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+ 関連web記事
■ 極東での惨劇 「世界史の目」より
■ シベリア出兵とは何だったのか 「現代企画室」より
■ シベリア出兵 「インターネット最高傑作リンク集:歴史年表」より
■ シベリア出兵の真実 「正しい日本の歴史」より
  (※↑この記事中で扱っている尼港事件は1920年春のことであるが、その前年1919年3月に起こったイワノフカ事件について触れていない点において、公平性を失っていると思う。)
■ 日本が戦った第一次世界大戦:シベリア出兵①
  (※mono....歴史的経緯が詳細に記述されている。)



■ 慰安婦合意の見直し勧告と関東大震災周辺のこと 「DEEPLY JAPAN(2017.5.14)」より
(※mono....エントリー内容はそれぞれ関連があるのだが、ここでは「シベリア出兵」に直接言及している部分のみ。詳細はブログ記事で)
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■ シベリア出兵こそミッシングピース論再び

で、この関東大震災時に起こったおそろしい話を描いた本は何冊か読んだけど、でも、思えばそれらの本では、朝鮮との関係で三一独立運動をあげる人はいるが、シベリア出兵を絡めて来たものはほとんどなかったという点をちょっとメモしておきたい。

シベリア出兵ではなくて米騒動として、国内では労働者一般の不満の高まりと絡めて、国の側はそもそも民衆の暴動を恐れていたんだ、みたいな展開は読んだし、それはそうなんだろうと私も思ってる。

つか、明治政府って日露戦争あたりから後の統治に失敗してたんじゃないか、という視点を持って眺めるのもいいのではないかと最近思ってる。一つには産業構造の変化によって、貧しいが農民というポジションの特質として食べ物を自給できる可能性のあった人々を大量に、なんでもかんでも賃金次第にしてしまったため、物価動向によっては不満が暴発に代るポテンシャルを常に抱えることになった。これって、先進国がみんな通った道ですね。で、明治朝政府はこれを外に棄民していってみたり、なんだりかんだりしたんだが、結局これを最後まで解決できなかったんだと思う。

そっちの話はともかく、しかしながら、関東大震災を巡るある種の暴発の物語にシベリア出兵という大失敗という補助線を引いてみると、明治朝政府の特に陸軍が陥っていた混乱は通常考えられているよりずっと大きかったんじゃないのかな、と思う。

シベリア出兵がタブーになっているという話はこのへんで書いた通り。


(※mono....中略)
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今日はまとめる余裕がないですけど、こうやっていろいろ並べて書いてみると大正時代の出来事が実のところ今に至るまで未解決で引きずっているんだなぁと感慨深い。そして、シベリア出兵について、今もって日本史の専門家の人たちが沈黙していることが、それによってこれが結構な謎なことがわかるばかり、って感じ。

そしてもう一つ。一般にネトウヨと言われているある種のムーブメントは、ひたすら大日本帝国陸軍を庇っているようだ、というのもポイントなんでしょうね。多分、それは戦後の自衛隊の成り立ちとも関係するんじゃないかと考え出すと、さらに理解が進むような、面倒なようなといったところ。




















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最終更新:2017年05月15日 20:31