かつ、かつ、かつ――――。
 無明の世界を闊歩する音。
 つまづきも惑いもそこには混じらない。
 あるのは自身のいる最深部へと近づいてくる音達へと、真っ直ぐに出迎える響きだけである。

 懐かしい音が聞こえていた。
 一つは選べず、それゆえ迷いを抱いた旋律で。
 一つは選んだ者の憎らしい音階。
 かつて思い出させるようなそれらと共に、耳を澄ませば聞こえてくる。
 始まりの旋律と終わりのフォルテッシモ。

 衝撃と共に受けた痛みと愛を、今でも『それ』は覚えていた。

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 What a perfect blue world #3
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「待ちくたびれていましたよ」

 雫達を出迎えたのは白い盲目の青年だった。
 おそらく彼女達向けの配慮なのだろう、手には松明を持っている。
 その炎に照らし出された姿が、白い。
 肌も、髪も、湛える表情までもの何もかもが白く、そして美しくも虚ろな無機質。
 形良い唇から流れたのは音楽的な抑揚を伴う声。
 目を、閉じているからだろうか、透明な雰囲気が白磁の如き面には漂っている。
 男性的とは言えぬ、ただひたすらに完成された顔立ちは、だからこそ、見る者の目にどこかがらんどうで。

 ふん、とスバルは悪態をついた。

「俺達の来てた事なんざ、とっくの昔に承知だった、ってわけか。
 それにしちゃ出迎えの人数がえらく少ないじゃねえか?」
「少々都合がありまして。
 皆の名代として、私が」

 恭しく腰を折る男。
 その無防備な姿に一瞬で気配を薄くし腰裏に佩いた得物へと手を掛けたスバルを、雫は静かに前に出る事で制した。

「案内ならば受けようではないか。
 我々はここの主の賓客に当たるわけだからね、くれぐれも丁重によろしく頼むよ?」
「元よりそのつもりで」

 楽器の奏でる音が如く、麗しく贈りつけられたる言の葉は、こうも重ねて告げていく。

「これより我等ノア機関のはらわた、是非とも御覧戴きたく参上致した次第でありますれば――――」

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 一人取り残されたキリヒメは、いまだ戻らぬ意識の中で、過去に浸っていた。
 煌々とかがり火の燃やされ惨状の跡など微塵もない、今、吊るされている場所と同じ洞窟・最深部。
 そこにいるのはかつての自分達。

「HA」

 は、と、かしずく青年に、目もくれてはやらずに彼女は玉座から立ち上がる。

「SK」

 傍らで、明らかに身の丈には合わぬ大鎌を持って跪いていた赤毛の子供が名を呼ばれ、高々と手の中の物を差し掲げた。

「災厄執行の担い手達よ」

 たむろする異形の衆が呼び掛けに衆目した。
 六本腕の醜いせむし男、毒々しくも茨の髪を垂らした豊満な女、掌中に黒色火薬を掻く怪人、数式を半身鋼の身の上に這い回らせる学者崩れ風、etc、etc……。
 異端のるつぼへと、晴れやかにキリヒメは笑い掛ける。

「今日こそ行くぞ。我らが敵を、狩り尽くしに」

 手に取る大鎌は、まるで猛獣に生まれつき携わる爪のようにしっくりと良く馴染んでいた。
 その銀月の刃が閃き光を放つ。

「暗闇に火を灯せ!
 正常こそが唯一で、異常などはこの世にないと、そう信じて疑わない輩の命と命を奪い取れ!
 我ら選ばれざる者達の箱舟が、今日こそ絶対多数を殺しに行くぞ!」

 おお、と異口同音に鬨を作る者達に、にいまりとひまわりのような大輪の笑みを向け、そして彼らがおさまるまで、おさまってからもしばらくは、この異形どもを束ねし姫君は、獣の爽やかさで笑っていた。
 瑞々しい唇が、堪え切れぬような喜びの吐息を含んで言葉を零す。

「――――こんなに晴れたいい日には、首を狩るのが楽しかろ?」

 背に流す、焔のように方々へと跳ねた赤。
 同じ髪の色をした子供がうっとりとそれを見つめている。

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 SKこと篠崎薫は、同じはてない国人のエラー体であるキリヒメを愛していた。
 永遠に育つ事のない中途半端な肉体を持った自分とはあまりにも異なる、気高く強靭で奔放なその四肢が放つ、雌の香気に憧れていた。

 舞台は既に移ろっている。
 山河には霧、竹林の伸び生え清流閑たる幽玄垂らす、とある東国の一地方。
 そのただなかにひっそりと建つ武家屋敷を眼中に収めて、暴君の頬が嬉しそうにたわみ、吊り上がる。
 振りかざしたのはたった一言。

「蹂躙しろ」

 ある者が火を放ち、ある者が文字通りに牙を剥く。
 それは異形達が遂に待ち望む、殺戮の宴であった。
 おっとり刀で迎え撃つ敵を次々屠り、やがて百人からは住めそうな大屋敷を、めらめらと音を立てて焼き崩す。
 火よりも赤く、緋よりも紅い髪を振り乱し、キリヒメはゲラゲラと光景の酸鼻に笑っていた。

「平常よ死ね打ち壊されろ、見るがいい、世界はお前達だけの物ではない!!」

 己が両断した老婆の死体を踏みつけにして、恍惚にだらりと立ち尽くす紅の斬姫。
 凄惨なほどに嬉しげに吼えるその顔が、薫には、普段から彼女を知る自分をして、別人にも見紛うほどに、強烈で。
 だからだろうか、

「『赤猫』、覚悟ォォォ!!!」

 横合いから飛び出てきた鎧武者に彼女が切り倒されたのを、薫はすぐには現実の物として受け容れる事が出来なかった。

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最終更新:2017年09月08日 12:03