チリンチリン――
 来客の合図に、ドアの上部をさり気なく飾ってある妖精像の手にした鈴が鳴る。

「あ、いらっしゃいま――」

 接客業の常として、そこだけは条件反射になっているらしい。
 バンダナの彼が、応対のためにレジ前まで小走りで迎に上がろうとする、足が止まった。
 一人、二人、三人、四人、五人……その団体客は、ゆっくり、優雅に、余裕を持って入店してくる。まるでそれが唯一守るべきマナーだと、暗黙のうちに主張するように。
 一人目は、コックコートに高いコック帽をした、長身の男だった。険の強い顔立ちで、料理人というより、マフィアの若頭とでも説明された方が納得してしまう、いかにも鋭い人相をしている。
 二人目は、燕尾服に身を固めた、愛想の良い小男だった。そして愛想の良い、というのは、嘘だ。営業スマイルのような、陳腐な安物の笑顔ではなく、わざわざその筋の芸術家が悪意を込めて彫り上げたが如き、おぞましい完璧さで笑顔を顔面部分にハメ込んだ、外面のいい、造形だけは美しい、人間というより、存在と形容したくなる、そういう男。
 三人目と四人目には区別がつかなかった。双子で、ショービズ風の際どいボンテージファッションで、鷲掴みにしても掌から溢れそうなほどのなまめかしさを漂わす、妙齢の女性たち。ただしグロスのぷりぷりしてて無駄に押しの強い顔が、体ほどに妖艶であるかは定かではない。仮面舞踏会(マスカレード)で紳士淑女が戯れに着用するような、目元だけを覆う真っ赤な仮面を付けていたからだ。
 最後に入店してきた五人目は、もっと明らかに異様だった。異常といってもいい。
 イラッシャイマセー、イラッシャイマセー、ケケケケケ! と、人を醜悪に模して声真似する九官鳥を身の周りに羽ばたかせ、背には身の丈ほどもある、巨大な包丁――そう、ドラゴン殺しでも、如意棒でもない、どう見ても握りや作りが包丁なのだ――を負うた、着流しの男。一人目に比べ、人相が悪いというより、健康が悪そうな……、こけた頬なのに、包丁を背負っているから、料理人だからというわけでもあるまい、髪だけは綺麗に身繕っていて、長い黒髪をすべて首の後ろから束ねて流している。

「…………いらっしゃいませ、お客様」

 あからさまな警戒と共に、バンダナの彼が改めて出迎える。
 と、燕尾服の小男が動いた。ただし、彼の出迎えを無視する形で、だ。

「いい味をしていると思いますよ、この国は。
 何しろ愛の国ですからね――」

 いかにも気安い知人たちをお気に入りの店へと誘うかのように――――
 燕尾服の小男は、懐から何の脈絡もなくバールを取り出した。

「まずは、味見から」
「!?」

 ご、強と――
 客の誰かが口にする最中にも、男は取り出したバールを客席の方へと無造作に放り投げ、空中で、おもちゃのような光線銃で狙いをつけてトリガーを引いた。
 銃口から、ビームは出なかった。

 ガギ――――
 ガギガギガギガギガギ――――!

 なのに、バールからは金属音が膨れ上がり、床に落下するより前に、バールは見る間に太く、そして胴体を備えた、人のような人――――怪人になった。

「やっておしまいなさい」

 状況の急転に誰もついてこられないのをいいことに、にこやかに、燕尾服の小男が号令を下した。
 怪人の、バール状の腕が、あのいかにもとろそうな、瓶底眼鏡にぶっとい三つ編みをした白衣の女性へと振り上げられる。

「――――!!」

 まったく不意をつかれ硬直している、狙われた本人や、起こるだろう惨劇に、人々がすくんだ直後。

 ゴキイ! と、確かに予想通りの鈍い音が店内へと響き渡った。
 ただしそれは、バンダナの彼の腕から響いた音だった。
 立ったまま、怪人の一撃を受け止めて、小揺るぎもしていなければ、痛みを訴える様子も見当たらない。

「ほおう――?」

 燕尾服の小男の、笑顔づらで細かった目が、さらに細く、すぼまった。
 彼は確かに腕を骨折していた、と、思う。
 だって、肉が、任意に取れる形ではない、内側からの不測の変形を受けて、うう、歪んでいる。
 痛々しさに私は身をすくませた。
 現実だ。
 立ち向かうべき壁、飛び越えなきゃ、の、バー。
 けれど私の体は動かなかった。
 突然の暴力に恐怖したから、じゃあ、ない。
 そんなものには慣れている。
 そんなものには覚悟がある。
 ニューワールドで生まれ育っている以上、それは人生、織り込み済みだ。
 予想外だったのは、彼が、これまで見たこともないような、嬉しそうな顔で笑っていたことだ。
 私の方の硬直の理由は、憧れていた相手の獰猛な一面、隠されていた一面、それまで思い描いていた、自分に都合のいい、妄想の中の彼の理想像と現実とのギャップに、突然には対応出来ないほど動揺したからだった。
 だけど、私の衝撃は、次の台詞を聞いた瞬間、百八十度角度を変える。
 そうだよ、忘れるな。この人は、人を守って笑ったんだ。

「いらっしゃいませお客様、って、言ったんだぜ、俺は」

 彼は、怪人のバールのような腕を、折れたままの右腕で受け止めたまま、もう一度、吹き上がるようにして笑った。
 吹き上がる?
 何が?
 私は初めて実感した。
 人が本当に怒ると、その表情は、怒りを通り越して笑いになるのだと。
 後から後から湧いてくる底無しの感情量に、表情筋が対処しきれずに、本音とは真逆の顔を作らせてしうまうのだということを、今日、私は初めて目の当たりにした、のだった。
 彼は笑いながらに怒っていた。
 怒り狂っているとさえ表現出来たかもしれない。
 彼を今襲っているだろう激甚の痛みは、だから激甚の怒りによって抑え込まれているんだろう、傷口をリアルタイムで痛めつけられているにも関わらず、彼は庇った瓶底眼鏡のお客さんの前から、半歩たりと怯まなかった。

「注文はなんだ。言えよ、オラ」
「ほう……」

 感心した素振りで低く声を上げたのは、怪人を呼び出したインギンな男とは違う、背の高い、マフィアみたいなコックコートの男の方だった。

「アークが言うだけのことはある。気にいった」

 アークというのが、燕尾服の小男のことなのだろう、自分の名前を出されてわずかに満足気な表情の働きが、張り付いた笑顔の上に見られた。美しい造形を隠そうともしない、ナルシスティックな態度に相応の、自尊心の強い反応だ。
 その笑みの働きは、バンダナの彼の、純粋な怒りから来るそれとはあまりに違う、爬虫類なんかで形容したら、蛇やワニの類に悪いと思えるくらい、底冷えした感情の表れ。
 マフィアっぽい男は面白がるみたいにアークへと声をかけた。

「支配人、この店のシェフがこう言っておられる。
 よいのだろう? オーダーしてしまっても」
「料理長の貴方がその許可を求めるのですか、おかしなことですね」

 クツクツと底意地の悪い、喉だけの笑い声を漏らしたかと思うと、アークは、いいでしょう、と、細い目を嬉しそうに歪めた。そして一歩前に出て、地面と水平な、深いお辞儀。

「お初にお目もじする方もそうでない方も、ようこそ、レストラン・クラウデスのディナータイムへ!
 身共はアーク=マ=デュウス、クラウデスの支配人を務めさせていただいております。また、身共は人の魂、すなわち感情を、料理して味わう美食集団、銀河をさすらう流れのコック、の、ようなものです。
 今、身共には甘美な怒りなる食前酒として自ら進み出てくださった彼を筆頭に、これより皆様には、順繰りにメインディッシュの絶品肉料理となっていただきます。恐怖と酸鼻のグレイビーソースが、いやはや、まったくもって愉しみで、本日は身共のニューワールド帰還記念と致しまして、まずは一献――――」
「おい」

 ミチリ、と、何かが鳴った。
 バンダナの彼の腕に食い込んでいた、怪人のバール腕が、食い込んでいた先から、わずかに押し戻された肉の音。
「おい」と彼は、もう一度だけ繰り返した。

「俺が言ったんだ。『いらっしゃいませお客様』ってな。もう一度だけ聞くぞ、『ご注文はなんですか?』ってな」

 ガタタ、と彼の後ろで瓶底眼鏡の女性が立ち上がった。彼の気迫に驚いたのだろうか、それにしては、場の緊張感にそぐわない、どこか間の抜けたところのある顔をしている。
 いや、いい。今は。
 そんなことより、それより彼を、見ていたかった。
 彼は激怒をあらわに笑顔も崩し、吼えながら、荒々しく右足を前に突き出した。

「それがお前らの幸せか?
 あいにくうちにゃ置いてません、ニューワールド中で品切れだ!!
 雁首揃えて寝言抜かしてんじゃねえ!!!!」

 蹴り、で、怪人が離れていったのは、決して威力のせいではなかっただろう。
 誰が見ても彼の放った前蹴りは、空手や武術のそれではなく、ケンカで使われるような、見え見えで大雑把な動きのものだったから。
 だから、私の目に、バール男が怯んだように見えたのは、きっと間違いじゃないはずだ。
 マフィア風の男はそれを見て、とてつもなく愉快なものを見た表情で、肩を揺らして大笑いした。

「面白い、こいつ、面白いぞ!
 なあ、アーク、ネーヤ、マーヤ、ヤイーバ。
 俺がやる。
 怪人なんぞに料理させるのは、こいつは勿体無い素材だ!」
「ヤミノ料理長は」
「お熱いのがお好きだからねえ」
「だからねえ」

 ≪オホホホホ≫
 双子の姉妹が声を揃えて口元に手を当て笑う。どうやらそれは賛同の表明らしかった。

「――――」

 一番端で、さっきからずっと無言で押し通している、やたらに巨大な包丁を背負った着流し姿の男にも、異論はないらしい。
 クッチマイナー! と、そこら中を飛び回って羽根をまき散らしていた九官鳥がわめき散らした。
 ニヤリ、ヤミノ料理長(で、決定らしい、周りの呼び方からして)が、コックコートの襟首を緩めながら、不敵に笑った。
 情熱をかきたてられた男がする、闘志に燃えた、笑みだった。

「どけ、栓抜き男。そいつの相手は俺がす――――」
「だから人の話を無視すんじゃあねえッ!!」

 彼の咆哮に、私の胸はドキンと跳ね上がった。
 ビー、ビー、ビー、どこかで警報のような音がした。

「ここはケーキ屋で!!
 お前らに食わせるケーキはねえ!!
 他のお客様のゴメイワクだ、『食らうです』ならこいつでも食らってやがれぇぇぇぇぇッッ!!!」

 左腕。
 世に雷神の斧と呼ばれる技がある。
 怒りに任せて繰り出された彼の肘技が、まさにそれだ。
 直角に折り曲げた腕の、鋭角部分を相手にぶつける、シンプル極まりない技で。
 それだけに、悲しいほどにあっさりと、ヤミノは彼を、払った手の甲、一閃で、その技ごと店内を吹き飛ばした。

「吼えるだけなら犬にも出来るぞ、猫。
 威勢がいいだけの猫の唸り合いと、殺し合いは、違うのだがなあ――」

 俺を失望させるなよ!
 ヤミノは、そんな勝手なことを叫びながら蹴りを繰り出した。腰を切り回して出す、重心移動の力が乗った、本格的な奴だ。
 バンダナの彼は、客席のいくつかをさらに吹き飛ばして、路上まで叩き出されていった。一緒に吹き飛んだ布製シェードのおかげで、粉々に砕けたウィンドウガラスで体をあまり傷つける心配がなさそうなのが、不幸中の幸いだろうか。

 でも――――
 そんなことを安心がってる場合じゃないよ、これ!!

 ガラスの破砕音に混じって悲鳴がしたのをミハネは覚えている。あれは誰のものだったろう、あるいは私が――?
 間違いないわ、と、隣で声がしたのだけは確かだった。
 声の主は、ミハネが来た時に転んで紅茶を頭から引っかぶっていた、あの瓶底眼鏡の白衣の女性だった。いつの間にか、我を忘れて路上にまで身を乗り出していたミハネの隣に来ている。彼女の手には、蹄鉄っぽい形状をした、なんだか機械っぽい金属のリングが握られており、先程から聞こえていた警報音は、どうやらこのリングから発生していたようだった。

「それは――?」

 ミハネが問うと、にっこりとまた彼女は場に不釣合な無邪気さで笑う。

「私の父様が遺した、愛と叡智の結晶です――」

 言葉と共に、厚みで向こうが歪んで見えるほどの瓶底レンズの奥に垣間見えたのは、輝くほどの知性のきらめき。

「どうした小僧、これまでか!」

 眼前にはヤミノの傲慢な怒声。
 焦るミハネをよそに、彼女はそのまま毅然と足元のトランクケースを開こうとして――

「いけませんねえ、お嬢さん。食材が勝手に台所で動いては」
「あ、あわわわわ……」

 アークの差し向けた、バール男の腕の、先端の鋭い返しが、その細い喉に引っ掛けられる。

「ぐはあっ!!」

 バンダナの彼が漏らした初めての、しかも大きな呻きがミハネの耳に飛び込んだ。
 またそちらを見れば、ヤミノが倒れ伏した彼の胸に足をかけて踏みにじって――いや、踏みつぶそうとしている。

 見れば ――?
 私は、見ている、だけ――?

 ミハネの頭の中を去来する思い。
 その間にも、誰かがうろたえ混じりにクラウデスの面々へと指摘する。
 それは自分の力で状況を変えられない、非力な人間の負け惜しみではあったが、一方でニューワールドの歴史が示す、歴然たる事実を告げてもいた。

「警察や、ISSさえ来てくれれば、お前らなんて――」


(城 華一郎)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年04月25日 17:05