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先日、本屋で見かけた「歴史教科書 在日コリアンの歴史(明石書店)」を手にとってパラパラ読んでみると、冒頭に、日韓併合時代の朝鮮民族の苦難として、「土地よこせ」「米よこせ」「人よこせ」「命よこせ」という、おとぎ話が載っていました。


そこで、今回は、「土地よこせ」「米よこせ」神話に続いて、「人よこせ」「命よこせ」神話の実体を記します。


③「人よこせ」「命よこせ」神話1 ~労働徴用編~


この神話は主に、労働徴用、徴兵、皇民化教育などを表しているようです。

まず、労働徴用であるが、これは戦後、朝日新聞岩波書店など左翼の悪質なプロパガンダによって、「朝鮮人強制連行」という虚構が人口に膾炙してしまった感があります。中には、「朝鮮人は日本に強制連行されて、炭鉱・鉱山など危険で苛酷な労務に就かされた」「在日朝鮮人は日本に強制連行されてきた朝鮮人の末裔だ」と言う人もいるくらいです。

では、朝鮮人が「強制連行」されて来る前に、炭鉱で働いていた人は誰だったんだ?と問いたい。

言うまでもない。日本人である。

じゃあ、その「危険で苛酷な労務」に就いていた日本人は何処に行った?

言うまでもない。もっと苛酷な戦地に送られたのである。

朝鮮人に「国民の義務」として、労働徴用令が適用されたのは、1944年秋から約半年間の間である。それ以降は、アメリカの潜水艦に撃沈されるのを恐れ、渡海を中止している。

ほとんど全ての韓国人とニホン人は理解していないようだが、当時、朝鮮人は日本国民であったという事実である。

韓国人は「何故、韓国人が日本のために?」、ニホン人は「何故、朝鮮人に義務が生ずるのか?」と思うであろうが、朝鮮人は日本統治によって様々な恩恵を受けた日本国民としての義務が生じるのである。


もちろん、労働徴用令が朝鮮人だけに適用されていたのなら、これは完全な差別であるため、非難されて当然なのだが実際はどうか。

1944年秋から朝鮮人に適用されたが、日本人には対しては1939年からずっと適用されてきた。そして、日本では女性にも適用されたが、朝鮮人は最後まで男性にしか適用されていない。

実は、1944年秋まで朝鮮人に適用されなかったことが、むしろ差別的だったのである。そこには、「朝鮮人は二等国民だが、日本人は一等国民であるため、高い身分に伴う義務がある」という意識があるからである。


では、労働徴用によって、一体、どれだけの朝鮮人が日本(内地)にやって来たのか?

現在、日本に帰化せずにいる在日朝鮮人は60万人ほどである。

当時、労働徴用で、日本にやって来た朝鮮人は22万人である。

それを聞いて、「じゃあ、在日朝鮮人の3分の1が『強制連行』されて来たのか」と言うのは早計で、戦後すぐに、「朝鮮人帰国事業」が行われ、多くの朝鮮人が朝鮮半島へと帰って行ったからです。

そして、外務省の調査によると、1959年の時点で、徴用された22万人のうち、日本に残っているのは245人しかいない。彼らは朝鮮半島に帰りたくなかったのである。自由意志で残ったのである。


1944年秋に朝鮮人に対し、日本国民の義務として、労働徴用令が出されたが、実は1939年から朝鮮半島では労務動員が行われている。

こちらは完全に自由意志による日本での労務である。「日中戦争」による徴兵によって、労働力不足となった日本の企業が、朝鮮半島で日本内地で働きたい人を募集したのである。高賃金で住居&食事も支給されたため、募集に対し、2倍以上の志望者が集まったそうで、そこから面接などを通し、日本(内地)で働くことができたのである。独身者は寮に無料で住むことができ、世帯持ちには一軒家が用意されたそうで、日本で労務動員される朝鮮人は結婚相手としても人気を集めたほどである。もちろん、鎖で繋がれて、職場と寮の間を行き来していたわけではない。

例えば、1939年の北海道札幌の三菱手稲鉱業所から1000人の鉱夫の募集があると、7000人の応募があった。

日本で労務につくことは憧れの仕事だったのである。仮に今、北朝鮮に行って、「月給40万円で住居&食事付き」で働きませんか?と募集したら、志望者は殺到するであろう。北朝鮮どころか韓国でも志望者は殺到するであろう。


では、1944年秋に始まる「強制連行」(労働徴用)によって、日本に渡ってきた朝鮮人は22万人と述べたが、1939~1944年秋までの間に日本に自らの意思(志望)、つまり日本企業などの募集に応じて渡って来た朝鮮人はどれだけいたのか?

44万7000人もいる。

つまり、1939年から、1944年秋の労働徴用令によって、労務動員として日本にやって来た朝鮮人は66万7000人である。

そんなに多いのか、と思うでしょうが、その期間中、労務動員以外、つまり完全な自由意志で日本にやって来た朝鮮人はどれだけいるのか?

労務動員期間中に自由意志で日本にやって来た朝鮮人は、何と!


122万8000人に及ぶ。


そして、労務動員期間前(1939年以前)に、日本にやって来た朝鮮人は80万人もいたのである。

あまりにも多くの朝鮮人が日本内地へやって来るため、渡航規制を強いたにも関わらず、不正渡航をしてでも多くの朝鮮人が日本にやって来た。

現在でも、日本への不法入国者の国籍の第1位は韓国である。

これが、「朝鮮人強制連行」という、おとぎ話の実体である。


では、1944年秋以降の労働徴用令によって(つまり、自由意志ではなく半強制的に)やって来た朝鮮人の暮らしぶりはどのようなものであっただろうか?

韓国人やニホン人は、「かつて日本は朝鮮を植民地支配した」という歪んだ思いが強いため、西洋のアジア・アフリカ植民地支配や黒人奴隷や、中にはホロコーストに遭ったユダヤ人から連想して、様々な「苛酷な運命に遭った」おとぎ話を創作しています。

実体はどうか?

例えば、広島の兵器工場に徴用された鄭忠海氏は、新築の寮と食事が用意され、警察官の初任給が45円だった時代に、140円の賃金が与えられている。

これ、結構、重要だと思います。

ここでは触れませんが、近年、韓国が「性奴隷」と喧伝する、所謂「従軍慰安婦」問題ですが、慰安婦をやっていた文玉珠さんが、「2年半の間に慰安婦として稼いだ貯金を日本に残していったから返してくれ」という訴訟を1992年に起こしました。

そして、文玉珠さんが慰安婦として2年半の間に稼いだ金は、何と!


2万6145円である。


「慰安婦を2年務めれば家が建つ」といった話は事実だったのである。

韓国人は「強制連行」「従軍慰安婦」を取り出して、かつて朝鮮人は日本人の「奴隷」として扱われたと勘違いしているが、これだけの高賃金を得た奴隷は、古今東西、存在しないであろう。

それどころか、「一等国民」である日本人よりも優遇されたのである。

ちなみに朝鮮半島へ渡った日本人も60万人ほどいたが、彼らは朝鮮人より7倍も重税を払っていたのである。もちろん、彼らは現地の朝鮮人に威張り散らすことなんてできるはずもない。そんなことをしたら、圧倒的多数の朝鮮人に袋叩きに遭っていただろう。普通に過ごしていても、圧倒的多数の朝鮮人に苛められたほどである。


上述の鄭忠海氏の手記では、自分が如何に日本女性にモテたかを声高に自慢している(まあ、日本人の若者の多くは戦地に派兵されてましたからね)。

また、彼のような、労働徴用者であっても、鎖で繋がれて職場と住居を行き来したわけでなく、自由に外出できましたし、中には労働徴用から不法に抜け出して、日本で起業家として成功していた朝鮮人に頼る人たちも多かったようです。


さて、昨日は「竹島の日」でした。

韓国人と竹島の話をすると、彼らは感情論で話し、論理的に話せないので、韓国人と竹島(独島)論議をすることは無意味なことだと思います。

ただ、もし、竹島に話が及んだ時に、有効な一言を授けましょう。


「竹島に関し、日本政府が50年以上も前から、韓国政府に訴えていることは何か知ってる?」

と言えば、韓国人は「知らない」と言うでしょう。

となったら、

「日本政府は、『そんなに竹島が韓国の領土だ』と自信を持って言うなら、一緒に国際司法裁判所に行きましょう。裁判で日本が負けたら、竹島を韓国にあげますよ』と言っているんだ。でも、韓国政府はそれに応じない」

と言えば、韓国人は「どうして?」と言うでしょう。

となったら、

「裁判になったら、韓国は負けるからだ。歴史的にも国際法的にも竹島が日本の領土であることは間違いないからだ。韓国人は韓国が言う嘘は、韓国国内でしか通用しないということを知るべきだ」

と言えば良い。

ただ、喧嘩腰になった後で、次のようなフォロー(?)をしてあげると良いでしょう。

「歴史的にも国際法的にも竹島が日本の領土であることは確かだが、韓国は不法占拠とはいえ、50年以上も竹島を『実効支配』してきたのだから、韓国が裁判に勝つ可能性はゼロではないよ」

と甘い誘いの言葉を添えましょう(笑)。


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