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● 世代〔Wikipedia〕
日本の世代
日本の世代はさまざまな人が世代を命名し多くの世代が存在するが、ここではウィキペディアに記事が存在する世代だけを紹介する。また、世代の定義も人によって異なるが、ここで示されている「生まれた年」はリンク先の定義をもとに表示している。なお、範囲についての出典のないものやリンク先に複数の出典が存在するものは、ここでの範囲と異っている場合があるので注意が必要である。



■ 60歳以上が反体制に傾くわけは・・・・ 「More Access! More Fun!-永江一石(2017.7.28)」より
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世の中には左右のイデオロギーがありまして、おのおのが正しいと思ってるわけです。右の人は「政府は自分たちのために一所懸命やっている」と考える人が多く、左の人は「政府や体制は基本的に自分たちを支配しようとしている」と考えます。いずれも正しい部分も間違ってる部分もあります。だってある程度は国民を支配しないと政治も行政なんてできないっしょ。

不思議なのは共産主義というのは完全に民衆(というか経済も)を支配しないと絶対不可能なのに、共産系の左系の人たちが反体制なことです。選挙もない共産党独裁政府に支配されるのはかまわないが、民主的な政府に支配されるのは許せんとか意味が分かりません。

で、左の人たちは「安倍ガー」といい、右の人たちは「マスゴミガー」といい、互いにガーガー言い合う日常です。ガーガー聞きすぎて辛いです。お前らアヒルかよ。マスゴミガーとかいっても政府寄りのフジサンケイとか読売は「マスゴミガー」とか言われるのは迷惑だろうし(逆に左からは言われてるのかも)、一緒くたにされたくないのかもしれんよ。w
ただフジとか日テレもテレビになると政府寄りというのが影をひそめてるかんじ。私思うに「体制に負けないのがマスコミの使命」というのが「体制に反対してナンボ」に目的と手段が入れ替わっちゃってるんじゃないでしょうか。

我々シモジモにとって一番重要なのは、「イデオロギーに左右されず事実だけを淡々と伝えるマスコミ」であって、へんな汁を情報に混ぜないで欲しいのである。味が濁ってしかたないではないか。そういう意味ではNHKが比較的中立だったのだが、3.11以降、変に放射脳に振れたり、トップが変わって政権寄りにしますってなったり、もう訳が分かりません。

で、先日、仙台市長選挙があり、民進と社民、共産、自由が推す郡さんが当選したのだが、NHKでも報道されたように


郡さんに投票したの、60代と70代ばっか・・・・・

ということになってます。これはどの選挙でも同じ傾向で、若くなるほど保守傾向が強くなり、政権支持率が上がるのです。読売新聞調査はこれ


コレ見ると、団塊の世代が後期高齢者になる2025年には日本の政治は保守で安定しそうなんだが・・・w

では、どうして60代以上は反体制派が多いのか、本日はいろんな説を検証してみましたよ。

(※mono....以下中ほど略、詳細はサイト記事で)
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高齢者は社会で働いていない人も多く、景気を良くしても年金暮らしだから全く自分には関係ない。逆にデフレではなくなってインフレになったら入ってくる年金は同じだから生活に困る。つまり「不景気なら不景気なほど生活は楽」なわけです。逆に福祉を充実してもらったほうが自分は得。だから「福祉」というキーワードに弱いんじゃないかなと思います。
ということは、いまの40代、50代が高齢になったら、保守からリベラルに思考が変わってきて、今と変わらない政治構造となる気がしてきました。コレを打開するためには年金減らして高齢者も働くように社会を変えると「景気よくしろ」にマインドが変わるのでいかがでしょうか、この作戦。


☆ 世代論のワナ(新朝新書) 「Amazon」より
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出版社からのコメント
「バブル世代はヌルい」「ゆとり世代はバカ」「勝ち逃げ世代はズルい」......溜飲の下がる定説には見えないワナが仕掛けられている。はまると互いの不信は募り、断層が深まってしまうのだ。職場を揺るがす「世代間冷戦」はいかに引き起こされたのか? 太陽族、新人類から氷河期世代まで、メディアやマーケティング戦略が作ったステレオタイプの怪しさをあぶり出す。不毛な世代間の対立をいま解消するための強力な解毒剤。
+ カスタマーレビュー
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カスタマーレビュー


「東北の人は震災にあっても我慢強いから」という発言に違和感を覚える私が読んだ世代論,
投稿者 Gori トップ100レビュアーVINE メンバー 投稿日 2012/2/1
形式: 単行本 Amazonで購入
世代論というのは「この世代はこういう奴らばかりだ」とある世代を一括りにして評価することだろう。
これが間違ったラベリングの仕方であることは、ちょっとモノを考える人なら誰でこ思っていることだ。
共通一次世代は、男女均等法世代は、ゆとり世代は、団塊の世代は、などと人は言う。

太古の昔から人は「イマドキの若い者は」というくくりでものを判断してきたが
マーケティングなどというあたかも正しそうな表層のテクニックが世の中にまかり通って以来、
その世代論というものが、より喧しくなった。

世代論は、男は小心者であるとか、女の人は保守的であるとか、大阪の人はがめついとか、最近良く聞く例で言うと
「東北の人は震災にあっても我慢強いから」というあらゆるグループ分け論と同じで
一面だけを捉えているものの正しく対象を捉える方法ではない、のである。
本書はそのことを新書一冊分費やして縷縷述べているが特に新しい知見はない。
例えば、テレビの朝の番組でどんな情報が最も必要か、マーケティングしてもらったら、
「天気」という結論の分厚い資料を渡されたような残念さである。

「東北の人は我慢強いから」
このフレーズなどは、聞く度に、東北出身である私は違和感を覚える。
違うよ。「我慢強くなんかないんです。助けてください」

本書の中で面白いのは著者が就活の手伝いをした2人の若者との実体験である。
私はマーケティングより実体験のほうが面白いと思う派ですが、
こういうのもグループ分けですね。

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本の帯のタイトルが大げさすぎる。参考程度に読める本
投稿者 響子 殿堂入りレビュアートップ100レビュアーVINE メンバー 投稿日 2012/1/31
形式: 単行本
都合よく世代論をつくってしかけているのは、メディアだという説は面白いと思った。
「クルマ」「酒」「海外旅行」離れの消費傾向を報道することによって、各世代の問題を掲げるメディアの都合のよい「ワナ」、メディアの本能についても書かれている。
あらゆる報道を耳にしたり目にして、「全く今の〜は」と嘆くことによって溜飲を下げる大衆の精神構造の仕組みの点は納得した。
多くの人が「「○○世代」「アラフォー」など自分自身に「タグ」をつける、「自己ラベリング」傾向は、改めて危険性と愚を考えさせられ、内省した部分もある。
よく会話で聞かれる「私(僕)って〜じゃないですか。」という言葉に含まれた、情報社会のワナについても納得できた。
大人と若者との「世代間の冷戦」=「斜め目線のタテ関係」は、正面から向かい合ってない原因が、メディアの情報による互いの世代への先入観であると説き、会社・社会に必要なのは上下のタテ関係やヨコ関係ではなく「「おじ・おば」的なナナメパワーが必要で重要であると唱えている。

表紙の見開きに「不毛な世代間の対立を解消するための強力な解毒剤」と印刷されているが、それほど効果があるとは思えない内容。
著者が思っているよりも、「〜世代」とひとくくりにしないで、各々個性があり各人各様であることを理解している人は多いと思う。
「手探りの会話から」の章において、著者が「世代」よりもマイルドな表現とする「「〜系」で説明している部分があるが、それが逆にステレオタイプの先入観に誘う「ワナ」をしかけているのでは?と疑問を抱いてしまった。

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私には残念に思った本でした
投稿者 カローラ 投稿日 2013/2/9
形式: 単行本 Amazonで購入
私にはそれほど読んで納得する本ではなかったです。
言い尽くされているものが多く卓越した意見ではないでした。

☆ 「世代」の正体: なぜ日本人は世代論が好きなのか(河出ブックス) 「Amazon」より
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内容(「BOOK」データベースより)
「まったく、今どきの若者は…」私たちが厭きもせず繰り返してきたその言葉。なぜ日本人はこんなにも世代論を語りたがるのか―。大正青年から、昭和一桁、焼け跡、団塊、シラケ、バブル、新人類、ロスジェネ、ゆとり、脱ゆとりまで…若者たちと、彼らをとらえる大人たちの目線をめぐる100年の物語を活写。「世代」をとおして明治後期以降を通覧する画期的な日本社会論である。
+ カスタマーレビュー
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結局は世代論
投稿者 tarosansan 投稿日 2015/2/13
形式: 単行本(ソフトカバー)
正直にいえば、いささか期待外れだった。

世代論が誕生した歴史的経緯のくだりは興味深いが、それを
別とすれば、大正青年から脱ゆとり世代まで、若者がどのよう
に形容されてきたかを手際よくまとめた各世代論に過ぎない。

タイトルにある「正体」が何なのか、そして「なぜ」なのか、
いずれの答えも、残念ながら明確ではない。

世代論が歴史的な産物に過ぎないならば、世代論を仕掛け
ているのはだれなのか(マスコミ?)、なぜ受け入れられて
いるのか(単一民族の中で差異化を図りたいという願望?)。
あるいは、「団塊」世代が退職後もひとつの世代として、
その嗜好や考え方が取り上げられることや、40代の就職氷河期
世代の引きこもりやニートが社会問題であることを考えれば、
世代論は単に若者論だけとは言い切れないのではないか。

むしろこれらの疑問が深まった一冊だが、各時代が若者を
どのようにカテゴライズしてきたかという社会通史としては
面白い読み物だった。

■ Chikirinさんの世代論がすげえ面白いと同時に絶望感はんぱない 「この夜明けまでに(2014.10.10)」より
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前の記事書くためにChikirinの日記の過去ログを巡回していたんですが、ちきりんさんも昔は結構世代論書かれてますね。

面白かったのでまとめてみました。
他にも世代論と言えなくもないものはたくさんありましたが、純粋に世代論として意識して書かれているものだけを選んでます。

読んでみて、世代論においては、圧倒的に中高年が有利で、若者には絶望しか無いんちゃうか、と感じました。
少なくとも「上の世代と戦って打倒する」とか「批判して上の世代の取り組みを変えさせる」という発想だと絶望しかないように感じます。

いわゆる年長者を「老害」呼ばわりするアプローチは、気分は良いかもしれませんが、不毛でしか無い。そうではなく、状況を正しく認識して、自分なりの生存戦略を立てていかんとほんとに詰む、という危機感を持ちたいところです。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)


■ 誰に承認されたがってるかを見抜けないと世代論は見誤る 「かくいう私も青二才でね(2014.10.8)」より
(※mono.--前後略、詳細はブログ記事で)
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ツイッターなんかない時代から悪ぶれて身内から認められようとする文化はあったし、むしろ本人の目に見える距離の相手に対する承認欲求はこの時代のほうが強かった。

かつて強い承認欲求を持った人達にはその承認欲求を満たす段取りがあり「彼らなりに満たされるための消費や文化が存在していた」ことに思慮が及ばない人が多い。

実際、若者とバブル以前の文化やお金の使い方を比較すると、若者の視点で
「経済も下降している中、バブル以前の人みたくローンを組んで車を買おうと考える方が酔狂」
という言い分をする人は多く見かけるが、バブル以前になぜ都心部に住んでいても車を買っていたかを説明してる人はあまり見かけない。

端的に言えば、「モテたかったから」なんでもできた。
車も買い、流行りの音楽も聞き、女性にアッシー・メッシーだと言われたり、お金のかかる要求をされてもそれをバブル以前の人はこなしてきたし、こなしてでも満たされたい承認欲求が女性本人にも、連れがいるということで成り立つ世間体としてもあった。 (そもそも、過去に車が若者に売れた理由だって、ラブホテル代わりだったという話もあったりなかったり…)















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最終更新:2017年08月13日 21:09