『
あなたに聞こえますことでしょうか
私の中のこの歌が
♪
あなたに聞こえますように
私の中のこの音が…
♪
』
歌声が森に響き渡る。
島の緑はいまやそこら中でむせ返るほど密生しており、宇宙における島自体の領域の大きさも、ちょっとした騎士領並みになっていた。
他の空間にはない豊かで風変わりな木々に刺激され、男は相変わらず人形作りを続けている。
育ちすぎた空間に怪しげなものが迷い込まないよう、彼女は一日に何度も島を巡る。
もはや一人でいても退屈に潰されるようなことはなくなっていた。
その島の、崖状の最外延部に腰掛けて、喉から迸らせるのは清らかな水色の音、緑の歌声。
水の響き持つその己の歌に、島中の植物が育つみたいにして育てられたというわけでもないのだろうが、不思議と伸びた彼女の髪は、いまや背中全体を覆うまでになっている。
背後にある宇宙船のコクピットから、無機質な光が漏れていた。
正常な情報がずっとそこにだけ存在していたせいだろうか、一帯はやけに拓けていて、まるきり発着場のような体裁である。
目の前で、虚空が電子の風に乗り、ネットの中を流れ去る。
宇宙の水際で足をぶらぶらさせながら、ずっとずっと彼女は歌い続けていた。
胸には大切そうに抱えられた、あのオルゴール。
『
あなたがしあわせで ありますように
♪
あなたがしあわせで ありますように……
♪
』
歌が止んだ。
くるくると、ネジ巻き式のシリンダーが小箱の中で回転を止める。
ぱたん、と蓋が閉じられた。
広がる宇宙の虚空を見つめる、穏やかに濃い、緑色の瞳。
/*/
「マエストロ」
緊を孕んだいつにないその呼びかけの口調に、男はふと手を止めて振り返る。
「何だ」
オルゴールを手に佇んでいる彼女。
柔らかな顔立ちが、彼と交わした視線の中で、一度だけ、苦しそうに歪んで、口を開け。
それからすべての表情を飲み込んだように、静と笑んだ。
「――お世話になりました」
「そうか」
興味のなさそうな、いつもの男の返事。
ことり、彼女の手から、テーブルの上にオルゴールが置いていかれる。
「船をお借りしてもよろしいでしょうか?
自動操縦にして、必ずお返しいたしますので」
「いや、いい。やるよ。
僕はまだ当分ここで遊びたい。島を出るなら、ここも大分育ってきた、その時は適当に自分で何か作ってみるさ」
こりこりと、木を削る音が甦る。
男の顔の向きは既に彼女の上にない。
「じゃあな」
「はい――――」
唐突に告げた別れの意思に対しての、あっさり告げられた別れの言葉に、彼女はしばらく所在なさげに立っていたが、やがて踵を返し、扉に手をかけ。
「あの!」
もう一度だけ、男を振り返る。
男が面倒くさそうに顔を上げた。
「また、ここに来てもいいでしょうか?」
「なんだ、そんなことか。
好きにするといいよ」
ほっ、
と、緊張が笑顔になりほどける。
嬉しそうに彼女はお辞儀をすると、今までありがとうございました、と告げ、そうして今度こそ小屋から出て行く。
扉の閉じる音にも振り返らずに、男は淡々と人形を作り続ける。
「ん……」
そのうちに、日の落ち始めていたのに気付いて立ち上がり、壁に掛けてある芯台の上に刺された蝋燭へと火を灯す。
その動作にも特に迷いはない。
一人の影が、工房の床を照らしつけている。
ふと目を向けた、彼女の専用椅子。
がらんどうのそれを男は手にしてテラスに出した。
机に向かって、人形のニス塗りを始める。
頭の痛くなるような、その匂い。
いつまでも立ち込めて密室を抜けない。
/*/
小屋を出た彼女は、完璧に造形された綺麗な笑顔のまま、宇宙船の停めてある発着場へと歩いていく。
生い茂る森を行くうちに、夜が始まったが、毎日毎日ずうっと歩き回っていた庭のような道を彼女は迷うこともなく。
一人乗りの宇宙船のタラップを、白のワンピースの裾を翻しながら登っていく。
エンジンは錆びることもなく正常に稼動し、推力を得て宇宙の海にゆっくりとした動きで乗り出した。
島が小さくなって、見えなくなるまでずっと真っ直ぐ船は飛んで。
島が見えなくなってから、初めて彼女は泣いた。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、いつまでも。
泣きながら、けれどもあの島の方角を、一度も振り向きはしなかった。