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■ 日本が「専守防衛」を放棄したのは四半世紀前の話 「櫻井ジャーナル(2018.12.19)」より
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 日本人が「専守防衛の空洞化」を懸念すべき時は過ぎ去って久しい。今さら懸念しても仕方がない。日本政府は遙か昔に専守防衛を放棄したのだ。そうした視点から日本の軍事政策を見る必要がある。


 2015年に就航した海上自衛隊の「いずも」を国外では当初から「空母」に分類することが珍しくなかった。艦首から艦尾まで平らな「全通甲板」を有し、垂直離着陸が可能なMV22オスプレイやステルス戦闘機F-35Bの離発着が想定されていると見られていたからだが、その外観は2014年にアメリカ海軍が就航させた強襲揚陸艦「アメリカ」を連想させる。沖縄の基地問題にしろ、イージス・アショアの配備にしろ、「専守防衛」を前提にした議論はおとぎ話にすぎない。


(※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で)
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 そうした流れをネオコンたちは軍事的な恫喝(核戦争の脅し)で止めようとしたが、失敗した。アメリカ軍は艦隊を派遣しての威嚇、ミサイルの配備や軍事演習などで恫喝を続けているが、ここにきてロシア政府はアメリカやイギリスの支配層に見切りをつけ、軍事力を前面に出し始めている。


 例えば、シリアではイスラエル軍に対する反撃を容認、​ベネズエラ​へは2機のTu-160戦略爆撃機を派遣、ベネズエラ軍のSu-30戦闘機とF-16戦闘機を伴ってカリブ海上空を約10時間にわたって飛行している。爆撃機の派遣は、ドナルド・トランプ政権に対し、INF(中距離核戦力全廃条約)から離脱した場合に何が起こるかを示したのだとも言われている。アメリカ支配層の命令に従って軍備を増強し、侵略戦争の準備を進めた場合に何が日本の周辺で起こるのかも暗示している。



 4月10日、自民党拉致問題対策本部が新たな提言をまとめ、12日、安倍晋三首相に手渡した。その中に、「北朝鮮と取引する第三国の金融機関や企業などを対象に、資産凍結を含む二次的制裁を行うこと」とある。北の対外取引の約9割を占める中国の事業体が主たる対象となろう。

 また3月24日には、都内で開かれた拉致問題集会で「党を代表して」挨拶した民進党の渡辺周拉致問題対策本部長が、「トランプ政権は北朝鮮と取引がある中国の金融機関の活動を制限しようとしている。そういう動きに私たちは参加していく」と明言した。

 早急に必要な法整備を行うべきだろう。与野党の拉致対策担当者がそろって打ち出した方針を実現できないようでは、国会の存在意義はない。

+ 続き
 北朝鮮、イラン、シリアの3カ国は長年にわたり、核開発で協力関係にあった。しかし、北が核兵器を手にした一方、イラン、シリアはまだ持っていない。この違いはどこから生じたのか。

 2007年春、イスラエル対外諜報機関(モサド)の長官が訪米、シリアで建設が進む秘密原子炉の写真を米政府高官に示した。その内部構造は、北朝鮮・寧辺の核施設に酷似していた。国際原子力機関(IAEA)に報告はなく、明白に核兵器不拡散条約に違反する施設であった。

 イスラエルは、自国が率先して動くとアラブ世界にハレーションを起こしかねないと、米側に空爆を要請した。チェイニー副大統領は同意したが、ライス国務長官、ゲーツ国防長官らは「まず外交努力で」と慎重姿勢を取った。結局、ブッシュ大統領が、「時期尚早」と要請を断り、後の判断をイスラエルに委ねた。

 同年9月6日深夜、イスラエル戦闘機群がシリア領空に進入、500ポンドの地下貫通弾を連続投下し核施設を破壊した。その数時間前、シリア軍の制服に身を包んだイスラエル軍特殊部隊が地上から潜入し、レーザー誘導装置で標的の情報を伝えるとともに、シリアの防空システムを攪乱(かくらん)する電子戦に当たった。空爆を受けたシリア側は沈黙を守るのみならず、急いで現場を片付け更地にした。秘密核施設だったことを認めたに等しい行為だった。

≪意識の差はあまりにも大きい≫

 安全保障上の重大事態に対し、アメリカに協力を求めるものの、得られない場合、自ら軍事行動によって脅威を除去するという姿勢がイスラエルには一貫してある。攻撃についてはアメリカに全面依存という日本との違いである。シリアの核兵器開発計画はこれにより大きく後退した。

 昨年2月、安倍政権は「在日外国人の核・ミサイル技術者の北朝鮮を渡航先とした再入国の禁止」を決めた。遅きに失したとはいえ当然の措置である。朝鮮総連傘下の在日本朝鮮人科学技術協会(科協)に属する核・ミサイル関連技術者に北との往来を許してきた日本の姿はあまりに異常であった。

 イスラエルの対応はこの点でも日本と大きく異なる。08年以降、5人以上のイランの核科学者が、遠隔操作の爆弾や銃撃によってイラン国内で殺害された。いずれもモサドの作戦といわれるが、彼我の意識の差に驚かざるを得ない。

 サイバー戦も重要性を増す分野である。09年、イランの濃縮ウラン製造施設のコンピューター制御システムに、アメリカとイスラエルが合同でサイバー攻撃を仕掛けた。ドイツ・シーメンス社製の基幹部品にスタックスネットと呼ばれるマルウエアを埋め込み、遠心分離器に異常回転を起こさせて破壊したのである。イラン側は修正に約3年を要した。

≪専守防衛に固執する愚かさ≫

 あくまで核開発の遅延にすぎず、サイバー攻撃が「成功」したとはいえない、と指摘する向きもあるが、問題はイランとの取引路線に転じたオバマ政権が、その後攻撃を中止したことにある。総括するならば、サイバー作戦は、どこまで波状的に展開するかによって「成功」の度合いが異なってくるということだろう。

 サイバー・セキュリティーの専門家で元陸上自衛隊システム防護隊長の伊東寛氏によれば、日本の関係当局ではいまなお、サイバー攻撃は「究極の長距離兵器」であって、専守防衛の理念に反するとの意識が抜き難くあるという。

 だが「誘導弾などの基地を叩(たた)くことは法理的に自衛の範囲」が政府見解である以上、核ミサイルを無力化する手段からサイバー攻撃を排除する理由は見当たらない。

 北朝鮮はこれまで、大量の電子部品を日本から調達してきた。それを許してきたこと以上に、その間、部品にマルウエアを仕込む作戦を一度も展開しなかったことの方が驚きだろう。

 軍事行動には出ない、情報機関の設置は考えない、サイバー攻撃は行わない-。その上、中国の企業に対する「二次的制裁」にも踏み込めないとすれば、北朝鮮問題に真剣に取り組んでいるとは到底言えないだろう。(福井県立大学教授・島田洋一 しまだよういち)


■ 専守防衛と敵基地攻撃能力 ~ 同胞の死を前提とする安全保障など政策と言えるか 「私的憂国の書(2017.4.18)」より
(※mono....前半の内閣支持率・政党支持率の記事は略、詳細はブログ記事で)
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 さて、産経・FNNの合同調査で、非常に違和感を持った部分がある。

Q8. 北朝鮮の相次ぐ弾道ミサイル発射を受けて、自民党は、北朝鮮が実際に日本に向けて弾道ミサイルを発射した場合に、2発目以降の弾道ミサイルを発射させないようにするための敵基地反撃能力の保有を検討するよう政府に提言しました。これについて、あなたのお考えに最も近いものを次の中から1つ選び、お知らせください。

敵基地への反撃は、北朝鮮が実際に弾道ミサイルを日本に向けて発射したあとに限るべきだ 45.0%
北朝鮮が日本に向けて弾道ミサイルを発射していなくても、発射する具体的な構えを見せた段階で、北朝鮮の基地を攻撃すべきだ 30.7%
北朝鮮が日本に向けて実際に弾道ミサイルを発射しても、日本は、北朝鮮の基地に反撃すべきではない 19.2%
わからない・言えない 5.1%


 私はこの自民党案には断固反対の立場をとる。そのうえで、4つの選択肢のうち、便宜的に番号を振った1と3の数値の合計、約65%にはかなりの違和感を覚える。

 自民党案の中途半端さは、専守防衛に沿って、敵方のミサイル発射を受けた後にはじめて反撃するという前提に立つものだ。回答1は、恐らく、その自民党案に引っ張られているのだろう。3の選択肢はありえない。そのまま敵のミサイル発射能力を温存させれば、日本が更に脅威に晒され続けるということになる。

 私は軍事に明るいわけではないので、詳しくは他の識者にお任せしようと思うが、北朝鮮が好き勝手にミサイルを発射した場合、その砲弾を100%撃ち落とせなどと言っている識者は皆無である。北がミサイルを放って、はじめて対抗手段を取るという発想は、即ち、我々の同胞の死をある程度は許容するということに他ならない。犠牲があって、はじめて反撃するということは、「何人か死んでもしょうがない」ということと同じなのだ。これはまともな発想だろうか。

 専守防衛とは、自国民の“ある程度”の犠牲は許容するシステムである。しかし、我が自衛隊を含めた自国民の死を前提とする安全保障政策 ―― 手っ取り早く言えば、どこの誰かは知らないけれど、反撃するために死ねというこ ―― は、一般論で見て、あまりに他人事過ぎるのではないか。これは、「憲法9条があるから戦争に巻き込まれない」という発想と同じく、「先に攻撃しなければ、我が方は攻撃されない」という願望の産物である。

 平和や安寧は、願望では達成できない。政策、外交努力と軍事力とともに、法によるバックアップが必要だ。専守防衛というまやかしなど、もう卒業すべきではないのか。


■ 専守防衛は死ぬことと見つけたり② 「sakimori blog(2017.4.15)」より
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 先回は専守防衛の基本は、相手に先に殺されることであると書きました。

防衛省防衛政策の基本から。
「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいいます。」

我が国の防衛の基本は上記の様に成っています。

 先日「空母いぶき」と言うとてもおもしろい漫画を見る機会が有りました。
その中で、中国軍が与那国島を奇襲、爆撃する場面が有るのですが、与那国島に駐屯している自衛隊員の会話が、嗤えてしまうのです。
中国軍が我が国のレーダーサイトを爆撃破壊し、300人もの中国兵が落下傘降下しているにも関わらず、わが自衛隊の指揮官は「発砲は許可するが、中国軍が発砲するまで、撃つな」と命令するのです。
漫画をバカにしているのではありません。漫画は我が国の「専守防衛」を忠実に描いています。
漫画に出てくる自衛隊指揮官の命令も「専守防衛」に沿った正しいものです。

 しかし自国領土を侵略、爆撃されても、なお相手が攻撃するまで撃つなとは、余りにもばかばかしく嗤うほかないのです。
私は我が国の「専守防衛」を嗤っているのです。
漫画に描かれていることが現実に起きても、自衛隊は同様の対処をするでしょう。

殺されるまでは、撃つな、と。

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


■ 武道からみた専守防衛 「現代空手道研究会」より
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専守防衛という概念が現在どのような政治状況で使われ、そして解釈されているのかはテーマにしない。
武道という視点からこれを考えてみたい。

専守防衛を常識的に解釈すれば、「攻撃を行わず守りに徹する」ということになる。
この考えは、こちらからは一切の攻撃は行わず、向かってくる暴力に対しては防御だけで対処するということだ。

極めて崇高な思想であり、ある意味護身術としても理想論であろう。
しかし、これを単なる技術論として捉えた場合、極めて難しい高度な要求であることが分かる。

組手を行う場合、もし一切の攻撃は行わないと片方が宣言したらどうなるか。
普通はもう勝負にならない。

+ 続き
あらゆる受け技は攻撃と一体になって初めて意味を持つようにできている。
攻撃する方は一旦放った攻撃を上手に受けられてしまうと次には相手の反撃を覚悟しなくてはいけない。

つまり反撃を想定するからうかつな攻撃ができないのだ。
空手が上手になる過程で、急に組手が消極的になる時期がある。

長年空手を教えていると、これが殆どの人に共通の現象だということがわかる。
どちらかというと強い人程この傾向がある。

それは、ある程度実力が付くと相手の真の実力を感ずることができるようになるためである。
実力ある相手の破壊力のある突きや蹴りを現実感をもって想像することができるようになるためだ。

睨み合っているだけでは勝負にならないので、意を決して攻撃を試みる。
すると想像通りのいや想像以上のカウンターをもらい自分のうかつな攻撃を反省することになる。

こういった反省が度重なると大抵は反動を招く。
つまり井の中のかわずが大海を知ることで萎縮してしまうという構図になるのだ。

しかしここでくじけず地道な稽古を続けることで成功と失敗を積み重ねて強くなり、
やがて客観的な自分の実力を把握できるようになる。

強い相手を正当に評価しつつも、自分自身の強さも正当に(実際以上でもなく以下でもない)認識し、
自分の方がより強い場合はより余裕を持って対処し、逆に自分の方が弱くても、勝負に絶対はないわけだから、例え勝利への道が狭くてもあくまでそれを追及していくという敢闘精神溢れる戦いができるようになる。

本当の空手の稽古はこの時期からが本番になる。
自分の真の姿を強がりでもなく卑屈でもなく自然体として認識することが真の稽古の出発点である。

このレベルになると課題を持って組手ができるようになる。
相手のレベルに応じて相手のためにも自分のためにもなる組手ができるようになる。

例えば、まだ十分なスピードを身につけていない相手の場合は、自分の不得意な構えや不得意の突き、蹴りを主体にした組手を行う、といったことで強い相手のときにはできない稽古を行うことができる。

さて、今回のテーマである専守防衛について。
専守防衛とは攻撃せずに守りに徹っすることである。

自分の真の姿がおぼろげながら分かったレベル(普通は黒帯を初めて取得した頃)であれば、自分より低いレベルの相手に対してある程度専守防衛に徹した組手を行うことができる。

専守防衛には2つのパターンがある。

1つは、相手にこちらが専守防衛であることを告げた場合。
もう1つは相手にはこちらが専守防衛であるということを告げない場合である。

どちらが大変な組手になるかはやってみるまでもなく分かる。
専守防衛を告げた場合だ。

しかし、実感として分かってもらいたいのでぜひ実際やってみることを薦める。
相手は、自分が攻撃される心配がないということになると、攻撃のタイミングは全て自分の都合で行うことができる。

また最初の一撃を受けられてもカウンターの心配がないので安心して2の矢3の矢という具合に連続攻撃をしかけることができる。
お互い遠慮のないガチンコの組手であれば余程の差がない限りこの組手は成立しない。

一方専守防衛を事前に告げないで、つまり自分だけの方針として専守防衛を行った場合は展開は全然違ったものになる。
現実に攻撃がなければ相手はダメージが発生しないのでやはり防衛側は苦しい展開になるが、相手にとって攻撃を仕掛けられないのは何かの作戦や計略かもしれないわけで、特にある程度の上級者であればあるほどうかつには飛び込めないという心情になる。

このように、この2つのパターンは結果としてはかなり異なった様相を呈することになるのである。
専守防衛は状況としてはまるで異なる2つのパターンがあることが分かる。

告知した専守防衛。
告知しない専守防衛。

そして告知した専守防衛を現実問題と成立させるには圧倒的な力の差が必要であることも分かる。
一方告知しない場合は、それでもかなりのハンディではあるが工夫をすることで成立の可能性があることも。

武道の本来の目的は理不尽な暴力に対する防衛である。
そして防衛の理想は専守防衛である。

しかし、専守防衛というのは事前に告知した場合は殆ど実行不可能である。
武道とはそれが実行可能であるからこそ武道であるのであって、実行不可能であればそれは武道とは言わない。

武道とは現実の能力を有していなければならず、その効力、実行の可能性を否定してはいけない。
もっと言えば、その実行の可能性の否定を告知すべきではない。

刀は鞘から抜かれる可能性を否定しないから刀なのであって、鞘から抜かれることを全て否定したらもはや刀ではない。
抜かれる可能性は担保しつつ結果として抜かないのが理想なのである。

しかしその理想を現実のものとするには重要な前提がある事を知る必要がある。
専守防衛は武道の究極の理想である。

先手必勝は弱者でも実行可能な勝利方程式であるけれど、
専守防衛は究極の強者しか実行できないからだ。





















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最終更新:2018年12月23日 12:41