受け継いできた流れを変える、というのは、とても勇気のいることだ――。
ましてそれが、自らの愛した、骨肉を分けた相手の意志ならば。
雫は、もはや敢然とアドラに向かい、自分と共に立ちはだかっている、スバル、もとい、まどかを見て、目を細めながら、そう、友のことを慈しんだ。
受け継がれる流れ――物語という力は、そう、強大だ。
人の認識にすら影響するほどに。いや、むしろ、人の認識をこそ変えるためだけにある力、だからこそ。
「……似たような筋の物語(ストーリー)を繰り返し、描き出し、それを元に、己のようなエラー体の存在を認知させる、か――――
オールドOVERSにも似た仕組みだね、どこでそんなアイデアを拾ってきたのやら……
そして一体、どれだけの『私』たちが、君の掌で踊ってきたのだろうね。
そして、その中のどれ一つとして成功していない、そういうことなんだね、今、『私』たちがここにこうしてあるということは」
眼前で繰り広げられた景色を前に、一つのいらえも寄越さないアドラに向けて、雫はゆっくりと告げた。
「マッチポンプの二つの機関、その裏側に潜んでいた、物語実行機関ノア……それが君達の、原初にして最後の姿、そういうわけか、アドラ君。それともプリンスオブノアとでも呼ぶべきか――?
『歪み』を一度、乗り越えなければ気がつかなかった。
致命的だったな、もっとも肝心な、私という『主人公』の記憶が歪んでいたせいで、『物語の筋が狂って』しまっていたぞ?
私は昔を覚えていた。キリヒメがプリンセスではなかった時代を、覚えていた。何故だろうな、ふふ、愛ゆえにとでも言えば格好がつくのかもしれんが――」
「…………」
挑発の物言いにすら、アドラは何も答えなかった。
がちゃん。
がちゃんがちゃん、がちゃん。
「!」
代わりに動いたのは、つなぎとめられていたはずのキリヒメ。
「あれえ、ヨル、スバル、わざわざ迎えに来てくれたの?
ちょっ……とだけ、待っててね。なんか、えい、あれ、鎖が……なんだ、これ?」
脳天気に、いつもの調子で喋り出したキリヒメを目の当たりにし、雫は最初、目を見開き、次には顔を険しくした。
キリヒメは嬉しそうに笑っている。
つなぎとめられたまま、次々と繰り言を行っている。
「みいんな、殺したよ。みんな殺したんだよ。
いつもみたいにね、綺麗に、綺麗さっぱり、殺した。
気持ちよかったー……!」
「キリヒメ、お前……」
「ねえ―――――」
つつぅ。
不意にキリヒメの目から、赤いものが流れ落ちた。
それで、雫とまどかは気づいてしまった。
キリヒメが、あえて何事もなかったかのように振舞おうとしていたのだということを。
「私達、いけない事をしていたんだよね?
だから、辞めさせなくちゃいけなかったんだよね?
辞めさせてきたよ。
偉い?
ねえ、偉い?」
ほめてよ、スバル、私のことを。
大好きな君が、悩む代わりに、ぜえんぶ私がやってあげたから。
だから、ねえ、
誰か私を、許してよ――――
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What a perfect blue world #8
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アドラがまったく動かないので、不気味に思いながらも二人はキリヒメに課せられた拘束を解いていた。
そうこうしているうちに、男がやってくる。
ぬう――と、二人の背後に、突然に。
黒い黒い、とてつもなく黒い――――
そういう、何者にも染まらぬ色をした、男。
「!」
驚く二人をよそに、アドラはようやく重たい口を開き直した。
「FZ。今まで何をしていたのですか?」
「折角の最終幕だ。途中で俺が片付けてしまっても、話にならんだろう」
FZと呼ばれた黒い男は、ただ、一言、そう告げて、アドラの傍らに太くそびえる。
「にゃあ!!」
キリヒメがFZの出現で明らかに警戒し、アドラが先程見せつけ、そして適当にそこらへんへと立てかけて置いた、愛用の大鎌に飛びついた。
構えようとしたところを、絶風が首根っこを抑えて組み伏せる。
まるで、猫が爪を出したままねじふせられているような光景だ。
反応、出来なかった。
キリヒメが、ではない。
背後にいたはずのFZが、一瞬にして目の前のキリヒメへと組み付いた、その移動の気配に、雫達が、だ。
「……なるほど、中ボスも準備済みかね」
雫が唇の端を釣り上げて、緊張もあらわに虚勢を張った。
「奇襲としゃれ込むつもりが正々堂々出迎えられて、大層こっちは困惑したものだが」
「ラスボスよりも強いタイプの、不必要に目立ちすぎな中ボスですがね」
アドラはそれでも背後から放たれ続けているキリヒメの殺意を、意にも介さずカサカサとした乾いた口調で、鼻で笑った。
「実に滑稽です。
はてない国人にして猫の特性を持つ少女。
しかし我々の中で唯一犬と猫との境界性を越えた彼女のその特性と奔放な気質はとても都合が良かった。
私の描いた『物語』の主要キャラクターとして祭り上げ、本人にもその気になって演じてもらうためにはね」
「悪役得意の種明かしか。勝利を気取るにはまだ早い局面ではないかね?」
「それらしくて、演出にはいいでしょう?」
ふふ、とアドラが、やっと調子を取り戻したように、美しい悪党のする笑い方で、笑う。
雫は機嫌が悪そうに眉根をしかめて見せ、それからつまらなそうに述べ始めた。
「まどか君とキリヒメ、二人の出会いは、どの物語においても必然だったのだな。
そして、私の登壇も。
私が出れば、必ず二人は結びつき、悲劇を悲劇で終わらせないため、物語を書き換え出す。それに困ったお前たちは、今度ばかりは二人の対立を決定的なものにしようと、時間軸を前倒しにした。
そう、つまりは――まどか君の実家への襲撃を。
だが生憎だったな貴様、私が愛した二人はそんなことでは負けないくらい、今回も私の愛に応えてくれた。
さあ、取り立ての時間といこう。私の出演料は馬鹿高いぞ?」
「これからお支払いに行くところだったのですよ、夜ノ塚雫さん」
「1兆にゃんにゃん。首を揃えて持って来るがいい」
「残念ながら、ギャラは現物支給です。運命という名の、ね」
ふ、と、雫は笑った。
瞬間的にぶち切れる。
「いい加減にしろ!!!!!」
彼女がこの世界に現れてからずっと一緒だったまどかが目をむくほどの、それは激甚の怒りだった。
「どこまで人を弄べば気が済むのだ、貴様は!!!
まどかの一族を襲い、己の仲間だったはずの者達までも使い捨て、挙句、一度ばかりか何度失敗しても凄惨な事件を繰り返す!!!!
その結果、やろうとしている事が単なる自己実現の創作活動だと?
痛々しい妄想・言動は中学生までにしておくんだな!!!!」
「そういうわけにも、いかないのですよ」
アドラは動じない。
何物にも、動じない。
「『物語』は、完成されなければならない。
筋書きはどちらの勝利で終わってもいい。
けれど、事件は最後まで解き明かされ、公表されてこそ、初めて意味を持つのです。
完結したストーリーでなければ皆、読んではくれませんからね」
「どこまでも、性根の腐った……それが、人の命を、運命を使ってやる事か!!」
ぱん!
と、柏手が1つ、打たれた。
雰囲気がそれで断ち割られる。
「ええ」
にっこりとアドラが笑った。
いっそ悲痛なほどに、哀切に。
「『物語』こそが、大事なのです。
我々のお話が、『物語』になる事こそが」
最終更新:2018年02月15日 10:14