晴れた日には眼下に街を一望出来て、雲の出る日も眼下に街を一望出来る、そういう立地。
しかし崖は街から見て壁のようにそそり立ち、丘の入り口は街とは正反対。おまけに山でもないから頂上に位置するこの樹まで登ってくる輩もいないし、干からびて下生えもないような土壌の丘なので、呑気にハイキングなど楽しむ輩もない。やんちゃ盛りが悪さしたくなる林も、鉱物資源も、また、隠れ住む空間がないから大きな生態系もなくて、ロマンチックや思い出を街に向けて語ろうにも、近すぎて風情がない、そんな立地。
要するに、何もないのだ。
樹と、小屋と呼ぶにも目立たなすぎる、樹の上の囲いも、ないに等しい存在で、最果てと言うよりうらぶれた、景観の一部であって、決して主役にはなれないような、そんな丘の上に、シムルグは住んでいた。
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ここは国を語ろうにも特徴がなく、街を語ろうにも異彩ない、平々凡々の領域。
強いて突き詰めたら、土壌からして、豊かな南国や森国、反対に西国でもなく、はてないか、東国か、あるいは冬にならぬうちの北国か……。
冒険の匂いが似合うはてないの気風には、少しそぐわない。さりとて古風の東国的街並みの面影もまた伺えない。近代化はかなり進んで、おおよそ八十年代後半から九十年代前半の日本を思わせる。
北国であったなら、もう少しと言わず万全に、積雪を耐える建物の構えがあるはずなので、ここは工業化に道を見出した、非精神文明主体の東国なのだろう。
既に、街中に、侍ならぬ剣士はいない。堂々の屋敷構えを生活の中核に据えた術の使い手たちも久しく舞台の中心から離れて見ない、そんな国。
良くも悪くも日本に似た、そう、ニューワールドで喩えるなら、越前藩国が近い。あれほど先鋭化していないから、八十年代後半から九十年代前半という形容が出た。少しだけ、古いのだ。
藩王の歩みが遅いとか、藩民の労力が足りないとかのネガティブな理由ではなく、単にニューワールドの発達が、越前藩国に限らず、激烈過ぎて、相対的に古く見えるだけで、この国はこの国で立派にやっている。
だから、流れものであるシムルグが、尖らずにも存在していける。
変化の波に地形が削られることも、文化の変遷で突如あの丘が注目を浴びるような奇態な展開も、ない。
だからこそシムルグはこの国に根を下ろしたのであろう。
最終更新:2010年06月22日 11:32