安住るり

 ◆ 沖縄北部振興の中核・名護市
 
 沖縄県北部の50余りの小地区を40年前に合併してできた名護市は、沖縄本島の面積の6分の1をも占めていて、沖縄県で最も広い自治体です。
 
 県庁所在地・那覇市のある南部に比べて「遅れた地域」と見られている北部(やんばる=山原)の中核都市ですが、人口は6万人ほどで、面積の狭い那覇市の人口30万人の5分の1です。
 
 名護市役所庁舎は30年前に設計を公募して建てられました。東シナ海に面した西海岸の国道58号線を走ると目に飛び込んでくるユニークな建物です。桃色のコンクリートの巨大なジャングルジムのような外観で、その上部の角々に「シーサー」(魔よけの獅子像)が立ち並んでいます。
 
 たくさんのシーサーが「あたりを睥睨している」と書きたいところですが、ご存知のように沖縄のシーサーは愛嬌があるので、遠くから見ると可愛らしい感じさえします。それらのひとつひとつが、合併前の各地区の独自性を象徴しているのだそうです。

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沖縄全島地図。名護市はどこでしょう? 辺野古崎はどこでしょう?(撮影筆者)


 参考サイト
 「日本建築学会賞を受賞した沖縄県の名護市庁舎」
 http://www.arch-hiroshima.net/a-map/okinawa/nago.html
 「名護市庁舎建設の経緯」http://www.city.nago.okinawa.jp/4/3557.html
 「国道58号の旅」http://road.rjq.jp/route58/
 

 ◆ 辺野古地区13年の苦しみ
 
 辺野古地区は、名護市庁舎のある西海岸とは反対側へ12キロほど離れた、太平洋に面した東海岸の小さな村落です。観光の盛んな西海岸と違って、ここにはリゾート施設は何もありません。だからこそ、美しい珊瑚礁の海があり、ジュゴンも安心して棲めるのでしょう。
 
 しかし、ここも在日米軍とは「長いつきあい」です。海兵隊の「キャンプ・シュワブ」が辺野古地区の広い部分を半世紀も占有しています。
 
 アメリカの戦争の為の基地があることを誰も望んではいませんが、昭和20年代に先に土地を強制収用された南部での「圧殺された抵抗闘争」を見た辺野古の住民は、闘うよりも「基地との共存」の道を選び、米兵による犯罪などが発生しても我慢して、「友好関係」を築いてきました。
 参考サイト:「辺野古の歴史」http://www.henoko.uchina.jp/histry.html
 
 しかし、南部人口密集地にある「海兵隊普天間基地」の返還が日米政府間で決まった「喜び」と裏腹に、その「代替地」を沖縄県内に求めるという、とんでもない条件が、この人口2000人ほどの静かな村を「苦悩」の泥沼に叩き込みました。13年前のことです。
 
 その直後1997年の名護市住民投票で、新基地建設反対の意志が示され、その後の世論調査でも、常に【新基地拒否】の住民意志は繰り返し確かめられてきました。
 
 ところが、「名護市長選挙」となると、なぜか「基地容認派」の候補が当選してきました。
 
 そのワケは【基地依存の経済構造】にあるでしょう。そして、「基地受け入れ」の「見返り」としての年間100億円(執行率約7割)ともいわれる「基地関連北部振興費」に群がる利害関係者の暗躍、基地反対運動の分断工作、などがあります。
 
 米国軍産複合体の下部組織であった日本の自民党は、沖縄経済の「自立」を意図的に妨げてきました。「基地はイヤだけれども、基地がなければ喰っていけない」という「基地中毒」状態に沖縄を落とし込んできたのです。
 
 
 ◆ 日本の政権交代で局面は大転換した
 
 自民党が政権を握っている限り、基地容認派の候補が市長選に勝ち続けると思われ、そのあきらめから、市長選挙の投票率は下がり続けていました。また、「不正な投票」が横行している、という話に「イラクじゃないのに?」と私は驚きましたが、地元の人から「常識だサー」と呆れられました。
 
 日本各地にあるといわれるのは、投票日に合わせて事前に市外から組織的に「転入」してくる方法がひとつ。ほかには、会社単位などで大勢を一緒に期日前投票に送り届ける。「裏切り」がないように、記名台で隣どうしが、書いた候補者名をチラリと見せ合って確認する。そのほかの手口としては、認知症気味のお年寄りなどを車椅子で押して行って「代理投票」する。
 
 そのような「不正」防止の為に、稲嶺陣営ではボランティアが投票所に「投票監視団」などというノボリを持って、公示日から投票日までずっと立ち続けたそうです。その結果「不正投票」がほぼ根絶できて、立会人から感謝の言葉をもらったのです。
 
 過去の経験から地元の人々は、期日前投票数が前回の選挙よりもかなり多かったことを「受け入れ派」の激しい不正工作の結果ではないか、と心配していましたが、実際は「基地拒否」の意志を示したい市民の期日前投票が増えた結果だったようです。
 
 そして遂に、【新基地拒否】という名護市民の意志を体現する市長が誕生しました。
 また、人口の少ない東海岸の小さな村で生まれた者が市長になったのも、名護市40年の歴史で初めてだったのです。
 
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「ススム! ススム!」の掛け声で「道ジュネー(デモ行進のこと?)」迫力満点。1月23日市内にて筆者撮影


 ◆ 【基地と引き換え】ではない本当の【沖縄振興策】を
 
 今回1月24日の市長選挙では、得票率約55%で、はじめて「新基地拒否派」の稲嶺ススム元教育長が当選しました。最大の変化要因は、やはり中央政府の「チェンジ」でしょう。
 
 民主党連立政権の沖縄担当大臣が「沖縄振興策は基地とリンクしない」と選挙前に明言していました。
 
 その裏付けとして70億円の「北部活性化特別振興費」が予算に計上されました。また、昨夏の総選挙で沖縄の国会議員はすべて「非自民」になりましたから、辺野古への新基地建設の為の数千億円の予算が計上される見込みはまずありません。
 
 【基地に頼らない北部発展】に市民が希望を抱ける状況になったのです。
 その「希望」を「現実」にするための行動が、鳩山政権に求められます。
 
 私は今回、1月23日から25日まで名護市に滞在しました。選挙運動最終日の23日に市内で、「那覇から名護まで鉄道をひこう!」という声が聞こえてきて、そんな不可能なホラを吹くのは誰だ?と思ったら、稲嶺候補でした。
 
 選挙事務所でチラシをもらうと、そこにも書いてあります。
 
 「鉄軌道調査費計上! 夢が実現へ。名護から那覇へ電車を走らせよう!」

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ブリディ(みんなの手)で「世(ゆ)がわり」を勝ち取った稲嶺夫妻。1月24日夜、選対本部にて筆者撮影


 帰宅してから調べてみると、「実現不可能なホラ」ではないことが分かりました。
 県庁内部でも、長いこと懸案だったのです。これまで、様々な要因から、実現ができなかったのですが、このところ沖縄への観光客は増え続け、那覇空港から首里城まで走る短いモノレール「ゆいレール」が、採算ラインに乗りそうだとか、乗ったとか。
 
 自民党時代の「基地中毒政策」から大転換して、民主党連立政権が本気で沖縄振興策に取り組めば、必ず実現できる事業なのです。【南北縦貫鉄道】を背骨として、これまでとは全く違う「沖縄経済自立」のビッグピクチャーを描けるようになります。
 
 新政権による「地域主権」政策の推進によって、沖縄独自に、南西の隣国である台湾や中国との経済圏を構築することも可能です。そうすれば、原油価格が高騰したときに廃止されてしまった本島と八重山諸島を結ぶフェリー航路も、復活できるかもしれません。
 
 【沖縄本島南北縦貫鉄道】という大きな「公共事業」で、県内の建設業にも仕事が回ります。基地を巡る対立はもうオシマイです。
 
 日本中で、南の島オキナワに大きな夢を実現させましょう!
 
 
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