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● イエズス会〔Wikipedia〕 |
イエズス会(イエズスかい、ラテン語: Societas Iesu)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。宗教改革以来、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれた。このような軍隊的な呼び名は創立者イグナチオ・デ・ロヨラが修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊ですごしたことと深い関係がある。現代では六大陸の112カ国で活動する2万人の会員がいる。これはカトリック教会の男子修道会としては最大のものである。イエズス会員の主な活動は高等教育と研究活動といった教育活動であり、宣教事業や社会正義事業と並んで活動の三本柱となっている。 |
日本でのイエズス会事業はその後、ルイス・フロイスやグネッキ・ソルディ・オルガンティノ、ルイス・デ・アルメイダといった優秀な宣教師たちの活躍で大きく発展した。日本人初のイエズス会士は薩摩国(鹿児島県)出身のベルナルドで、彼は日本人初のヨーロッパ留学生としてポルトガルに渡り、1553年にリスボンで入会して修道士となった。1561年には琵琶法師であったロレンソ了斎が入会。有名な天正遣欧少年使節を計画したのはイエズス会の東洋管区の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノであった。 1580年に大村純忠が長崎の統治権をイエズス会に託したことは、長崎をイエズス会専用の港にすることで南蛮船がもたらす利益を独占しようとした大村純忠と、とにかく戦乱の影響を受けずに安心して使える港を探していたイエズス会の両者の利害の一致によるものであったが、スペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩ではないかと疑いの目をむけた豊臣秀吉は1587年にこれを取り上げて直轄領とした。日本における宣教活動は大きな成果を得たが、最終的に江戸幕府による迫害によって宣教師と協力者たちは処刑・追放となり、正保元年(1644年)マンショ小西の殉教を最後に日本人司祭も存在しなくなり、イエズス会は日本での活動を終えた。 |
■ 「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈 「iRONNA(2019/02/09)」より
渡邊大門(歴史学者)
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前回、豊臣秀吉がいかにして、人身売買の対策を講じたのかを確認した。今回は、世界的な規模に達した奴隷貿易と日本との関係について触れておこう。
最初に、キリスト教の布教について説明しておく。船による長距離の移動が可能になり、ヨーロッパの人々がアジアに行き来することも可能になった。これが大航海時代である。商人たちが貿易のために各国を訪れ、同時にキリスト教の海外での布教も積極的に行われた。その中心的な役割を果たしたのが、イエズス会である。
(※mono....中略、詳細はサイト記事で)
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ポルトガルから日本へは、火縄銃をはじめ、生糸など多くの物資がもたらされた。逆に、日本からは、銀を中心に輸出を行った。こうして日本は、キリスト教や貿易を通して海外の物資や文物を知ることになる。
これより以前、ヨーロッパでは奴隷制度が影を潜めていたが、15世紀半ばを境にして、奴隷を海外から調達するようになった。そのきっかけになったのが、1442年にポルトガル人がアフリカの大西洋岸を探検し、ムーア人を捕らえたことであった。
ムーア人とは現在のモロッコやモーリタニアに居住するイスラム教徒のことである。キリシタンからすれば、異教徒だった。その後、ムーア人は現地に送還されたが、その際に砂金と黒人奴隷10人を受け取ったという。
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1454年、アフリカから奴隷を強制連行していたポルトガルは、ローマ教皇のニコラス五世からこの問題に関する勅書を得た。その内容は、次の通りである(牧英正『日本法史における人身売買の研究』引用史料より)。
神の恩寵により、もしこの状態が続くならば、その国民はカトリックの信仰に入るであろうし、いずれにしても彼らの中の多くの塊はキリストの利益になるであろう。
文中の「その国民」と「彼らは」とは、アフリカから連行された奴隷たちを意味している。奴隷の多くは、イスラム教徒であった。つまり、彼らアフリカ人がポルトガルに連行されたのは「神の恩寵」であるとし、ポルトガルに長くいればキリスト教に改宗するであろうとしている。
そして、彼らの魂はキリストの利益になると強引に解釈し、アフリカ人を連行し奴隷とすることを正当化したのである。キリスト教徒にとって、イスラム教徒などの異教徒を改宗させることは、至上の命題だったのだろう。それゆえに正当化されたのである。
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日本でイエズス会が布教を始めて以後、すでにポルトガル商人による日本人奴隷の売買が問題となっていた。1570年3月12日、イエズス会の要請を受けたポルトガル国王は、日本人奴隷の取引禁止令を発布した。その骨子は、次の通りである。
①ポルトガル人は日本人を捕らえたり、買ったりしてはならない。
②買い取った日本人奴隷を解放すること。
③禁止令に違反した場合は、全財産を没収する。
当時、ポルトガルは、マラッカやインドのゴアなどに多くの植民地を有していた。まさしく大航海時代の賜物であった。彼らが安価な労働力を海外に求めたのは、先にアフリカの例で見た通りである。ところが、この命令はことごとく無視された。その理由は、おおむね二つに集約することができよう。
一つは、日本人奴隷のほとんどが、ポルトガルではなくアジア諸国のポルトガル植民地で使役させられていたという事実である。植民地では手足となる、労働に従事する奴隷が必要であり、それを日本から調達していたのである。理由は、安価だからであった。植民地に住むポルトガルの人々は、人界の法則、正義、神の掟にも違反しないと主張し、王の命令を無視したのである。
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奴隷商人が関与していたのは疑いなく、秀吉によって人身売買は固く禁止された。実は、人身売買に関与していたのは、日本人の奴隷商人だけでなく、ポルトガル商人の姿もあったのである。
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秀吉「ポルトガル人が多数の日本人を買い、その国(ポルトガル)に連れて行くのは何故であるか」
コエリョ「ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ(司祭職にある者)たちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることを止めるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう」
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しかも、奴隷売買の原因を異教徒の日本人に求めており、自分たちは悪くないとした上で、あくまで売る者が悪いと主張しているのである。もちろんキリスト教を信仰する日本人は、奴隷売買に関与しなかったということになろう。
日本人が売られる様子を生々しく記しているのが、秀吉の右筆、大村由己の手になる『九州御動座記』の次の記述である。
日本人数百人男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて船底に追い入れた。地獄の呵責よりもひどい。そのうえ牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼前に広がっている。近くの日本人はいずれもその様子を学び、子を売り親を売り妻女を売るとのことを耳にした。キリスト教を許容すれば、たちまち日本が外道の法になってしまうことを心配する。
この前段において、秀吉はキリスト教が広まっていく様子や南蛮貿易の隆盛について感想を述べている。そして、人身売買の様相に危惧しているのである。秀吉は日本人が奴隷としてポルトガル商人により売買され、家畜のように扱われていることに激怒した。奴隷たちは、まったく人間扱いされていなかったのである。
(※mono....抜き貼りなので詳細はサイト記事で)
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キリスト教宣教師たちが日本人奴隷売買に関与していた
高山右近が日本の神社仏閣を破壊しまくった
キリスト教は悪魔の宗教だった
テレビドラマでは小西行長などは善良なキリシタン大名として描かれるが、奴隷を売り飛ばした悪徳キリシタン大名
農民たちの反乱と教科書では教えながら、実際には火縄銃などで武装した反乱軍であり、このような事実は教科書には書かれることはない。なぜこのようになってしまうのだろうか。それはアメリカを忖度した歴史観だからであり、戦後において日本の歴史はGHQによって書き換えられてしまったからだ
【緒方貞子】
■ 【イエズス会の野望】軍事諜報組織としてのイエズス会とその日本人人脈、提供早緑皐月氏、拡散希望 「伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」(2016.1.4)」より
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文中に頻出する緒方貞子は、朝鮮人総理、小泉純一郎の「女系天皇論」会議で、「女系天皇」を強く主張した。売国奴である。正田美智子、曽野綾子と並び、【聖心OG三魔女】と呼んでいる。戦後、外貨不足で、日本人の渡米が非常に困難な時に、緒方は、先陣を切るように渡米した。米国政府から外貨=米ドルを直接もらったのであろう。もうこの時点で「アメリカの工作員」である。美智子の大親友。最終目標は「皇室破壊」による「日本崩壊」である。
もう88歳だが、美智子ともどもさっさと逝ってほしい粗大ごみである。
伏見様
明けましておめでとうございます。
日々の渾身の更新有難うございます。昨年よりの読者でロム専門でしたが、山本正や諜報組織についてという事で思い出した記事をコメントさせていただきます。軍事諜報組織としてのイエズス会を調べる上でイエズス会人脈を追ったものですが全て繋がります。こちらには記載されていませんが、【3-4】の上海に副島家が含まれることは言うまでもありません。 最近の正田泰子夫人の記事と重複する箇所も多くありますが、以下の【イエズス会考】より一部転載いたします。ちなみに、皇居間近の聖イエズス会教会の山本襄治神父(現在は故人)は田園双葉の校長を務めるなど、神父あるいは教師として皇后や雅子妃とも縁が深い人物です。
【日本のイエズス会人脈を追う】 ⇒以下のこの記事は阿修羅の「イエズス会は軍事諜報組織である:日本のイエズス会人脈」記事でも読むことが出来る。
+ 続き
こうして俯瞰してみると、戦後から現在に至るまでの日本の歴史のなかでもイエズス会の影響力は、見えない形で非常に大きいものがあったことがわかる。とくに家系の「女性」を使う戦略や軍事諜報に繋がる動きをしてきたことが垣間見えると言えるだろう。
この裏では男性の「神父」などによるネットワークが「本来」の情報を運んでいると思われる。こちらの情報系には【富士ゼロックス会長の小林陽太郎】や【日産自動車のカルロス・ゴーン】などが垣間見える。このような人脈は現在、EU拡大に伴うEU・日本ラウンド・テーブル(円卓会議)に直結しており、
これはEU官僚を通してヨーロッパ寡頭勢力と繋がっている。このことは、もちろん全体でローマに本部があるイエズス会のネットワークとも重なっている。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
■ イエズス会士が始めた「奴隷売買」 「zeraniumのブログ(2013.8.15)」より
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豊臣秀吉はイエズス会のコヨリエと明への出兵を語り合い、秀吉はコヨリエにシナ計画を持ち出されて、その誘惑に乗ったというのが「朝鮮の役」の真相であった。コヨリエは、「今に見ておれ、太閤(秀吉)を海外遠征(朝鮮の役)に引き込んで、さんざんな目に遭わせてやる」と言っている。コヨリエの策謀を見抜き、怒った秀吉がコヨリエにたたきつけた五箇条の概略を載せる。
1、なにゆえに秀吉の臣下をキリシタンにしたのか
2、なにゆえに宣教師は教徒(キリシタン大名をさす)に神社仏閣を破壊させたのか。
3、なにゆえに仏教の僧侶を迫害するのか
4、なにゆえにお前たちは耕作に必要な牛も屠殺して食用にするのか
5、なにゆえにお前たちはお前の国民が日本人を購入し、奴隷としてインドに輸出するのを容認するのか
秀吉側近の大村由巳(おおむらよしみ)が秀吉に差し出した手紙の中に、「黒船の奴隷船で、男女によらず手足に鉄の鎖をつけ、船底へ追い入れ、地獄の呵責にもすぐれ・・・」と書かれている。こうした奴隷船の史実はたくさん残っている。日本人はイエズス会が何であるかの真相をはっきり知らなければならない。
イエズス会はポルトガルの商人たち、つまり長崎で金の仲買人として活躍した者たちと組み、宣教師バリニャーノは1578年に、マカオの商人と金貿易のために正式な契約を結んでいる。そうして日本人も、ポルトガルとスペインの領土拡張の競争の中に入っていくのである。やがて、難破したポルトガル船の積荷をめぐって争いが起きた。スペインの総督は秀吉に脅迫状を送り、「我々の宣教師は征服者の前触れである。覚悟するがよかろう」と。
そうした争いの結果、1587年(天正15年)、秀吉はキリシタン宣教師追放令を出した。
秀吉はその報復としてただちに6人のフランコ会士と3人のイエズス会伝道士、それに19人の日本人信徒を十字架にかけた。
・・・。柳父 章(やなぶあきら)は、「キリシタン一揆」は生活に困った百姓たちの農民一揆でもあったと書いている。日本の代表的なカトリック作家であった遠藤周作は『侍』の中で、パードレ(神父)・ベラスコを通して痛烈な日本批判をしている。
「宗教に現世の利益だけを求める日本人。彼らを見るたびに、私はあの国には基督教のいうような永遠とか、魂の救いとかを求める本当の宗教は生まれないと考えてきた。彼らの信仰と我々基督教徒が信仰と呼ぶものの間にはあまりにも大きな隔たりがある」。
遠藤周作は日本人にして日本人ではない。
彼は、「現世の利益」を求めて日本にやって来たザビエルの行動から目をそむけ、目を閉じている。彼は、奴隷船に売られた何十万人の日本人の事実から目をそむけ、見ようとしない。彼は、日本の神仏や寺院を焼き払えとキリシタン大名に命じたイエズス会の悪行に目を閉じている。
そして遠藤周作は、「・・・極秘、かの奇(く)しき紅の夢」の中に生きて、日本人を悪しざまに描いて、文化勲章を貰って死んでいった。キリスト教が日本に定着しなかったのは、日本人が「永遠とか、魂の救い」を祖先回帰のなかに求めたからであった。つまり日本人の深層意識がキリスト教の持つ恐怖を拒否し、認めないからである。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
■ 殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する - 「イエズス会とキリシタン大名による日本人奴隷貿易の真実」 「嘘八百のこの世界(2013.6.24)」より
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先日、紹介した「信長と十字架」におけて、「戦国時代に何故、キリシタン大名があんなに多くいたのか?」との疑問を提起したが、その理由を以下のようにまとめた。「イエズス会が、鉄砲の火薬の原料である硝石と引換えに、日本人女性を奴隷として海外に売り飛ばしていた事実があった。そして、その硝石欲しさのために、地方大名がイエズス会と懇意になって、自身の地位・武力・財力を手に入れるための手段として、実際に日本人女性を騙したり、拉致したりして、イエズス会に引き渡した。地方大名は、①イエズス会と懇意になるため。②キリスト教の美辞麗句を利用して日本人女性を騙すため。以上、2点の理由で“キリシタン大名”となった方が“商売”がやりやすかったため、戦国時代にキリシタン大名が多かった。」と、私は推察する。(②に関しては、全く私の推察である。)
学校や教科書が絶対教えない真実の日本史であろう。
昨日、「濃姫Ⅱ」が放送されていたが、当然のごとく、比叡山延暦寺の焼き打ちの場面でも、イエズス会のイの字も出てなかった。何も知らない一般人は、信長が、その無鉄砲な性質ゆえに、あのようなトンデモ事件を起こしたのだと思うのだろう。
イエズス会と日本人奴隷貿易及び、秀吉が何故バテレン追放を行ったのかをまとめたブログと、イエズス会とバチカン及びフリーメイソン・イルミナティとの関連を告発した動画を紹介する。
イエズス会と日本史の真実を理解し、家族・友人・知人に伝えて欲しい。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
■ 日本人キリシタン「イエズス会で働いているんだが俺はもう限界かもしれない」 「Kousyoublog」より