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● 福島第二原子力発電所〔東京電力〕
現在、福島第二原子力発電所は、1~4号機の全号機において、使用済燃料プール内にある全燃料の冷却を行っており、安定した状態を維持しています。
今後とも、安全管理、放射線管理、品質管理、各種訓練等を継続的に実施し、発電所の安全確保に万全を期してまいります。



■☆ 2017年3月17日付 福島第二原子力発電所に関する一部報道について 「東京電力(2017.3.17)」より
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2017年3月17日
東京電力ホールディングス株式会社

 2017年3月17日の一部報道において、「福島第2原発廃炉へ 東電、1号機から」と報道されておりますが、福島第二原子力発電所1号機を廃炉にする方針を固めた事実はありません。

 福島第二原子力発電所については、福島県ならびに県内自治体の各議会において廃炉決議がされている事は承知しておりますが、今後の扱いについては広く社会の皆さまのご意見や国のエネルギー政策の動向、福島第一原子力発電所廃炉作業のバックアップ機能としての役割等を含めて総合的に勘案し、事業者として判断してまいります。

以 上

■ 福島第二原発の再稼働の可能性 「おしどりポータルサイト(2014.12.9)」より
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5日の電力系統図に柏崎刈羽原発と福島第二原発が

東京電力が12月5日に公表した「電力系統図」に

新潟県柏崎刈羽原発のみならず、福島第二原発も系統図に掲載されていた。


現在、新潟県の柏崎刈羽原発は、2014年7月の再稼働を目指していたが、それはかなわず、具体的な時期はまだ定まっていない。

福島第二原発に至っては、福島第一原発事故が全く収束していない現在、再稼働が議論に上がることすら難しい現況である。

廃炉になった福島第一原発だけ削除したということであろうが、

最新の電力系統図に記すということは、電力源としてカウントしているということだろうか。


福島第二原発の再稼働は東京電力次第!?


しかし、9月25日の小渕裕子前経産省の田村氏での会見では気になる点があった。

「(廃炉を)決定するのは事業者」とも述べているのである。

福島第一原発は6基全てがすでに廃炉が決まっているが、第二原発の4基については、状況を見て検討という方針である。

筆者は、2011年から株主総会の取材を続けているが、毎年、東京電力の原発を全て廃炉に、と提案されている。

福島第二原発の扱いについて、2014年度の株主総会の取締役会の意見として、こう述べていた。

「福島第二原発の今後の扱いについては、現時点では未定であり、

国のエネルギー政策や地域の方々をはじめ広く社会のみなさまのご意見等を踏まえ検討いたします。」

(※mono....以下略、詳細はブログ記事で)


■ 福島第二原発の奇跡 「ハフィントンポスト(2014.5.31)」より

福島第二原発の奇跡 - 高嶋 哲夫 著
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2011年3月12日。東日本大震災による巨大津波の影響で、福島第一原発の一号機が水素爆発を起こしたちょうどその時。実は第一原発から直線距離にして、わずか12キロしか離れていない福島第二原発も、第一原発と同様の危機に直面していました。ひとつ間違えば、2つの原発が同時に爆発する可能性があった最悪の事態。福島第二原発ではどのように未曾有の危機を回避したのでしょうか。当時の第二原発所長、増田尚宏氏がその驚くべき状況について語りました。

前日の3月11日。地震発生の際、福島第二原発では4つの原子炉が通常運転されていました。大きな揺れを検知したとき、すべての原子炉は自動停止しています。増田所長が緊急対策室に入ったのは、地震から15分がたったころでした。

「その時は、確か3メートルという予報だったと思うのですが、みんなに『津波がくるから気をつけろ』と指示をした記憶があります」

しかし、現実に原発を襲った津波の高さは推定9メートル。そのまま津波は敷地を駆け上がり、最高18メートルもの高さに達しました。それまで福島第二原発では津波に襲われても、建屋内は浸水しないという想定でした。

「実際には、津波というのは瓦礫を運んでくるんですよね。その瓦礫が(建屋内)の扉
に当たって扉が変形すると。それによって中に水が入ってきた。そんなことは考えていなかった」

津波が襲った瞬間、すでに想定外の事態は起きていたのです。津波が海辺に沿って並んだ、炉心を冷却する機能をもつ建屋内に侵入していました。

+ 続き
「2メートル50センチくらいの水が入って、完全にポンプモーターは水に浸かった状況でした。ここのポンプが壊れると原子炉が冷やせなくなると。このままいくと、格納容器の設計圧力に達する可能性があるなと思いました。復旧するには1日も余裕がないかな、というくらいの上がり方でした」

この時点で、福島第一原発と同様に、第二原発もメルトダウンの危機に瀕していたのです。

4つある原子炉のうち、中でも1号機の原子炉建屋は地下に置かれた非常用ディーゼル発電機まで浸水し、3台すべて使えない状態。冷やす機能がまったくなくなってしまったのでした。

翌3月12日早朝。1号機の圧力抑制室の水温は100度を突破しました。ちょうどこの時間、菅直人首相が第一原発の視察に訪れています。当時、官房副長官だった福山哲郎氏のノートには、『第二、根源的な問題。海の水を循環しない』と記してあります。視察中の菅首相からの言葉でした。第二原発も非常に厳しい状況だと把握した政府は第二原発の半径3キロ圏内の住民に避難指示、10キロ圏内の住民に屋内退避の指示を出します。1号機の圧力を下げるため、最後の手段である「ベント」を行う可能性があったからです。「ベント」によって格納容器の圧力は下がりますが、それは放射性物質が外に飛び散るという最悪の状況を引き起こすことでもありました。

12日午後、第一原発で水素爆発が起きたとき、増田所長は緊急対策室にいました。

「なんとなく振動がきた気がしました。後を振り向いたらテレビで爆発のシーンが見えて。なぜ爆発したのか、理解できなかった」

第一原発と同様、メルトダウン、水素爆発の危機に直面していた第二原発で、増田所長は第一原発の状況とは異なるわずかな希望を見出しました。被災した外部電源4回線のうち1回線だけ生き残っていたのです。しかし、問題はこの1回線が炉心を冷却する建屋から遠すぎる場所にあり、建屋に繋がれていなかったことです。

増田所長は危機管理マニュアルにない「想定外の行動」に踏み切りました。なんと800メートルも離れた外部電源の1回線を、建屋まで人海戦術でケーブルを担ぎながら運ぶという指示です。ケーブルといっても、何トンもする大変重いもの。通常なら機械を使っても1カ月かかる作業を、わずか1日で成し遂げなければならないという過酷なものでした。第二原発では200人もの作業員が2メートル間隔でケーブルを担ぎ、建屋に引っ張る作業を開始したのです。

もうひとつ、福島第二原発には第一原発と異なる点がありました。発電施設の電源がすべて失われる、いわゆる「ステーション・ブラックアウト」によって、流量計や水位計など危機管理を行う計器がまったく機能しない状況に陥った第一原発。それに対し、第二原発は中央制御室の停電を免れていました。

「中央制御室というのは、監視と操作というのは非常に大事な2つの役割になります。それがまったくできなかった福島第一と、しっかりできた福島第二は大きな差があったと思います」

「ベント」のタイムリミットまであと2時間。メルトダウンを目前にした12日の深夜12時ころ、作業員の決死の作業によりケーブルは建屋につながれました。第一原発と第二原発、2つの原発が爆発するという最悪の事態はこうして回避されたのです。

マニュアルにない創造力をともなう現場対応、中央制御室の電源確保の重要性、外部電源の位置。福島第二原発がメルトダウンを回避した経緯をたどると、安全管理について多くのポイントが見えてきます。しかし、現在、第二原発における対応はおろか、第一原発事故の検証でさえ不十分なまま、再稼働の議論が進んでいます。原発の再稼働論議の前に、検証すべきことがまだまだ多く残ってるのではないでしょうか。

「報道ステーションSunday」より

■ 福島第二原発を守った本当の英雄達 「櫻井よしこオフィシャルサイト(2013.2.14)」より
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『週刊新潮』 2013年2月14日号
日本ルネッサンス 第545回

過日、3・11の大震災と大津波にも生き残った東京電力福島第二原子力発電所(以下2F)を訪れた。2Fには1号機から4号機まで各々110万キロワット、計440万キロワット出力の原発があり、2011年3月11日当日は全てがフル稼働していた。第一原子力発電所(以下1F)では1号機から6号機の内、4~6号機は停止中で、1~3号機の総出力は202・8万キロワットだった。

万が一、2Fが1Fと同じ運命を辿っていたら、被害はもっと深刻だったはずだ。2Fを訪ねてみると、改めて沢山の驚きがあった。

まず、周知のことではあるが、どの原子炉もマグニチュード9の地震に動じなかったことだ。1Fも同様だ。日本の原発の耐震設計が如何に優れているかを示してくれた事例だが、問題は津波である。

緊急時、原発では①止める、②冷やす、③閉じ込めるを実行しなければならない。①は制御棒を挿入し、原子炉を自動停止することだ。激しい揺れが襲った直後に、全原発は正しく止まり、①はクリアした。

1Fは津波によって電源が喪失し、②が不可能となった。結果、放射能を閉じ込められず、③にも失敗した。2Fでは冷却機能を一旦破壊されながらも機能を回復し、②及び③を実行して、冷温停止を達成した。

当時の状況を増田尚宏所長が語る。

(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)















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最終更新:2017年04月12日 19:16
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