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■ 緊急《渡部昇一先生が昨日(4月17日)、心不全でお亡くなりになりましたご冥福を御祈りいたします》 「水間条項(2017.4.18)」より
(※mono....水間氏のサイトは全文掲載が転載条件なので、以下全文を転載します。)
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■昨日(17日)、保守論壇を永年に亘って牽引されていらした渡部昇一先生が、
心不全のためお亡くなりになりました。

我が国の学界で「南京大虐殺」を最初に否定されたのは渡部昇一先生でした。

1984年、朝日新聞の本多勝一氏は『朝日ジャーナル』に
「南京への道」の連載を始め、本紙も連動して「南京大虐殺キャンペーン」を
スタートさせていたそのとき、田中正明著『“南京虐殺”の虚構』が
出版されたのですが、
渡部昇一先生は同書の巻頭に推薦文「“南京虐殺”の虚構」を寄せていました。

それは、歴史学者等の専門的な見解ではなく、
いち日本人として常識を尺度にした判断ですので、
良識ある日本人の胸に響くのでした。

渡部昇一先生は、戦時、空襲が一度もなかった山形県の小都市に育ち、推薦文には
《……将校や政府の役人とは全く無縁の存在だった。
 それでもミッドウェーの敗戦という最高の軍機が、
 あまり時間の経たないうちに、われわれ少年の耳にも入ってきたのである。
 ところが戦後あれだけ騒がれた、“南京大虐殺”という噂は
 敗戦まで耳にしたことがないのだ。
 しかも日華事変の初期の頃に出征した兵隊には、
 一度、内地に帰還した人もいたのである。
 私の家の南隣の家の御主人も事変がはじまると
 間もなく出征して大陸の戦場で戦い、帰還した人であった。
 南京陥落は事変後わずか半年足らずの時に起ったことである。
 それが七年近く経っても
 デマとしても伝わってこなかったということはどうしたことだろう。

 もちろん東北地方の田舎町の一少年に伝わらなかったと言っても、
 “南京大虐殺”がなかった証拠にはならない。
 しかし、私などとは比較にならないほど情報源を豊かに持った
 高級将校や高級官吏や新聞記者たちの耳にも入らなかった、
 ということになると話は大いに異なってくる。
 更に重要なことは、中支派遣軍総司令官として
 南京攻撃の際の最高司令官であった松井石根大将が、
 敗戦後に東京裁判で告発されるまでその話を知らなかった、
 ということになると話は更におかしくなる。……》と、
人間がつくり出す物事の核心をわかりにく衝いて、
一般国民を戦後の「洗脳」から、解き放っていただいた絶大な功績は、
良識ある国民には永遠に記憶として刻まれることでしょう。


心よりご冥福を御祈りいたします。


尚、今月24日放送予定の動画【水間条項国益最前線】は、
予定を変更して渡部昇一先生の追悼番組とさせていただきます。



■【歴史戦ポストカードの注文は一種類だけ:価格は送料込みで2000円】に
変更しましたので水間条項記事の
【歴史戦ポストカードの趣旨と申込み方法】《韓国・中国歴史戦ポストカード(合計40枚)・尖閣地図(1969年中国国土地理院制作A3:1枚)・南京犠牲者1793人の解説文A3:1枚》を参照してください。
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-2458.html


◆【動画】【ニコニコチャンネル 水間条項国益最前線】(毎週1回)
http://ch.nicovideo.jp/mizumajyoukou

◆「歴史戦ポストカード」を使用して国内外に発送される方で宛先等は
【オフィス存ホームページ】(水間政憲のホームページ)を検索して見てください。
http://officezon.net



●【ひまわりJAPAN】オフィシャルサイト◆
http://himawarijapan.org



◆水間政憲ブログ【水間条項】(転載条件は全文掲載)
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/


■ 渡辺昇一 心不全で死去!人物やその炎上発言について紹介! 「だーふくの旬なネタお届けします!(2017.4.18)」より
(※mono....前半数行略、詳細はブログ記事で)
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渡辺昇一 心不全で死去!いったいどんな人物だったのか!?


保守派の論客として知られた英語学者で、上智大学名誉教授の渡辺昇一氏
が17日、心不全の東京都内の自宅で亡くなっていたことがわかりました。86歳でした。
告別式は近親者のみで行う予定で、後日お別れ会を開くそうです。


渡部氏は1930年、山形県生まれ。上智大学、同大学院を経て、
ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学に留学。
帰国後、上智大学で教壇に立ち、その後、教授になりました。

英語学者として英文法史などを研究するかたわら、
日本のあり方について保守派の立場から積極的に発言しました。

人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本に、
風穴を開けた真に言論人だったようです。いまでこそ渡部さんの言論は
多くの日本人に共感を与えていますが、かつて罵詈雑言を浴びました。
渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、
その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。


「不平等主義のすすめ」「日本史から見た日本人」など渡辺氏の著書は多数。
「知的生活の方法」はミリオンセラーになりました。
76年には「腐敗の時代」で日本エッセイストクラブ賞を、
85年には第1回正論大賞を受賞しています。

渡辺昇一 炎上発言とは? そしてネットの反応は!?


渡辺氏といえば、過激な発言でも有名です!

その中でも最も有名な事件は、「神聖喜劇」で知られる作家


大西巨人さんとの論争


(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


■ 渡部昇一先生のご逝去を悼む 「祖国創生(2017.4.18)」より
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渡部昇一先生のご逝去の報を受け、出稿いたします。
―― 参考情報 ――――――――――
評論家の渡部昇一氏が死去 第1回正論大賞、「知的生活の方法」など著書多数
http://www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180003-n1.html
―――――――――――――――――
私が、渡部昇一先生の存在を知ったのは、国民的ベストセラー書「知的生活の方法」ならびに「続知的生活の方法」に出会ったことに遡ります。
当時、私は、自分の廻りに人生の手本となりえる方を見出すことが難しく、渡部昇一先生の本と出会い、専攻は異なるものの、この2冊の本から大いなる感化を受けました。
また、渡部昇一先生は学生時代、多くの単位を取得、かなりの読書量であったことが著書に書かれています。多くの単位を取得することは、成績的に芳しくない結果をもたらすものですが、先生の生き方は、学生時代を含め私に大きな影響を与えました。
また、渡部昇一先生は、無類の読書好き、個人の蔵書量としては日本一で知られております。

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


★ 戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人 「産経ニュース(2017.4.18)」より
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 産経新聞正論メンバーで論壇の重鎮として活躍した渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。

 人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

 もっとも有名な“事件”は「神聖喜劇」で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、という趣旨のコラムを書いた渡部さんは「ナチスの優生思想」の持ち主という侮辱的な罵声を浴びた。
+ 続き
 批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。

 大ベストセラーとなった「知的生活の方法」も懐かしい。蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。

 また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていたレジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

 繰り返す。勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)




















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最終更新:2017年04月18日 14:47