韓国人の「正しい」歴史認識に、日本統治時代の朝鮮民族の苦難として、「土地よこせ」「米よこせ」「人よこせ」「命よこせ」という4つの、おとぎ話があるそうだ。
そこで、今回は二つ目の「米よこせ」神話の実態を述べたいと思います。
②「米よこせ」神話
韓国の歴史教科書によると、「日本は韓国から米を略奪することに力を注いだ。そのため、韓国の農民は彼らが生産した多くの米を日本に奪われ、飢えを免れなかった」「日本は食料の半分を強制的に持ち去った」そうだ。
これが韓国の言う「正しい」歴史認識である、「米よこせ」神話である。
前回の記事を読んだ人なら、もうオチが読めたと思いでしょうが(笑)、一応、反論を論理的に進めましょう。ちなみに僕が韓国人とこういった話をするとき、よく口にするのが、「韓国人は感情だけで話さずに、論理的に話す訓練をしたほうが良いよ」です。
何度も言いますように、韓国人は、「暗黒の500年」李氏朝鮮時代(1392~1897?)の実態を知りません。まるで、朝鮮時代は豊かに暮らしていたのに、日本統治時代には「多くの米を日本に奪われ、飢えを免れなかった」と思っているようである。
実際、韓国メディアや政治家から、自分たちはナチスのホロコーストにあったユダヤ人と同類であったかのような記事や発言が聞かれることも度々ある。
では、19世紀末、朝鮮を訪れた諸外国人の中から、ロシアの探検家・ジェロトケヴィイチ氏の発言を引用しよう。
「どこまで行っても禿山と赤土ばかりで、草も全て燃料のために刈り取られる。山地が痩せていて、昨年もたくさんの餓死者が出た。ここは退屈極まりない土地で、山は禿山、植生はほとんど見られない」
いくつも引用するのは面倒なので割愛するが、朝鮮を訪れる人は皆、飢えに苦しむ朝鮮人に同情している。北朝鮮は「李氏朝鮮のクローン」と言われる所以がここにある。
【画像・下】首都ソウルに住む朝鮮人の富裕層
多数の餓死者を出したというのは、朝鮮の人口統計データからも証明される。
1777年:1804万人。
1877年:1689万人。
1910年:1313万人。
人口は減り続けている。たくさんの餓死者が出たのである。食糧不足である。
理由は前回も述べたように、両班(ヤンパン)の苛斂誅求と、それに伴う農民たちの労働意欲の欠落である。そして、度重なる洪水による被害である。
「洪水か。度重なる天災とは可哀想」ではない。朝鮮の洪水は人災である。山の木々を伐採しつくした結果である。
さて、1910年は日韓併合の年である。
そして、この年から、韓国の「正しい」歴史認識によると、「多くの米を日本に奪われ、飢えを免れなかった」そうである。
過去130年間で、人口が食糧不足のために500万人も減少した朝鮮が更に「米を奪われた」となると、一体、日本統治時代にどれだけ朝鮮半島の人口が減少したのだろうか?
日韓併合時に1313万人にまで減っていた朝鮮の人口はどうなってしまうのだろうか?
怖れながらも、人口統計データを記そう。
1938年:2400万人。
1942年:2553万人。
あれ? おかしいぞ。
日韓併合によって、飢えに苦しんだ朝鮮人の人口が、たった22年間で2倍に増えている。
いや、おかしくなんかありません。
朝鮮総督府は、農地改革、品種改良、労働意欲の促進、灌漑用水の設置などによって、米の収穫量をおよそ2倍にしたのである。
「左翼育成大学」のICUのサヨク学生は、「全ては日本のためにやったこと」と言うかもしれない。
韓国人が、それを信じたとしても、「韓国から米を奪うためだ」と言うかもしれない。
李栄薫・ソウル大学教授は、
「食料を日本に拠出したのは市場を通じた商行為に基づくものであり、強奪したものではない」
と喝破します。
それを信じても尚、韓国人は「日本人は金にものを言わせて、韓国の米を買い占めたんだ!」と言うかもしれない。
とんでもない話です。
実際は、安い朝鮮米が日本に入ってくると、日本の農民は大打撃を受け、国会では朝鮮米に対する規制法案まで出されようかとしたくらいです。
朝鮮で豊作になると、当然、米価は下がり、朝鮮農民は困ってしまうため、朝鮮総督府は朝鮮農民を保護するため、売値より高い金で朝鮮米を買い取っているくらいです。
逆に、朝鮮で不作になると、朝鮮半島で食料不安が生じる危険がありますが、「日本に高い米価で売りたい」(物価の差があるので、日本列島にに住む人は朝鮮米は安い買い物と感じてますが、朝鮮農民にとっては高く買ってもらっていると感じている)という朝鮮農民に対し、朝鮮総督府は日本列島へ売らないように規制をしています。
以上のように、「日本が朝鮮の米を強奪した」というのは、完全な作り話であります。
そもそも、日韓併合時代は韓国人にとって、「暗黒の時代で日本に搾取され、韓国の近代化を遅らせた」時代なのでしょうか?
李栄薫・ソウル大学教授:「私が持っていた植民地・朝鮮のイメージは架空の創作物に過ぎない」
黄文雄・台湾人歴史家:「戦後、日本人が朝鮮で行ったとされるものは、ほとんどが両班をモデルにして、でっち上げられた作り話である」
台湾でも、日本の農地改革、品種改良、灌漑用水の設置は行われています。
中でも、烏山頭ダムを作り、嘉南用水路を作った八田與一は、「農業の神様」として今も尚、台湾農民に敬われています。
ところが、韓国では、日本人の功績が歪曲されて非難の対象とされています。
これが、台湾人と韓国人の民族性の違いですね。
戦後、日本から切り離された台湾と韓国が経済発展に立ち遅れているのに同情したホンダ自動車の創業者・本田総一郎が台湾と韓国に自動車作りのノウハウを伝授しに行きます。
しばらくすると、
台湾人:「試作車ができました。是非ご覧になっていただきたい。お待ちしております。
韓国人:「自動車の作り方は良くわかった。お前は二度と韓国に来るな」
温厚な本田総一郎は「二度と韓国とは関わるな」と激怒したそうです。
ある人も亡くなった祖母に、「朝鮮人は裏切るけど、台湾人は裏切らない。台湾人を大切に親交に努めなさい」という遺言を授かったそうだ。
ヒラリー・クリントンですら、「韓国人は恩知らず!」と罵倒しています。
次回は、「人よこせ」「命よこせ」神話。