〈幽玄にして悠久なる真の暗黒〉


1.
 この地上に生をもつものすべてのなかで、ただひとり、〈幽玄にして悠久なる真の暗黒〉を視ることのできるものだけが、冥王に対峙できる。

2.
 〈妨げるものなき炎〉によって塵となった暗黒王が、深き闇のもと一千年の時を経て復活したことと、澱む暗黒の中で忌わしきものに破れた聖剣喪失者が、やがて克服者として地上に生還したことは、構造的な対となっている。(あるいはアストールもまた、バスノンの思索能力の影響を受けたのかもしれない。)




魔王


1.
 魔法の究極。
 魔力はこの世界の運動の根幹を成す構造である。人間にこの魔力を操作せしめる経験体系である魔法、その魔法を極めるとは、世界を自在に操作し得ることに他ならない。「すべてが、完全に自由であるような状況」——このような境地に至った精神は、しかし逆説的に、決定的な束縛状態に陥ってしまう。それは、世界(他者)と、それに相対する自己という関係が崩壊し、自己の存在基盤が失われるからである。どこまでも自分であり、それゆえどこにも自分がいないという状態。
 この世界で魔法を極めるに至ったあらゆる超常者たちは、すべてこの実存的危機に遭遇する。
 魔法の究極・アウバスは、この境地を越えた領域に現出する。

2.
 超常者の陥る実存的危機は、端的に、〈絶望〉と表現することができる。〈絶望〉ということばは、古よりアウバスの研究者たちによって、アウバスを説明するためのひとつの概念として提示されてきた。世界を掌中におさめる「語り手」である超常者たちの体験する絶望は、並のものではない。世界の蓋然性確定主体である「語り手」たちの実存的危機は、直接、世界そのものの様態に影響を及ぼす。










最終更新:2009年10月25日 01:30