「一つ、いいかね、執事くん」

 雫は前を行く男に呼び掛けた。

「良く私達の居場所がわかったね」
「――――」

 いらえはない。
 スバルの手をしっかりと握り締めながら、雫は独り言のように話し始める。

「この一帯は国とも言えないような、情報の残骸で出来た小さな大地だ。
 なのに、妙だとは思わないかね?
 狂ったように生る果実、密林の如き有様、どれもフィクションノート達がいない空間に生まれるものではあるまいよ。
 何しろ私達は一介の設定国民に過ぎんのだからね。君達はまあ、その範疇に収まるのかどうか知らんが……」
「何が言いたいのです?」
「別に。
 そう言えば、植物は音楽を理解するとの学説があるそうだね。
 サボテンに良く話し掛けると成長がいい、だったかな?
 いずれにせよ、どれだけのオーケストラを呼んできたらこれほど緑が育つものだろうか」
「韜晦ですか」
「繰り言だよ。アイドレスは対話の世界、ならば黙っているのもつまるまい」

 交わされる会話が理解出来ず、スバルは二人をきょときょと見比べる。
 異なる色を持つ、二人の姿を。
 男は答えず、しかしその手を裏返して雫達の目線を彼方に導きやる。

「――さあ、お待ちかねのプリンセスの登場ですよ」

 長い長い、迷宮の最果て。
 もはや松明などなくとも目の通る、かがり火の焚かれた広間へと、遂に二人はたどりついた。

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 What a perfect blue world #5
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「キリヒメぇ!!」

 天井から吊るされているその姿を見て、まず真っ先にスバルは叫んだ。
 ん、んと、目の前でキリヒメの顔が、夢にまどろみ彷徨うように引きつれる。

「プリンセスオブノア。
 あなた達には馴染みのない呼び方でしょうが、それが本来の彼女の名前です。
 NOAH(ノア)とは機関名などでありはしない。そこに所属する者の意志を表す呼び名なのです。
 そして彼女はその意志を捨てた。
 もはや彼女は誰でもない」

 No-One Abandon their Home.
 すなわち、N.O.A.H(誰もホームを見捨てない)。

 かつて同胞であったところの血と肉片の海を背景にして、楽しげに男はそう解説する。
 その光景が何を意味するのか、二人とも、気付いていなかったわけではないのだろう。
 痛ましそうに雫はただただキリヒメの事を見やった。

 彼女が部下たる仲間達を皆殺しにした。
 だから、この男以外の誰も二人を迎えには来なかったのだ。

 凄まじい殺戮の痕跡であった。
 吹き荒れる暴力の渦に誰も抗えはしなかったのだろう。
 肉片の中に子供の腕が混じっているのを見て、雫はそっと目を伏せる。
 その様子にも構わず男は愉快そうに話を続けた。

「復興支援機関? まして、その令嬢などと」

 違うのですよ、本当の彼女は、あなた達の知る彼女とは。

 そう、手を叩いて喜ぶのへ、雫は面を上げて反撃を始めた。

「災厄執行機関ノア、知っているさ、その存在は。
 ここを探り出すためにわざわざ会社の謄本を調べたのだ。
 一方では破壊を、一方では再生を、儲かるわけだね自作自演なのだから。
 二つのノア機関は、互いあってこその双輪であり、そしてその二つのノア機関の創始者こそが、アドラ・ハースティラ……つまるところ、君だろう、HA」

 雫の手の中には一枚の書類がある。
 ピッ、と投げつけるようにして彼女はアドラへとそれを送りつけた。

 とん、と足音。
 風もないのに舞い上がる紙。
 はらり、地面に着く頃までには、その公式な登録書類の写しは真っ二つに裂けていた。

「ご名答です」

 そよとも揺らがぬ白い笑顔。

「助けるのですか?
 語るにも価しない微笑ましくも愚かなエピソードの果てに結んだ友情とやらのために、その大量虐殺者を」
「当然だ。
 操られていた者に問うべき罪などありはしない。
 強いて言うならば、操られていた事そのものが、罪であり、罰だろう。
 引き受けるべき痛みは引き受けさせるさ」
「ほう……」

 ご立派です。
 そう、アドラはせせら笑うように笑みを浮かべた。

「無名世界観の鑑のようなお言葉ですね。
 とても一介の設定国民とは思えない。
 ですがそちらのお友達の方はどうでしょう?」

 矛先を向けられ、スバルはごくりと唾を飲む。

「バグを狩る東の一族。
 そのいまや唯一の生き残りで直系が、まさかバグの頭目たる彼女を見逃すんじゃないでしょうね?
 友達だからと、そんな理由で!
 実の父親の仇たる、彼女を!」
「~~~~ッ!!」

 苦渋に満ちた表情。
 スバルの手が、空をじわりと握る。
 あの日から片時たりとも身を離さなかった短刀が、ずしりと腰裏に重い。
 かつて見た怪物どもは哀れみすらをも誘わぬ姿と成り果てて、彼女の目の前に転がっている。
 そしてキリヒメは、相変わらず無防備なまま宙から吊り下げられたままだ。
 がたがたと感情の内部で拮抗して震える手を止められない。

「スバル」

 声と共に、三度その手が握り締められた。

「迷うな。ここに来るまでに決めた事だろう」
「良いのですか?」

 アドラが割って入る。

「その方に、手を許しても良いのですか?」
「な、にを……」

 スバルの声に動揺が走る。
 雫はただ鬱陶しそうに眉根を寄せるだけ。

「だって彼女、私達の眷属じゃあないですか」

 嬉しそうに白い指で指差す雫の長い髪。
 その色は、果たして名に相応しいほど濃い水色をした、ブルー。

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最終更新:2017年09月08日 12:46