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★この世をば…道長が詠んだ満月、
 1千年後の今宵も夜空に
 朝日新聞 2018年11月23日18時08分
 https://www.asahi.com/articles/ASLCR0H01LCQUEHF00F.html
平安時代の貴族、藤原道長(966~1027)が
「この世をば
 わが世とぞ思ふ望月(もちづき)の
 欠けたることもなしと思へば」
と詠んでからちょうど1千年後の満月が
23日夕、昇った。
栄華を極めた藤原氏の時代は移り変わったが、
望月はなお欠けることなく地上を照らし続けている。

 平安の貴族・藤原実資(さねすけ)の日記
「小右記(しょうゆうき)」や道長自身の日記によると、
道長はこの歌を
寛仁2(1018)年10月16日に詠んだ。
兵庫県の明石市立天文科学館の
井上毅(たけし)館長が調べると、
この日は確かに満月だったという。
今年の旧暦10月16日は11月23日だ。


有名な藤原道長の読んだ和歌。
でも、この歌は
道長が書き留めた歌でも
歌集に掲載されたものでもない。

藤原実資が
日記『小右記』に書き留めたので
後世にまで有名な歌となった。

当時の状況から

”道長の長女・彰子(しょうし)は
 一条天皇の中宮となり、二人の皇子を生んだ。
 この皇子達は、
 のちに後一条天皇と後朱雀天皇となる。

 道長が52歳の1018年、
 彰子と腹違いの娘・威子(いし)が
 後一条天皇の中宮に入内することとなり、
 その立后の日の
 (旧暦10月16日・新暦11月26日)
 本宮の儀の穏座(おんのざ)で
 即興で詠んだ歌。” 

その場に同席した藤原実資が、
日記に宴の詳細を書き留めた。
即興で詠われたこの歌が
道長の「驕り高ぶった権力者」の象徴
と、解釈されている。


ちょっと違う視点での分析
★藤原道長が奢り高ぶっていた
 というのは本当なのか
 https://kusanomido.com/study/16947/

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)














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最終更新:2018年11月24日 22:12