胎動   The Conception



1.
 “暗黒王”ヴァザルダウアの思索により始まった、冥王の創造と死の軍勢の招来による世界の完全遷移を最終目的とする遠大な計画。


2.
 ドルウィー・デュナルたちは、深い地底の瞑みに眠る“世界に呪われた種族”である。
 この種族がいつから眠り続けているのかを知るものはいない。人間が世界に台頭するようになった第一紀、彼らドルウィー・デュナルたちの一部が覚醒し、地上に姿を現してフュダーインと壮絶な戦いを繰り広げたとされるが、第一紀末の大変動によりその記録はほとんど失われた。第二紀になってもっとも早く目覚めたのが、ヴァザルダウア、のちに“暗黒王”と謂われたドルウィー・デュナルである。このものは南大陸において目覚め、地上に出るとすぐに、人の子に埋め尽くされた世界の様相を知り、自分たちの生存のためには世界をつくりかえなければならないとの認識に至る。ヴァザルダウアはエンゼスメキア北西、バスノンに闇の種族や魔族を呼び寄せ、巨大な地下城砦を築き、世界侵攻の拠点とした。これは要塞であるにとどまらず、ヴァザルダウアが自身の知性をさらに補強し、いかなるものでも成し得ないほどの細密かつ深遠な思考をおこなう魔法的道具でもあった。広大な地下城砦で起こるすべての事象、諸力の絡み合いが、自律的に思考の要素として展開し、総体で神の如き計略をめぐらすことになるのだ。ヴァザルダウアはそれを読み解き、どのような難問をも解きほぐす。
 南大陸には、第一紀からのバルバド魔法の真髄を受け継ぐフュダーインたちが住んでいたが、彼らはやがてヴァザルダウアによる地上侵攻の気配に気付き、脅威と見定める。彼らはこの敵を“暗黒王”と呼び、その殲滅を図って戦いを決断する。
 かくて彼らフュダーインによって、魔法使いリッジェと戦士エレフ・ギアノ、黒龍ヴィムリアロウロの、数奇な冒険が導かれる。
 暗黒王の軍勢は南大陸諸国へ襲来。人間の軍隊はひとたまりもなく次々と地に伏していく。フュダーインたちは隠遁を脱し地上に顕現。かろうじて暗黒王の勢いをおしとどめる。その間にリッジェたちはバスノンの地下城砦へ到達、すべてが暗黒王の思念の一部であるこの魔界を突破し、ついにはその最たる深みへ。暗黒王ヴァザルダウアと邂逅する。太陽をはるかに隔絶した闇の極みにおいて、“アウバスの瞳”あるいは“深淵の剣”と呼ばれる秘技ナウエルフュラードを駆使する暗黒王との壮絶な戦いの末、エレフ・ギアノはついに究極の境地に達し、“妨げるものなき炎”アイオフュラードを放つ。
 それはあたかも第二の太陽の如く輝き、灼熱をもって暗黒王を溶かし尽くす。
 こうして暗黒王ヴァザルダウアは敗れ去った。その身は溶解し、闇のなかに消え去った。
 だがそれは終わりではなかったのである。


3.
 バスノンにて敗北を喫する前、地上侵攻の際にフュダーインの強硬な抵抗にあったヴァザルダウアは、さらに徹底的な計画を練らなければならない必要を悟っていた。暗黒王の当初の計画では、侵攻の最終段階で世界を魔法的に掌握する“死の軍勢”ソウルヴランドを招来することにより、世界をつくりかえようと目論まれていた。しかしバスノンを用いた思考は、ヴァザルダウアがこの目標へ到達するよりも先に、フュダーインという強力な敵の抵抗に妨げられ失敗を余儀なくされるだろうという結果を導き出す。暗黒王は、自分の構想をより緻密で壮大な計画へ編み直さねばならないことを知る。それは仮に自分が敗北したとしても継続して展開され得るものでなければならない。バスノンによる思索では、この時点での戦いで自分が勝利する可能性はきわめて低いと算出されたのである。
 かくて、ヴァザルダウアは“冥王”の創造にとりかかる。この計画が“胎動”である。
 冥王は世界の超越者。自分のように世界の摂理に縛られることのない、神そのものである。冥王は自分たち闇の種族の支配者として君臨し、その超常的能力によって、万難を排してソウルヴランドの招来を果たすであろう——。
 暗黒の胎動はエレフ・ギアノたちがバスノンの深奥へ到達する前に開始された。誰にも気づかれることなく。
 そしてヴァザルダウア自身は、予見通りにフュダーインたちとの戦いで敗れ、“妨げるものなき炎”によって消滅することとなる。しかしそれは真の滅亡ではなかった。暗黒王の肉体は完全に消え去ったかのように思われたが、塵よりも小さな細片となってバスノンの隅々へ霧散し、闇のなかへ溶け込んでいた。また、この比類なき地下空間は暗黒王の思考を支える魔法的道具として構築されたものであり、肉体は失なわれても、ヴァザルダウアの思念はバスノンのなかに残されていた。構造物および内包する一切のものすべてを作動要素とし、静穏かつ精巧に運動する総体。バスノンの闇はそのようにしてヴァザルダウアの身体と思考を薄く含みながら、沈黙の刻を過ごし始める。エレフたちは、バスノンを完全に壊滅させることなく地上に戻ってしまっていた。壊すにはあまりにも大きい構造物であったためである。フュダーインたちも、バスノンが単なる城砦にすぎないとしかみていなかった。それが思考する道具としてヴァザルダウアを湛えたままであるとは、誰にもわからなかったのだ。
 一方、ヴァザルダウアによる遠大なる魔法“胎動”も密やかに続いていた。遠き北大陸、はるか第一紀に史上もっとも過酷でおぞましき戦乱が巻き起こった禁断の地、カロアにて。氷に閉ざされ光を退け続けるカロアで、ヴァザルダウアの画策通りに闇は集い始めていた。ゆっくりと。凝集する闇は至上の高みを目指すよう織り成され、永い刻をかけて、力を蓄えて、増殖し続ける。きわめて微弱ではあったが、この反応は世界中へ伝播し、あまねく闇の力を徐々に取り込み活性化させていく。遠く離れたバスノンの廃墟にも、その波及は達した。胎動の効果はバスノンの闇に記憶されるヴァザルダウアを少しずつ再生し、千年もの時をかけて、ついにその身を元の姿へと蘇らせたのである。身体は戻ったものの、かくも微細に砕かれたために、記憶は一切失われていた。しかし壊滅されなかったバスノンは、熔け去る前のヴァザルダウアの記憶を自らの繊細な機構の内に宿していた。ヴァザルダウアはバスノンに残されていた自分の記憶を取り込み、肉体・精神ともに完全に復活する。ヴァザルダウアは自身の起源を知り、その歩みと敗北を知り、自分が講じていた計画を再び知る。このとき、冥王は誕生しかかっていた。はるかカロアの地に。“海龍の深淵”より、その居城アルド・バルン“氷の城”は浮上した。世界を穿つ巨大な裂溝を伴って。“幽玄にして悠久なる真の暗黒”を顕現させて。もはやバスノンは不要であった。自分の主はまもなく生まれる。そしてアルド・バルンこそはかつて自分にとってのバスノンがそうであったように、冥王の超常の思索の道具として発動するであろう。暗黒王はバスノンを捨て、カロアへ赴く。暗黒の帝国を創始させるために。
 こうして暗黒王は千年の闇を超えて復活し、自分たちの神、冥王のもと、暗黒の軍勢をふたたび組織し、その総大将となった。バスノンはヴァザルダウアの記憶を本人に返したあとは抜け殻の如く静謐していたが、思考機能はまだ健在していた。暗黒王はバスノンを南大陸侵攻の拠点とすべく、自ら魔界より召還したメルグアズール・“夜の主”ザフルハードへ与える。バスノンは新たな主を得てふたたび思考し始める。ザフルハードの思考を。そして南大陸はまずその半分を完全に暗黒帝国に支配される。すなわちその夜を。絶望の時代が始まる。


4.
 しかし、暗黒王の深遠な目論見がまったく人間たちに気付かれぬまま進んでいったわけではなかった。千年前に南大陸で闇との戦いが起こり、そのさなかに密かにカロアで胎動が始まったとき、これを察知した者がいた。
 シーザの大神官デクネウン。果てなきオグ砂漠の“シーザの神殿”にて思考の日々を送る大神官は、バスノンという不可思議な“道具”の動きと、それに呼応する胎動の開始とをかすかに感知していた。デクネウンは神殿での思索の果てに、この何者かの計略がいかに結実するかを予測する。苛烈なオグ砂漠の中央にあって外界より隔絶されるシーザ神殿もまた、バスノンにも似た思索の“場”であるのだ。デクネウンの予知は“影の予言”として、西海の龍インガッドを通じラランの大賢人ラカウォーンに伝えられた。ラランのもとで、この予言は大切に伝承されていくこととなる。
 影の予言は、やがて起こる冥王の発動に備える警句であった。西方諸王国にて繁栄の日々を送る人々はこれを気にすることはなかった。千年後、予言の示す時が来て、暗黒王が密かに復活してカロアに赴き、南大陸がバスノンにザフルハードを抱いてその半分を闇に掌握されてしまってからも、西方ではまだ脅威を知る者はいなかった。だが、この予言を真実とし、深刻に受け止める者たちはけっして失われなかった。そしてついに、予言のもとに闇との戦いを決意した旅人たちが、冒険を始める時が来る。


5.
 そのひとりは、アージェン・アストール。聖剣エグネウンを所持する英雄。彼は冒険の日々の果てに、バスノンにたどりつき、“夜の主”に戦いを挑んだ。しかし彼は“夜の主”が差し向けた強壮なナヴァルフュスノウフェドゥルルに敗れ去る。このとき聖剣エグネウンは潜在する力を解放し、バスノンは壊滅。廃墟となる。しかし“夜の主”を滅ぼすことには、そしてバスノンそれ自体を滅ぼすことには、至らなかった。バスノンは廃墟となってもなお思考するに支障はきたさない。それすらもひとつの事象として思考を構成する単位要素になるからである。自らを読み解くことのできる主さえいる限り、バスノンは思念をめぐらし続ける。一方、エグネウンはその所持者の手を離れ、いかなる手段でかバスノンを抜け出す。やがてそれはエンゼスメキアのあるひとりの戦士に仮に委ねられることになる。あらたな所持者を見出すために。


6.
 エグネウンは遙か東の海を越え、伝説の島、アザリアへたどりつく。アザリアにて、あらたな所持者は見出された。彼は海を渡ってウイリアへたどり着くと、同様に“影の予言”に導かれてアザリアから来た旅人たちにめぐりあう。
 こうして予言に導かれた者たちは、北大陸も南大陸も隈無くまわる長い冒険を経て、ついにバスノンに至ることとなる。このとき“夜の主”はなお健在であり、しかし深く思索に没頭し沈黙していた。何かを策謀しているのか、何かの脅威に備えているのか。
 深奥層へたどりついた一行は、ノウフェドゥルルにまみえる。この忌まわしき魔物、“変転する不死”との戦いは、彼らの今までのいかなる戦いにも増して過酷であった。だがそのとき、闇より彼らの戦いに参じ、魔物にとどめを与えた者があった。それはバスノンに敗れ去ったはずの、アージェン・アストールだった。彼はバスノンという、この世でもっとも深い闇の底で生き延びていたのだった。“夜の主”の思索と戦い続けながらも。アストールと予言の旅人たちは、互いの力を得て、ついに“夜の主”を駆逐することに成功する。
 こうしてアストールは闇を克服し、地上に帰還することとなった。


7.
 このとき、冥王はまさに降臨した。地上に帰還した一行を待ち受けるかのように。
 冥王は全世界に宣言する。世界を滅ぼすことを。その宣言はことばを超え、思念を持つあらゆる人間、あらゆる生き物へ直接伝わった。天は瞬時に灰色の雲に覆われ、地は熱を失った。暗黒の軍勢は“影の門”より発し、暗闇の使いは恐怖を携え天空を行き交った。
 バスノンを脱し冥王の宣言を聞いた一行の前に、霧の中より静かにあらわれる軍勢の姿があった。完全に統率された静寂の軍勢。率いるのは、冥王に次ぐ暗黒帝国の第二位、超越者“死鬼王”であった。死鬼王は一行に言い渡す。今より二年の期間をおいて、われらは世界を完全に掌中におさめるための準備をおこなう。そののち、世界侵攻は速やかにおこなわれるであろう。このときが来たれば、予言に謳われた者どもであろうと、もはや世界遷移を覆すことはできない。二年後、まみえるとしよう。.....こう言い残して死鬼王は消える。二年の歳月をかけて、冥王はソウルヴランドの招来を準備するのだ。かつてドルウィー・デュナルであり、今や超常を極め冥王に次ぐ超越者となった死鬼王が、冥王の代行者として暗黒帝国を統轄する。その間、いかなる勢力も冥王を妨げることはできないだろう。もはや暗黒帝国の軍勢は強大なのだ。そこにはヴァザルダウアを始め、胎動に同調して覚醒したドルウィー・デュナルが数多く参じている。その勢いを押しとどめることなど、不可能だ。そしてソウルヴランドが発動すれば、世界は闇の種族の思うままにつくりかえられてしまう。
 二年の猶予の間に、一行はそれぞれの道を極めることとする。戦士は戦士の道を。魔法使いは魔法使いの道を。彼らはそれぞれ独自の修練に向かい、二年後にふたたび再会することを誓って、別れる。


8.
 二年後。暗黒帝国の軍勢は本格的な侵攻を再開する。ヴァザルダウア麾下に編成された軍勢“ドルドラン”は五つに分かれており、全世界を同時に侵攻する。それぞれがドルウィー・デュナルを指揮官として抱いて。あらゆる国が、あらゆる勢力が、これに抗すること能わず、滅んでいった。たったひとつ持ちこたえたのが、南大陸で積年バスノンという暗黒に対峙し続け得た東方の大国、エンゼスメキアだけであった。エンゼスメキアは予言の旅人の帰還を待った。彼らにできうる限りの助力をすることだけが、いまや唯一できることだった。死の軍勢の完全発動は、もう間近に迫っていた。
 予言の旅人たちはそれぞれの修練を終え、再会を果たす。彼らのもとに、一匹の銀龍が降り立つ。その名はインガッド。かつてデクネウンの予言をラカウォーンへ伝えた龍である。インガッドは千年の時を経て成就したこの予言がいかなる結末を迎えるかを見届けるつもりなのであろう。インガッドは一行を乗せて飛び立ち、暗黒の山脈を超え、“影の門”を突破。彼らは暗黒帝国への侵入に成功する。
 氷の大地のはるか上空。彼らの前方、薄灰色の雲のなかに、見たこともないほど巨大な白い影が浮かび上がる。ハルヴァイド。“闇のもの”自らが創造した、究極のナヴァルフュス。暗黒語で、“龍を喰らうもの”を意味する。天空を覆い尽くすハルヴァイドとの壮絶な戦いの末に、彼らはかろうじて勝利し、インガッドは傷つきながらも、カロアの湖のもとに降り立つ。
 それは遠い昔、呪われた戦いにより大地を引き裂かれて生まれた、この世の底にまで至る深淵であった。凍てつくカロアの氷原にあるにもかかわらず、湛えられた水は決して凍りつくことはなかった。岸辺には、ひとりの人間の姿があった。それはラランの大賢人、イフジェスだった。彼はたったひとりで帝国の東境を超えて暗黒帝国に入り込み、カロアの湖の、氷よりも冷たい水の中、一筋の光も差さぬ深淵を潜り続け、ついにカロアの湖底にたどりつき、そこに横たわる世界最強の聖剣ジ・エルムを手にしたのだ。イフジェスは聖剣を地上へ持ち運び、アストールに手渡すと、息絶えた。このときアストールは、再び聖剣所持者となった。
 そしてインガッドは一行を残し飛翔。北方へ。“凍てつく海”グラン・ルクアの果てへ。かつてザウノン・シェイアが銀龍ソルジスと共に赴いた最北の世界へ。インガッドは二度とウイリアに戻ることはなかった。龍の思いをひとが窺い知ることはできない。
 一行は氷の城をまっすぐに目指す。呪われた氷の大地を徒歩で踏破し、敵の本拠へ。闇の中心、千年の時をかけて紡がれた魔法の焦点へと。

9.
 氷の城。それは世界に穿たれた裂溝に浮かぶ巨大な城であった。裂溝。それは白い輝きに満たされた虚無であった。マイエルヴァーンの海岸は大きく円形に抉られ、海水が延々と流れ落ちていた。水の壁のように。不思議な光景だった。海水は絶えず流れ落ちているのに、海面は穏やかで、その水位が少しでも減っているようには見えなかった。滝の流れに応じて潮流が生じているようでもなかった。それは聖剣所持者が戦うときに目にする光景にも似ていた。時間が複数に分解し、それぞれを同時に目にしているのだ。水は瀑布として、大地の縁は切り立つ断崖となって、はるか下方へ続いている。巨大なこの空洞が無限に続いているであろうことを一行は感じた。視界の果てで、穴は白いぼんやりとした霧のようなもので包まれていた。太陽ではない、何か別種の光で満たされて。——これこそは超越そのものの顕現であった。
 開いてはいけない裂け目。一行はついに、“幽玄にして悠久なる真の暗黒”の本質を知ることとなる。未だいかなることばでも捕捉されていなかったこの虚無の裂け目を、彼らはアザリア語でユイエンルと名付けることとした。
 そこには一本の細い橋がかかっていた。氷の城へとまっすぐに続く橋。虚無の上にかかる細い直線。その上にて一行を待ち受ける者。——暗黒王ヴァザルダウアが現れた。


10.
 はるかな時を経て、自分のためにつくりあげた自らの主のもとにその剣を捧げたドルウィー・デュナルは、氷の城に通じる細い橋“アマレルイ”の上で、自分の壮大な思惑を予言したデクネウンの言葉に導かれた戦士の一行と戦うこととなる。
 “アウバスの瞳”ナウエルフュラードは千年の時を超えて再び鞘から放たれる。アウバスの現前する裂溝の上で、その“瞳”は闇色に輝き、“光の樹”ジ・エルムに対峙する。カロアの湖の暗黒のなかに忘れ去られていた聖剣ジ・エルムは、イフジェスの手により再び地上へ帰り、闇を克服して帰還した英雄、アージェン・アストールの手に握られる。
 “光の樹”、暗黒王、アージェン・アストール。克服者たちの物語は、鬩ぎ合う。
 そしてバスノンを壊滅し、はるかアザリアにまで到達して予言の旅人の手に握られて世界中をめぐり、ついに暗黒の中枢へたどりついた聖剣エグネウン。エグネウンは、その完全な姿に到達する。二振りの聖剣と、“深淵の剣”は相克する。


11.
 暗黒王は滅ぼされる。
 底知れぬ虚無の深淵の上で。
 しかし、その滅亡それ自体は冥王への最後の寄与となるだろう。自身の消滅は、冥王自らがこの人間たちを葬り去るであろう未来の布石にすぎない。それは単に、冥王の物語をより強固で崇高なものとする彩りとして機能するのだ。
 語りの支配者への、最後の贈り物。消え行く暗黒王に、敗北の念は感じられなかった。
 アマレルイは道を開けた。その先に、氷の城の城門が浮かび上がる。
 「そこから先が」アストールは言う。彼は、同様に闇の思索の場であったバスノンを思い出していた。
 「冥王そのものと思ったほうがいい。氷の城は、冥王の思念それ自体である。われわれは、これから冥王そのものの中に入ることになるのだ」







 アルド・バルンの魔法階層を解いて先に進んでいくことは、冥王の思念の道具を少しずつ解明していくことでもあった。やがて明らかになる“胎動”の全容。
 もはや冥王の思念は、“闇のもの”たちの思惑は、完全に明らかになった。暗黒王により始められた遠大な計画が、いままさに、結実しようとしていることが、明白となった。闇の勢力が展開している世界の動きが、手に取るようにわかった。
 アルド・バルンは、過去を、現在を、さらに未来を、完全に記述していた。“軍勢”ソウルヴランドはもうそこまで迫っており、まもなく発動する。世界は根幹から崩され、再構成される。“闇のもの”の世界へと。人間の世界は、終わる。その未来は、明確に記述されていた。
 だがソウルヴランドのもたらす終焉のその先を見ることは、できなかった。“闇のもの”たちの世界はどのようなものになるのか、それは記されていなかった。世界がつくりかえられてしまうから、その未来が見えないのだろうか? それがすべての終わりであるから? それとも、別の未来があり、それをアルド・バルンはまだ見通すことができないのだろうか?
 いずれにせよ、見通せない未来があるならば、自らの手で切り拓くものであろう。一行はその余地を疑うことはなかった。厳格な終焉の光景を見てしまったにもかかわらず。
 どのような予言も、世界を根幹からつくりかえるその先を見通すことなどできない。予言が現在の世界側に所属しているものだからである。だから、いかなる未来も予知しうる至上の知性であろうと、ソウルヴランド招来のその先を読むことはできない。これは原理的な問題である。予言の旅人に希望があるとすれば、この原理的問題の間隙を突くことだけだ。

 一行は最上層へ到達。
 このとき、終焉の招来者である“軍勢”は発動した。“幽玄にして悠久なる真の暗黒”を力源として。冥王の命により。“白い死”あるいは“死の軍勢”と呼ばれる無数の魔霊が降臨し、世界を飛び交った。天空を乱し、星空を地に墜とし、中空に間隙を穿ち。
 いまや、世界の魔力はその流れを統轄されようとしていた。
 魔力とは、世界を構成する作動そのものである。すなわち、ソウルヴランドは、世界そのものを、世界のうちにあってなお書き換え得る魔法。文字通り、世界を超越する魔法なのだ。
 あらゆるものは流れのなかに分解され、別の流れに乗り、違うものへ移り変わろうとしていた。海は沸き立ち蒸発し、森は風とともに塵となり、山は幻のように揺らめき儚いものとなった。世界は粉々に砕かれ、さらに融かされ、別のものへと変異するのだ。
 これを止めるには、もはやたったひとつの方法しかなかった。
 確定された破滅の未来を前にして、一行は、“滅びのことば”を駆動させることを決断する。
 アストールは冥王の玉座へ向かうことに。予言に導かれる旅人たちは、“滅びのことば”を発現させ得る最果ての地へ。見通せぬ未来の果てを目指して。
 一行は別れる。

 アストールは玉座の手前で、“死鬼王”クインゾームとまみえる。冥王の守護者であり、“逃れることなき死”を司る超越者。しかし“光の樹”は至上の闇のなかでも、その輝きを失うことはなかった。カロアの深淵を生き延びたこの聖剣が伴う限り、アストールもまた超越者に列する。その物語は苛烈に疾走し、“逃れることなき死”であろうと、もはや止めることはできない。
 クインゾームは破滅する。
 アストールは最後の魔法階層を突破する。
 冥王の玉座へ。この世界で唯一の、そして最初にして最後の“神”に到達した存在に、アストールは対面した。


 アストールは冥王の名を知る。
 エルザエンド。
 これにより彼は冥王と対等の位置に立つこととなった。


 至上の戦いが始まる。そこではもはや時間も空間も概念として意味を成さず、超越者同士が繰り広げる、世界の絶対的視点をめぐる応酬があるだけだ。

 はかりしれぬ時の経過ののち、両者はほぼ同時に、“破壊のことば”の使用を決断するに至る。

 “破壊のことば”は発動する。完全な状態で。
 両者が同時に放ったこの最強の魔法は、全世界の魔力を瞬時に収束させる。本来、術者を完全に防護するはずの効果は、ふたつの術が同時に発動するという異例な事態によって、崩される。重なり合う結界は、融合する。その先、両者がどうなったのかを知る者はいない。決して他者が知りえぬ領域へと飛ばされたからである。
 あまねく魔力は、影の玉座に収束。世界を揺るがす魔法・ソウルヴランドもまた例外ではない。互いに超越を指向するソウルヴランドと“破壊のことば”は相克するが...しかし“破壊のことば”が冥王とアストールという両者により同時に放たれたことが、ソウルヴランドによる終焉を凌駕する。“軍勢”はわずかに世界を超えることができず、“破壊のことば”に呼び戻された。
 そして世界から完全に魔力が消える。それらが玉座の一点に集中してできた極限の特異点だけを除いて。世界はその“要因”を失い、一瞬、揺らめく。次の瞬間、極限に収束した魔力は、その斥力のもと再び飛散し、戻っていった。世界をふたたび媒体で満たすために。激しい力動を伴って。世界そのものによる、津波のように。まさに最強の魔法の名にふさわしく。
 氷の城は消え去る。はるかカロアの湖近くにまで至る巨大な範囲が、空も地も瞬時に吹き飛ばされる。ダロア・ディルロスは鳴動する。マイエルヴァーンは蒸発し、水平線の彼方まで、潮は退いた。巨大な水壁となって。
 暗黒帝国は崩壊し、そして、世界の裂け目“ユイエンル”は、消滅した。


 予言に導かれる旅人たちは、ついに、終局の地にたどりつく。
 “輝きの岸辺”に。
 バルバド魔法の最大の謎とされた“英雄の魔法”の封印は解き明かされた。
 一行は、魔法のもう一方の極致である“滅びのことば”を発動させる。
 “死の軍勢”に蹂躙され、“破壊のことば”によってその足場を外された世界を、回復させるために。
 それは、世界を終わらせ、再び創世させる魔法だった。
 黄泉より見据えられる、儚くもまた揺るぎなきこの世界の、黄泉との門を、ひとたび、完全に閉じるのだ。そしてふたたび門を開く。

 こうして、魔法の究極、“バルバドの禍いアウバスは消し去られた。

 一行は、故郷へ。







最終更新:2015年03月28日 01:28