連れてこられた。
「座って」
少女は一言言うとメニューらしき紙を俺の前に差し出した。メニューらしきというのも、
ルーズリーフに明朝体のような綺麗な字でコーヒーとかなんとか書いてあったからだ。
いささかの疑問は持ったもののそんなことは瑣末な問題だ。
何にしようか考えている俺の横で少女はその場に立ち尽くしたまま微動だにしない。
気まずい心持ちになった俺は、彼女にもう一度話し掛けてみることにした。
「君、名前は何ていうの?」
少女は透き通った声で流れるように答えた。
「長門」「長門有希。」
 
「へぇ、長門さんか。ここは君のご両親がやってる店なのかい?」
「違う。私のお店。」
「長門さん若そうだけどそれじゃあご両親は……」
「最初からいない。私一人。」
……あれか?俺は聞いてはいけないことを聞いてしまったのか?
ここまで俺が聞いた極端に少なすぎる情報から彼女の身の上を想像するに、
ご両親が亡くなって生活に困窮した長門有希さんは現在の状況を
打開すべくご両親の遺産で喫茶店を興し一人けなげに働いて日々
の生活費を賄っている……といった所だろうか。
俺が想像なのか妄想なのかわからない思考実験を繰り返していると
初めて長門さんの方から話し掛けてきた。彼女の発したその短い言葉。
「メニュー」「決まった?」
 
突然の問いかけと、長門さんから話し掛けられたという事態に一気に
人間としての思考能力を失い動転した俺は、とりあえず目に映った緑茶をオーダーすることにした。
……喫茶店にお茶って置いてあるもんなのか?ますますわからない。
俺が緑茶を注文すると長門さんは短く
「わかった」「待ってて」
と短く二言いうと、パタパタという足音も立てずに店の奥に姿を消した。
三分ほど間が空いて、戻ってきた彼女は湯飲みの乗ったお盆を手にしていた。
その湯飲みを俺の目の前にコトリと置いて
「飲んで」
と言うと、カウンター向こうの俺の向かいに座った。
 
今思うとここは喫茶店と言うよりはバーと言う方が雰囲気的には近いのかもしれない。
カウンター席に据えられた俺と、その向かいで座っている女マスター。
長門喫茶と銘打ってるからには喫茶店で間違いは無いのだろうけど。少しばかりの
違和感を感じ得ない。
熱い緑茶を啜りながら俺は長門さんの横顔を観察していた。店の不思議な雰囲気と
セーラー服に意識が行って気付かなかったが、長門さんはとてもカワイイ顔の
造りをしているように思える。
一瞬頭の中で「Aマイナー」という声が聞こえた気がしたが、
とんでもない。長門さんはSランクだ。
 
お茶を飲み終えて空の湯飲みを置いていると、すぐさま長門さんがおかわりをついでくれた。
二杯目を飲んでいる途中不意に
「おいしい?」
と長門さんが尋ねてきた。最初からどうもポーカーフェイス――とういうよりむしろ無表情――な
長門さんの顔に少し不安の色が混じった気がした。やばい、ますますカワイイ。
「ああ、美味いよ」
「そう」
長門さんは随分そっけなく答えた。
『好きな人の作ったものなら何でも食べられる』という言葉に対して『好きな人が作っても
不味いものは不味い』という意味合いで反対派に属している俺だが、今日やつらの気持ちが
少し分かった気がした。ただ奴らと異なるところは、『好きな人の作ったおいしいものは
さらにおいしく感じられる』というところだ。長門さんのお茶にはきっと
さしもの千利休も裸足で逃げ出すに違いないね。……裸足で逃げ出すはちょっと言い回しが古いか。
少し時代の先を行き且つユニークさの溢れる表現を使用し、
ここは『全裸で逃げ出す』と言うことにしよう。……いかん、これでは千利休が変態だ。
 
黙々とお茶を飲む俺と、黙々とお茶を注ぐ長門さんという関係が七週目くらいに達したところで
長門さんが再び口を開いた。
「大丈夫?」
温度のことを言っているのだろうか?それにしても訊くのが遅いよな。カワイイからいいけど。
「大丈夫だよ。俺熱いのには体性あるから火傷とかの心配はないし。」
「そう」
短く切ると彼女はカウンター向こうでまた俯いてしまった。俯くというのも長門さんは
どうも本を読んでいるらしい。高さの問題で何の本かはわからないがきっと恋愛小説とかだろう。
七杯目の緑茶を飲み終えたが長門さんがお茶を注いでくれる気配が無い。サービスはもう終了なのか?
いや、コレは違う。そう俺が確信するのも彼女が本を読むのをやめて俺の目を見つめているからだ。
「えっと……どうしたんですか?」
「なんともない?」
「いや、さっきも言ったけど俺は熱いのには……」
「違うの」
何か様子がおかしい。相変わらず表情は薄いけど、何か焦っているような、高揚しているような、
そんな感じが伺える。もしかして告白されるのかな、俺?
『外でぶらぶら』の選択肢を取った時点でまさかこんなフラグが立っているとは思わなかった。
 
……そもそも俺がこの店を最初に見つけたとき。入るなんて思わなければ、
今みたいな事にはならなかったのかもしれない。つくづく過去の俺を殴りたい気分だ。
たったさっき聞いたばかりの長門さんの話を俺は振り返ることにする。
 
「このお茶には記憶消去型強制睡眠情報体が混入されている」
「きおく……?なんですか、それ?なんでそんなもの……」
「あなたを試したかったから。記憶消去型強制睡眠情報体は人間世界における睡眠薬と言われる薬剤と
ほぼ同等の働きをする。ただし記憶消去型強制睡眠情報体は名前の通り特定の状況下にいる
人間には一切の効力を持たない。あなたがそう。」
……急に饒舌になったと思ったら何を言っているんですか?
長門さん、本を読んでいると思ったらSFが好きなんですね。
それじゃあ俺は長門さんから見て一体どういう人間なんですか?
「あなたは普通の人間ではない。そして、私も。」「五年前、涼宮ハルヒという人間がいた……」
 
そして彼女は過去を、そして彼女のことを語りだした。
彼女の話を聞いた俺としては、正直その全てを信じられずにいる。 銀河を統一しているという
情報統合思念体のこと。 長門さんが情報統合思念体によって造りだされた 対有機生命体
コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースであること。 彼女が高校三年間で体験した
数々の事件のこと。 涼宮ハルヒという女の子のこと。
 
最後に、俺のこと。
 
長門さんの言うことを纏めると、情報統合思念体の観察対象であった涼宮ハルヒ
という女の子が五年前に姿を消し、彼女と直接接触していた長門さんが彼女の捜索と
第二、第三の観察対象になりうる人間の発見を新しい任務に活動していたと言う。
一般的に超能力とか言われる力を身につけている人間のみこの店に気付くことができ、
また同時に店に入るように暗示みたいなものがかけられるらしい。
そして記憶消去型強制睡眠情報体とかいう長ったらしい名前の何かの入った飲み物を
客に飲ませ、眠ってしまったものは観察対象外として近所の公園のベンチに放置する。
店での記憶はなくなるとか。
それで眠らなかったのは俺が初めてで、その涼宮ハルヒという女の子と同等の力を
秘めているのが俺とのこと。
 
……シナリオ的には八十点。これが文章化できて尚且つ俺を巻き込まなければ
百点をあげてもいいな。 安心して出版社に送るといいよ。うん、出来は俺が保障する。
「信じて。あなたの持つ力は今はまだ発現していないけれど、いつ覚醒するか分からない。
そうなるとあなたの身に危機が迫ってくる可能性も否定は出来ない」「これ」
そう言って差し出された長門さんの手の上には、電話番号と見られる数字が羅列した紙切れが
乗っかっていた。
「何かあったらここに。私にはあなたを守る義務がある」
 
これもサービスの一環かな?俺は割合楽しめたけど、こういうことは
あんまり他の人に言わない方がいいと思うよ。
そろそろ講義の始まる時間だし、俺はおいとまさせてもらうかな。
えーっとお代は……
「いらない」「忘れないで。あなたは狙われている」
「……そっか」
俺は簡単に答え、電話番号を受け取る代わりに五百円玉を長門さんの手に置いて、
後ろを振り返らずに店を出た。
……妙な話を聞かされたけど、まぁまぁ面白かった。近いうちにまた来よう。長門さんはカワイイし。
それに、もしも長門さんの言うことが本当なら嫌でも来ることになるだろうしな。
 
そして後に俺は、日常から非日常の世界の住人へとカタチを変えることになる。
それは、ある晴れた日の出来事であった。
 
~fin~

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最終更新:2020年03月15日 18:23