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■ クーデンホーフ光子がヨーロッパの母と呼ばれ尊敬される理由とは? 「sezの気にな〜るブログ(2014.7.1)」より
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(※mono.--詳細はブログ記事で)


ベストアンサーに選ばれた回答
blackhillnorthさん 2013/10/516:48:20
1)EUの父といわれているのは、フランスの首相、外相を務めたロベール・シューマンと、ECの原型であるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の初代議長であったジャン・モネです。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121220/art12122008140004-n1.htm

2)光子の次男リヒャルトは、大戦間に汎ヨーロッパ主義を唱えた功績がありますが、EUの誕生に直接貢献したとはいえません。

3)リヒャルトは19歳で、15歳年長の女優イーダと結婚し、光子から義絶されました。イーダはリヒャルトの活動を経済的に支援しました。後年、光子は和解したようですが、汎ヨーロッパ主義についてはほとんど理解できなかったといわれています。

4)第2次大戦後、光子は孤独な晩年を送り、未婚のまま介護に当たった次女ゼルダは生活保護を受け、貧窮のまま死去しました。ECの母として光子が認められ、しかるべく待遇された形跡はありません。

5)日本の一部で光子を評価する声がありますが、リヒャルトと親しかった元外交官・政治家の鹿島守乃助、鳩山一郎、池田大作などのひいきの引き倒しでしょう。一郎の孫の鳩山元首相の「友愛」は、一郎とリヒャルトの受け売りです。しかし、ECの母というのは日本だけの流説で、英語やドイツ語のWIKIにはその種の言及はありません。

6)したがって尊敬云々は根拠がありません。


■ EUで最も有名な日本人女性・・・クーデンホーフ光子 「ねずさんのひとりごと(2009.10.6)」より
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今日は、かぐやひめさんからのたってのリクエストにお応えして、クーデンホーフ光子のことを書いてみたいと思います。

実はこの光子、ヨーロッパでもっとも有名な日本人なのです。

本名:青山ミツ。

ちなみに香水で有名なゲラン社の製品に、「ミツコ」という有名な香水があります。
どこか東洋的な香りがする、淑女を思わせる、大人のための香水なのだそうです。
ちなみにねずきちは、決してつけていません(笑)
ソコッ!ニヤニヤシナイッ!!

そしてこの香水のモデルになったのが、クーデンホーフ光子です。

そのミツコという女性は、どういう人物だったのか、歴史をひもといてみたいと思います。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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しかし、夫の一族のひとたちは、東洋の未開国から連れられてきたアジア人女性に冷たい目を向けます。

小姑たちは光子の着こなしや立ち居振る舞いという末梢的なことでチクリチクリとあてこすった。

ミツコはつらさのあまり何度も日本に逃げ帰ろうと思ったそうです。

しかし、そんなときにミツコを支えたのは、「日本人の誇りを忘れないように」という皇后陛下のお言葉だったといいます。

そして
「裳を踏んで転んだりすることのないように」という一見些末な注意が、貴族社会で生きていく上で、いかに大切なことか、身にしみて分かったのだといいます。


そして二人は、その後、三男ゲオルフほか4人、合わせて7人の子宝に恵まれます。

夫、ハインリヒは、子供たちが完全なヨーロッパ人として成長することを望み、日本人の乳母を帰国させ光子に日本語を話すことを禁じた。

(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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「母は一家の主婦としてよりも、むしろ女学生の生活を送っていて、算術、読み方、書き方、ドイツ語、英語、フランス語、歴史、および地理を学んでいた。

その外に、母はヨーロッパ風に座し、食事をとり、洋服を着て、ヨーロッパ風に立ち居振る舞いすることを学ばなければならなかった」

睡眠時間を削ってまで、立派な母親となるために勉強に打ち込むミツコの姿は、子どもたちの心に深い影響を与えたといいます。

後にこのリヒャルトは、ヨーロッパ合衆国の実現に向けて、終生たゆみない研究と運動を続けていくことになります。そして彼の理想は、いま、欧州連合EUとして立派に実っている。

(※mono.--以下長文につき詳細はブログで。)


■ クーデンホーフ光子の手記 「松岡正剛の千夜千冊(2002.10.4)」より
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 ミツコという香水がある。ゲランの大ヒット商品である。なぜ日本人の名前がついているのだろうと思っていた。誰かからクーデンホーフ光子のことだと教わった。
 ところが、クーデンホーフ光子という女性がわからない。日本人でハプスブルグ家に嫁いでいったと聞いただけだった。やがて木村毅の『クーデンホーフ光子伝』(鹿島出版会)がそこかしこの本屋に並んだ。1982年だった。ミツコどころか、まったく知らないことがどしどし繰り出されきて驚いた。
 たしかにミツコは青山光子らしく、明治25年(1892)に彼女が嫁いだウィーンの伯爵ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギーの宮廷文化を通してヨーロッパ中に知れわたった名前であることがわかった。

(※mono.--以下長文につきブログ記事で。)


















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最終更新:2016年09月29日 20:47