ドルウィー・デュナル  【アーエン語】 Deicidal Darkness



1.
 “闇のもの”。ウイリア最強の生物。その強固な肉体は、無限に再生する不老不死。闇そのものを喰らい、巨大な力の糧とする。全知全能の種族。唯一、そして決定的な弱点は、その肉体が光に耐えられないことである。ドルウィー・デュナルのほとんどは地中はるか深くに眠っているが、“影の予言”によれば“闇のもの”たちは暗黒帝国の発動とともに目覚め地上を席巻するという。
 複雑に織り込まれた仮面のような頭部と角が外見上の特徴とされる。その身は鋼をも超える硬質な装甲に覆われているが、通常は“闇の衣”に包まれ隠されている。


2.
 この最強の種族は、しかし人間たちには永いことその存在が知られていなかった。というのもドルウィー・デュナルのほとんどは地中はるか深くに眠っているからである。だが時折、人間にはわからないなんらかの理由で、彼らのなかに、その眠りより目覚め地上へ姿を現す者が出てくる。かつてそのようにして太陽のもとに現れたドルウィー・デュナルは、ほとんどがすぐに闇の底へ再び戻っていき、たまたま人間と遭遇した者もその破壊的な力を表すことなく静かに消え、人類とドルウィー・デュナルが争いまみえることは絶えてなかった。ブラウフニス・レクによれば、それはその頃人間がまだ魔法に成熟していない未熟な種族だったからであるという。人類とドルウィー・デュナルがはじめて戦ったのは、というより人類がドルウィー・デュナルの恐ろしさをはじめて知るのは、第一紀後半、魔法使いたちの間に巻き起こった巨大な戦乱が世界を覆った時代である。この頃、地上に出てきたドルウィー・デュナルと遭遇した魔法使いとの間に戦いが起こったという記録がいくつか残されている。魔法使いたちによってドルウィー・デュナル“闇のもの”という名が付されたのは、この時期である。第一紀の強大な魔法使いたちは、ドルウィー・デュナルという地の底に潜む脅威をできうるかぎり調べあげ、後に伝えようとした。だが彼らは彼ら自身の戦いに忙しく、ドルウィー・デュナルが地上に現れることもほとんどなかったので、その存在はあまり重く見られてはいなかった。しかし、世界をことごとく支配下におくほどに栄華を極めた第一紀の魔法使いたちも、ドルウィー・デュナルの本当の恐ろしさはまだ知らなかったのである。
 やがて第二紀になるとそれらの記録も失われ、ドルウィー・デュナルの存在は再び人々から忘れ去られることになった。第二紀にも地上にドルウィー・デュナルが現れたことはなくはないが、それは広大なウイリアの各地で散発して起こったことなので、各地でそれぞれ「恐るべき魔物」として伝承に残った以上の知識を人類にはもたらさなかった。第二紀に再びドルウィー・デュナルの名が知られるようになるのは、ブラウフニス・レクというひとりの学者が「デュナルの書」という本を著してからである。
 ブラウフニス・レクは南大陸北部に生まれ、その一生は学者として、旅行家として、魔法使いとして送られた。ドルウィー・デュナルを知るために、太古の遺跡を巡り、あらゆる古文書をひもとき、果てはの深遠な知恵に助けを求めたりもした。その人生のいわば集大成が「デュナルの書」である。彼がなぜ“闇のもの”に興味をもつようになったのかは定かではない。「デュナルの書」によれば、第一紀に記された多くの書はそのほとんどが失われたのだが、第二紀にも伝わったものはいくつか存在し、そのなかの一冊に“闇のもの”についてたった一箇所言及しているものが存在するという。
 ブラウフニス・レクがそのたった一箇所の記述に目を留め、それが人類全体を危機に追いやる脅威であることを見抜いたとすれば、驚嘆すべき慧眼であると言えよう。いずれにせよ、彼が生涯をかけて調べあげ完成させた「デュナルの書」によって、人類はドルウィー・デュナルの存在をあらためて知ることができたのである。
 しかし、「デュナルの書」はその破滅的な予言性ゆえに禁忌とされた。これを排撃しようとする者たちと、そして他ならぬ“闇のもの”からこの知識を守るため、ブラウフニス・レクはさまざまな手を尽くしてこの書を守ろうとした。しかしその努力も空しく、あるいは彼がそれが真に必要とされるときがくるまで封印したからなのか、「デュナルの書」はこの世から姿を消し、以後その実物を見たものはいない。
 だが、一度人々に知られたその知識は、たとえ禁忌とされても、失われることはなかった。その警告は幾人かの魔法使いたちを中心に受け継がれ、その研究は断続的にではあるが積み重ねられていった。
 その最大の成果は、シーザの大神官デクネウンによって為された、“影の予言”であろう。“影の予言”によれば“闇のもの”たちは暗黒の帝国の発動とともに目覚め地上を席巻するという。デクネウンの言葉をまもり続ける大神官ドルカノンによれば、ドルウィー・デュナルが完全に覚醒し一斉に地上に現れた場合、その力はかつての比ではなく、人間の世界はことごとく滅び、彼らに戦いを挑む戦士はことごとく闇に葬り去られることになるという。


3.
 ドルウィー・デュナルは無敵、不老不死、全知全能。その肉体はあらゆる攻撃をよせつけぬほどに強固で、たとえ聖剣によって傷を負ったとしても、無限の再生力を持つその体は、全身が粉々になったとしてもまたよみがえる。彼らは決して年老いることなく、殺されない限り死ぬことはない。あらゆる言葉を解し、あらゆる知識を知り尽くし、あらゆる智者より速く思念を巡らし、あらゆる聖者をはるかに越えてこの世の神秘に通じている。
 彼らは純粋なる光の輝きのもとではその超常性が弱められ、光を永遠に浴び続ければ滅び去る。また、人類がその英知を集めてつくった至上の武器「聖剣」もドルウィー・デュナルの闇の衣を打ち破って傷を与えることができる。
 しかし、ドルウィー・デュナルの冷静沈着で狡猾な知謀と強力な肉体を駆使して繰り出される超常の武技の前に、そのような数少ない対抗手段を与える隙があるかどうかは疑問であるが。


4.
 暗黒帝国の発動とともに一斉に覚醒する前に目覚め地上に姿を現したドルウィー・デュナルのなかで、もっとも地上世界に波乱を巻き起こしたのは、“暗黒王”とよばれたヴァザルダウアである。ヴァザルダウアは南大陸で覚醒したが、それまでのドルウィー・デュナルのようにすぐに地の底へ戻ることなく、地上にとどまり、やがて闇の軍勢を率いて光を駆逐しようとした。
 ヴァザルダウアはドルウィー・デュナルのなかでも最強とされる。“闇のもの”のなかでももっとも暗黒の力に通じ、魔界の門を操る魔術をもって闇の軍勢をつくりあげ、光満ちる地上世界を一掃しようとした。“暗黒王”の軍勢は南大陸を恐怖に陥れ、いくつもの王国を滅ぼしたが、やがてフュダーインたちの抵抗にあい、人間との本格的な戦いがはじまることになる。そしてついにはその闇の宮殿で“赤き戦士”エレフ・ギアノと戦い、その秘技“アイオフュラード(太陽の剣)”によって塵となったのだった。
 しかし、“赤き戦士”の過ちは、塵となって消え去ったかに見えたヴァザルダウアの肉体を、深き闇の宮殿に放置したままにしたことであった。彼は、その深淵の奥底に至るまで徹底的に破壊して太陽のもとにさらすべきだったのである。最も濃い闇に身を包むドルウィー・デュナルであるヴァザルダウアは、暗黒の胎動に同調しながら一千年の時を経て再生を果たし、発動した暗黒帝国のもと、軍団指揮官として復活することになる。






再帰魔法   Reflexive Sorcery


1.
 “デュナルの書”では、魔法学の観点から見た場合にドルウィー・デュナルを人間と区別する最大の特徴は、彼らが〈魂〉を持たない点にあると示唆されている。ここでの魂という語はラランにおける中枢概念に準拠しており、換言すれば黄泉に基盤を持ち現世を観察する「視点」を意味するのだが、ドルウィー・デュナルはそのような別の世界との繋がりを持たず、完全に現世の理のなかで閉じた存在であるとされている。
 このことは魔法の行使という面において大きな影響を及ぼす。ラランによれば、魔法を駆動させるには必ず〈外界〉との何らかの繋がりが必要とされている。乱暴に説明するならば魔法とは外界と相関することによって現世を超越する事象を生み出すことであり、たとえば人間が黄泉につながり、妖精が精霊界に、魔族が魔界にそれぞれ接続することで魔法の源泉を確保しているのに対して、他の世界との関連を持たないドルウィー・デュナルは、魔法という超常の効果を招来することはできない。
 これは全知全能であるドルウィー・デュナルにとっての唯一の能力的限界であるとも考えられるが、彼ら自身もそれを自覚しており、これを克服するために独特の魔法体系が編み出された。超常の事象を発生させるための源泉を持たずして魔法効果を生じさせる、「再帰魔法」という体系がそれである。


2.
 魔法使いたちには、高度な魔術技法として「魔法によって魔法を発生させる」という魔法構文が知られている。これは、ある単純な魔法を要素としてより複雑な機構を組成する場合に用いられる技術であり、それぞれの魔法要素は一つの完結した事象として世に放たれるのではなく、別の魔法を生み出す機能を持つ。同時に、それら他の魔法との関係が定められ、他の魔法がどのように発動しているかを観察しそれに応じて自己の更なる駆動を決定する、という構造のものとして記述される。すなわち、きっかけとなる最初の魔法を除いて、後続する魔法は「魔法使い」という駆動要因を必要とせず、他の魔法のみを参照して連関を持続するということを特徴とする。
 魔法が魔法を再帰的に生産し、その結果生まれる上位構造がまたひとつの魔法として後続する魔法を生成する、という循環構造。ひとたび最初の魔法が発動すれば、あとは自動的に魔法同士が効果を及ぼし合って組み上がる仕組みである。 
 ドルウィー・デュナルは、「最初の魔法」なしでこのような回帰的な連関構造を発生させることを企図している。
 ラランの魔法使いたちは、魔法を「意図に沿う偶然である」と描写することがあるが、魔法とは、魔法使い以外の者から見れば、偶然的なあるいは奇跡的な事象としか見えないものでもある。事実、魔法は神の起こす奇跡であり、神に祈ることで奇跡を起こしてもらうのだ、と考える説明体系も存在する。
 日常における奇跡とも言える事象、たとえば目の前にあった木の枝に林檎がちょうど落下して突き刺さったとき、あるいはたまたま開いた書物がそのときの気分に関連する語句を示していたとき、それらは単なる偶然なのか、誰かの意志によるものなのか、魔法使いでなければ区別することはできない。
 そのように日常で見られる些細な偶然の数々を「魔法」と等価であるとみなし、その集合が再帰的魔法構造を有している、と仮定しよう。ドルウィー・デュナルの魔術はここから始まる。
 もちろんそこには何らかの論理的連関がなければならない。ドルウィー・デュナルは、本来何の意図も介在していないはずのそのような偶然的事象の間に、強引に成立するような論理構造を打ち立てる。それは単なるこじつけかもしれない。しかしそれでも成り立つような論理構造があるならば、そしてその論理構造が再帰的なものであるならば、恣意的に関連付けられた些細な事象の集合が、恣意的な再帰構造に従って後続する事象を生み出すことを阻む理由はないのだ。
 そもそも、正統なる魔法使いが行使する魔法において、その駆動要因はこの世界にはなく黄泉などの「外界」に存するが、しかしそのような「外界」とはこの世界自体からは説明できない領域のものである。この世の理に従う世界ではないのだから。この世界自体から見た場合、駆動要因は単なる偶然に過ぎない、と言うこともできる。だから少なくとも現世から見た場合に、魔法使いの魔法とドルウィー・デュナルの魔法とは区別が付けられない。原理的に。


 これらはあくまで人間から見た仮説であり、具体的な行使手順は不明ではあるが、魔法学的に為される説明は以下の通りである。ドルウィー・デュナルが何らかの魔法事象を望んだとき、その高度な解析能力を用いて、眼前で生じる自然現象を解釈し、自分の望む効果をもたらしてくれるような論理構造を導き得るように体系化する。このとき観察と同時に一瞬で理論化・体系化が為される。高度な知覚能力と高速の思考能力があるがために、観察と体系化の間の時間差は極小のものとなる。つまり、いつどのように始まったかは知らないがとにかくそのような再帰的魔法構造が既に始まっており、自分はそれを途中から観察しているに過ぎない、というわけだ。
 このようにしてドルウィー・デュナルは起源の問題を回避する。既成事実が起源に先行するというのは逆説的に聞こえるが、魔法論理とは常にそのように矛盾を孕んだものである。



cf.
再帰形式については、自己準拠構造 autopoiesis(Maturana, Varela)
論理の駆動とその起源の関係については塵理論(G. Egan)を参照のこと。
最終更新:2012年05月02日 23:00