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浜岡停止の勝利 - 飯田哲也の楽観論と夏の警戒警報
浜岡原発に停止の要請が出た。ここ数年、いろいろな集会やデモに参加し、決議文やシュプレヒコールで政府に対して政策要求を上げてきたが、実際に実現したのは初めてのような気がする。派遣法改正も、普天間移設も、何も動かなかったけれど、浜岡原発は止まった。このアチーブの意義は大きい。粘り強く抗議と要求を続けてきた市民運動の勝利であり、何より、現地浜岡で、これまで暴力団に脅されたり、アカ呼ばわりされて村八分の迫害を受けながら、それでも屈せずに反対運動を貫いてきた、伊藤実や内藤新吾たち住民の勝利である。あらためて讃辞を送りたい。長年の努力が報われた生方卓にも祝福の言葉で労いたい。そして、この勝利は、予言者たる広瀬隆の勝利でもある。浜岡停止を導いた第一の功労者と言ってよいかもしれない。知識人の力を証明した広瀬隆に敬意を表したい。この朗報は、西の上関で闘っている住民を大いに奮励するだろう。北の六ヶ所村で闘っている住民に福音をもたらしただろう。それだけでなく、南の辺野古と高江で闘っている人々を勇気づけたことだろう。粘り強く闘い抜けば、最後は報われる、勝利を手にすることができる、そういう展望と確信を与えたに違いない。その意味で画期的だ。そして、言いたいことだが、東京の街頭をデモして歩く市民の政治と、テレビで映る政治の世界が、初めて一つの政治になった。両者が切り離されたものでないことが明らかになった。


これまで、浜岡原発の問題をマスコミは全く報道してこなかった。テレビだけ見ている一般国民には、昨夜(5/6)のNHKの7時のニュースに割り込んだ首相会見は、急に何事かと唐突に感じられたはずだ。マスコミ報道のみに接している国民は、おそらく、浜岡原発という言葉すら聞いたことがなく、浜岡がどこにあるかも知らない人間が圧倒的だろう。浜岡原発の問題が、首相が緊急会見を開いて停止要請しなくてはならないほどの重大事であり、国民的な政治的争点であったことを、多くの国民は全く知らなかったに違いない。そんなに危険な状況だったのかと驚いたはずだし、何でこれまで問題が報道されなかったのか不審に思ったはずだ。浜岡原発の問題は、クローズアップ現代で取り上げられたことはない。テレビ報道ではタブーの存在だった。上関や高江と同じだ。新聞も記事に書いていない。彼らマスコミは、それを知りながら、深刻な問題だと承知しながら、国民に隠してきたのである。知らせないように妨害してきたのであり、世論が高まるのを阻止してきたのだ。多くの国民が、今回の出来事を不意に感じるのも無理はない。しかし、ネットを見れば、原発反対の情報があるところには、必ず浜岡原発への言及があり、それが脱原発・反原発の側の第一の要求であることは一目瞭然だった。ネットの中で、浜岡原発は関心が集中する濃い存在で、喫緊で焦眉の問題で、それが薄いマスコミ世界と好対照だった。

市民がデモ行進する先頭には、「浜岡原発すぐ止めて」と横断幕に書かれている。マスコミがそれを言わず、政治が取り上げないから、けれどもこの問題が至上命題であり、生死がかかった問題だから、市民は繰り返しこの具体要求を叫び、新橋や銀座の街頭に向かって訴えてきたのである。NHKなどテレビは、デモの様子を一瞬だけニュース映像に切り取りながら、それを単に東電本社への抗議行動として見せ、浜岡原発の停止という請願の要点については触れなかった。その重大で深刻な問題を無視して説明しなかった。今回の報道でも、事態を正しく伝えていない。会見について十分な解説を加えていない。逆に、「菅首相はもっと国民に説明する必要がある」などと冗談を言っている。説明を加えるのは報道の仕事ではないか。浜岡原発の危険性について、情報を整理して国民に伝えるのはマスコミの役目ではないか。経団連と官僚の一部であるマスコミは、菅直人の決断に水を差したいのであり、邪魔をしたいのだ。浜岡原発の停止に不服で、それを肯定的な意味づけで報道したくないのである。テレビ報道は、浜岡原発が東海地震震源域の中心に位置する点は報じたが、立地している地盤が砂地で、人の手でボロボロ割れる泥岩・砂岩の上に建っている問題は言わなかった。直下の活断層については一言触れただけで、1-5号機の原子炉が直線配列でない理由が、活断層の真上を避けた設計事情についても言わなかった。

TBSのNEWS23に出演した飯田哲也は、原発は今後減少期を迎えると述べ、自然エネルギーへの転換を爆発的にする必要があると論じていた。事実として、福島の事故以降、原発の増設をこれまでの計画どおり進めるのは難しい。浜岡のように、御前崎市が交付金欲しさに増設を要望しても、静岡県が反対するという構図になる。新たに設置自治体を探そうとしても、福島の惨劇を目の当たりにした住民は、決して賛成派が多数になることはないだろう。増設ができない。これが第一である。第二に、古い原子炉は耐用年数を過ぎると廃炉せざるを得ない。ネットの情報を見ると、全国に54基ある原発の中で、70年代に建設された古い原子炉が20基ある。原電の敦賀第一と東海第二、東京電力の福島第一の1号機から6号機、中部電力の浜岡の1号機と2号機、関西電力の美浜の1号機から3号機、高浜の1号機と2号機、大飯の1号機と2号機、中国電力の島根の1号機、九州電力の玄海の1号機である。このうち、昨夜(5/7)の報道でも紹介されたが、浜岡の2基は廃炉になっている。原燃の敦賀1号機も廃炉が決まっていたが、3、4号機の新規建設の遅れを理由に無理やり動かしている。事故で昨日(5/7)停止させた2号機と共に、廃炉処分は必至だろう。福島第一の6基は永久に動かない。80年代の原子炉だが、福島第二の4基も再稼働は無理だ。飯田哲也は、「世界」5月号の鎌仲ひとみとの対談の中で、日本の原発は一気に減っていく可能性があると見通しを語っている。

日本では運転開始から40年を経過した原子炉は安全性を鑑みて順次停止されていくことになっていますが、それを踏まえると日本の原子力はもはや後期高齢者の域に突入しています」(P.120-121)。老朽化で減るのである。第三に、定期検査による停止とそこからの運転再開の困難の問題がある。原子炉は法律で13か月毎に停止して点検をしなくてはならず、浜岡3号機もそのため停止中だった。これを7月に運転再開させるということで、中部電力と静岡県が対立していたわけだが、同じ問題は他地域の原発でも電力会社と県・住民との間でも当然起きる。特に、過去にトラブルを起こした原子炉とか、プルサーマルの原子炉では住民が神経を尖らすだろう。飯田哲也は、(浜岡を含めて)停止させた原発を再稼働させる条件として、安全基準を一から見直して策定する必要があると正論を言っている。これは、現在よりも厳しい基準にするという意味で、「想定外」の論理を通用させないという意味でもある。安全基準を作り直す作業に入れば、必然的に、現在の原発を順次減らしていく計画にならざるを得ず、特に津波に対して脆弱な立地の原発については、定期点検後の運転再開が難しい情勢になるだろう。もう少し先を見通せば、2年後には衆参の選挙がある。原発とエネルギーは確実に争点になる。現状の「原子力立国計画」が政党の公約で方向転換されるのは必至で、それに向けて官僚と財界も渋々動きを合わせざるを得ないだろう。54基ある原発は、1年後には半数が停止状態になり、2年後に全数が停止していておかしくない。

安全基準が一つの争点になる。ここまでは楽観的な予測だが、これが争点になり、原発全廃へ追い込まれていく電力会社と経団連と原子力村が、この趨勢に対してどういうカウンターを用意するかを先読みする必要があるだろう。政治を考える者は、常に敵の立場に内在して、敵ならどう手を打つかを想像しなくてはならない。世論の流れを逆転させる最も有効な反撃手段を彼らは持っている。勝負は夏に来るのではないか。すなわち、猛暑で電力需要が供給量を超えたからと言い立て、計画停電をピーク時に実行するのである。しかも、関東首都圏だけでなく、中部中京圏でもやるのだ。昨年並みの猛暑が到来すれば、エアコンのない部屋で貧困な高齢者がまた死ぬ。体力のない病人の死者が続出する。そうでなくても、昨年の激暑が再来した環境で、冷房と冷蔵庫のない生活など耐えられるだろうか。節電生活だとか、節電ビズとか、それは気候のいい今だから言えるきれいごとである。東京に暮らす都会人にその地獄が忍耐できるはずがない。必ず、柏崎刈羽の2-4号機をすぐに動かせという声が上がるだろう。石原慎太郎が言い、経団連が言い、自民党が言い、森永卓郎が言い、大越健介が言い、すぐに世論の多数になるだろう。そして、浜岡原発も動かせとトヨタが言い、浜松の各社が言い、静岡県知事も同調せざるを得なくなるだろう。冷夏ならば飯田哲也のシナリオで進むが、猛暑になれば、必ず東電と経団連と経産省は謀略を仕掛けてくるはずだ。電力の需要と供給の量など、本当の情報は当事者しか分からないものだし、火力発電所を故意に故障させることもできる。

火力発電所を故障させ、3月の地震の影響が出たとか、無理に出力を上げたため不具合が生じたとか、予め用意した嘘の言い訳を大越健介に流させればいい。やっぱり原子力も必要だと、そう首都圏の人間に身に染みて思わせればいい。原発を稼働させるためには、最低2日の時間はかかる。猛暑責めの苦痛を与えれば、国民は音を上げて原発様に救いを求める。泣いて詫びて東電に頭を下げる。電力料金を上げてもいいと言う。福島への補償は国民が負担しますと言う。頼むから原発を動かして下さいと土下座する。この拷問には勝てない。放射能汚染のリスクよりも、熱地獄の苦悶からの解放を願う。だから、重要なのは、原発の安全基準もそうだが、それ以上に、火力で原発の発電量を賄えるという情報のエバンジェリズムであり、その事実認識を社会常識にすることである。マスコミ報道しか接してない人間にも、火力には十分な設備能力の余裕があり、6千万KWの需要なら、火力をフル稼働させてカバーできるという事実を一般化し確定させることである。もし、それができず、供給量の3割を占める原発がなくては日本の夏は乗り越えられないという観念を打ち消せないなら、必ず東電と経団連は謀略を仕掛け、反原発勢力を粉砕し、原発を生き残らせる方向に導くだろう。大越健介と米倉弘昌と武藤栄は、その手を虎視眈々と考えている。原発推進派の真夏のクロスカウンターである。そのきわどい観点から政治を凝視すれば、勝負は夏ではなく今なのだ。火力でも十分という認識を常識として定着させられるかどうか、それをこの1か月間にできるかどうか。

楽観視してはいけない。『坂の上の雲』の真之の辞を戒めとして引用しよう。「神明はただ平素の鍛錬につとめ戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者よりただちにこれを奪ふ。故人曰く、勝って兜の緒を締めよ」(文春文庫 第8巻 P.275)。



by thessalonike5 | 2011-05-07 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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