店に入ったのが夕焼け頃だから、大体１８時ぐらいだろう。ここで時間を潰すためだけに借りてきた分厚い運動生理学の本（今時はスポーツをやるにも頭がよくないと駄目らしい……難しい世の中だ）を、行きつ戻りつ、２０ページばかり進んだ頃、私の集中力も尽きたらしい。据え付けられている、色と年季の濃い柱時計を見ると、短針が７、長針が２を指していた。
私の読書力は一時間ちょっとしか持たないのか……と、門限ギリギリの、倍の経過時間、PM8:30ぐらいを期待して目を走らせた自分の読みの浅はかさに落胆した時だった。
トントン、と肩を指先でつつかれる。
「ひゃ、ひゃい！？」
「おお、いや、そんなにリアクションいいのな――」
つつつつつ、つついたのがあなたでなければ心臓ごと跳ね上がったりしませんですことよ！？
振り返った先にいたのは、バンダナ姿の店員の彼だった。飲食店勤務だけあり、きっちりと髪は収められているけれども、白いコックコートに青いバンダナという組み合わせはどうなんだろう。
手にはおかわりを注ぐためのティーサーバーもなければ、私の目の前のテーブルの上には既に下げるだけの不要な食器類もない。なにか注意されてしまうような不用意なことをしてしまっただろうかと記憶の総点検を行い始めた私を前にして、彼はいつもと同じ、無愛想な口調で切り出した。
「いやな、あんた、いつも来てくれてるだろ？」
「は、はあ」
「それで、その……いつも頼むメニューが変りダネばっかりだから、よ」
い、いけませんでしたか？
トマトのゼリーをクラッシュに使った爽やかタルトや、ゴーヤーの渋みでお抹茶にあうマフィンを頼んでは、いけませんでしたか！？
気もそぞろな私と、しかし奇遇にも似たりよったりで、彼はチラチラとレジの方を振り返っていた。つられて向けた目線の先には、彼が抜けた代わりを珍しくも務めている店長がいる。やたらに体格がよくて、一目で覚えられてしまうアクの強さは、店の外見とのギャップも重なり、インパクト十分なのだ。ザ・バーバリアン、とか、ミスターユニバースとか、ケーキ屋店長よりも似合いそうな副号の多く思いつくアイアンボディの持ち主で、基本的にスウィート・ハートは、この店長が作る商品だけを置いている。丈の高いコック帽がその証、だ。噂では海外の有名店で修行してからの独立ということで、その際に店長の腕に惚れ込み、今でも外国からスウィート・ハートに足を運んでいる日ともいるらしい。
そこまで行くと、店長ってスゲー、というより、甘いものってスゲー、と、甘いもの好きの人たちとの文化の違いにカルチャーショックを受け手しまう。
バンダナの彼といい、店長のマッチョといい、なんで優しい雰囲気とは裏腹に店員はワイルド路線なんだろう。シティハンタの海坊主店長萌えみたいなノリですか？
店長はこっちを見ると鷹揚に頷き返していた。何かの意思疎通があったのだろう、諦めたみたいにバンダナの彼は話を続ける。
「もし、よかったら、で構わねえんだが、今度の月曜、新メニューの試食に来てくれねえかな。もちろんお代は取らねえよ」
「え、でも月曜日って――」
キュウリの栄養素並みに乏しい私の記憶が確かなら、表に書いてあった通り、スウィート・ハートの定休日は月木だったはずだ。
そのことを匂わせつつ、上目遣いに彼の様子を伺ってみる。
彼はそっぽを向きながら鼻の頭をかいていた。
「いつも月曜日は味の研究やってんだ、うち。
ああ、心配しなくてもいいよ。ちゃんと他に常連さんには声をかけてあるんだ、だから危なくも怪しくもないぜ」
思わず左右を見回した。
心なし、何故か生暖か目な温度で、居合わせたお客さんのうち何人かが頷いてくれている。
なまじ機械的にYESされるよりかは安心なんだけど、なんだろう、この妙なむずがゆさは……。
「その、俺も、作ってるんだ。
普段は補助しか出来ないんだけどよ。結構、メニューも採用されるようになってきてさ。まだ、コック帽も許されてない半人前だけど、な」
ん？
それって、どういうことだ？
これって――？
「ケンパチ、そろそろ焼成終わるから、俺は厨房に戻るぞ」
「わあってるよ！
ったく……」
それで、どうよ？
と、促され、ケンパチって名前？ とか、私実は甘いの苦手なんですけど大丈夫ですか？ とか、頭の中がぐるぐる渦巻いている時に、彼らは現れたのだった。
／＊／
突然だけど、ここから物語の語り部は、私の一人称と、私以外の三人称とに入り混じる。だから、人物に対する表現とか、呼び方が、一部おかしくなっちゃってると思うけど、どうか許してほしい。
ここから先は、よく、覚えていないんだ。
だって――――
（城 華一郎）
最終更新：2010年04月25日 17:04
