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■ いつも更新ご苦労様です。佼成病院看護師です。 「二階堂ドットコム(2017.4.26)」より
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<看護師FJさんより>いつも拝見しています。佼成病院の件、よくご存じですね。新宿労働基準監督署の所長の件ですが、何か人に言えないこともあるようです。看護師400人が不払いを申し立て、医師も10人程度が申し立てているのに動かないなど愚の骨頂。私たちは看護師政治連盟を通じての活動で、杏林大学が管理してからの不払いを佼成病院にもとめ、集団訴訟の準備もしております。みなさんは宗教関連の病院なので全員が立正佼成会の会員だと思われる方がいらっしゃるでしょうが、全然そんなことはないのです。単なる就職先という人がほとんどです。

ところで、産業医という制度をご存知ですか。立正佼成会の理事と組んでいるのか、産業医制度を悪用しているのです。
+ 続き
佼成病院の佼成会の産業医は、佼成病院の副院長が兼任しています。その副院長は、杏林大学から派遣されていて、どうも、病院内すべてを杏林で乗っ取り、機関病院とするように動いているらしいのです。ただ、杏林大学の経営陣によれば「一部そういう勢力があるが、赤字を10億も出すような経営感覚のない奴は本体にいらない」ということですので、どうも、島流しのようになっているようです。それで残業代の不払いを組織立って行っているというのですからあきれます。もうすぐ訴訟に移りますので、大変になると思いますけど自業自得です。

また、杏林に取り込まれた別の副院長は威張っているのです。杏林に協力しなかった、前の看護部長は、パワハラを受けて鬱になり、辞めました。

副院長は人件費を下げるため、医師や看護師の残業代を削るよう、事務に指示しています(すでに聴取済みで、弁護士さんには話してあります)。

立正佼成会は、そういうパワハラしたり、残業代を不正に減らす医師であることを知りながら、前の産業医をクビにして、産業医に雇っているのです。杏林大学もおかしな人ばかり送り込んでこないで少しはまともな人を送り込んでほしいものです。

以上、すこしでも知ってもらいたくて書きました。

+ 続き
(コメント)思っていたより内情はひどいようですね。残業代の不払いが数百人規模に上るのに、訴えても「うちには700件仕事が残っているんだ」といって調査に入らない新宿労基署。そもそも700件も残っていること自体が異常で、署長の無能をさらけ出しているにすぎません。そのうち人事で飛ばされるでしょう。

そろそろ、橋本龍太郎の息子である橋本学の収支報告でも見ながら、出していこうかと思います。奴は厚生部門担当の副大臣でしょうが、そんなことは知ったことではありません。責任者の一人には変わりありません。革命的マルクスだった塩崎は言うに及ばず、です。

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■ 新宿労基署長、仕事を先送りへ 「二階堂ドットコム(2017.4.23)」より
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訴えがあっても、部下に

「既に似た案件が、700件あると言え」

と、部下に指導して、仕事をしないようにしているようです。(部下の証言あり)

厚労省の本省担当はどんな人事やってるんだ。新宿労基署長はキャリアかもしかして?名前でも書いて毎日連呼してみるか。

なんでですかー

ってw

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■ 新宿労基署、署長が訴えを取り上げず 「二階堂ドットコム(2017.4.20)」より
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宗教法人立正佼成会が運利する佼成病院(東京・杉並)に勤務する複数の医師が、残業代の未払いおよび手当等の不払いの訴えをするも、新宿労基署はなぜか動かず。

関係者によると「新宿労基署長が動かないからできない」と、新宿労基署の担当職員から連絡があったという。カネでももらってるの?塩崎事務所に言った方がいいのかなぁ。

なお関係者は、病院を相手取り未払い等の訴訟を提起する模様。

その訴えの一部は以下の通り。なぜ労基署が動かないのかわかりませんね。担当者が「署長が動かない」とはっきり言っていますよ。これは問題化すれば楽しいことになりそうですね。塩崎事務所に誰を行かせよう(・∀・)

1. 勤務は4週8休としながら、医師に週6日勤務を強いた。
2. 上司に強制して、月に150を超える時間外労働を、30時間以内であるとした。
3. 当直していることを把握していながら、医師本人が申請を忘れたら、当直料を払わなかった。
4. 看護師の時間外勤務を、2ヶ月前に変更するまで、過小申請するように強制した。

なお、看護師の実労働をみるのに必要な、電カル管理者の名前も新宿労基署に通知済みとのこと。

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■ 立正佼成会に人気があるらしい。 「二階堂ドットコム(2017.4.7)」より
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タレコミがまた来た。うちは宗教団体の戦場じゃないんだぞ(笑)でも面白いから載せとこう。

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<佼成会幹部とおぼしき人より>立正佼成会佼成病院の年度末手当、佼成会内部で、問題なんだそうです。ボーナスではない謎の年度末手当。しかも支払いは現金。しかもどうも、源泉徴収されてないみたいなのです。

(※mono....以下略)

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■ コウセイ病院 「二階堂ドットコム(2017.3.2)」より
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残業代等の未払いで従業員が労基署に告訴した模様。人数は不明ながら、かなりの金額にのぼるおそれ。

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■ 立正佼成会は白真勲なんか応援するからこけるんだ 「二階堂ドットコム(2017.2.2)」より
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仏罰だよ。

昨日、佼成病院に入院している佼成看護学校の元教員が死にかけた。そんな立正佼成会の幹部の話。

「佼成会自体、運営している理事長と、No.2の常務理事が、自分達のイエスマンしか採用しないため、ボロボロになってる」

とのこと。健康保険組合も崩壊していてどうしようもないと。

つまり、佼成病院の問題は、この2人を会長がクビにしない限り、良くならない。というより、佼成会自体が存続の危機だという。沖縄にも支部があるくらいの全国組織、いや海外にもあるのにねぇ。すっかりダメになりましたね。

会員も減って大変で、会の運営は理事長達のせいで危機的。

「私も見切りをつける。公開していただいてかまわない」

というので公開する次第です。南無阿弥陀仏。

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■ 立正佼成会佼成病院 「二階堂ドットコム(2017.1.26)」より
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先日、新宿労働基準監督署による佼成病院への調査が入る旨お伝えしたが、どうも、告発医師たちから漏れ伝わる話を聞いていると、看護師や事務職員の残業代もまともに支払われていないらしい。

ただ、もっと重大な事実があることを耳にした。労基署の取り扱う事案ではなく、上部組織の厚生労働省の「医療Gメン」あるいは警視庁が捜査する事案だ。それはなんと、

「看護士が、医師の関与なく患者を診察、処方箋を提供。もちろん、健康保険請求もしているケースがある」

というのだ。残業代未払いを告発した医師のAさんはいう。

(※mono....以下略)

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■ 立正佼成会の佼成病院に労基監査 「二階堂ドットコム(2017.1.23)」より
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佼成病院、労基署が立入検査。不当に100時間ぶんの残業代を払わないなど、かなり悪質なケースも見受けられる。杏林大学が研修病院としているが、毎年10億の赤字を垂れ流していることも関係しているだろう。

(※mono....以下略)

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■ 東京・立正佼成会の佼成病院の売上が悪いらしい 「二階堂ドットコム(2016.12.9)」より
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杏林が乗っ取りに来てから、医師もたくさん辞めて、職員もやめて。。ほんと人気ないらしい。
俺も杏林とか金沢医大とか札幌医大とか、そのレベルの奴に診察してもらいたくないわ。

(※mono....資料画像略、詳細はブログ記事で)

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■ 杏林大学は 「二階堂ドットコム(2015.7.1)」より
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立正佼成会の病院をいくらで手に入れようとしてるの?まさかのタダですか・・・。

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■ 大手ゼネコンも絡む!立正佼成会のトラブルとは! 「二階堂ドットコム(2015.1.18)」より
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創価学会は鹿島使っていたけど、、立正佼成会は・・・!

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立正佼成会がゴタゴタしてます。病院を、建て直すのに、災害拠点病院指定されているため、



★ 小児科医の過労自殺、最高裁で和解が成立 「日本経済新聞(2010.7.8)」より
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 立正佼成会付属佼成病院(東京・中野)の小児科医だった中原利郎さん(当時44)が自殺したのは、過労によるうつ病が原因だったとして、遺族が病院側に損害賠償を求めた訴訟は8日、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)で和解が成立した。病院側が遺族に700万円の和解金を支払う。

 最高裁は和解条項の冒頭で「裁判所は、より良い医療を実現する観点から和解を勧告した」と説明。医師不足を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを、遺族側と病院側双方が確認することなどが盛り込まれた。

 妻ののり子さん(54)は「より良い医療の実現のための和解が、医療崩壊の阻止につながると信じる」と和解に応じた理由を話した。自身も小児科医の長女、千葉智子さん(28)は「医師が現実に絶望して医療界を退くような社会は変わってほしい」と訴えた。

 二審・東京高裁判決によると、中原さんは1987年から同病院に勤務。99年3月から6月ごろにうつ病を発症し、同年8月に飛び降り自殺した。一、二審とも賠償請求が退けられ、遺族側が最高裁に上告していた。

 一方、労災認定をめぐる別の訴訟では東京地裁が2007年3月、労災と認める判決を言い渡し、確定した。


■☆ 佼成病院に関する訴訟の和解について 「立正佼成会理事長 渡邊恭位(2010.7.12)」より
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平成22年7月8日、最高裁判所において、立正佼成会は、佼成病院で平成11年8月16日、中原利郎医師が投身自殺された件について、ご遺族との間で和解をさせて頂きました。
裁判の中では、私共に対し、「リストラをして医師を辞めさせた」「小児科の売上げを上げろと医師に言っていた」など、事実とは異なるさまざまな指摘がなされました。またマスコミにおきましても、不見識な病院という趣旨の報道が相次ぎました。インターネット上にも、批判的な意見が数々書き込まれました。誤解が、また新たな誤解を生むという状況に、私共は、大変心を痛めておりました。
私共関係者で対応を協議する中、こうした誤解を根本から解くには、各方面への徒(いたずら)な発信・発言によるのではなく、事実を証拠によって明らかにするほかに道はないとの結論に至り、眼前の裁判に臨んできたところであります。 裁判は、1審、2審ともに、本会が勝訴判決を得ました。その後、和解という決断を致しましたのは、最高裁判所の格別の配慮があってのことはもちろんですが、社会はじめご遺族に、私共の立場をご理解頂く機縁になるのではないかと考えたことによります。また、より良い病院経営を目指してきたにもかかわらず、医師の自殺という不測の事態が生じてしまった現実を直視しなければならないと受けとめました。そして、二度とこうした悲劇が繰り返されないことを願いつつ、和解に応じさせて頂きました。

+ 続き
この度の和解の根幹となる和解条項は、決して勝ち負けという価値観で判断すべきものではありません。特に4項には、「当事者双方は、今後、本件事案並びにこの和解の経過及び結果を公表する場合には、原判決認定事実(原判決が引用する第1審判決の認定事実を含む。)を前提としてこれを行い、相手方病院を含む我が国の医療現場におけるより良い医療を実現することを希求するという本和解の趣旨を十分に尊重し、相手方当事者を誹謗(ひぼう)中傷しないことを相互に確約する」とあります。
これは、裁判で証拠をもって認定された事実を大前提とし、この認定事実に反したり、認定されていない事実を前提とした議論を行うといった誹謗中傷は、今後一切しないという条項です。さまざまな証拠を出し、検討が尽くされてきた結果が実を結んだものと言うことができます。
ご遺族はご遺族のお立場で、また私共は私共の立場で、この訴訟に関(かか)わってまいりましたが、裁判所は、その経過、その結果生じている事態を見据えた上で、「我が国におけるより良い医療を実現するとの観点から、当事者双方に和解による解決を勧告した」としています。そして、「当事者双方は、原判決が認定した中原医師の勤務状況(相手方病院の措置、対応を含む。)を改めて確認するとともに、医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを相互に確認して」、和解条項の内容で和解し、「本件訴訟を終了させる」こととしたものです。 さらに私共は、和解調書第1項において、「中原医師の死亡が新宿労働基準監督署長により労災認定された事実を真摯(しんし)に受け止め、同医師の死亡に深く哀悼の意を表する」との一文を明記させて頂きました。佼成病院にとって、中原先生は同僚であり、後進の者を育成するかけがえないリーダーでもありました。改めて衷心より哀悼の意を表したいと存じます。
この度の訴訟に関しましては、会員の皆さまをはじめ、多くの方々にご心配をおかけしておりました。最高裁判所より頂きました和解の機会は、こうした状況を前に、佼成病院が地域医療に正面から復帰できるようにとのご配慮でもございました。もとより、私共は、これまで各方面の方々より頂きました種々のご指摘につきまして、受け入れるべき点は、謙虚に受けとめ、今後の病院経営に活かしてまいります。そして、心の通い合う病院づくりに向け、一層努力していくことをお誓いし、ここにご報告とさせて頂きます。

平成22年7月12日

(2010.7.16記載)

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■ 11年間の闘いを終えて 【第118回】中原のり子さん(医師過労死裁判の原告)キャリアブレイン 「asao8148の日記(2010.8.16)」より
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11年間の闘いを終えて
【第118回】中原のり子さん(医師過労死裁判の原告)
最高裁による和解勧告を受け、勤務医の働き方をめぐる11年にわたる闘いが7月8日、決着した。
1999年8月16日、小児科医の中原利郎さん(享年44歳)が勤務先の病院の屋上から身を投げた。「不十分な人員と陳腐化した整備のもとで行われている、その名に値しない(その場しのぎの)救急・災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません」(原文のまま)との遺書を残しての自殺だった。以来、妻のり子さんは当直の過重性を認めるよう司法の場で訴え続けてきた。その結果、最高裁が示したのは「我が国におけるより良い医療を実現するとの観点から」という、異例とも言える和解勧告だった。
一方で、この11年の間にも着実に進んだ医療崩壊。長い年月にわたる法廷闘争を乗り越え大きな手応えを感じながらも、のり子さんの胸中は複雑だ。(田上優子)
―民事裁判と行政裁判、2つの裁判がようやく決着しました。
当たり前のことが認められるまでに11年もかかったのかというのが正直なところです。夫は労働災害で、仕事が原因で亡くなった―。それだけを訴えるのに11年かかったというのは、何か社会的なシステムに問題があったのではないかと思いますね。

+ 続き。なお詳細はブログ記事で
■医師が仕事で死ぬのは「戦死」
夫が亡くなった11年前はひどい年でした。横浜市立大病院の患者取り違え事件、東京都立広尾病院では消毒剤を誤って点滴した事件があり、その後、杏林大病院で割りばし事件があり、とにかく医療者の失敗や事故だけが大きく叫ばれました。
その一方で同年1月、97年に女性の小児科医が千葉県内の大学病院の当直のベッドでくも膜下出血に倒れ、2週間後に亡くなって、労災が認められました。4月には山梨県の甲府で、96年に亡くなった産婦人科医の労災認定が下りました。8月に主人が亡くなり、9月には都立府中病院の医師が自死しました。公平な目で医療界を見ると、医師側にも同情的なニュースがあってしかるべきなのに、患者の取り違えや、医師の怠慢、医療ミスで患者を死なせたという報道一色でしたね。
―世論が医者側に不利な状況ができてしまっていた。
マスコミがおおむねそういう流れだったのは確かです。夫の死でわたしが「絶対に労災申請する」と宣言した時も、周囲は止めました。親しくしていたのに離れていく人もいて、寂しい思いもしました。自分のやっていることは違っているのかなと。当時わたしを止めた人たちは、「仕事が原因で医者が死ぬのは仕方ない。戦死だ」と言いました。でもわたしは納得できなくて、1人でもやろうと決めました。
2001年の労災申請は1年半後に不支給決定を受けました。労基署からはその時、「中原先生には仕事以外に亡くなる理由はないかと思う。ただ、当直は労働時間とは認められていないので、8回の当直は長時間労働でもないし、過重労働とも認められない」と言われました。月に8回なら、週には2回です。朝8時に出勤して、帰って来るのが翌日の午後5時、6時になることも度々ありました。それだけ病院に缶詰になって、へとへとになって帰って来て、体を引きずるようにしていたのです。それなのに当直が労働時間じゃないと言う。それで、「月に何回当直をしたら労働時間として、過重労働として認められるのか」と聞いたら、首を横に振るだけで何も答えてくれなかったですね。
ならば、当直がどれだけ過酷かを証明しようと、1人の同僚の先生が「本当に大変だった」ということを何度も繰り返し訴えてくれました。それが裁判でも証言として採用されて、04年12月に起こした行政裁判で、3年後にようやく勝訴しました(07年3月14日、東京地裁判決)。
しかし民事判決は違いました。「そうは言っても、当直で患者が来ない時にはよく眠れるのだから。たまたま多く来る日があるかもしれないけど、ない日もあったのでは」という趣旨の判決でした。当直時の睡眠の質がどれだけ悪く、過重な負担になっているかがまるで分かってもらえていないのだと感じました。
東京高裁に控訴する際には、全国の小児科医に「当直アンケート」を取りました。記述式で、「月8回の当直をどう思うか」「小児科医の当直は、平均3.5回。中原は5.7回だった。それについてどう思うか」「あなた自身は当直によってどんな身体的な負荷があるか」などを聞きました。どれも切実な回答でした。小児科の先生たちが署名入り・記述式で、名前や病院名を明かした上で、一つずつ証言が積み重なった結果、高裁判決では当直や勤務の過重性と、労働と死亡との因果関係が認められました。
だけど病院側の自殺の“予見可能性”が認められなかった。夫は遅刻も欠勤もしたことがなく、泣き言も言わず、「人を増やしてくれ」と言ったことがなかった。だから「そこまで大変だと病院側が知り得なかった」という判決内容だったのです。
―活動の手応えが感じられるようになったのは、いつごろからですか。
07年ごろからでしょうか。現場から、勤務医の大変さを声に出して訴えようという動きが出てきました。勤務医メーンの全国医師連盟ができ、勤務医の労働環境の改善を目指す全国医師ユニオンがつくられ、自分の身は自分で守らないと駄目だということが理解されてきたのだと思います。現場からの声が少しずつ集まるようになって、その結果、労基署が病院に立ち入り調査したり、奈良の産婦人科医が時間外労働訴訟を起こしたり、少しずつ現場が動き出したことが、わたしにとっては大きな手応えでした。
■中原医師と、遺書『少子化と経営効率のはざまで』
―中原医師の働きぶりを間近で見ていて、どう感じましたか。
1996年3月までは、内科系の当直を月3、4回、プラス月2、3回の宅直でした。それが4月から急激に体力的にハードになり、疲れて不機嫌なことが多かったです。当直明けは、疲れて家族に当ることもありました。わたしは「そんなに仕事が原因でストレスがたまるのなら、辞めれば」と言ったこともあります。すると夫は「小児科は自分の天職だ」と言いました。「自分がいなくなると、小児科がなくなりかねない」と。もう、それ以上は言えなかったですね。彼がどれだけ一生懸命やっているか分かっていたから。
99年3月に月8回の当直をしたあたりから、疲労困憊という状態でしたね。亡くなる前の7月下旬には、「もう無理かも。病院を変わろうかな」と漏らしたこともありました。その後の1週間の休暇に話し合いをして、辞めるなら、早く上司に伝えるべきと言うと、夫は休暇が終わった後でと答えました。         
最後になった8月15日の晩は、当直ではありませんでしたが、夫は「これから当直だ」と言って出掛けました。夫はいつもサンダル履きで出掛けていたのですが、その日はなぜか、新品のポロシャツを引っ張り出してきて、いつも通りにサンダルを履きかけて、革靴に履き替えた。変だなと思いましたが、退職のあいさつに行くからきちんとしようという彼なりの礼儀だろうと送り出しました。そして出がけに「退職の話、ちゃんと言ってね」と念押しすると、「分かった、分かった」と答えました。それが最後のやりとりでした。
夫が亡くなった時には、確かに夫自身に対する怒りもありました。なぜ取り返しのつかない、とんでもないことをしてしまったのかと。でも、夫が自席に遺した遺書「少子化と経営効率のはざまで」を読んだ時、全く驚きませんでした。「医療費抑制政策」「小児科切り捨て」「不十分な人員」―。それは彼が、家族だんらんで楽しいことを話している時でさえも口癖のように言っていたこと、心配していたことでしたから。夫の遺書を読んで、悩みの種はこういうことだったのかと分かったのです。
■「犠牲的精神」の弊害
―過労も「うつ」も本人の自覚次第。自ら言い出しづらいのが実情では。
そうですね。医師たちは「犠牲的精神」「聖職者意識」などと言って我慢してきた。中には、「おれは寝ないでオペを6つやったんだ」とか、「自分は丸1か月家に帰っていない」と言って、後輩を鼓舞する医師もいたと聞きます。もしかすると、今でもそういう風潮が残っているかもしれませんね。
―医師たちが、自分の置かれた状況の異常さに気付かないといけない。
そうです。わたしにとってみれば一番の敵、ある意味一番手ごわいのは医師自身です。医療者が、「自分が頑張れば」という旧態依然とした考え方を打ち破らないと、絶対に変わらない。
―所属している組織に物を言うのは、特に医師の世界では難しいのでは。
きついと思います。特に勤務医の先生たちは雇われの身なので、なかなか言いづらいですよね。組織に対してだけでなく、患者への影響もあります。だから夫にとっては、仕事を辞めることは死ぬよりつらかったのでしょう。患者さんやほかのスタッフに迷惑を掛けるくらいなら、逆に死ぬ方が楽だったのかなと。
でも、現場から変わろうという気持ちがなければ、何も変わらない。遺族でも、ここまでできたのは、現場で経験された方、苦しんでいる方の支援があったからこそです。現場からの発言が一番有効ですが、わたしにできることがあれば、お手伝いしたいです。
■夢や希望が挫折しない現場に
―現場の医師たちにメッセージを。
現場で働いている人たちの夢や希望や誇りを持ち続けられる現場を守ってほしい。皆さん希望を持って、大変な勉強をして医学部に入り、国家試験に合格して、医師になったはずです。しかし、医師だって人間です。父親であり、母親であり、夫や妻なのだから、健康を害するような労働環境であってほしくない。
夫は幼いころから、小学校の先生か小児科医になることが夢でした。わたしは、彼が医学部の5年生の時に知り合い、彼が小児科医になるのは、当然のこととして受け止めていました。一から階段を上って行き、小児科医としてキャリアを積み、患者・家族から慕われ、自信を持っていた時期もありました。誇りもあった。でもそれを持ち続けることができなかった。そのモチベーションを維持できなかったのが、一番つらいことですよね。
―それでも、小児科医になるのは必然的だった。
そう、必然的に。でも、その必然という言葉を考えたときに、この小児科、医療界を取り巻く問題を世の中に伝えるために、死ぬ運命に彼が選ばれたのだとしたら…。あまりに悲しい結末です。
8月16日。間もなく11年目の命日を迎える。

ーーーーー
■ 中原利郎さんを惜しむ 「特定非営利活動法人 働く者のメンタルヘルス相談室公式サイト」より
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中原のり子です。

亡夫・中原利郎の過労自殺について、病院の管理者責任を問う民事裁判は、

2008年10月に東京高裁で敗訴。

2009年2月に最高裁判所より上告受理申立の事件番号を得てから丸一年経ちました。

最高裁が上告を受理し、高裁判決を破棄して、

自判(最高裁判決)か、高裁差し戻しとなることを強く望んでおりますが、

棄却される可能性も多分にあります。

最高裁の裁定が遠からず来ることを予測して、

署名と応援メッセージの活動をさらに躍進させたく存じます。

この裁決が、医療者のみならず、働く人のいのちと健康を守る

礎となることを願い、せいいっぱい努力いたします。

+ 続き。詳細はサイト記事で
◎現在、応援メッセージは316人分です。


◎応援メッセージ(最高裁へのメッセージ)はこちらからお願いします↓


お一人お一人の声が、最高裁の正しい判断につながると信じています。

文章は短くてもけっこうです。声の積み重ねがなによりの力となります。

応援メッセージへのご協力と、できましたらこのメールを、

皆さまのお知り合いの心ある方にご転送いただけたら幸いです。

4月23日の最高裁要請行動に、

皆さまからの応援メッセージを携えてまいります。

なにとぞご支援、ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

(※mono....中略)

中原のり子さんの訴えに答え、筆者は10人の医師に手紙を送った。すべて高校か大学の同窓生(同期)である。
この中の何人が動いてくれるのか、不安はあるが希望は捨てないでおこう。2010.4.1

(※mono....以下略)



















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最終更新:2017年04月26日 17:15