福井日記 No.173 クルーグマンのフリードマン批判

 

 

 ポール・クルーグマン(Paul Krugman)は、ミルトン・フリードマンをイエズス会the Jesuits)を創設したイグナチウス・ド・ロヨラ(Ignatius de Loyola)に擬している(Krugman, P.[2007])。ケインズ(Martin Luther)はマルチン・ルターである。カトリックの抑圧をはねのけるべくルターが生まれ、ルターの巨大な影響力を封じ込めるべくロヨラが活躍した一六世紀のキリスト教世界をケインズとフリードマンが彷彿とさせるというのである。言い得て妙である。

 

 クルーグマンは、フリードマンが経済学者として名声を得たのは、スタグフレーションの存在を一九六七年時点で予言していたからであると言う。それは、フリードマンによる米国経済学会(the American Economic Association)での会長挨拶の中で述べられた。同じ予言は、二〇〇六年にスウェーデン銀行ノーベル記念経済学賞を授与されたエドムンド・フェリプス(Edmund S. Phelps)によっても出されていた。

 

 インフレーションと失業との間には相反関係があるとしたフィリップス曲線(Phillips curve)は、長期的には妥当しない。労働者がインフレーションに対抗するために物価の上昇率よりも高い賃金上昇率を要求するようになり、企業が彼らを雇わなくなって失業者が増えるからである。しかし、短期的にはフィリップス曲線は妥当する。賃金の上昇が物価よりも遅れるので、企業が労働者の雇用を増やすからである。インフレーションの初期には労働者はまだ賃金を上げる意思をもたないが、長期的には学習効果が働いて高賃金を要求するようになるので、インフレーション下の失業が生じるというスタグフレーションの存在を、フリードマンは、予言したのである。

 

 それまでの米国は、スタグフレーションを経験していなかったが、一九七〇年代に実際に直面することになって、フリードマンは一挙に有名になった。

 

 ちなみに、スタグフレーションという言葉を発明したのはポール・サミュエルソン(Paul Samuelson)である。「合理的期待」(rational expectations)がフリードマン・フェリプス仮説の後に出てくるが、これは短期的にもインフレーションと失業との相反関係は存在しないとしたもので、フリードマンの「経済的人間」(Homo economicus)観をさらに推し進めたものである。

 

 「ミルトンは何を見てもマネーサプライのことを連想する。私は何を見てもセックスのことを連想するが、極力私の論文からはそのことを排除している」と言ったのは、MITのロバート・ソロー(Robert Slow)であった(一九六六年)。

 

 フリードマン、イコール、マネタリストと言われるほど、通貨とフリードマンは結びつけて語られている。しかし、現実には、マネタリズムの成功例は皆無である。フリードマンが利用されたのは、彼のマネー理論によるものではない。マネタリズムの政治的含意、つまり、政府介入を拒否するというところだけが利用されたのにすぎないのである。

 

 連邦準備理事会(Fed)は政治的に中立の存在である。このFedが通貨を安定的に供給すれば不況にはならないし、よしんば不況になっても通貨供給を増やせば乗り切れる。少なくとも政府による経済過程への介入は不必要であるというのがマネタリズムの主張である。そして、一九七九年、Fedは、フリードマンの通貨供給目標(monetary target)を採用した。しかし、早くも、一九八二年にはその政策は失敗であることが判明した。失業率が二桁に急増したのである。そして、一九八四年には公式に通貨供給目標政策は放棄された。

 

 大恐慌はFedがタイミングよく通貨供給を増やさなかったから生じたというフリードマンは、Fedが通貨を増やせるという仮定を置いてしまっている。そもそも、通貨総量と通貨ベースは基本的に異なる。Fedが発行する紙幣、銀行の預金準備率、Fedへの市中銀行の強制積み立て等々を通貨ベース(monetary base)と言う。Fedがコントロールできるのは、通貨ベースだけである。しかし、個人預金や証券などの金融資産の売買量など広い意味での通貨供給(money supply)をコントロールすることはできない。この点をフリードマンは意識していない。

 

 彼の、大恐慌を引き起こしたFed犯人説は、論点詐欺そのものである。大恐慌時には、通貨ベースを増やしても、流通する通貨総量は逆に減少する。その意味に於いてケインズは正しかった。

 

 フリードマンは、ケインズがマネーを軽視して財政政策ばかりにこだわるとして、ケインズを批判した。確かに、大不況時にタイミングよく通貨量を増やすことができれば、中央銀行による貨幣政策は有効であり、その意味において貨幣を軽視したのならケインズは批判されるべきだろう。

 

 しかし、大不況時には、いかに中央銀行が通貨ベースを急激に増やしても、現実に流通する通貨総量は増えないのが現実である。一九九〇年代末から、二〇〇〇年代初頭における日本経済を見ればそのことが示されているとクルーグマンは言う。結局、雇用を増やすべく政府の出動がなければ大不況からの脱出はできないのである。

 

 こうした現実を見すえて、肝心の米国の保守派ですらマネタリズムを否定した。『二〇〇四年大統領経済報告』(the Economic Report of the President of 2004)がそれである。

 

 安定的な着実な通貨供給ではなく(not stable, steady-as-you-go)、「アグレッシブな通貨政策」(aggressive monetary policy)が「景気後退の深刻化を緩和できる」(can reduce the depth of a recession)と宣言したのである。これは、米政府自身が、「明確な反マネタリスト宣言」(highly anti-monetarist declaration)をしたことを意味する。

 

 クルーグマンは、大恐慌時の通貨ベースと流通通貨量の数値を説明している。フリードマンの批判に反して、当時のFedは通貨ベースを急激に増やした。一九二九年に六〇億五〇〇〇万ドルから一九三三年には七〇億二〇〇〇万ドルと一〇億ドル近くも増やした。ところが、通貨供給量は同期間に二六六億ドルから一九九億ドルと六〇億ドル近くも減少したのである。

 

 これは銀行が相次いで破綻したからである。銀行に対する人々の信用がなくなり、人々は預金を引き出し、現金を手許に置くようになったのである。一九三〇〜三一年のことであった。取付に怯える銀行もまた貸付金を回収し、大量の現金を保有するようになった。このことから企業に資金が回らなくなり、企業倒産が増え、それがまた銀行破綻を増加させた。こうしてマイナスのスパイラルが生まれてしまった。

 

 フリードマンとアンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)は、一九六三年の『一八六七〜一九六〇年の米国通貨史』(Friedman & Schwarts[1963])段階では、通貨供給量の減少が大恐慌を生み出したと言っていたに止まる。Fedが通貨供給量を増やさなかったと言ったのではなく、Fedが銀行を救済しなかったことを非難していたのである。それがいつの間にか、後になって、Fed犯人説にまで突き進んでしまったのである。

 

 まず、一九六七年の上記の米国経済学会での挨拶の中で、「米通貨当局がデフレーション政策をとってしまった」、「連邦準備制度に通貨ベースを削減するように、政府が強制したか黙認した」と言うように、フリードマンの言動は変質した。これはとんでもない捏造である。Fedは、通貨ベースを増やしていたからである。そして、一九七六年に『ニューズウィーク』(Newsweek)で、「大恐慌は政府の誤った管理によって作り出された。これが真実である」と書いた。どう見ても、これは政府犯人説である。

 

 フリードマンは、大恐慌が政府の失敗によって引き起こされたということを、歴史的、理論的に証明したわけではない。ただ、反政府キャンペーンの口実にその主張をしたに過ぎないのである。

 

 クルーグマンは、フリードマンの詭弁を批判する。インフルエンザが蔓延したとしよう。後になって、政府は蔓延を防ぐもっと有効な対策を取れたはずだとは言える。しかし、政府がインフルエンザを蔓延させた犯人であると言い切ってしまえば、それは行き過ぎであろう。フリードマンはそれを言ってしまったのだとクルーグマンは切り捨てる。

 

 フリードマンが、自由市場経済学者としてデビューしたのは、一九四六年のパンフレット『最近の住宅問題』(Friedman & Stigler.[1946])によってである。

 

 これは戦後直後の住宅価格統制を批判したものであった。これは、ジョージ・スティグラー(George, J. Stigler)との共著である。このパンフレットの出版元が名うての保守主義推進団体の「経済教育財団」(the Foundation for Economic Education)であった。この財団は、リバータリアンの福音を無政府主義に行き着くぎりぎりのところにまで広めようとし、その理事には、これも極右・反共団体、「ジョン・バーチ協会」(the John Birch Society)の創設者、ロバート・ウェルチ(Robert Welch)がいた。

 

 ロバート・ウェルチは、「ウェルチぃ、飲むぅ?」の強烈なCMを流したウェルチ社の初代会長である。

 

 彼は、第二次大戦中、蒋介石支援の諜報活動中に華北で暗殺された米軍の情報将校、ジョン・バーチの名を冠した「ジョン・バーチ協会」を一九五八年に設立した。強烈な反共・反連邦・反ユダヤ主義で、「対外援助廃止」「NATO脱退」「国連反対」を唱えるなど、孤立主義的傾向も強く、自分たちの活動に異議を唱える者は、すべて国際共産主義者の手先と見なして攻撃・糾弾した。アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower, 1890〜1969)、トルーマン(Harry S. Truman, 1884〜1972)などもその対象となった(http://d.hatena.ne.jp/indow/20040703)。

 

 フリードマンは、以来、たった一つのこと、反政府を唱え続けてきた。教育の民営化、医療保険の民営化、麻薬の放置、空気汚染権の売買、学校バウチャー制度、医師免許制度の廃止、食料・薬物局(the Food and Drug Administration)の廃止、要するにすべてを市場の力によって解決しろというプロパガンダだけを叫び続けたのである。それが、時代にマッチしたのである。

 

 フリードマンは、反ケインズ主義の潮流に乗って登場した。それはケインズによる宗教改革(reformation)に反対する反宗教改革(counter-reformation)の潮流であった。しかし、いま必要なことはこの反宗教改革を覆す「反反宗教改革」(counter-counterreformation)である。