What a perfect blue world #14

/*/

「…………」

 結末に、口をつぐむまどか。
 目の前で、抱きしめようとしていた相手を失った雫の事を思って、肩に手をかけようとした。

「逃げられたか」

 返って来たのはあっけらかんとした声だった。

「!?」

 驚くまどかに雫は振り返る。

 雫の顔は、飄々としていた。

「音に依りたる音使い、転ずれば音こそ奴の本体だろう。
 キリヒメ君が彼を一度殺したにも関わらず生きていたという事は、元々が、あの体だけに縛られていたわけでもないはずだ。
 大方どこかに潜ませておいた換えのボディにでも乗り移ったんだろうさ。黒い方はどうか知らんがな」

 あ、とまどかは思い至る。
 アドラが死の直前までに散々挙げた、洞窟中にまで鳴り響くような、不必要すぎるほど大きな笑いや叫びの数々を。

 呆れたように腰に手をあて、片目をつむって雫を見やる。

「まったく……どこまでも、冷静な奴だな、お前は。
 だが、いいのか? 逃がしてしまって」
「奴がこつこつと積み上げてきた物語とやらは、これでひとまず終わったわけだ。また何かやるとしても当分先であろうよ。
 とにかく、外まで一度出よう。しこたま頭をぶん殴られたキリヒメ君をまともな場所で休ませたい」

 頷きあうと、へたりこんでいるキリヒメの体を2人で担ぐ。

「…………」

 去る間際、雫はアドラと絶風の死体をもう一度だけ見やった。

 物言わぬ、白と黒。上書くように染めるは血の紅。

「結局この戦い、勝ったのは私達では、ないのだろうな」

 雫の表情に苦いものは何もない。

 呟きだけが、ただ平淡に紡がれた。

/*/

 洞窟を出ると、外では既に夜が明けていた。

 もはや誰も使う事のないだろうアジトを隠すように生い茂っている森の中を、気持ちのいい昼下がりの風が吹き抜けていく。

 命に別状ない事は確認していたので、キリヒメを樹にもたれかけるようにして座らせると、まどかはふと、洞窟を抜けるまで気になっていたけど聞けなかった事を尋ねてみた。

「そういえば、その……お前の、能力の事だけど」
「ああ、あれか」

 雫は笑った。
 そして、「純情だね、そんな事をさっきからずっと気にしていたのか」と、からかい混じりにきっぱり告げる。

「あんなもん、デタラメだ」
「……はぁー!?」
「だって、そんなんあの場でいきなり私に解るわけがないだろ、自分がどんな力持ってるかー、なんて。
 私が確信持って言い切れるのは、まどか君、私の胸が、君や、キリヒメや、みんなを目一杯に抱きしめたがっている、それくらいの事だよ。精々ね」
「じゃ、じゃあ、魔術っていうのは……?」
「魔術は詐術だ、詐術が魔術だ。
 言葉で心が動くなら、心で世界が動くなら、物理を超えた魔術を使う魔術師、さ。私はね」

 世の中案外ハッタリだよ、まどか君。
 ぬけぬけとそう言ってのけた雫を、改めて呆れたように笑って見下ろしながら、まどかは大きく息をついた。

「ともあれ、これからどうする?」
「うん、その事なんだが――――」

 雫は、真面目な顔で告げた。

「アドラが生きていようがいまいが、あいつに嘘は、つきたくないからな。
 まどか君には済まないが、これからも私は“空白の魔術師”で、通そうと思っているよ。
 君から貰った名前は、一生大事に取っておく。私の胸の中だけで」
「なら、俺は今回の事を本にするよ。
 物語になる事で自分の存在を残そうとしたアドラの目論見に、まんまと乗るようでなんだか嫌だけど、それでもあいつの言っていた事に、嘘はなかったと、そう思うから。
 それに、事実を明らかにする事は、俺達の一族の、死んでいった者達への供養、遺された者達へのけじめにもなる」

 2人の間には、アドラに対する共通の感覚があるようだった。

 ただ必死に生き延び、そして抗いの声を挙げようとしていた物語使い。

 多くの痛みを強いられたが、彼、あるいは彼女かもしれない存在が抱いていた思いの、すべてを無視する気にはなれなかったのだろう。

「さて、ともあれこれで事件は一件落着したわけだ。手に職つけねば生活もままならんし、私は喫茶店のマスターにでもなるとするかな」
「なんだ、そりゃ」
「魔術師のやる喫茶店、洒落ているじゃないか」
「へんてこなだけだと思うがな……まっ、たまには気が向いたら遊びに行くさ」
「ああ、極上の豆・茶葉を揃えて待っているとしよう。もちろん、君の好きな甘い菓子も取り揃えてね」

 ふらり、気配が背後に立つ。
 咄嗟に雫達は身構えたが、それはキリヒメの立ち上がったものだった。
 血で汚れた口の端を拭って、キリヒメは切れ切れに自らの中から湧き出る言葉を求めた。

「私、は……」

 ごくん、と、唾を飲み、

 おそるおそる、告げる。

「私、名前が欲しい」
「名前か?」

 おこがましくはないだろうか。
 そう、不安に思っているのは目に見えた。
 だから雫はあえて快活に促した。

 キリヒメは、ほっとしたように続ける。

「うん。雫がなくしちゃった分まで、欲しい」
「ははは、豪儀な話だ。それまどか君」
「いや、お前が決めてあげろよ」
「私がかね?」

 見つめられ、こっくり頷くキリヒメ。
 うーんと唸って、それから雫は、これだ、というように人差し指を立てて言った。

「桐姫。赤井、桐姫」
「桐、姫……?」
「そう。髪が赤いから、赤井。わかりやすいだろう。桐はフィーリングだ。音は変えぬが、意味は変わる。これまでを、捨てず、しかし新しい。そういう意味の篭もった名だ。こんなところでどうかね、桐姫くん」
「うん!」

 まどかが横から口を出した。

「付け加えるなら、古来より、東国では女子が生まれた折りに桐を植え、その子が嫁ぐ時、それを切って箪笥に仕立て、持たせたという」

 しっかと桐姫の猫目を見て、言葉に気持ちを込めた。
 罪からは、逃がさない。しかし、贖罪に生きるのであれば、許そう。
 そういうまなざしだった。

「お前は今、新しくもう一度生まれ直したんだ。だからお前は、桐姫だ」
「うん…うん…!」

 まどかと桐姫は、握手を交わす。
 互いの仲間を殺し合い、しかし、友となった相手との、証であり、別れの握手だった。

「さらばだ、雫、桐姫!
 また、会おう!」

 去っていくまどかを、並んで見送る雫と桐姫。

「行っちゃった、ね……」
「奴には一族の長として、今後をとりまとめる義務があるからな。忙しいものだよ」

 さあて、一方私達は無職気ままな宙ぶらりんだが、と、雫は桐姫を見上げる。

「ついて、くるかね?」
「うん!」
「じゃあ、今日から君は、私の娘だ」
「親子だと!?」

 ひょこっと藪から再びまどかが顔を出す。

「うお。というか、まだ行っていなかったのかね、まどか君」
「よく考えれば街道まで一本道だろう、つい流れに乗せられてしまったが、ここで別れる意味がなかった。
 それよりその理屈はどういう事だ、姉妹で通る年齢だろうが!」
「名を与えれば、名付け親になるからね。理屈で行けば、もう少しでまどか君は若くして祖母になるところだったわけだ、はっはっは」
「まどかはおばあちゃんか。はははー」
「お、お前らー……!」

 3人並んで、森を行く。

 街道までは、あとわずか。

 見上げれば、

 木々の切れ間に浮かんで見える、

 青い青い、世界の色――――

/*/

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2018年02月15日 10:31