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■ 川崎中1殺人事件に潜む更なる危険性 「無敵の太陽(2015.3.8)」より
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 神奈川県川崎で中学一年生の上村遼太君が無惨にも殺害された。犯人の舟橋龍一が逮捕され、共犯の柴山和也と樋口利生も捕まって、今後事件の詳細は裁判で明らかとなるだろう。今回の惨殺事件では、少年犯罪への刑罰が如何に軽いかが話題となっている。しかし、マスコミで触れられていない点がある。それは、舟橋家の複雑な家族関係と日本社会の変質である。

  報道によれば、主犯舟橋龍一の父舟橋喜一は、フィリピン人女性と再婚したという。この妻ジョセリンが元夫との娘を連れて再婚したらしい。龍一の実父がどちらかは分からないが、両親の躾(しつけ)が悪かったことは確かだ。連れ子を持つ者同士の結婚は難しく、一緒に住んでも本当の親子のように接することが出来ない場合もある。公(おおやけ)ではあまり口に出来ないが、下層階級にこうした複雑な家庭が多いのだ。母のジョセリンはおそらくフィリピン・バーの酌婦(しゃくふ/所謂ホステス)と同類の出稼ぎ人だったのではないか。雑誌の記事だと、ダンサーとかの職業であったらしいが、はっきりしたことは分からない。いずれにせよ、貧乏なフィリピンから豊かな日本へやって来た異人種だ。前の夫がどんな人物か分からないが、世間の常識で考えれば、矜持(きょうじ)のある紳士ではないだろう。南洋土人の遺伝子を持つ異邦人と結婚するなんて、堅気の男とは思えない。まともな家庭の親なら、そんなアジア人女との婚姻は認めないし、そもそも男の方が結婚しようと申し込まないだろう。したがって、フィリピン女と結婚する日本人の男とは、日本人女性に相手にされない人物が多いというわけだ。男としての魅力が無かったり、離婚経験のある中高年のオッサンだから、結婚相手の条件をとやかく言わないアジア人女に接近するのだろう。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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 混血児の等級は、その片親がどこの出身で、どんな容姿なのかで決まってしまう。たとえば、米国や英国の出身で、アングロ・サクソン系の親なら、子供は日本社会で恥ずかしい思いをしない。むしろ、自慢したり、感謝したりするだろう。親の素性を隠すことなく、友人へ積極的に紹介できる。歴史の授業で、親の祖国が言及されれば、自分の血統に誇りが持てるし、異郷に眠る自分の祖先について知りたくなる。しかし、その片親がアジア人だと、こうはならない。とくに東南アジア出身の親を持つ子供は、何かと嫌な思いをする。自分の血統に誇りを持てないし、できれば消去したいと考える。アジア系の子供が哀しいのは、大好きな親を友達に紹介する時、無意識的に躊躇(ためら)いを感じてしまうことだ。それに、親の故郷に関心が無い、というより「知りたくない」という、消極的拒絶反応が心に芽生えることがある。いとこやおじ・おばといった親戚だって、言葉や感覚が違うから、親近感が湧かない。それに、自分よりもっと惨めな子供が大勢群れている、フィリピンやタイを見るのが辛くなる。親にとっては同胞でも、混血児にとっては、一緒にされたくない劣等人種だ。同類と見られたくないから、なおさら日本人であることを強調したくなる。だからといって、生粋の日本人になれない。他の日本人みたいに、心から日本を愛することができないのである。心のどこかに怨念が潜んでいるからだ。こうした悲哀から性格が歪んでしまい、何人かは地球市民に憧れたりするのである。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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  どんな社会でも、下層民は理性でなく、本能で行動するから、その日暮らしが多くなる。日本はアジア人を簡単に入れるし、気安く国籍を与えてしまうので、下層階級が徐々に増えている。しかも、人種別階層社会の苦悩を知らないので、呑気に多民族共存社会に賛成する国民が意外に多いのだ。そんな日本でも、混血児が増えてくれば、純粋日本人と劣等民族との軋轢が、突如マグマのように噴出するかもしれない。そうしたとき、日本の良さは音を立てて崩れてゆくだろう。人種・民族で分裂した社会は元に戻らない。幕末の戊辰戦争で日本は、薩長軍と幕府軍で分裂したが、明治になると再び一致団結して富国強兵に務めた。「攘夷はどうなったの?」と尋ねる野暮は何人いたのか分からない。日本人は悲惨な過去は水に流す。隣を見てすぐ頭を切り換える。同じ民族だったからだ。しかも、天皇陛下のもとで薩摩も会津もない。陛下の御前では官軍・賊軍と別れて喧嘩をすることはない。みな陛下の忠臣を自負していたのだ。しかし、アジア人という異邦人が日本のメンバーとなったら、昔のような和解は無いだろう。肉体に基づく憎しみには、相手側の殲滅が解決策。移民反対をためらう者は、自らの子孫が将来どうなるか真剣に考えるべきだ。日本人は本音では分かっているだろう。しかし、本心を語ろうとはしない。常識を押さえて建前で政治を行えば、悲惨な結果になることは目に見えている。格好悪くても本音で移民排除を実行すべきである。

















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最終更新:2015年03月08日 17:02