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レンジャー連邦下着事情」(2008/04/30 (水) 01:32:51) の最新版変更点

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&sizex(6){&color(darkorchid,mistyrose){レンジャー連邦下着事情}} #right(){ 文責:豊国 ミロ イラスト:浅葱空,むつき・萩野・ドラケン 原案:豊国 ミロ,浅葱空,むつき・萩野・ドラケン } ----  皆様は「下着はどういったときに着るものですか?」と問われて何とお答えになるだろうか。「いつも身に着けているに決まっている!」と答える方が大半ではないかと思う。しかし驚く無かれ、このレンジャー連邦には、下着という衣類は元々存在しなかった。    気候が温暖なため『防寒』の必要が無いこの国では、下着と衣類の区別が無かった。突き詰めれば布切れ1枚あればなんとかなるような土地だったのだ。  古代四王国時代(当時レンジャー連邦は1つの国ではなく、4つの国が東西南北に存在していた)の人々にとって、衣服は装飾のために存在していた。鮮やかな色彩、手の込んだ刺繍、意匠を凝らした織物(図1)、それらを素肌の上にまとい、己を飾るのが一番の目的だったのだ。肉体美を賛美する風潮があったのも手伝って、その布は多くの場合局部を隠す程度の大きさしか持たず、衣服というよりはアクセサリーの範疇といえるだろう。 *図1 #center(){ #pc(){ #image(0000295M.jpg) } #mobile(){ #image(0000295M_s.jpg) }} #center(){レンジャー連邦には美しい布が特産の町村が多く存在する}  ちなみに、当時の女性は胸部をまったく隠していなかった(図2)どちらかといえばその女性美を誇るのが常識であり、それを見て美しさに感嘆する男性はいても劣情に駆られる男性はいなかった。…いなかったのであるからして、「嗚呼その頃のレンジャー連邦に行ってみたい!」なんて口走った紳士諸君は、行けば確実に変態扱いされてしまう危険性がある。おすすめできない。  さらに蛇足ながら当時のファッション再興は「絶対にしない」と、なぜか胸をかばった蝶子藩王から涙目で声明が出ているので、そちらの期待もあきらめていただきたい。 *図2 #center(){ #pc(){ #image(0000296M.jpg) } #mobile(){ #image(0000296M_s.jpg) }} #center(){これは四王国後期のファッション。腰布の長さがだいぶ長くなっている}  この『身を飾るものが衣服』という考え方は、今なおレンジャー連邦におけるファッションの根本に存在する大原則である。  では、レンジャー連邦に、にゃんにゃん共和国で共通に認識されている“下着”ができたのはいつだろう。それは他国との国交が活発になった頃といえる。  四王国が連邦となった時代には、身に着けていた布の面積は広がっていた――特に女性は胸を布で覆うようになっていた。これには動くときに邪魔にならないよう固定するという目的があった。一方男性は上半身には何もつけていなかったが、日焼けさえ気にしなければ特に問題は無かった。下半身には男女ともにロイン・クロスという腰布を巻き、動きやすさを重視するときはすそを結んでパンツスタイルにしていた(図3)しかし相変わらず衣類と下着の区別は存在していなかった。 *図3 #center(){ #pc(){ #image(0000297M.jpg) } #mobile(){ #image(0000297M_s.jpg) }} #center(){今でも、衣服としてこのような着こなしをする地方もある}    他国との交易が盛んになるにつれて、今までレンジャー連邦には存在しなかったデザインの衣類もいろいろと連邦内にもたらされた。見たことの無い衣類はちょっとしたブームを起こしたが、ここで大きな問題が発生した。  他国、特に北国からもたらされた衣類は防寒を目的に作られたものである。そのため体に密着するよう縫製するものがほとんどでである。しかし下着無しでズボンを履くことと考えてみていただきたい。これはもう、大変ごわごわした履き心地となってしまうだろう。  ここで初めてレンジャー連邦に『衣類の下に着用する衣類』の発想が生まれた。  最初に下着を作ったのは東都の仕立て屋だったと言われている。東都は軍関連施設が多い関係で軍人が多く在住している。外国の長ズボンの動きやすさにいち早く目をつけたのは彼らだったが、同時に肌の上に直接身に着ける不便さを強く訴えたのも彼らだった。  東都の仕立て屋は何か手ごろなものがないかと考え、そうしてある衣類に思い当たった。  おむつである。  四王国時代のその前から、赤ん坊の衣類はおむつと決まっていた(図4)無事に育つことを願った両親が魔よけの刺繍をするというのも、衣類=アクセサリーという考え方からいえば当然の流れとして発祥した風習だった。 *図4 #center(){ #pc(){ #image(187_m.jpg) } #mobile(){ #image(187_s.jpg) }} #center(){ 一番人気の刺繍は蝶子藩王個人の紋章であるオレンジ レンジャー連邦ではオレンジは心と体を守る健康のお守りだ }  このときまでおむつは下着ではなかった。だが、「比較的身体のラインに沿い、しかし締め付けることは無く、誰でも簡単に着用できる」という条件に当てはまった瞬間、おむつは下着としての一歩を踏み出したのである。  現在のレンジャー連邦では、衣類の下に下着を着用することが当たり前になった。おむつから出発した下着たちは、今ではもっと布の幅が狭くなり、もたつくようなことがないよう改良された(東国には似たような『褌』という下着があるという)  上半身に関しては『独身者はへそを出す』という習慣があるため、かえって邪魔になるとあまり下着は着用しないようだ。ただし女性の場合は薄い布地の下着で胸部を覆うことで、衣類に適さない素材も上に身につけられると好んで着用する場合も多い。下着そのものを楽しむような風潮も若い女性の間では定着しているようで、こと女性がファッションを好む限り、女性用下着に関してはますます発展していくだろう(図5) *図5 #center(){ #pc(){ #image(0000299M.jpg) } #mobile(){ #image(0000299M_s.jpg) }} #center(){女性用下着にはいろいろなデザインがある} ---- **はみ出しコラム ~子供の下着について~  レンジャー連邦で主流のおむつは現在でも布製である。しかし、最近は便利で使いやすい紙おむつが輸入され、広く使用されるようになった。共働き家庭の多いレンジャー連邦女性にとっては嬉しい一品だった様子。  それでもなお、生まれてはじめてのファーストおむつは両親の刺繍が施された布おむつである風習に変わりはない。 #center(){ #pc(){ #image(188_m.jpg) } #mobile(){ #image(188_s.jpg) }} #center(){レンジャー連邦で一番人気の紙おむつ『にゃんぱーす』} ---- ~軍関係者の下着~  レンジャー連邦に下着をもたらすきっかけとなった軍人だが、現在彼らは下着としてオムツを身に着けてはいない。日常的に激しい運動が多く、よりフィットする下着の方が適していたためである。  現在では海外のデザインを取り入れた専用の下着が開発されており、デザインは男女共通で上はタンクトップかTシャツ(女性のみ内側に胸用パット入り)、下はスパッツかボクサーショーツが選択できるようになっている。素材は強度が高く伸縮性に飛んだ合成繊維と吸水性のある綿の混合で、上下共に下着のサイドはメッシュ地となっていて通気性の向上を図っているとのこと。  「こちらの方が動きやすい」と民間人で着用する者もいるが、軍関係者以外には割引が適用されないためやや高価な下着であるといえる。 #center(){ #pc(){ #image(0000300M.jpg) } #mobile(){ #image(0000300M_s.jpg) }} #center(){ 光の加減で表面に見える模様は、連邦のイグニシア入りのハートと ノーマルなハートが並んだもの。愛を奉じた国ならではの独特の模様である }
&sizex(6){&color(darkorchid,mistyrose){レンジャー連邦下着事情}} #right(){ 文責:豊国 ミロ イラスト:浅葱空,むつき・萩野・ドラケン 原案:豊国 ミロ,浅葱空,むつき・萩野・ドラケン } ----  皆様は「下着はどういったときに着るものですか?」と問われて何とお答えになるだろうか。「いつも身に着けているに決まっている!」と答える方が大半ではないかと思う。しかし驚く無かれ、このレンジャー連邦には、下着という衣類は元々存在しなかった。    気候が温暖なため『防寒』の必要が無いこの国では、下着と衣類の区別が無かった。突き詰めれば布切れ1枚あればなんとかなるような土地だったのだ。  古代四王国時代(当時レンジャー連邦は1つの国ではなく、4つの国が東西南北に存在していた)の人々にとって、衣服は装飾のために存在していた。鮮やかな色彩、手の込んだ刺繍、意匠を凝らした織物(図1)、それらを素肌の上にまとい、己を飾るのが一番の目的だったのだ。肉体美を賛美する風潮があったのも手伝って、その布は多くの場合局部を隠す程度の大きさしか持たず、衣服というよりはアクセサリーの範疇といえるだろう。 *図1 #center(){ #pc(){ #image(0000295M.jpg) } #mobile(){ #image(0000295M_s.jpg) }} #center(){レンジャー連邦には美しい布が特産の町村が多く存在する}  ちなみに、当時の女性は胸部をまったく隠していなかった(図2)どちらかといえばその女性美を誇るのが常識であり、それを見て美しさに感嘆する男性はいても劣情に駆られる男性はいなかった。…いなかったのであるからして、「嗚呼その頃のレンジャー連邦に行ってみたい!」なんて口走った紳士諸君は、行けば確実に変態扱いされてしまう危険性がある。おすすめできない。  さらに蛇足ながら当時のファッション再興は「絶対にしない」と、なぜか胸をかばった蝶子藩王から涙目で声明が出ているので、そちらの期待もあきらめていただきたい。 *図2 #center(){ #pc(){ #image(0000296M.jpg) } #mobile(){ #image(0000296M_s.jpg) }} #center(){これは四王国後期のファッション。腰布の長さがだいぶ長くなっている}  この『身を飾るものが衣服』という考え方は、今なおレンジャー連邦におけるファッションの根本に存在する大原則である。  では、レンジャー連邦に、にゃんにゃん共和国で共通に認識されている“下着”ができたのはいつだろう。それは他国との国交が活発になった頃といえる。  四王国が連邦となった時代には、身に着けていた布の面積は広がっていた――特に女性は胸を布で覆うようになっていた。これには動くときに邪魔にならないよう固定するという目的があった。一方男性は上半身には何もつけていなかったが、日焼けさえ気にしなければ特に問題は無かった。下半身には男女ともにロイン・クロスという腰布を巻き、動きやすさを重視するときはすそを結んでパンツスタイルにしていた(図3)しかし相変わらず衣類と下着の区別は存在していなかった。 *図3 #center(){ #pc(){ #image(0000297M.jpg) } #mobile(){ #image(0000297M_s.jpg) }} #center(){今でも、衣服としてこのような着こなしをする地方もある}    他国との交易が盛んになるにつれて、今までレンジャー連邦には存在しなかったデザインの衣類もいろいろと連邦内にもたらされた。見たことの無い衣類はちょっとしたブームを起こしたが、ここで大きな問題が発生した。  他国、特に北国からもたらされた衣類は防寒を目的に作られたものである。そのため体に密着するよう縫製するものがほとんどでである。しかし下着無しでズボンを履くことと考えてみていただきたい。これはもう、大変ごわごわした履き心地となってしまうだろう。  ここで初めてレンジャー連邦に『衣類の下に着用する衣類』の発想が生まれた。  最初に下着を作ったのは東都の仕立て屋だったと言われている。東都は軍関連施設が多い関係で軍人が多く在住している。外国の長ズボンの動きやすさにいち早く目をつけたのは彼らだったが、同時に肌の上に直接身に着ける不便さを強く訴えたのも彼らだった。  東都の仕立て屋は何か手ごろなものがないかと考え、そうしてある衣類に思い当たった。  おむつである。  四王国時代のその前から、赤ん坊の衣類はおむつと決まっていた(図4)無事に育つことを願った両親が魔よけの刺繍をするというのも、衣類=アクセサリーという考え方からいえば当然の流れとして発祥した風習だった。 *図4 #center(){ #pc(){ #image(187_m.jpg) } #mobile(){ #image(187_s.jpg) }} #center(){ 一番人気の刺繍は蝶子藩王個人の紋章であるオレンジ。 レンジャー連邦ではオレンジは心と体を守る健康のお守りだ }  このときまでおむつは下着ではなかった。だが、「比較的身体のラインに沿い、しかし締め付けることは無く、誰でも簡単に着用できる」という条件に当てはまった瞬間、おむつは下着としての一歩を踏み出したのである。  現在のレンジャー連邦では、衣類の下に下着を着用することが当たり前になった。おむつから出発した下着たちは、今ではもっと布の幅が狭くなり、もたつくようなことがないよう改良された(東国には似たような『褌』という下着があるという)  上半身に関しては『独身者はへそを出す』という習慣があるため、かえって邪魔になるとあまり下着は着用しないようだ。ただし女性の場合は薄い布地の下着で胸部を覆うことで、衣類に適さない素材も上に身につけられると好んで着用する場合も多い。下着そのものを楽しむような風潮も若い女性の間では定着しているようで、こと女性がファッションを好む限り、女性用下着に関してはますます発展していくだろう(図5) *図5 #center(){ #pc(){ #image(0000299M.jpg) } #mobile(){ #image(0000299M_s.jpg) }} #center(){女性用下着にはいろいろなデザインがある} ---- **はみ出しコラム ~子供の下着について~  レンジャー連邦で主流のおむつは現在でも布製である。しかし、最近は便利で使いやすい紙おむつが輸入され、広く使用されるようになった。共働き家庭の多いレンジャー連邦女性にとっては嬉しい一品だった様子。  それでもなお、生まれてはじめてのファーストおむつは両親の刺繍が施された布おむつである風習に変わりはない。 #center(){ #pc(){ #image(188_m.jpg) } #mobile(){ #image(188_s.jpg) }} #center(){レンジャー連邦で一番人気の紙おむつ『にゃんぱーす』} ---- ~軍関係者の下着~  レンジャー連邦に下着をもたらすきっかけとなった軍人だが、現在彼らは下着としてオムツを身に着けてはいない。日常的に激しい運動が多く、よりフィットする下着の方が適していたためである。  現在では海外のデザインを取り入れた専用の下着が開発されており、デザインは男女共通で上はタンクトップかTシャツ(女性のみ内側に胸用パット入り)、下はスパッツかボクサーショーツが選択できるようになっている。素材は強度が高く伸縮性に飛んだ合成繊維と吸水性のある綿の混合で、上下共に下着のサイドはメッシュ地となっていて通気性の向上を図っているとのこと。  「こちらの方が動きやすい」と民間人で着用する者もいるが、軍関係者以外には割引が適用されないためやや高価な下着であるといえよう。 #center(){ #pc(){ #image(0000300M.jpg) } #mobile(){ #image(0000300M_s.jpg) }} #center(){ 光の加減で表面に見える模様は、連邦のイグニシア入りのハートと ノーマルなハートが並んだもの。愛を奉じた国ならではの独特の模様である }

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