+ 記事(批判部分抜粋)
週刊朝日は、2014年7月4日号の誌上にて、「(サッカー日本代表のチームカラーを「混じり気無い青」と表現した歌詞が)『純血性』を強調している」、「(死をイメージさせる歌詞が)特攻隊を思わせる」、「『日本の応援歌なんだから日の丸は当然』と言うが、意味深な歌詞をはためく国旗の下で歌われてしまうと、さすがにいろいろ勘ぐりたくもなる」などと評した[4]。こういった観点について、音楽評論家の石黒隆之は「日本に限定された歌がずっと流れることになるのも、相当にハイリスク」「過剰で、TPOをわきまえていないフレーズ。日本以前にサッカーそのものを想起させる瞬間すらない」と、NHKのワールドカップ中継のテーマとしてふさわしくないと批判し[5]、ジャーナリストの清義明も「サッカーは民族と文化のミクスチャー(混在)のシンボル」「最近は浦和レッズの一部のサポーターが掲げた『ジャパニーズ・オンリー』という横断幕が差別表現と大批判された事件もあったのに、サッカーのカルチャーをまったくわかってないとしか言いようがない」と批判している[4]。一方で、音楽評論家の宗像明将は「デビュー当時から和の要素も含む過剰な様式美を押し出してきた人ですから、その要素が過剰に出すぎて議論を呼んでいるだけでしょう」として、椎名の音楽に特段の政治性はないと擁護している[4]。
それらの批判に対して椎名自身は、雑誌『SWITCH』のインタビューにて「貧しい」「諸外国の方々が過去の不幸な出来事を踏まえて何かを問うているなら耳を傾けるべき話もあるかもしれないが、日本人から右寄り云々と言われたのは心外。(それらの批判は)揚げ足を取られたと理解するほかない。趣味嗜好の偏りや個々の美意識の違いなどという話を踏まえた上でも、自分は誰かを鼓舞するものを書こうとはしても誰かに誤って危害を加えるようなものは書いていないつもりだ」と反論し[3]、不謹慎だと言われた“死”という言葉については「死は生と同じくみんな平等に与えられるもので、勝負時にせよ今しかないという局面にせよ、死の匂いを感じさせる瞬間は日常にもある。ここを逃すなら死んだ方がマシという誇りや負けた後のことまで考えていられないという決死の覚悟をそのまま写し取りたかっただけ」と答えている[3]。また、2014年6月14日にゲスト出演したラジオ番組『JA全農 COUNTDOWN JAPAN』において、椎名は「最前線で戦う方だけにわかる、『ここを逃したら死ぬしかない、死んでもいいから突破したい』っていう気持ちはどんな分野にでもある。その瞬間だけを苦しむんじゃなくて、楽しもうという気分を切り出せば成功するだろうと思い、頑張って取り組んだ」と語っている[6]。



イチロー
■ 椎名林檎がイチロー歌った東京事変「スーパースター」ライブ映像を公開 「BuzzFeed(2019/03/27 15:59)」より
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《私はあなたの孤独に立つ意思を思い出す度に 泪を堪えて震えているよ》

椎名林檎がイチロー選手をイメージして作詞した、東京事変「スーパースター」のライブ映像が3月27日、YouTubeで公開された。


イチロー引退を受け、ネット上では改めて「聴きたい」という声が高まっており、「SR猫柳本線 椎名林檎オフィシャル」の公式Twitterは「たくさんのご要望にお応えして」公開したとツイートした。

映像は2010年に開催したライブツアー「ウルトラC」のもの。あわせて、同ツアーでの「閃光少女」のパフォーマンスも公開された。

イチローも激賞「針が振り切れた」

「スーパースター」は椎名が作詞、亀田誠治が作曲を手がけた楽曲。日ごろ椎名の音楽を愛聴しているというイチローは、テレビ番組で椎名と対談した際に、こう感想を語っている。

「そもそも僕はスーパースターって言葉、大嫌いで。でも、スーパースターの前に『私の』ってついてたことがね。あの瞬間にレッドゾーンまでブーンと針がね、振り切ったんですよ。僕のなかで」

「答えは無限大さ」


(※mono....以下長文は略、詳細はサイト記事で)


2020年東京オリンピック
★ 秋元康の総合演出決定? 東京五輪に椎名林檎が“日本が恥かく“と危機感表明 「livedoorニュース[LITERA](2015.1.28)」より
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 先日開催されたイベント「AKB48リクエストアワー」の最後に発表された、NGT(新潟)48の結成が波紋を呼んでいる。一部報道によれば、これは秋元康が2020年に東京で開催される東京オリンピックを意識した計画で、新潟以降も全国に姉妹グループを発足させる「JAPAN48」構想の一端だというのだ。

 世界が注目するオリンピックの開会式を、JAPAN48が飾る──。この悪夢のような計画に対し、ネット上では「マジ勘弁」「日本オワタ」など否定的な意見が殺到。計画の真偽のほどは定かではないが、秋元が東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の理事であることは確か。

+ 続き
しかも、秋元は安倍晋三首相とも昵懇の間柄で、14年の新春対談でも、非難が殺到したASEAN夕食会でのAKBのパフォーマンス披露について安倍首相は「普通ですとね、日本の伝統芸能を見せるんです。いろいろな議論がありましたが、やはり生でAKBを見るとビックリするんですね(笑)。皆さん、目がくぎ付けになって」と、まさかのご満悦。秋元の理事就任時には反対運動まで巻き起こったが、大勢の人が予感し、阻止しようとした「秋元が開会式総合プロデューサーに就任説」は、どんどん現実になろうとしているようだ。

 このような暗澹たる状況のなか、東京オリンピックに強く懸念を示しているのが、椎名林檎だ。なんでも椎名にとって「いちばん気がかりなのが東京オリンピック」だというのだ。

 たとえば、ナタリーのインタビューでは、11月に発売されたアルバムのプロモーション取材にもかかわらず自ら東京オリンピックに話題を移し、憂いを露わにする。

「(東京五輪開催が決まって)皆さん「だいじょぶなのか東京」と、不安を覚えたでしょう? 開会式の演出の内容がおっかなくて仕方ないでしょう?」
「昔から脈々と続く素晴らしいスポーツの祭典が東京で開催されるんですよ。もし自分の近いところに関係者がいるのであれば、言いたいことはありますよ。(中略)J-POPと呼ばれるものを作っていい立場にあるその視点から、絶対に回避せねばならない方向性はどういうものか、毎日考えてます」

 さらに昨年11月8日に放送された『SONGS』(NHK総合)にゲストで出演した際は、写真家の蜷川実花と演出家の野田秀樹を加えて「どうなる?東京五輪」という『朝まで生テレビ』のような題目でトークを繰り広げたのだが、ここではもっと踏み込み、組織批判を繰り出した。

「誰もいいって言ってないのに、なぜかいろんな都合で、あっ、ここはこうなっちゃって、ここはこうなっちゃって、組み合わせちぐはぐでアチャーっていうのが恐いじゃないですか」

 この椎名の指摘は、きっと多くの人が感じている不安な点だろう。しかも、ひとり熱さをほとばしらせる椎名を前に、秋元と同じく組織委員会理事の蜷川が「とりあえずわたしが何かできること、ありますかね?」と弱気になると、

「リーダー決めましょうって(言う)ことじゃないですか」
「トップ決めましょうって言いましょう!」

 と一喝。旧知の仲である蜷川にも不信感が拭えないのか、またしても蜷川が「ほんと言うなら『そんなの超ダサいし、ないっしょ』とか言えればいいんだけど、理事っていう名刺いただいてるからさ、それをちゃんと全うしようと思ってるの。それには、真ん中にまず入んなきゃいけなくて」と組織の論理で言い訳じみた話を始めると、椎名は露骨に醒めた顔を浮かべていたほどだった。

 ここまでオリンピックにこだわりを見せるのなら、いっそ椎名が理事になったほうがいいのでは......。彼女の発言を追っているとそんな気さえしてくるが、しかし椎名にもひとつ不安要素がある。それは"椎名林檎=ネトウヨ説"だ。

 椎名といえば、昨年、サッカーW杯のNHKテーマソング「NIPPON」を手がけ、その歌詞が「純血思想では?」「右翼的だ」と賛否を呼び、11月に発表した5年半ぶりのアルバム『日出処』もジャケットに配されたデザインが旭日旗に見えると話題になったばかり。そこでネット上にもちあがったのが「椎名林檎がネトウヨ化」という声だ。この東京オリンピックへの並々ならぬ懸念も愛国心から生まれているらしく、前述した『SONGS』では、「すごい極端なものが両方あるってところが、ほかの国の比じゃないじゃないですか」「日本が恥をかかないように、日本らしく」と"日本の誇り"を語っている。

 とはいえ、指摘される椎名の「右翼性」とは、そのじつ、無自覚なものだ。問題となった「NIPPON」だって、"スポーツ=戦い"という短絡的な発想に古風なフレーズを掛けあわせたらああいう歌ができあがっただけ。スポーツの熱狂がナショナリズムと密接につながっているという考えにおよばない(それをテーマにした野田秀樹の舞台『エッグ』で劇中歌の作曲まで務めたのに、だ)のは問題だと思うが、本人に確固とした思想性があるわけでもなく、たんなる"和風好き"のレベルだろう。実際、椎名が『SONGS』で東京オリンピックへの具体的な提言としてあげたのは、「ただなんか、花火の自慢だけはしていただきたいっていうのはある」(『SONGS』より)という拍子抜けするものだ。

 もっとも、椎名が東京オリンピックにかかわる確率は低く、それよりずっと深刻なのはやはり、秋元康のほうだ。いま、秋元こそがもっとも開会式プロデューサーに抜擢される可能性が高いわけだが、それこそ秋元が開会式を手がければ、日本の散々たる文化状況が白日のもとに晒されてしまうだろう。椎名が憂う"日本が恥をかく"ときが、刻一刻と近づいているのである。
(水井多賀子)

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★ “AKB断固反対”のマツコ・デラックスが東京五輪開会式を提案「芸妓さん集めて……」賛同相次ぐ 「msnニュース[日刊サイゾー](2015.1.27)」より
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 マツコ・デラックスが、かねてより東京五輪への出演が濃厚といわれているAKB48グループに対し、「なんか嫌な予感がする」と待ったをかけた。

 26日放送の『5時に夢中!』(TOKYO TX)では、2020年の東京五輪の開会式に、AKB48グループの選抜メンバーで結成された「JAPAN48」が出演するとの、東京スポーツの臆測記事を紹介。これに、マツコは「選抜メンバーでJAPAN48はやってくださって結構ですけど、絶対、開会式やってほしくないね! 開会式と閉会式は本当に恥ずかしくないものにして!」と力説。
+ 続き
 続けて、北京五輪やロンドン五輪でのダイナミックな開会式を引き合いに出し、「日本は敵わないよ、たぶん」「壮大なものでは、太刀打ちできない」と指摘。「(日本は)さらっとやればいい」と提案した。

 共演者から具体的なプロデュース案を問われると、「“東をどり”とか、“都をどり”とかに出る芸妓さん100人くらい集めて、黒のお引きずり(裾の長い着物)で、畳敷いてやらせる」と提案。「静寂でやるみたいなほうが、日本っぽい気がする」とした。

 これを受け、ネット上では「さすがマツコ!」「私も芸妓さん見たい」「地味だけど、日本らしくていいと思う」「畳敷きは、外国人から見たら新しい」などと、賛同の声が相次いでいる。

「昨年3月に、秋元康氏が東京五輪組織委理事に選ばれ、開会式の演出を手掛けることが決定。AKB48の出演はほぼ確実とみられており、ネット上では、秋元の起用に反対する署名活動も行われています」(芸能ライター) 同様の騒ぎといえば、昨年6月、EXILEのリーダー・HIROが、東京五輪について「(開会式の)中心にいられるように準備していきたい」「(開会式は)日本のエンタテインメントを世界に発信できる機会。日本の音楽を海外に広めていきたい」などと発言し、たちまち炎上。ネット上では、「ダサイからやめてください」「日焼け男たちが日本の代表なんて、ウソだろ……」といった批判が殺到した。

「AKB48とEXILEは、政府関連の仕事を受ける機会が多く、おととし12月のASEAN加盟10カ国が集まった特別首脳会議の夕食会でも、ショーを行っている。政府が、“日本を代表するアーティスト”として、この2組を位置付けているのは明白です」(同)

 全世界から注目される開会式だけに、今後も波紋が広がりそうだ。(撮影=岡崎隆生)


NHK
■ NHKが紅白歌合戦で見せた「国隠し」 「私的憂国の書(2015.1.2)」より
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 大晦日の夜は決まって日テレの品がない番組で大爆笑して年を越すのが常なのだが、NHK紅白歌合戦でひとりだけ注目していた歌手がいた。そのひとりとは、椎名林檎である。昨年書いた通り、友人の作品に彼女が参加していたり、彼女の最新アルバムにその友人が絡んでいたりと、遅ればせながら初めて椎名林檎という音楽家の作品をまともに聴く機会があり、かなり惚れこんだ。その彼女が、楽曲「NIPPON」を引っ提げ、紅白に出るというのである。

 私が注目していたのは2点である。ひとつは、この楽曲「NIPPON」のタイトルが示すもの、即ち、NHKの画面に日の丸がはためくのか否か、そしてもうひとつは、歌詞の中にある「祖国」という言葉がテロップに出るか否か、という点だ。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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 いみじくも週刊朝日が皮肉ったように、この楽曲が発表された時、左サイドからは「歌詞が右翼的」などという批判が飛んだ。だから私は、この楽曲を紅白歌合戦に持ってきたNHKにはいささか驚いたのである。ただ、結果として、演出がとにかくNHKらしすぎた。NHKをはじめ、左サイドはとかく「国を隠したがる」のである。

 NHKは大晦日に、彼等の体質が全く変わらない事を示した。今年もやはり、反日メディアとの戦いが続くと認識した一コマだった。


■ 【椎名林檎】「大戦中でもないのに右か左かと問うのはナンセンス。完全に踏み絵」「そういう読解力の方とは縁がないと思う」「それで私の何が奪えるというのだっていう感じ」 「Birth of Blues(2014.12.27)」より
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原理主義的人権ゲシュタポ相手に俺たちの林檎姐さん怒髪天を衝く。
約一ヶ月前の記事なのでちょい古ですが、溜飲下がりますので要所だけご紹介。
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 ――「NIPPON」というタイトルからか、「右翼的」「愛国ソング」などとネットやメディアで話題になっていましたね。

 ねえ。お騒がせしてすみませんでした。まさか、そんなことになるとは。組み合わせの妙だったんでしょうね。「混じり気」という歌詞だとか、「ニッポン」という読ませ方だとか。以前にも「日本(にっぽん)に生まれて」という曲をつくっていて。「っ」という促音便、グルーブを生むような読み方を選びがちなんですね。そういうことが相まって、疑わしく思われてしまったんだろうなと思います。

 でも、いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!? 右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います。難しいですよね。はかりづらいし。

 ――両面あるかもしれないし。

 そうですね。

 ――あたかもイデオロギーの踏み絵を迫るような。

 踏み絵ですよね。完全に。

 ――極端に言うと、「大江健三郎は左翼的だから読まない」「三島由紀夫は右翼的だから読まない」みたいな。

 同じですよね。でもすごくつまんないと思います、それは。私が聴いていただきたいから、というわけじゃないですけど。自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし。縁がない人たちがおっしゃってる、というだけですから。

 ただ、(批判は)ちょっと文脈がズレてると思うんです。タイアップはさておき、一つの曲としても全然そんなことは書こうと思ってないから。そういう読解力の方とは、縁がないって思っちゃう。

 ――「NIPPON」のジャケットに日の丸をあしらっているからですかね。

 ああ、そうかそうか。なるほど。

――拡声機を持っている写真が右翼的だと言う人さえいます。拡声機を使ったパフォーマンスは以前からされていたと思いますが。

 とにかく、否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
(※mono.--拡声器を手にした椎名林檎の写真略、ブログ記事で確認を)
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――アルバムに収録されている「ありあまる富」の「もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈」という歌詞そのままですね。ありあまる富を奪うことはできない、と。

 そう。そうなんですよ。

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「アマゾンで今すぐ手に入らないのが忌々しい時代」

 ――「NIPPON」に「淡い死の匂い」という言葉が使われていることを、問題視する声もありました。

 ああ、特攻みたいだとおっしゃっている方がいましたね。全然考えてもみませんでした。神風特攻隊が美意識としてカッコイイと思っていて、好きで書こうとしているとしたら、もっとやり方があると思うんです。この歌詞だって「死に物狂い」という体験をしたことがある方にとっては、別に何てことのない、素通りするような表現ですよね。

 たとえば歌っていても、どうしても表現したいことがあって、立て続けに畳みかけるようにずっと声を出していると、急に鉄の味がする時があるんです。私が「淡い死の匂い」と書いたのは、そういうようなことなんです。毛細血管が切れていってるような瞬間って、あるじゃないですか。ただそれだけのこと。本当に、なんでこんなに死をタブー視するのか……。

 死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。もしかしたら古くさいのかもしれないですけど。

 誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います。「極端な話、私が死んだとするでしょ」とか言う人、いますよね。いやいや、全然死ぬから。今、死に向かってるでしょ。毎日刻々と疲れていっている、向かって行っているなっていう感じ、しませんかね。自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

 コントロールできないことがよっぽど嫌なんでしょうね。スマートフォンとか、何でもかんでも便利なものが増えて、この10年ですごく状況が変わったでしょう。コントロールできないもの、アマゾンで今すぐ手に入らないものが忌々しくて仕方ない。生と死だけがコントロールできないもので、一番目を向けたくないものなんじゃないですか。

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きっこ兄さんみたいに「ニポン」「アベシンゾー」、有田芳生みたいに「アベ死ね」という歌詞ならみな幸せだったのに(´・ω・`)

で、「ありあまる富」って森田童子みたいですね。













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最終更新:2015年01月28日 13:39