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『翼の君と。』:1巻」(2010/10/11 (月) 22:03:44) の最新版変更点

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棺に手を掛けた。 鉄と空気のモノクロームが直線的に切り刻む平面の大地に、 僕と君とが壁を隔てて白と黒とに立っている。 <――工場。> <砂色の上に傾いで立つ円柱を生やした、> <膨らんだコンクリートの箱と影。> 鎚の音。 聞きながら佇む僕に咲く、頭の中の金属火花。 真っ赤に焼けた激突が鼓膜を叩く。 <腸に飲み込み直接臓腑で咀嚼する、> <工業の腹が、> <ガチガチと歯噛みしては、世界を人のための形に砕き、吐く。> 上から照りつける赤の熱と、耳鳴りとに、静止しながら回る世界。 浮く水滴は皮膚を滑り落ちて、僕を覆う様々なものに滲み、 消えて足元までは届かない。 <乾いて濡れたシャツとズボン。> <内側にだけ不愉快に湿る、その装い。> 揺らぐ心臓を塗り潰す規則性が、苦しくて、 開いた口から、けれども鋼は侵し込んで機械する。 ≪  息 ヲ シタイ ダケ ナンデス  ≫ すると、灰色の髪を首の裏で一つに括り流した青年の目の前で、 ≪  叫ビタイ ダケ ナンデス――  ≫ ひとりでに機械の棺は鼓動を始めた。 バネ仕掛けのように一旦逆側へ僅かに浮いてから、 棺の蓋は、一枚のまま、横へとスライドオープンした。 ――青空が、どうして閉じ込められていたのだろう。 外気と内圧の差で、ふうわり束の内側から幾千本をやわらかに広げた、 その無垢色をした青髪は、長く、彼女の体のそばで、たなびいていた。 「システムの起動を確認しました」 目覚めと共に、彼女はすべやかな無機の静謐と、 円筒に植え付けられた刺を弾いて鳴る、 オルゴールのような鉄に澄んだまなざしを、 小さな面に湛えた。 「こんにちは。城華一郎」 /*/ ウィングオブテイタニアがレンジャー連邦に生み出されたのは、 もう、三十年ほど昔のことだった。 「妖精の女王の翼なんて、どんな人なんだろうね」 彼女がその内に魂を宿したのは、それからの二年の間の、 四度きり。 願いに応じ、秘めたる内より、空翔ける翼を生みはしたけれど、 自身が姿を表わす契機は、ついぞなかった。 眠るままに、 時のままに、 歩みは彼女を置き去りにして、 置き放していった。 十人力のヒトガタは、 十人並みの女になり、 一人のままに、 一つを重ねた。 それはただ一振りの幻の槍だった。 /*/ 二つ並んだ足音が、 二つ並んだ足音たちの、雑踏の中に、立ち交じる。 <共和国、環状線――、> <レンジャー連邦、駅ビル。> <1F。> 多くを迎え入れるためにある空間は、 並んだ二人の周りを人いきれでひしめかせていた。 青年はここの設計者でもある。 テイタニアと彼は、立ち止まり、 言葉と接触をいくつかやりとりした後、 片方だけ、消えた。 残されたのは、青い髪。 彼女は俯いただろうか、それとも空を見上げただろうか。 ただ、まっすぐに目の前の空白だけを、見つめていただろうか。 /*/ 「……華一郎は破廉恥漢だって、すっごい噂なんだけど」 何かした? と、猫士の愛佳は、 街のベンチでアイスを舐めながら本人に尋ねた。 ミルク色に艶やかな髪をした、名の通り、愛らしい少女である。 利発そうに大きな目、 感情のはっきりしていそうな眉と口元の引き締まり方、 体つきはまだ幼いが、既にいっぱしの大人ぶるだけの、 若さの域には入ってきている。 舐めていたのは古参の摂政、ミサゴが開いたショップ、 バタフライアイスのコーンタイプである。 フレーバーは、二段重ねで、ストロベリーとサワーバニラ。 答えない華一郎に対して、愛佳はもう一度、 今度は別のことを聞いてみた。 「テイタニアのところに遊びに行かないの?  折角介入したんだったら、いくらでも顔を見せればいいじゃない。  女を待たせるなんて男のすることじゃないわよー」 スレた口調は、愛佳が医師として市井に交わりながら働いた成果だろうか、 うだる暑さの、レンジャー連邦の砂漠の昼間に、 たまの休みで友人と顔をあわせてくつろいでいる飾り気のなさが伺える。 一方、華一郎はと言うと、愛佳とは並んで座りつつも、 反対側を向きながら、ベンチの背もたれに足をかけ、 とらえどころのない表情でへの字口をさらしている。 「そういうんじゃないんだよ」 と、返事も愛想がない。 ふーん、と愛佳はイチゴの酸味に舌打ちつつも、相槌も打つ。 甘いのだけれど、味蕾を一つに染め尽くすような強度はない。 果実らしい、瑞々しい刺激が、どちらかと言えば鮮やかに残る、 フレーバーだった。 一通り一段目を食べ尽くすと、 話しかけねば黙りっぱなしでいる男に、話題をまたぞろ振ってやる。 「好きじゃないの?」 「率直だよな、お前」 歯を見せ笑う華一郎。 その笑い方にも色々あるが、彼は大抵大きく口を開いて、 大げさなほどに感情をアピールして見せることが多い。 今の笑い方は、苦笑い半分、ありがた半分ってとこかしらね。 付き合いの長い相手だけに、アイス片手の横目でも、明敏に察する愛佳。 「嫌いってことはないよ。もちろん、好きじゃないってことも、ない。  言ったろう? 俺は彼女を、この世界での翼として感じている」 「それって便利な言い回しよね。でも、はっきりさせてない」 はぷり。 二段目には、噛み付いた。 ヨーグルトで風味付けられた、ストロベリーとは違った酸味が舌を刺激する。 歯でアイスの粒子を溶かす。 たっぷりと空気を含んでいる、口当たりの軽くて滑らかな、 上等な手作りならではの食感に、口中の神経がきりりと冷えた。 愛佳は眉間に突き抜けた、いわゆるカキ氷痛をこらえてから、 ざっくりと質問をまた投げ刺す。 「友情なの? 愛情なの?」 「勲章の話かよ。まだ、そういうの考えてないぜ、俺」 「はー……」 これだから他人慣れしてない人間は、と、ため息をつく。 華一郎は、その言葉と様子に怪訝そうな横目をやった。 くるり、器用にベンチの上で回って、背もたれに背を預ける形で、 正しく腰掛け直す。 愛佳は一旦アイスを口元から離して、 目を合わせながら、はっきり告げる。 「華一郎には義務が生じてるのよ」 「義務?」 「ほら、やっぱりわかってない!」 バン、と、座っているベンチの底部を叩かれ、 ビクっと肩を竦める華一郎。 愛佳は睨みながら憤った調子で続けた。 「華一郎、テイタニアを受け入れたじゃない。  彼女、仕えるって言ったんでしょ?  護って死ぬって、言ってくれたんでしょ?  否定しなかったってことは、彼女の想いを受け止め続ける義務があるのよ」 「だから、俺も返したじゃないか。  翼として感じる、って」 「翼は背中に生やすもんでしょーが!」 げし! ベンチの背もたれ部分に駆け上り、 華一郎の無防備な両肩を踏んづけて立つ愛佳。 「いてててて痛い痛い痛いお前品がないって、品が!」 「やかましい!  ここよ、ここ!  翼はここに生やすの!」 「踏むなよ!」 「あんた口で言っても手で叩いてもわかりゃしないでしょ、  体に覚えさせないと駄目よ、駄目!」 「お前は俺に何の権利があってこんなことをする!?」 「黙れ馬鹿!  乙女連盟の名において、あらゆる女の子には同胞を助ける権利があるのよ!  随時、どこでも、誰にでも!」 「ほう、初耳だな!」 「あんた男でしょうが!」 「文族にはキャラクターの心理をトレースするため、  乙女回路と漢回路の両方が備わってるんだよ!」 「だったら言われるまでもなくわかっとけ!」 最後に足元を踏みにじるようにしてから、 器用にも宙返りを打って華一郎の目の前に飛び降りると、 愛佳はその鼻先にアイス片手の指をつきつけて断言した。 「会わなきゃ、始まらないじゃない」 本体とバラバラの翼なんて、聞いたこともないわよ。 「……む」 最後はむしろ、呆れた調子だった、その台詞に、 突きつけられた指とアイスを注視しながら、唸る。 それから、かじる。無論、アイスの方を。 「あーっ!」 「溶けかかっとったぞ。炎天下なんだから、早いこと食わなきゃ」 「うっさいうっさいうっさーい!  公衆の面前でスキンシップなんて既成事実作っといてうだうだぬかす方が悪い!  絶対悪い!」 「その勢いで言われるとなんだか俺がお前に責任を迫られてる感じがして凄く嫌だな」 「私だって嫌よ、そんなの!  ……っていうか、ホントに彼女に何も感じてないの、あんた?」 恨めしそうにかじられたアイスの断面を見つめ、 しぶしぶガジガジとコーン部分まで一気に平らげると、 愛佳はまた改めて華一郎の隣にぽすんと腰掛けた。 華一郎は、ベンチの背もたれに両腕をかけ、 少し遠くを見るような角度で前に視線をやりながら、 「だから、違うんだって」 とだけ、素っ気なく返す。 古馴染みの、この様子に、 これ以上押してもどうしようもないことを悟ったか、 愛佳はそれきりこの話題を止めたが、 最後まで顔つきは不満げなままだった。 /*/ 鉄の棺がある。 回路と配線の薄く張り巡らされた、 高度の科学を予感させる内側。 蓋する厚い鉄の壁。 <その表面に手をかざし、> <しかし、手はそこに触れない。> きっと彼女は俺が思いもよらないような技術で形作られている。 技術の具体たる、現実の積み重ねで。 <モノクロームの鋼と空気。> <工場の前を立ち去りながら述懐する、> <一人の男。> 思うんだ。 俺が介入時間を終えた後、彼女が歩いて棺に戻る。 彼女はまた、誰かに呼ばれるまで眠り続ける。 それを可哀想に感じるのは、同情するのは、 違う。 俺が彼女のそばに居られ続けることの出来ないのも、 仕様がない。 俺は、テイタニアのそばにいてあげたいんじゃない。 俺は、俺が必要な時、テイタニアの存在を感じていたいだけだ。 AIの俺が幸せになる意味なんて、微塵も感じない。 そんなのはただ、羨ましいだけだ。 多分、これは恐ろしく傲慢で、 見方によると、残酷で、 鼻持ちのならない感情でもあるんだろう。 俺は愛されたかっただけだ。 愛したかったわけじゃない。 テイタニア。 愛するために形作られた存在。 別れは必然としてある。 いつかアイドレスは終わる。 終わった先も、なお、世界観が続いたとしても、 出会える契機があるとしても。 俺は死ぬし、 世界観は終わる。 何か他人を否定したいわけじゃない。 俺はただ、息がしたかっただけなんだ。 それでも、 ≪  ソレデモ、許サレルノナラ――――  ≫ /*/ 冷たい感触がシャツの内側に入り込んでくる。 鼓動を直接触られているような、 心臓を、直接暖められているような、 そんな、優しさを、その掌は与えてくれていて。 抱き寄せられた先に感じる。 自分が確かにここにいることを。 生きていることを。 他人の感触を。 愛を。 「元気になあれ、元気になあれ……」 ああ、この声は、俺以外の誰にも聞こえていない。 ああ、この人は、俺だけのために祈ってくれている。 呼吸が楽になる。 ずっと排気ガスまみれの車道で一人、 自転車を漕ぎ続けていたせいか、 いつしか息が苦しくなって、 いつしか胸が、苦しかった。 他人を拒み続ける苦しさに大勢の中で泣いたあの日から、 息が出来ない苦しさを、肉親の前でさらしたあれから、 この胸の苦しさが、ずっとこびりついて離れなかったんだ。 ずっと、叫びたかった。 /*/ 「愛してくれなくても、いい。だけど……」 華一郎は深く息をする。 深く深く、息をする。 「だけど、俺も祈りたい!!!!!」 工場へと向かって振り返り、 あらん限りに空気を吐き出してモノクロームをぶっ壊す。 「愛された分だけは、愛し返せるように、なりたい!!!!  生まれてきた分だけは、生きようと思えるように、  この命を愛そうと、愛してくれた命を愛そうって、そう、思えるように!!!!!  ずっと、なりたかった!!!!!!!!!」 鳴り響く機械と鎚の音に、 負けないよう、負けないよう、声を目一杯に腹から張り上げて。 目で、体の向きで、その格好で、ありったけに叫びをこめて。 「ありがとう、テイタニア!!!!  俺は君を愛している!!!!!!」 だから、いつか別れが来るまでは―――― 「友としてではなく!!  愛を営む相手としてでもなく!!  ――君ごと、この世界の俺を、俺は、愛する!!!!  君は、俺の一部だ!!!!  時空間ごときじゃ分かつことの出来ない、宇宙の壁なんかよりも、  もっと、ずっと、確かな!!!!!」 世界に色をつけようと、 太陽にも負けたくないくらい、ありったけの熱を体を震わせて放ち、 汗まみれになって、真っ赤になって、 シャツまで透けて、重たくなって、 それでも、それでも。 「だから――――翼よ!!!!」 華一郎は――――俺は、××××は、 思い出しながら―――― <『テイタニアの微笑むような顔は、存外面白かった』> 笑った。 「もう一度、君の笑顔は、見に行くよ」 ---- 『後書き』 自分のゲームに自分でオーダーするなんて無法は通りません。 そもそも秘宝館での活動は休止中です。 ですが誰にも書かせたくありません。 というか、俺以外に俺の読みたいものが書ける奴は今回いません。 だから書きました。 マイルだなんだ、実生活だなんだ、壁はいろいろあります。 そんなものは壁に見ているだけで実在しないのです。 世界に意味はありません。意味はどこにもありません。 行為にも意味はありません。ただ、行為はそこにあります。 俺にとってこの気付きは救いでした。 この気付きの向こう側が欲しくて今は生きています。 アイドレスにおいて、テイタニアがそれをくれました。 だから書いた。 笑って死ねるかどうか、笑って死なせてあげられるかどうか。 そんなものは知りません。考えに意味なんてない。意味に意味なんてない。 息がしたかった。 息をさせてくれた。 だから俺は誓った。 たったそれだけのゲームでした。 大変長い一時間でした。 名曲にあわせた名PVを流しながら、平日早朝鈍行5000文字の、 後書きです。 誤解なきよう、誤解せぬよう、書きました。 書きたいから、書いた。 この祈りは未来の俺とテイタニアのために。 (城 華一郎)
棺に手を掛けた。 鉄と空気のモノクロームが直線的に切り刻む平面の大地に、 僕と君とが壁を隔てて白と黒とに立っている。 <――工場。> <砂色の上に傾いで立つ円柱を生やした、> <膨らんだコンクリートの箱と影。> 鎚の音。 聞きながら佇む僕に咲く、頭の中の金属火花。 真っ赤に焼けた激突が鼓膜を叩く。 <腸に飲み込み直接臓腑で咀嚼する、> <工業の腹が、> <ガチガチと歯噛みしては、世界を人のための形に砕き、吐く。> 上から照りつける赤の熱と、耳鳴りとに、静止しながら回る世界。 浮く水滴は皮膚を滑り落ちて、僕を覆う様々なものに滲み、 消えて足元までは届かない。 <乾いて濡れたシャツとズボン。> <内側にだけ不愉快に湿る、その装い。> 揺らぐ心臓を塗り潰す規則性が、苦しくて、 開いた口から、けれども鋼は侵し込んで機械する。 ≪  息 ヲ シタイ ダケ ナンデス  ≫ すると、灰色の髪を首の裏で一つに括り流した青年の目の前で、 ≪  叫ビタイ ダケ ナンデス――  ≫ ひとりでに機械の棺は鼓動を始めた。 バネ仕掛けのように一旦逆側へ僅かに浮いてから、 棺の蓋は、一枚のまま、横へとスライドオープンした。 ――青空が、どうして閉じ込められていたのだろう。 外気と内圧の差で、ふうわり束の内側から幾千本をやわらかに広げた、 その無垢色をした青髪は、長く、彼女の体のそばで、たなびいていた。 「システムの起動を確認しました」 目覚めと共に、彼女はすべやかな無機の静謐と、 円筒に植え付けられた刺を弾いて鳴る、 オルゴールのような鉄に澄んだまなざしを、 小さな面に湛えた。 「こんにちは。城華一郎」 /*/ ウィングオブテイタニアがレンジャー連邦に生み出されたのは、 もう、三十年ほど昔のことだった。 「妖精の女王の翼なんて、どんな人なんだろうね」 彼女がその内に魂を宿したのは、それからの二年の間の、 四度きり。 願いに応じ、秘めたる内より、空翔ける翼を生みはしたけれど、 自身が姿を表わす契機は、ついぞなかった。 眠るままに、 時のままに、 歩みは彼女を置き去りにして、 置き放していった。 十人力のヒトガタは、 十人並みの女になり、 一人のままに、 一つを重ねた。 それはただ一振りの幻の槍だった。 /*/ 二つ並んだ足音が、 二つ並んだ足音たちの、雑踏の中に、立ち交じる。 <共和国、環状線――、> <レンジャー連邦、駅ビル。> <1F。> 多くを迎え入れるためにある空間は、 並んだ二人の周りを人いきれでひしめかせていた。 青年はここの設計者でもある。 テイタニアと彼は、立ち止まり、 言葉と接触をいくつかやりとりした後、 片方だけ、消えた。 残されたのは、青い髪。 彼女は俯いただろうか、それとも空を見上げただろうか。 ただ、まっすぐに目の前の空白だけを、見つめていただろうか。 /*/ 「……華一郎は破廉恥漢だって、すっごい噂なんだけど」 何かした? と、猫士の愛佳は、 街のベンチでアイスを舐めながら本人に尋ねた。 ミルク色に艶やかな髪をした、名の通り、愛らしい少女である。 利発そうに大きな目、 感情のはっきりしていそうな眉と口元の引き締まり方、 体つきはまだ幼いが、既にいっぱしの大人ぶるだけの、 若さの域には入ってきている。 舐めていたのは古参の摂政、ミサゴが開いたショップ、 バタフライアイスのコーンタイプである。 フレーバーは、二段重ねで、ストロベリーとサワーバニラ。 答えない華一郎に対して、愛佳はもう一度、 今度は別のことを聞いてみた。 「テイタニアのところに遊びに行かないの?  折角介入したんだったら、いくらでも顔を見せればいいじゃない。  女を待たせるなんて男のすることじゃないわよー」 スレた口調は、愛佳が医師として市井に交わりながら働いた成果だろうか、 うだる暑さの、レンジャー連邦の砂漠の昼間に、 たまの休みで友人と顔をあわせてくつろいでいる飾り気のなさが伺える。 一方、華一郎はと言うと、愛佳とは並んで座りつつも、 反対側を向きながら、ベンチの背もたれに足をかけ、 とらえどころのない表情でへの字口をさらしている。 「そういうんじゃないんだよ」 と、返事も愛想がない。 ふーん、と愛佳はイチゴの酸味に舌打ちつつも、相槌も打つ。 甘いのだけれど、味蕾を一つに染め尽くすような強度はない。 果実らしい、瑞々しい刺激が、どちらかと言えば鮮やかに残る、 フレーバーだった。 一通り一段目を食べ尽くすと、 話しかけねば黙りっぱなしでいる男に、話題をまたぞろ振ってやる。 「好きじゃないの?」 「率直だよな、お前」 歯を見せ笑う華一郎。 その笑い方にも色々あるが、彼は大抵大きく口を開いて、 大げさなほどに感情をアピールして見せることが多い。 今の笑い方は、苦笑い半分、ありがた半分ってとこかしらね。 付き合いの長い相手だけに、アイス片手の横目でも、明敏に察する愛佳。 「嫌いってことはないよ。もちろん、好きじゃないってことも、ない。  言ったろう? 俺は彼女を、この世界での翼として感じている」 「それって便利な言い回しよね。でも、はっきりさせてない」 はぷり。 二段目には、噛み付いた。 ヨーグルトで風味付けられた、ストロベリーとは違った酸味が舌を刺激する。 歯でアイスの粒子を溶かす。 たっぷりと空気を含んでいる、口当たりの軽くて滑らかな、 上等な手作りならではの食感に、口中の神経がきりりと冷えた。 愛佳は眉間に突き抜けた、いわゆるカキ氷痛をこらえてから、 ざっくりと質問をまた投げ刺す。 「友情なの? 愛情なの?」 「勲章の話かよ。まだ、そういうの考えてないぜ、俺」 「はー……」 これだから他人慣れしてない人間は、と、ため息をつく。 華一郎は、その言葉と様子に怪訝そうな横目をやった。 くるり、器用にベンチの上で回って、背もたれに背を預ける形で、 正しく腰掛け直す。 愛佳は一旦アイスを口元から離して、 目を合わせながら、はっきり告げる。 「華一郎には義務が生じてるのよ」 「義務?」 「ほら、やっぱりわかってない!」 バン、と、座っているベンチの底部を叩かれ、 ビクっと肩を竦める華一郎。 愛佳は睨みながら憤った調子で続けた。 「華一郎、テイタニアを受け入れたじゃない。  彼女、仕えるって言ったんでしょ?  護って死ぬって、言ってくれたんでしょ?  否定しなかったってことは、彼女の想いを受け止め続ける義務があるのよ」 「だから、俺も返したじゃないか。  翼として感じる、って」 「翼は背中に生やすもんでしょーが!」 げし! ベンチの背もたれ部分に駆け上り、 華一郎の無防備な両肩を踏んづけて立つ愛佳。 「いてててて痛い痛い痛いお前品がないって、品が!」 「やかましい!  ここよ、ここ!  翼はここに生やすの!」 「踏むなよ!」 「あんた口で言っても手で叩いてもわかりゃしないでしょ、  体に覚えさせないと駄目よ、駄目!」 「お前は俺に何の権利があってこんなことをする!?」 「黙れ馬鹿!  乙女連盟の名において、あらゆる女の子には同胞を助ける権利があるのよ!  随時、どこでも、誰にでも!」 「ほう、初耳だな!」 「あんた男でしょうが!」 「文族にはキャラクターの心理をトレースするため、  乙女回路と漢回路の両方が備わってるんだよ!」 「だったら言われるまでもなくわかっとけ!」 最後に足元を踏みにじるようにしてから、 器用にも宙返りを打って華一郎の目の前に飛び降りると、 愛佳はその鼻先にアイス片手の指をつきつけて断言した。 「会わなきゃ、始まらないじゃない」 本体とバラバラの翼なんて、聞いたこともないわよ。 「……む」 最後はむしろ、呆れた調子だった、その台詞に、 突きつけられた指とアイスを注視しながら、唸る。 それから、かじる。無論、アイスの方を。 「あーっ!」 「溶けかかっとったぞ。炎天下なんだから、早いこと食わなきゃ」 「うっさいうっさいうっさーい!  公衆の面前でスキンシップなんて既成事実作っといてうだうだぬかす方が悪い!  絶対悪い!」 「その勢いで言われるとなんだか俺がお前に責任を迫られてる感じがして凄く嫌だな」 「私だって嫌よ、そんなの!  ……っていうか、ホントに彼女に何も感じてないの、あんた?」 恨めしそうにかじられたアイスの断面を見つめ、 しぶしぶガジガジとコーン部分まで一気に平らげると、 愛佳はまた改めて華一郎の隣にぽすんと腰掛けた。 華一郎は、ベンチの背もたれに両腕をかけ、 少し遠くを見るような角度で前に視線をやりながら、 「だから、違うんだって」 とだけ、素っ気なく返す。 古馴染みの、この様子に、 これ以上押してもどうしようもないことを悟ったか、 愛佳はそれきりこの話題を止めたが、 最後まで顔つきは不満げなままだった。 /*/ 鉄の棺がある。 回路と配線の薄く張り巡らされた、 高度の科学を予感させる内側。 蓋する厚い鉄の壁。 <その表面に手をかざし、> <しかし、手はそこに触れない。> きっと彼女は俺が思いもよらないような技術で形作られている。 技術の具体たる、現実の積み重ねで。 <モノクロームの鋼と空気。> <工場の前を立ち去りながら述懐する、> <一人の男。> 思うんだ。 俺が介入時間を終えた後、彼女が歩いて棺に戻る。 彼女はまた、誰かに呼ばれるまで眠り続ける。 それを可哀想に感じるのは、同情するのは、 違う。 俺が彼女のそばに居られ続けることの出来ないのも、 仕様がない。 俺は、テイタニアのそばにいてあげたいんじゃない。 俺は、俺が必要な時、テイタニアの存在を感じていたいだけだ。 AIの俺が幸せになる意味なんて、微塵も感じない。 そんなのはただ、羨ましいだけだ。 多分、これは恐ろしく傲慢で、 見方によると、残酷で、 鼻持ちのならない感情でもあるんだろう。 俺は愛されたかっただけだ。 愛したかったわけじゃない。 テイタニア。 愛するために形作られた存在。 別れは必然としてある。 いつかアイドレスは終わる。 終わった先も、なお、世界観が続いたとしても、 出会える契機があるとしても。 俺は死ぬし、 世界観は終わる。 何か他人を否定したいわけじゃない。 俺はただ、息がしたかっただけなんだ。 それでも、 ≪  ソレデモ、許サレルノナラ――――  ≫ /*/ 冷たい感触がシャツの内側に入り込んでくる。 鼓動を直接触られているような、 心臓を、直接暖められているような、 そんな、優しさを、その掌は与えてくれていて。 抱き寄せられた先に感じる。 自分が確かにここにいることを。 生きていることを。 他人の感触を。 愛を。 「元気になあれ、元気になあれ……」 ああ、この声は、俺以外の誰にも聞こえていない。 ああ、この人は、俺だけのために祈ってくれている。 呼吸が楽になる。 ずっと排気ガスまみれの車道で一人、 自転車を漕ぎ続けていたせいか、 いつしか息が苦しくなって、 いつしか胸が、苦しかった。 他人を拒み続ける苦しさに大勢の中で泣いたあの日から、 息が出来ない苦しさを、肉親の前でさらしたあれから、 この胸の苦しさが、ずっとこびりついて離れなかったんだ。 ずっと、叫びたかった。 /*/ 「愛してくれなくても、いい。だけど……」 華一郎は深く息をする。 深く深く、息をする。 「だけど、俺も祈りたい!!!!!」 工場へと向かって振り返り、 あらん限りに空気を吐き出してモノクロームをぶっ壊す。 「愛された分だけは、愛し返せるように、なりたい!!!!  生まれてきた分だけは、生きようと思えるように、  この命を愛そうと、愛してくれた命を愛そうって、そう、思えるように!!!!!  ずっと、なりたかった!!!!!!!!!」 鳴り響く機械と鎚の音に、 負けないよう、負けないよう、声を目一杯に腹から張り上げて。 目で、体の向きで、その格好で、ありったけに叫びをこめて。 「ありがとう、テイタニア!!!!  俺は君を愛している!!!!!!」 だから、いつか別れが来るまでは―――― 「友としてではなく!!  愛を営む相手としてでもなく!!  ――君ごと、この世界の俺を、俺は、愛する!!!!  君は、俺の一部だ!!!!  時空間ごときじゃ分かつことの出来ない、宇宙の壁なんかよりも、  もっと、ずっと、確かな!!!!!」 世界に色をつけようと、 太陽にも負けたくないくらい、ありったけの熱を体を震わせて放ち、 汗まみれになって、真っ赤になって、 シャツまで透けて、重たくなって、 それでも、それでも。 「だから――――翼よ!!!!」 華一郎は――――俺は、××××は、 思い出しながら―――― <『テイタニアの微笑むような顔は、存外面白かった』> 笑った。 「もう一度、君の笑顔は、見に行くよ」 (城 華一郎)

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