*

 

 せっかくのんびりしていたところを上司に呼ばれて、しぶしぶ出向いたら受付の事務局から、ついでに持っていってほしいとか言われて、わりとどっさりめな書類の束を受けとった。むき出しのものも中にはあるけれど、たいていは封函されていて、でも全部一度は糊がはがされて口の開いたあとがある。これは別に受付がのぞき魔だとか、正直厄介者扱いの十三課への目が厳しいから検閲かかっているとかそういうことではなくて、安全確認のためにすべて開封されるってことになっているだけだ。責任者が目を通す必要のないものは、事務局の時点でカットするっていうことなんだろうと思うけれど、それって結構体を張った仕事内容だと思う。刃物が入っていたなんていうのは可愛い部類のもので、劇薬なんかが入っているのも日常茶飯事のことらしい。事務仕事とか言うと、自分たち実働現場部隊にくらべて地味というか、日がな一日椅子に座っているイメェジがあったけれど、すくなくともこの課の事務は肉体労働寄りだと思う。

現場にしろ事務にしろ、ほんのすこしの気の緩みであっという間にお陀仏なのは変わらないってことだ。
その、だいたいのうらみつらみの矛先というか、本当だったら色々とひどい目にあっているはずの機関をまとめる上司の詰める機関室のドアを叩き、中から返事がなかったのでしばらくどうしようか考えたあと、ノブに手をかけ無造作に開いた。
機関室の中には上司のほかにも通常数人、気がおかしくなりそうなほどの報告書の束を机に山と積みあげて、だのに誰も文句を言うことなく無言のままおそろしい速さで量をこなしているのが確認できるのだけれど、その時部屋のなかにはひとりしか姿が見えなかった。昼時だったし、それぞれ休憩に出たんだと思う。
室内はとても静かだった。
中央よりも奥側、部屋のだいたいを見回せる位置に置かれた事務机に、自分を呼んだ上司が突っ伏していて、見た一瞬はそのままこと切れてるんじゃないかとか妙な予感にぎくっとしたけれど、近付くと腕枕に顔をうずめて寝ているんだと判った。静かな寝息がする。
このひとたぶん、また部屋に戻りもしないで何日かここに詰めっぱなしなんだろうなあとか、無防備に上下する肩を眺めながらふとそんなことを思ってしまった。休息をとることをおそれるみたいに仕事をする。まるでそのまま仕事したっきり、息絶えたいんじゃないかって思えるときもある。むかし、まだ自分や彼が子供のときは、対象が仕事じゃなくて本だった。気づくといつも本を読んでいた。図書室が彼の定位置だった。でもきっと、彼は本が好きだから、心躍る冒険譚にわくわくしたりするから、本を読んでいたんじゃないと思う。いつもむずかしい顔をして、仕事と同じ、読むのをやめたら死ぬみたいな勢いで文字を追っているばかりだった。
たぶん、本人もどうしてそんなことをしていたのかよく判っていないのだと思う。
気づくと、見なれない彼が普段見慣れない上着を着ているってことに気がついた。ねず色のコート。
それは、自分には見馴染んだ、実働部隊のお仕着せのウール地のコートだった。だから見慣れないっていう言い方はちょっとおかしいのかもしれない。よく見たことのある、自分でも持っている、でもこのひとがなんでこんなところで羽織ったまま寝ちゃっているのかって思うとすこし不思議な気がする。上からの支給品だったから、彼も受け取ったには違いないのだけれど、たしかごわごわする、とか、ちくちくする、とか、とにかく着心地がよくないからいやだとかダダこねていて、彼が袖を通したところを自分は見たことがなかった。
しかもよく見るとそれは結構着古されたしろもので、あちこちかぎざきや染みなんかが見える。彼の持ち物にしてはずいぶんだなとか思ってしまった。上等ものにこだわる性格っていうわけでもないのだろうけど、軽くてあたたかそうなベージュのコートを持っていることを自分は知っている。
……どうしたもんかね。
呼び出された身でこのまま回れ右するわけにもいかず、けれどこうして何日ぶりか判らない睡眠を、きっと部屋の人間がみな出払ってようやく気をゆるめることができたんだろうなとか思うと、安直に揺り起こすのもどうかと思ったり、と言ってもこのままこうやって眺めているのも不毛な気がしたし、そもそも起きて、自分が見ていたって知れたら、それはそれで不機嫌になるような気がした。
がりがりと頭を掻き、それからもうしばらく外でもぶらついてから戻ってこようかと背をむけかけた彼が、一瞬うん、とちいさく呻いて、それからコートに鼻を埋めるようにして首の位置を変えた。おだやかな顔。
ああしまったなと思いながらそっとドアを開け廊下にでる。気づかなければよかった。
着古したねず色のウールから、自分もよく知っている、ひだまりの、慣れ親しんだ大柄な彼以外の別の誰かのにおいがした。

 

 

--------------------------------------------------
> next

最終更新:2020年09月02日 11:02