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針が時を刻んでいる。Tic,Tic,Tic,Tic……
閉塞した部屋の中で、平らかな空気を震わせる物は、その1つきり。

針が時を刻んでいる。Tic,Tic,Tic,Tic……
椅子に身を沈めた男は唇を真一文字に結んだ表情に、亀裂1つすら走らせない。

左の傍らで両膝を、毛足の長い絨毯に直接突きながら、男の左手に、右手を重ねている女がいる。

互いのまなざしは交錯し、互いの視線は絡んでいる。
空間を割る、ぜんまいの振動が、動かない2人の肌を叩いて、それでも揺らす。

青い光沢が雪色の月光のように、女の長い髪からは、放たれている。
輝きは、政庁用の、無機質な灯を天井灯から受けて、創られていた。

ことん、ことん、音なき拍動。
ついぞ針には刻まれぬまま、時を重ねるのは、それでも動く、掌の内側を巡る、真っ赤な脈流。

男のまぶたが3秒閉じた。
無数の刹那を喰い切って、また、開かれた、傍らを覗く世界の中に、同じ瞳が待ち続けている。

待ち続けている?
何を。

感じた時、城 華一郎は、かぶせられていたテイタニアの掌の下で、左手を裏返し、手指を絡めて手繰り寄せ、不安定な姿勢のままでいた、その、青い髪の彼女の上体を、自らの膝元へと引き込んだ。

「どうしましたか、華一郎」

可視化したような水色の声。
オアシスに湧く、あの軟らかな透明、そのままの声だ。

赤黒い衝動を心臓の下側に覚え、華一郎は口を噤むことで、幾多の言葉を噛み殺す。

思念が渦を巻く。
水色を磨くのは、木々の葉の、腐ったような土や、また、それらの腐らぬままに押し固まった、泥炭を経ての、ことである。

欲望を、思考の臼歯に掛けて、平らかに解きほぐし、擂り潰す。

だから、何だ?

完全な左右対称ではない、均整の取れた、ほのかな歪みを抱く、テイタニアの顔の造形を見つめながらに、自問する。

この歪みは彼女が人造物ではない処から頂いた揺らぎだろう。
かつてその身に、小指と薬指で数え足りる程度の魂たちが、袖を通したことの表れ。

だから、それがどうしたというのだ?

何でもないと口にすることは出来ない。
沈黙ばかりが積もり込み、直前に立てた衣擦れと肉の震えで、耳からは、時を計る、針音のささやきを、聞き取る細やかさが、すべて消し飛ばされていた。

深い、椅子の造りは、華一郎が腰掛けて、その上にテイタニアを引きこんでも、まだ、苦しくてかなわぬ、というふうには、ならぬ。

政務を執るための机とも、今は間を取られており、2人分の空間が保たれ続けている。

それがなんだっていうんだ。

瞳に赤い物が通い始める。
その赤と、対峙している女の瞳は、相変わらずである。

言葉が次々脳髄で噛み砕かれる。
言えば、こう返る。こう流れる。そんな物は求めていない。
もっと。もっと、求めている。

多くを?
深くを?
強くを?

わからない。
ただ、直感だけが常にやかましい。
もっと、もっとだと、叫んでいる。

華一郎は、問いかけには答えずに、
テイタニアを膝上に載せ上げて、後ろから、ただ、胴体に脇から両腕を通すような形で、抱きしめた。

「この姿勢のままでは、希望された行為が取れません」

テイタニアの声には不純物が少なく、しかし、確かに含む。
軟らかな水色の声。

金属で形作られた女の、だが、金属の含有率が、少ない声。

オアシスは、砂漠に降る雨水の溜め池ではない。
遠く、山岳地方の地中を抜けて、流れこんできた水脈が、ぽっかりと湧き出る先を求めて現れた、そういう素性と由来を持っている。

風をその峰に受け、対流で雲を生み、
雨水を受けて、多くの木々を宿す山中には、
それらの積もった泥土が、深くまで層を成しており、
そうした、幾重もの有機と微かな無機が、水を磨いて、
運ばれてくる。

水の名で呼べば、軟水であり、
味で語れば、どこか甘く、柔らかい。

「そうだな。俺は、そばにいて、見つめていてほしいと、そう言った」

苦しみを吐き出すように華一郎は己が望んだ事実を喉から吐いて、
捨てた。
両腕に篭もる力は強い。抱きしめるほどに、柔らかくて、それが、苦しい。

「今は、こうしていたい」
「わかりました」

溜めのない回答。
テイタニアの、いつもの言葉や仕草と、それは同じ性質で。
翼として、愛を最速で届けるための形態を取っている。
それがわかるから。

「嘘だ。これでは足りない」

腿と腕の肉に、女の体のこすれて回る感触が押し付けられた。
腕力を振りほどくのではなく、小さな身じろぎだけで緩めて、その緩みの中を、滑るように回った、巧みな体の使い方。
頭を抱きしめられた。

「足りないんだ」

悲鳴のように華一郎は女の胸の中で、静かな呟きという形で、感情を口にする。

「これ以上は、ニューワールドの法規に触れます」
「わかってる。違う。そうじゃない。
 足りてないのは、そんなものじゃない」

情報的に公開された領域内で、どれだけを望む。
触れ合うことをどれだけ求めても、そんなことではまったく足りない。

「欲しいのは、時間だよ、テイタニア」

言葉をよく聞こえるようにするために、彼女は己の胸から男の頭を離し、
見つめるようにして、待った。

「例えば君と家族になったとする。
 俺の望みは、それでは足りないんだ」

華一郎の瞳は、感情が昂ぶり、血が凝ったせいで、
白目の部分で、赤く、血管部分の色が、にじんでいた。
濁っていた。

あるいは、その原因は、涙のないままに、
泣いていたことなのかもしれない。

「俺は生きたい。
 俺も、君も、死ぬ。知っている。
 君は一度その身を失った。
 情報的には同じだろうか、異なるだろうか?
 わからない。
 失われるなら、この手で留めればいい。
 でも、どれだけ留められる?
 死した後も、なお、どれだけ…………。
 どれだけ、俺達のいた証は、残せる」

俺は、この世界に居たいんだ。

そう、ひりついた喉から、声の涙を、ひり出した。

テイタニアは、動かなかった。
動かないことが最速であると、知っているから。
動かず、待って、華一郎の右手を取り、中指の側面に口付ける。

ほのかな湿り気が、第一関節の辺りに染み込んだ。

「…………」

テイタニアの唇はふさがっている。
だから、この沈黙は、華一郎の物だ。

視線を水平に保てば、水色に青い、豊かな髪色の中央、
テイタニアの、頭頂部のつむじが伺える。

華一郎は、それを見て、唇を、風を食む程度に薄く、1度、2度、開き、
閉ざす。

心臓の下側に感じる赤黒い衝動を、濃い思考でねじり伏せる。

口付けられているのは、
硬くしこった、利き手の皮膚だ。

何万字も、何十万字も、紡いで、物理的に磨き上げられた、
盛り上がったペンだこだ。

テイタニアは語らない。
言葉を求められていないから、ではない。必要がないから、語らない。
言葉を超えた最速を届けることが、己の存在理由だと知っているから。

だから、それでも、華一郎は、

「面を上げてくれ、テイタニア」

呼びかけて、しかし待つことをせずに、彼女の唇を奪いながらに抱きしめた。

大切だったから。
自分にとっての大切を、教えてくれたものは、自分の大切なものになるから。
相手の大切なものに対してテイタニアがそうしてくれたように、そう、応えた。

「テイタニア。今から1日間の完全執務停止を行う。
 その後のリカバリーは可能か?」

テイタニアは答えない。
右手をかざし、ぱちり、電波による遠隔操作で執務室の人工灯のスイッチを、代わりに絶った。

光を失い、情報閉鎖が進む。
暗闇の中、外界からでは、2人の表情は、もう、見えない。代わりに彼女は、いつもの調子で淀みなく求める。

「1日でもまだ、短いですね」

(城 華一郎)