(※ というより、失われた30年 - Google検索という言葉が今となっては整合している。)
日本経済

+ ニュースサーチ〔失われた20年〕

● 失われた20年〔Wikipedia〕
失われた20年(うしなわれた20ねん)とは、ある国、あるいは地域の経済低迷が約20年以上の長期にわたる期間を指す語である。主に日本経済が安定成長期終焉後である1991年(平成3年)2月から約20年以上にわたり低迷した期間を指す。
● 「失われた20年」の構造的原因 「経済産業研究所」より





■ 世界はいずれ「日本化」する GDP4位騒ぎへの水野和夫さんの戒め 「朝日新聞(2024年2月15日)有料記事」より
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 日本の国内総生産(GDP)が昨年ドイツに抜かれ、4位に転落した。5位インドに抜かれるのも時間の問題だ。経済低迷・超少子高齢化という難題を抱えた日本の「失われた30年」を、欧米は「Japanification(日本化)」と呼び、避けるべき事態だとしてきた。しかし、経済学者の水野和夫さんは、それこそ歴史の必然であり、むしろ望ましい状態だという。どういうことか。

人口3分の2の国に抜かれた意味とは
 今回の順位転落を、2010年に中国に抜かれた時以上の衝撃で受け止める人もいるようです。日本のGDPの水準低下は、短期的には円安の影響。「異次元緩和」で日本を安売りしてきたツケですが、もっと根深い原因があります。

 ドイツの人口は、日本の約3分の2なので、国民1人当たり1・5倍の経済格差がついたことになる。しかも、ドイツ人の平均年間労働時間は日本人より2割ほど短い。要は日本の労働生産性が低いということですが、それは、付加価値に結びつかない仕事が多すぎるからです。必要性が不明な会議の資料作りとか。それでいて「人手が足りない、足りない」と言い続けている。だったら無駄な仕事を削ればいいのに。そこの労働時間を短縮しただけでは、GDPは変わりませんが。

 国民1人当たりのGDPを高めたいなら、最も簡単な方法は、フルタイムで働いていない労働者を減らすことです。所得税の課税や配偶者控除の基準となる103万円や、年金の第3号被保険者でいるための上限130万円など、いわゆる「年収の壁」を取り除けば、非効率な就業調整はなくなります。これらの制度は、男性正社員と専業主婦の家庭を前提にした昭和の遺物。他の先進国のようになくせば、女性の活躍にもつながるはずです。

 ただ、1人当たりGDPが5…(※ 以下有料記事)






(※mono....以下コメント欄よりいくつか。)
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nai sucho
財務省がプライマリーバランスによって、政府の需要政策を許さないからだ。いくら金融緩和したって、需要がなければ企業は投資しない。よって、お金自体増えないし、回らない。深刻なのは、世界中どこみてもいいところがないってこと、ましなのは米国くらい。人類史上、最悪の経済崩壊が始まり、戦争になるのかな・・。神に祈るのみ。
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日本人大好き複数の地球
いつも聞いています。
一言話したいことがあります。恐慌、戦争は人為的に起きていますから元号とリンクするのは如何なものか。しかし令和の意味を紐解きますと、日本という地球には希有な麗しい国が世界を平和に導くことができるか。はたまた努力むなしく桜のように散っていくか。しかし日本の本来の役割はまさしく令和だという意味ですよね。
頑張って下さい。
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西村元宏
本日の「信用経済の根幹」の説明には本当に関心しました。この点を指摘した学者はおそらく皆無ではないでしょうか。ですが極めて本質を突いた指摘ですし、なぜ企業が利益があっても社内留保に走り、設備投資に向かわないのかよくわかります。
凄さを再認識させていただきました。


■ 発展途上 「我が郷は足日木の垂水のほとり(2019年03月25日)」より
(※mono....前半の「 中国江蘇省の工場爆発」関連記事は略)
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わが日本だって、失われた 20年の経済停滞は、アホ馬鹿マヌケが、資本や技術を支那に移したから。日産のゴン太郎が、その悪人のシンボル的な存在だ。せっせせっせと日本の富を支那に盗み出した。その見返りが、100億円にも迫る、私腹肥やしではあった。ゴン太はトッ捕まったが、多くの盗人は、まだいけしゃあしゃあとしている。この辺りの現実が、経済だとかを知らなければ、指摘できない。 (特ア・泥棒マスコミは、あまり書かぬが、日産はナン兆円も自社の利益を、仏ルノーに盗まれた。その手引きをしたのが、自社株をフランスに売り飛ばした、売国役員達だった。もちろん、これを指をくわえて眺めていた、政治家たちも、お馬鹿のそしりを免れない。) 先進工業国だとか、支那やインドのような大国は、別の矛盾というか、戦いがある。戦前の世界支配は、国権を奪って、インドやインドシナ半島だとかの、植民地経営を行ってきた。現代の支配は、表面上は政治的な独立を与える。しかし、経済的。とりわけ国際的な巨大金融資本で、経済を縛り付ける。政治にだって、巨大金融が間接的に、国内企業などを使って、政党や議員を操ってきた。

日本の場合は、構造改革で、国内産業を支那などに、移した。

これで日本人は、決定的に貧しくなった

これを為したのが、中曽根あたり。それ以降の、構造改革にやられちまった、無能な政治家たちではあった。そして、少しは骨のある、小渕氏は不審な死を遂げた

(※mono....後半略)


■ 麻薬ビッグバン - 薬物解禁の扇動とグローバルスタンダードの洗脳 「世に倦む日日(2019-03-22 23:30)」より
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危険ドラッグ
(※mono....前半の話薬物解禁に動く左翼言辞の話は略)

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少し前に、テレビで「平成元年の世界時価総額ランキング」が紹介されていたが、1位はNTT、2位は日本興行銀行、3位は住友銀行、4位は富士銀行、5位は第一勧業銀行、7位は三菱銀行、9位は東京電力、11位はトヨタ自動車、13位は三和銀行、14位は野村證券、15位は新日本製鐵となっている。上位は日本企業が独占していて、日本の都銀(メガバンク)が堂々と勢揃いしている。これが当時の日本の金融機関の実力だった。平成元年だから、金融ビッグバンを始める7年前の現実だ。金融ビッグバンを始め、制度をグローバルスタンダードに合わせ始め、規制緩和を繰り返して20余年、結果としてどうなったかと言うと、昨年(18年)の同ランキングに日本の銀行は一社も入っていない。トヨタが35位に顔を出しているだけだ。金融ビッグバンとは、結局のところ日本売りであり、日本潰しであり、日本の金融資産を外資に差し出したということであり、日本の資本法制を米国資本(ネオリベ)の言うがままに変更して従属させ収奪させたということにすぎない。制度変更は広く企業経営に及び、株主持ち合い制度が廃絶され、外国人の社外取締役が入り、企業会計の制度と運用が改変(改悪)された。人件費がカットされた。

利益が株主配当と役員報酬に回され、M&A対応で内部留保に回された。日本企業の現場主義が否定された。労働法制も連動して改悪に次ぐ改悪が為され、製造業への派遣労働が解禁され、非正規労働者がどんどん増えて行った。日本の企業と産業の体質はどんどん弱くなり、日本経済は没落と弱体化の一途を辿った。金融ビッグバンなど全くやる必要なかったし、経済のルールを米国標準に合わせる必要などなかった。日本経済のルールをアジアに輸出し、台頭する中国を含めたアジア市場で標準ルールを作り、広げ、それを新しい世界標準にすればよかった。日本型の資本主義 - 多分に社会主義的な原理が導入・応用され、人にやさしく労働者に有益な - を21世紀の世界の資本主義の標準にすればよかった。グローバルスタンダードに合わせるという行為は、日本にとって自らを痛めつけ、自虐し、長所である固有の能力と価値を喪失するという愚かな自殺行為でしかなかったけれど、その行動を推進したのは右のネオリベ(竹中平蔵)だけでなく、左の脱構築主義も同罪だったことを忘れてはいけない。曰く、戦後日本は総動員体制だった、高度成長は間違いだった、一億総中流は多様性の否定だった、丸山と大塚の国民主義が諸悪の根源だった、云々。

戦後日本と高度成長を否定する左翼脱構築主義の言説が、ネオリベによるグローバルスタンダードのイデオロギーを正当化し、普遍化し、左右が共闘挟撃して日本のオリジナルを弾劾し、日本を丸ごと米国仕様の純正属国に変えて行ったのである。それは今も続いている。戦後日本の労働基準法に由来するところの、日本企業の正社員慣行に対してひたすらネガティブな言説を吐き、日本独自の終身雇用・年功序列を卑しめて解体を唱えたのは、本田由紀など脱構築の社会学者であった。岩波文化人だ。自分自身が大学教授様という終身雇用と年功序列の極めつけの特等席に居座って、その特権利益を存分に享受しながら、左翼リベラルの学者たちは、戦後日本が日本人のために作ってきた生存システムの排除に躍起になった。戦後民主主義の所産を破壊した。ネオリベのための環境整備に手を貸してやった。産業が壊され、金融が乗っ取られ、東京証券取引所の株売買は8割が外国資本家によって転がされている。それが金融ビッグバンの結末だった。産業が壊された次は農業で、TPPの後、日米FTAで死刑が執行されつつある。日本人は生きるためのたつきを悉く失った。日本語も日本文化も失った。音楽にも文学にも精彩がない。学問も技術も衰えた。想像力がない。米国の奴隷になった。


日本】 / 【日本の現在と将来
■ 失われた20年? 否、中国が日本の衰退を報じている間に彼らは「未来への投資をしている」=中国メディア 「サーチナ(2017.9.30)」より
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 中国メディア・今日頭条は27日「日本はどうやってこの20年間でモデルチェンジを遂げてきたのか」とする記事を掲載した。

 記事は、1990年代初期のバブル崩壊以降、日本のGDPの成長率は低迷したままであり、2009年には中国にも抜かれたと指摘。このため習慣的に「失われた20年」という言葉が用いられるが、この20年間を深く分析してみると、実は日本がソフトランディングを実現させ、経済のモデルチェンジと産業のレベルアップを完成させた20年間だったのだと論じている。

 そして、日本の製造業はローエンドな製造業になった家電産業に早々に見切りをつけ、新素材、人工知能、医療、バイオ、新エネルギー、インターネット、ロボット、環境保護、リサイクルなどの進行分野に軸足を置き始めたと指摘。「現在の日本は力を蓄えている時期であり、蓄積した技術が発散期を迎えれば、次の100年間は日本がリードし続けることになる。日本は実務主義国であり、メンツは大して気にしない。自分の力を他人に隠しているのだ」とした。

 また「日本にはイノベーション能力が不足しているという人がいるが、世界のあらゆるハイテク企業は日本の高精度な設備や部品、ソリューションプランがなければ少なくとも10年は進歩が遅れていたということがわかっていない」としたほか、ハイテク材料として珍重されるレアアースを「金」に変えることのできる国は、地球上にアメリカと日本の2つしかないとも論じている。

 記事は、「中国メディアが日本の衰退を論じている間に、日本は未来のための投資をしているのだ。経済力の競争は、最終的には技術的な発言権やサプライチェーンの掌握力が物を言うのである」と結んだ。(編集担当:今関忠馬)


■ データが語る「失われなかった20年」スイスの研究者が覆す、日本の“常識” 「ダイヤモンド ハーバードビジネスレビュー(2015.3.30)」より
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ステファニア・ロッタンティ・フォン・マンダッハ
Stefania Lottanti von Mandach
チューリッヒ大学 東アジア研究所 研究員
1996年、日本に留学。2000年、チューリッヒ大学日本学科と経営学を卒業したのち、経営コンサルティング会社に就職し、主にスイスとイギリスで活動。2006年、プライベートエクイティ会社に転職して、日本および韓国市場を担当。2010年、博士号を取得。2011年より現職。最近の研究は、日本のプライベートエクイティ市場、労働市場と流通制度を対象。

ゲオルグ・ブリント
Georg D. Blind
チューリッヒ大学 東アジア研究所 研究員
スイスのザンクトガレン大学で経済学修士、フランスのHEC経営大学院で経営学修士を取得したのち、2004年、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。その後、2008年からの1年間、京都大学経営管理大学院で日本学術振興会の外国人特別研究員を務め、2010年より現職。2014年、ドイツのホーエンハイム大学で経済学博士号を取得。主な研究テーマは日本の起業活動、労働市場、経済学方法論。最近の論文に
「Decades not lost, but won」
(ステファニア・ロッタンティ・フォン・マンダッハと共著)がある。

琴坂将広(ことさか・まさひろ)
立命館大学経営学部 国際経営学科 准教授
慶應義塾大学環境情報学部卒業。在学時には、小売・ITの領域において3社を起業、4年間にわたり経営に携わる。 大学卒業後、2004年から、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に在籍。北欧、西欧、中東、アジアの9ヵ国において新規事業、経営戦略策定のプロジェクトに関わる。ハイテク、消費財、食品、エネルギー、物流、官公庁など多様な事業領域における国際経営の知見を広め、世界60ヵ国・200都市以上を訪れた。 2008年に同社退職後、オックスフォード大学大学院経営学研究科に進学し、2009年に優等修士号(経営研究)を取得。2013年に博士号(経営学)を取得し、同年に現職。専門は国際化戦略。 著書に『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)などがある。
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「失われた20年」。バブル崩壊以降、低成長を続ける日本経済は、このようにネガティブに表現されることがほとんどだ。だが、あたかも既成事実のようにこの言葉が先行した結果、評価されるべき事実を見落としている可能性はないのだろうか。スイスのチューリッヒ大学で日本研究を専門とするステファニア・ロッタンティ博士とゲオルグ・ブリント博士は、この時期を日本の「失われなかった20年」と評して我々の意表を突く。本連載では、立命館大学の琴坂准教授との対話を通して、日本の常識を覆す新たな視座が提供される。連載は全4回。(翻訳協力/我妻佑美)

いま、世界は日本経済に注目している

琴坂 最近は、海外で日本経済や日本の経営を研究する研究者が減りつつあります。特に若手の研究者ではそれが顕著ではないでしょうか。そのようななかでなぜ、ロッタンティさんとブリントさんは日本経済や日本のビジネスに関心を持つようになったのでしょうか。

ロッタンティ 1980年代、日本との激しい競争にさらされていたのが、日本に関心を持った最初のきっかけでした。また私自身、遠く離れた異文化の国を探検したいという想いがあり、それが日本への興味と結びついたことも理由の1つです。スイスから見ると日本は東の最果て、遠い異国ですからね。それからは、のめりこむように漢字を勉強しました。日本語の読み書きも学び、気がついてみると、未知のヴェールに包まれていた日本語文献を理解できるようになっていました。

 大学卒業後は、日本とは無関係の経営コンサルタント会社に入社しました。しかし、不思議といいますか、驚いたことに、その会社は極めて日本的だったのです。西洋のマネジメント書に叙述されているような、典型的な日本企業の姿と類似していましたね。そこで日本的な経営への関心が再度高まったのを覚えています。

 5年後にプライベート・エクイティ・ファンドへ転職してからは、日本語の読み書きができるということもあり、頻繁に日本へ出張する機会に恵まれました。そうしたなか、2010年にチューリッヒ大学に現代日本研究所が設立され、研究者の募集がありましたので応募して、異色ではありましたが、民間企業から大学にカムバックして現在に至ります。

琴坂 ブリントさんも、ロッタンティさんと同じように実務経験がありますよね。私がドイツでコンサルタントをしていたときの同僚でもありますが、日本に興味を持ち始めたきっかけはどういったものなのでしょう。

ブリント 大学時代、私は英語もフランス語もこれ以上教室で学んでも得るものが少ないと思いまして、欧州から遠く、勉強のチャレンジになる日本語を学んでみることにしました。その時の先生が、日本語を楽しく学ばせてくれて、とても素晴らしい先生でした。それが出発点だと思います。

 在学中には、大阪ドイツ総領事館でのインターンシップをしました。その時の経験から強く感じたことが2つあります。1つは、日本はとても興味深い国で深く研究する価値があるということです。もう1つは、私の日本語が研究資料から情報を読み取るには満足できるレベルではないということでした。そのためもっとこの国を知りたいという気持ちがありながら、学びきれなかったという思いが残りました。

 大学卒業後は、ドイツのマッキンゼー・アンド・カンパニーに就職して、数年間やりがいのある仕事に従事しましたが、ふたたびアカデミックな世界へ戻ることを決めました。幸いなことに日本政府の給費を受けられたため、京都大学の客員研究員として1年過ごすことができました。これが日本と経済という私の2つの興味が組み合わさるきっかけになりました。

 マッキンゼーからオックスフォード大学に進んだ琴坂さんとは、非常によく似たキャリアだと言えますね。マッキンゼーを出た後に博士号を取得して大学に所属している研究者はあまりいませんよね。

琴坂 そうですね、普通とは逆のキャリアパスですよね(笑)。さて、本題に入りましょう。ここからは、日本に対するお二人のお考えを聞かせてください。私がオックスフォード大学に在籍していた当時(2008年〜2013年)、日本企業の経営に関する西洋の関心が大きく低下しているという印象を受けました。この原因についてお二人はどうお考えですか。

ロッタンティ バブルがはじけて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だった時代と比べると、日本に対する関心が薄れてきたのは確かです。中国の台頭とタイミングが重なったことも、その理由として挙げられると思います。皮肉なことですが、経営学的視点で見ると、日本企業の成功の源とされていた要因が、いまでは失敗の要因と考えられています。企業文化のあり方、年功序列、企業系列などはその代表例ですよね。

ブリント ただ、日本企業に対する関心が薄れても、日本経済そのものに対しては、そこまで顕著な関心の低下は見られなかったと思います。たとえば、デフレ経験など、日本の金融政策はふたたび注目を浴びています。なぜなら、リーマンショックの後遺症によって、西洋諸国も類似の課題に直面し始めているからです。これらの分野では、日本は先駆者的存在になっており、多くの政策当事者や研究者が日本の過去の経験を参照しています。

琴坂 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるような、まさに日本が光り輝いていた時代と比較すると、日本に対する見方はネガティヴにもなりました。なかでも「失われた20年」という言葉があり、日本経済はもはや成長も変化もしておらず、20年にも及ぶ停滞期間の中にあるという指摘がありますが、その点はいかがでしょうか。

ロッタンティ 「視点」という言葉がキーワードになると考えています。なぜ日本のマネジメント手法が、これほどの短期間で「規範」から「問題ある」モデルへと変容したのか。唯一説明がつくとしたら、それは「失われた20年」という視点が定着したからではないでしょうか。

ブリント 私たちは、そこに疑問を持ち、実際の数字と比較検証する必要性を感じたのです。つまり「失われた20年」という表現が象徴する視点が、現実の数字と本当に合致しているのかどうかを確かめてみたかったのです。

「失われた20年」という評価には疑問が残る

琴坂 なるほど。お二人の日本へ対するユニークな「視点」からみてみると、「失われた20年」も異なる解釈ができるかもしれませんね。そもそも「失われた20年」について疑問を抱いたきっかけを教えてください。

ロッタンティ ブリントさんと私は、ほぼ同時期に、それぞれ独自に「失われた20年」を再考するようになりました。当時、私は日本の雇用システムと雇用ポートフォリオに関する授業を担当していて、正規から非正規雇用へのシフトを、長期的発展を踏まえた数値から裏付けたいと考えていました。しかし、そこで辿りついた結果には正直なところ戸惑いを隠せませんでした。そこで、長期GDP成長率を調べていたブリントさんに、その数値を見てもらうことにしたのです。

ブリント そうでしたね。長期GDP成長率に注目した結果、実はあまり注目されていない事実に気がつきました。それは、過去20年間、欧州の先進国も日本と同様の低成長率を記録しているという事実です。しかし、誰も西洋の先進国の低成長に対して「失われた20年」などと呼んでいませんよね。

琴坂 なるほど。日本の過去20年のGDP成長率が、欧米諸国に比較すればそこまで低くないというのは重要なポイントですね。しかし、ではなぜ「失われた20年」という視点が生まれ、今日に至るまで不安を煽る結果になっているのでしょうか。特に日本に帰国してから、私もなぜ日本人が自国経済にこれほどまでに悲観的なのかは疑問に感じています。

ブリント それは、2つの比較が原因だと考えています。

 1つ目は、バブル崩壊以前の日本との比較です。戦後の日本は、荒廃した産業を急速に立て直し、さらに驚異的速度の経済成長でアメリカを初めとする西洋経済圏に追いつきました。その時期と比較すれば、確かに過去20年の経済成長の停滞は著しい成長の継続を予想していた人々にとっては期待はずれだったでしょう。しかし、他国に追いつくまでの経済成長の速度と、追いついた後の経済成長の速度を直接比較するのは適切とは思えません。

 2つ目として、これは頻繁に言及されますが、巨大な隣国、つまり中国との比較が挙げられます。しかし、国際貿易構造や一人あたりのGDPを見れば明らかなように、中国は、今現在でも急成長中の新興市場というポジションから抜け出しつつある状況に過ぎません。成熟した現代の日本の経済成長速度との比較が適当とは言えないと考えています。

 自国の過去や、隣国で起きている事情と比べるのはごく自然なことかもしれませんが、比較対象はもっと慎重に選ぶ必要があります。そうでなければ、間違った解釈が生まれるリスクがあるのです。

琴坂 では、GDP成長率を比較する対象として、ふさわしい国はどこだと思いますか。

ブリント 日本の場合、特に経済面ではアメリカと比べる傾向が強く見られますが、アメリカは最も不適切な比較対象と言っても過言ではないでしょう。アメリカは極めて自由主義的で、市場志向の強い経済が特徴です。尚且つこの20年間の成長の大部分は移民による人口増加がその要因なのです。

 私は、ドイツに目を向けることを勧めます。ドイツは、日本と似た多くの特徴を持つ国と言えるからです。適度な自由主義経済で、近隣国に低コストのアウトソーシングが可能な環境であり、この15年間、移民の動きはあまりありませんでした。さらにこの20年間のドイツの平均GDP成長率は、日本のそれと極めて似ていることは注目すべき点です。

琴坂 なるほど。不適切な比較によって、「失われた20年」という観念が後押しされてきた可能性は確かにありますね。ただ一方で、所得格差の広がりや労働市場が抱える諸問題などのように、日本ではそれ以外にも多くの要因を背景として「失われた20年」が議論されています。

ロッタンティ その通りだと思います。学術文献を読んでも、あるいは日本人の同僚との会話でも、所得格差の広がりや労働市場の問題に関係するキーワードが幾度となく登場します。例えば、「フリーター」「格差社会」「労働の脱標準化」などです。

 よく例に挙げられる、就職難で正社員として内定をもらえない大学院生は、まさしく、そうした苦難の体現者でしょう。職を失った正社員が、非正規の仕事しか見つけられないのもそうです。そのような個々の悲劇は枚挙にいとまがなく、深い悲しみすら覚えます。

 しかし、ブリントさんが述べたように、私たちが経済学者としての責任を果たすためには、一歩引いた目線を持ち、様々な数字を分析しなければならないと考えています。私たちはそのようなプロセスを経て、議論すべき別のストーリーがあるという結論に至りました。

 議論されて当然だと思われるのですが、日本には、これまでほとんど話題にすらならなかった事実があります。先ほどの「視点」の問題がその原因なのかもしれませんが、はっきりとした理由はまだ明言できません。

「失われた20年」に労働市場は拡大していた

琴坂 興味深いですね。数値のような動かしようのない事実で議論を進めるのは、最もパワフルな方法だと思います。具体的には、どのような数値が見つかったのでしょうか。

ブリント 私たちが今回分析した雇用に関する数値をご覧いただき、各自で判断してほしいところではありますが、まずは主要な分析結果を見ていきましょう。

ロッタンティ この図表は、この20年間のいわゆる非正規雇用の増加を示しています。非正規雇用率の増加は、私たちの予想した通りでした。ところが、その絶対数を確認したところ、非正規雇用の総計数が増加しているだけではなく、わずかな増加ではありますが、正規雇用の数も同様に増えていることが判明したのです。

ブリント これには大変驚かされました。日本では1995年以降、15~64歳の人口が縮小し続けているので、就業ポスト数も当然減少していると予想していたからです。ところが、実際には正規雇用の数は減少していません。これは日本企業が正規雇用を「失われた20年」の間に増やし続けてきたということです。

ロッタンティ さらに日本の企業は、この間非正規の社員を大幅に増やしました。約10万人の正規雇用と840万人の非正規雇用が新たに生まれたのです。

琴坂 つまり、非正規雇用の比率が増加しているのは、正規雇用の数が減っているからではなく、非正規の雇用が大量に生まれたからということですね。しかし日本では、業務のアウトソーシングや産業構造改革の進行により、正規雇用が非正規雇用に取って代わられたという理解の方が一般的かと思いますが、その点はいかがでしょうか。

ロッタンティ そういった事例はもちろん存在すると思います。もちろんこの数字は非正規雇用へのシフトを否定するものではありません。事実、いくつかの産業では、正規雇用から非正規雇用へのシフトがより顕著に現れているという研究結果もあります。

ブリント しかし、この数字が示すように、日本経済全体で捉えた場合、正規雇用が非正規雇用に取って代わられたというのは適切ではありません。多くの欧州諸国はこのような結果を喉から手がでるほど欲しいと感じるはずです。欧州の政治家であれば、これを人口減少社会における「驚くべき労働市場の拡大」と謳って大成功例として掲げるはずです。「失われた20年」というレッテルを貼ることなどとても考えられません。

スイスには正社員が存在しない

琴坂 なるほど、おそらく正規雇用から非正規雇用へのシフトというのは一部の産業の議論で、日本経済全体で見れば正規雇用も非正規雇用も共に絶対数で拡大しており、とても「失われた20年」とはいえないという視点ですね。ちなみに、お二人が暮らすスイスではどのような状況ですか。高度に発展した小さな開放経済というイメージがありますが。

ブリント スイス労働法は、イギリスと並んで欧州で最もリベラルな法律です。基本的には、全員が非正社員であり、その契約は特別な条件なしでいつでも終了できます。つまり正社員が存在しません。正社員が存在しないので、正規と非正規の対立も起きようがありませんね(笑)。

ロッタンティ 失業率がわずか3%ですから、そのシステムも悪い解決策とは言えないでしょうね。実際、非正規雇用とはいえ、多くの人がかなり頻繁に職を変えていくような不安定な状況ではありません。

 また、スイスと日本の重要な違いは、スイスではすべての雇用において、会社と労働者が社会保険料を分担する義務が生じるということかと思います。日本の場合、非正規雇用に対する会社と労働者の社会保険料の適用は、一定の要件を満たした場合に限られるため負担が低く、それが雇用者が非正規雇用を選ぶインセンティブにもなっているかもしれません。

 少なくとも、日本の人々が、世界で何が起こっているのかを客観的に理解するために、海外と正しい比較をすることは助けになると思います。

琴坂 視点を相対数から絶対数へ変えることで新しい発見があるという指摘は、とても興味深いですね。またこうした議論をする際に、他国との比較を取り上げるという方法はとても新鮮でした。お二人の主張は、多くの日本人が抱える不安や懸念とまだ違いがあるように感じます。次回以降、その点を中心に議論したいと思います。


■ 「失われた20年」は、実は「成長痛の20年」でした - 苦しんだ期間はイギリスよりも短いのです 「日経ブジネス(2014.6.9)」より
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 インターネットサービス企業のディー・エヌ・エー(DeNA)、メモリー大手のマイクロンメモリジャパン(旧エルピーダメモリ)、大手製薬会社アステラス製薬、半導体に欠かせないシリコンウェハーメーカーのSUMCO、大手都市銀行のみずほ銀行、そして最近上場したジャパンディスプレイ。これらの企業の共通点は何でしょうか。

 彼らは、「失われた20年」の間に生まれ、躍進してきた企業群のほんの一部です。このグループには現在、成功している企業だけでなく、苦しんでいる企業、既に売却された企業など、実に様々な企業があります。しかし「失われた20年」と呼ばれた時代であったのにもかかわらず多くの企業が生まれ、その多くが今も活躍しているのはなぜでしょうか。

 彼らは、ベンチャー企業、みずほやアステラスのように合併によって作られた企業、あるいは20年の間に作られた新しい起業方法から生まれた企業です。楽天、カカクコム、グリー、ミクシィ、DeNAのような、インターネットの普及で起業できた企業もあります。新しい企業ばかりではなく、ソフトバンク、ファーストリテイリング、ワタミ、キーエンス、日本電産など、この時代に一気に成長した企業もあります。

 このような現象が起きたのは、90年代が全く失われてなどいなかった証拠です。むしろこの20年間は、若く成長が著しかった日本から、成熟した、「大人な日本」に変わるための、大事な変革期だったのです。当時の日本の産業構造では、グローバル社会で競争できなかったからです。

 この変革は、成長痛のような、とても痛いものでした。しかし、20年以上“英国病”という成長痛で苦しんできたイギリスと比べると、20年という期間は決して長くありません。しかもその20年の間、日本の政治経済が構造改革を進めたため、新しく、競争力のある企業を生み出すシステムが生まれました。今日は、この変革についてお話ししたいと思います。
(※mono.--以下略、詳細はサイト記事で)

















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最終更新:2024年02月18日 09:27