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「"自称フェミニスト"には差別主義者がいる」宮台真司、安藤優子、加藤浩次と語るフェミニズムに嫌悪感が広がる理由 https://t.co/bAWer3TiMS @YouTubeより
— 宮台真司 (@miyadai) December 26, 2022
■ フェミニズムの弊害 「大紀元(2020年01月12日 15時00分)」より
/永続的な愛をみつけたいのなら、身体的な特徴に従うべきであり、それにさからうべきではない(shutterstock)
以前、私はビバリーヒルズに住むあるバツイチの不動産業者からメールを受け取った。
「親愛なるスーザンへ 貴方に関する記事を読みました。私の娘のことで相談があります。彼女は38歳のキャリア・ウーマン、高学歴(アイビーリーグ卒)で創造力豊か、知的で洗練された、愛情あふれる成功者です。モデルのような体型で非常に魅力的ですが、驚くことに彼女は理想のパートナーを見つけられないのです。私から見れば、彼女は無意味な関係に無駄な時間を費やしてきました。彼女はそれに不満を持っているし、何より子どもを欲しがっているのです。数人のカウンセラーにも相談しましたが、彼女はいまだに独身です。彼女の友人は全員結婚していて子どももいます。彼女がなぜ理想のパートナーに出会えないのか、私にはさっぱり分かりません。アドバイスをいただけないでしょうか」
このメールを書いた人の悩みは、珍しいものではない。今日、多くの女性が同じ問題に直面している。彼女たちは人生の成功者かもしれないが、愛を得られないのである。さらに、彼女たちがたとえ結婚相手を見つけたとしても、それは長い戦いの半分が終わったにすぎないのだ。
戦いの後半戦は、どうやって「夫を保つか」
「夫を保つ」という言い方は、適切ではないかもしれない。なぜならば、離婚を要求するのは男性側だけではないからだ。70%の離婚は妻側からという報告もある。悲しいかな、女性は相手を見つけたとしても、どうすれば結婚を維持できるのかが分からないのである。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で) / ※....記事全文保存〔メンバーのみ閲覧可〕
昨年の2018年7月、お茶の水女子大学がトランスジェンダー女性の入学受け入れを発表したとき、ただちにツイッターで、トランスフォビックな仕方で懸念や怒りを表明するフェミニストがあらわれた。私はそのようなツイートを見て、非常に暗い気持ちになった。
第一には、むき出しのトランスフォビアの言葉そのものが原因だ。だが、とりわけ私が暗い気持ちになったのは、次のようなことを考えたからだ――ついに、この手の言説が日本にもこの強度であらわれた、これからこの種のトランスフォビアと、正面切ってたたかわなければならなくなるのだろうか、と(※1)。
(※1 あくまでも私にはそう感じられた、ということであり、日本のフェミニズムの歴史やネット上のフェミニズムの言説に詳しい人は、日本にも以前からあったと言うかもしれない)
私は英米圏のトランスジェンダー・スタディーズを研究する過程で、「女性だけのスペースからトランス女性を排除しなければならない」と言うフェミニストが1970年代からいること、そのようなフェミニズムのトランスフォビアは終わった問題では全くないことを知っていた。トランスジェンダーの運動や理論において、トランス排除の言説や実践に抵抗することが、重要な課題であり続けてきたことも。
もっとも夏の時点では、女子大出身者が、やはりツイッターで「トランス女性を女子大に受け入れることで女性の安全が損なわれる」というような想定は非現実的だということを説明しているのを見て、私の不安はおさまった。お茶の水女子大学学長の室伏きみ子氏が記者会見で、学生の反応は非常に前向きで、学生・教職員ともに受け入れに反対の声はないと明言したことも、心強かった。女子大関係者のそのような主張は十分に説得的なものに、私には思えた。
ところが、正しかったのは最初の直感の方だった。冬になって気がつくと、言説の内容は女子大の問題をはるかに超え、トイレをはじめあらゆる女性専用スペースからトランス女性を排除しなければならない、というものになっていた。しかも、そうした排除は、フェミニズムがフェミニズムである以上、当然の帰結だと主張されていた。トランス女性は〈男体持ち〉か、単に「男性」であるのだから、トランスの権利と(シス)女性の権利は決して両立しない。したがって「女性の権利」を守るフェミニズムは、トランス女性を排除する資格を持つ、というわけだ。
(※mono....以下副題のみ、詳細はサイト記事で)
歴史に学ぶ――フェミニズムによるトランス女性の排除
トランスジェンダー運動/理論の誕生
トランスフェミニズム
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そして、トランスフェミニズムは、男性/女性というジェンダーのヒエラルキーにおいて、シス/トランスというもう一つのヒエラルキーが、いかに交錯して、トランスに対する差別や偏見を生み出しているかについて考えるよう、私たちに求める。例えば、女性性をジャッジすることには反対するはずのフェミニストが、なぜトランス女性の女性性をジャッジするのか。トランスフェミニズムの考え方によれば、そのようなフェミニストが、セクシズムには反対しながら、シスセクシズムという、セクシズムと関連するもう一つの差別的な思考へと陥ってしまっているからだ。シスセクシズムとは、ジュリア・セラノによれば、「トランスの人々の性自認や性表現を、シスの人々のそれよりも正当でないものとみなすセクシズム」であるキャンプ・トランスの映像資料
(※mono....注:チランスフォビア〔Wikipedia〕)
★■ 「MeToo」VS.「ドヌーブ」があぶりだした米仏の「深い乖離」--西川恵 「HUFFPOST(2018年01月26日 10時06分 JST | 更新 2018年01月26日 10時07分 JST)」より
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人間は単純な存在ではない。
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米ハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ問題を契機に、米国では「MeToo(私も)」運動が広がっているが、この運動に水を差すように、女優のカトリーヌ・ドヌーブをはじめ芸術家、編集者、ジャーナリストなど約100人の女性が、仏『ルモンド』紙に「しつこい誘いや不器用な口説きを、性犯罪と同一視するのは間違い」と公開書簡を発表した(抄訳は後掲)。これに対して欧米では賛否両論が沸き起こり、文化論争となっている。
「行き過ぎ」の声をあげたドヌーブ
この書簡に署名した女性は100人を超え、カトリーヌ・ミレー(作家)、サラー・シーシュ(作家、心理療養士)、ペギー・サストル(ジャーナリスト)、キャシー・アリウ(キュレーター)、グロリア・フリードマン(アーティスト)、ブリジット・ラーエ(ラジオ司会者で元ポルノ女優)ら、社会的に知られた名前が並ぶ。しかし何といっても、あのドヌーブが加わっていることが注目を引いた。
公開書簡は、米国でのゴールデン・グローブ賞授賞式(1月7日)の2日後に掲載された。同授賞式では「MeToo」運動や、性的暴力に沈黙している時間はもう過ぎたという「Time's Up」運動への連帯が事実上のテーマとなり、女優、俳優らがセクハラへの抗議を表すため、飾り気のない黒いドレスや服で参加。登壇する人たちのほとんどが、スピーチや謝辞でセクハラ問題に触れた。
だが、公開書簡を単に「MeToo」や「Time's Up」運動への対抗として出された、と見るのは間違いだ。名を連ねた女性たちも、女性の地位向上、労働条件の男女平等などは強く支持している。ただフランスではここ数年、フェミニズム運動が行き過ぎているとして、女性の間からも批判の声が起きていた。
公開書簡でも触れられているが、過度に性を強調した絵の展示や、性暴力の映画を上映したりすることに反対する声は、米国のみならず欧州各国で起きている。2014年には、ドイツのエッセンの美術館が予定していた仏画家、故バルテュスが撮った若い女性の写真の展示を取り下げた。昨年12月には、米ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されていたバルテュスの少女の絵が、過度に少女の性を煽っているとして撤去するよう求める1万5000人以上の署名が集まった。同美術館は撤去を拒否したが、潔癖さを徹底させようとするフェミニズム運動に対し、敏感にならざるを得ない社会状況が生まれている。
一枚岩ではないフェミニズム運動
「MeToo」や「Time's Up」の運動は以上のような流れの延長線にある、というのが公開書簡に名を連ねた女性たちの言い分だ。では彼女らは、「MeToo」や「Time's Up」の運動の問題点はどこにあると考えているのか。
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■ ゴールデングローブ賞、黒いドレスを選ばなかったモデルがその理由を語る 「ELLE(2018/1/10)」より
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セクハラ行為への抗議の姿勢を表明するため、女優も男優も黒い衣装で出席した今年のゴールデングローブ賞授賞式。でも中には華やかなドレスで出席した人も! その1人、モデルのバーバラ・メイアーが理由を説明している。
花柄のドレスでゴールデングローブ賞の授賞式に出席したバーバラ・メイアー。インスタグラムで理由を説明している。
「多くの女性たちが今夜、『Time's Up』のムーブメントを支援するために黒いドレスを着ることになる。これはとても重要で素晴らしいイニシアチブだと思うわ」と言うバーバラ。
「でも私はカラフルなドレスを着ることを決めました。もし今夜の授賞式を自分たちの権利のために立ち上がる強い女性によるゴールデングローブ賞にしたいのであれば、もうセクシーなドレスを着てはいけないとか、ファッションを通して私たちのキャラクターを表現する楽しみを人から奪うことは間違っていると思うから」と説明。
(※mono....以下略、詳細はサイト記事で)
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★■ 作家アトウッドさん、「MeToo」運動に懸念 「悪いフェミニスト」と反発され 「BBC-news(2018年 1月 17日)」より
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カナダ出身の作家、マーガレット・アトウッドさんが、性暴力の被害を告発する「MeToo(私も)」運動の行き過ぎを懸念する論説をカナダの新聞に寄稿し、ソーシャルメディアで論争が起きている。アトウッドさんは自分が今や、「女性に対する戦争」を扇動する「悪いフェミニスト」と攻撃されていると書いた。女性を「産む機械」として扱う近未来の独裁国家を描いたアトウッドさんの小説「侍女の物語」は、ドラマ化が米国で大ヒットして社会現象となっている。
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アトウッドさんは論説で、「そもそも女性は人間で(中略)犯罪行為も可能だ」、「(女性は)間違った行為のできない天使ではない」と前置き。その上で、性暴力被害を告発し連帯する「MeToo」運動を、「破綻した司法制度の症状」だと呼び、「女性やその他の人による性的虐待の苦情は、既存の制度・組織(企業を含む)を通じて公平な審判を受けられなかった。だから被害者は、インターネットという新しい道具を使った。空から星が落ちてきた。とても効果的で、大勢の目を一気に覚ました警鐘と受け止められている。けれども、では次は?」と、運動の行き過ぎに懸念を示した。
「自警団的な司法、裁判なき非難は、司法の不在に対する反応として始まる。革命前のフランスのように制度が腐敗しているか、あるいは米国の西部開拓時代のように司法そのものが存在しないか。そして人は、自分で何とかしようとする」とアトウッドさんは書き、さらにこうした「司法」による「正義」は、集団リンチや犯罪組織の出現につながると警告した。
「もし司法制度が効果的でないからと、司法制度を迂回するなら、何がその代わりになるのか。誰が新しい権力ブローカーになるのか。私のような『悪いフェミニスト』ではない。私のような者は、右派にも左派にも受け入れられない」
「極端で過激な時代には過激派が勝つ。過激派のイデオロギーは宗教となり、自分たちの考えをそっくりそのまま真似しない者は誰だろうと、背教徒や異端や裏切り者とみられる。中間にいる穏健派は、抹殺されるのだ」とアトウッドさんは書き、「女性に対する戦争とは異なり、女性同士の戦争は常に、女性のためを思わない連中を喜ばせる。今はとても大事な時だ。無駄遣いされないよう願っている」と結んだ。
ソーシャルメディアでは、この論説に対して賛否両論が続いている。
アトウッドさんの支持者は、思慮深い論考によって、広く受け入れられている通説に異論を唱えたと賞賛している。
しかし強く反発する声も多く、アトウッドさんがUBCでの問題を17世紀末の米マサチューセッツ州セイレムで相次いだ魔女裁判と比べたことや、力のある立場にいる男性友人を支援したことなどを、大勢が批判している。
■ ”MeToo”や”Time's Up”運動「男女平等の為に男支配を絶つ!」その次は?⇒運動に便乗する行き過ぎ革命論 「韓流研究室(2018 01 28 Sun 14:05)」より
(※mono....上記の引用記事はこの『韓流研究室』さんの記事を読んでのもの。なお、多数の引用および解説がなされている。)
■ 女性の自己防衛は強姦防止効果があるのに抵抗が強いのは何故か 「苺畑より(2015.6.21)」より
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最近フェミニストの間では大学構内で強姦が蔓延しているという神話がまことしやかにささやかれている。囁くというより喚かれているといった方が正しい。女子学生は大学在学中の四年間で強姦にあう可能性が20%以上もあるという似非調査が幅を利かせているのだ。実はこの調査は嘘八百というかものすごくひどい調査なのだが、ま、それはそれとして置いといて、女子生徒を強姦魔から守ろうと自衛教室を設けその効果について調査した大学がある。その結果、自衛は非常に役立つという結果が出た。ところが何故かフェミニストたちからは自衛を奨励するどころか批判する声の方が多く聞かれる。
ニューイングランドジャーナルオブメディスンに発表された調査によると、女子大生に性犯罪の兆しに気がつく訓練及び性的攻撃に抵抗する術に関する徹底した訓練を施したところ、次の年、この訓練を受けた女性は受けなかった女生徒に比べ46%近くも強姦にあう可能性が減ったというもの。
この訓練の中で一番効果があったのは、女生徒たちに性犯罪が起きる状況を避ける術を教えたこと。つまり、どういう状況が危険であり、どのように状況がエスカレートするのを防ぐかという知識を与えたことにある。
女性の人権向上を建前にしているフェミニストたちが何故この訓練に関して批判的なのかといえば、性犯罪防犯の責任をすべて女性に託しているということにある。襲われた時にどのように自分を守るかということを教えるのは、強姦は起きるものなので女性はそれに備えるべきという前提があり、男性に強姦をしないように教育するということが欠けているというものだ。これは病気に例えるなら、病原を取り除かずに病状だけを治療するようなものだというのだ。
こういうことを言う人に聞きたいのだが、じゃあ、あなた方は出かけるときに家の鍵をかけないのかと。
はっきり言ってだ、野蛮なイスラム社会じゃあるまいし、アメリカの大学に通っている男子学生が強姦が悪いことだと知らない訳はない。大学生にまでなって学校で「強姦は犯罪です。やってはいけません」なんて教えられなきゃ態度を改められないような人間は文明人の資格はない。そういう状況であえて強姦に及ぶような不道徳な人間にはそんな教育は意味がないだろう。
しかし、女性が自分の態度を改めて強姦を防ぐということは、強姦魔に「私ではなく、別の子を強姦してよ」という言うようなものであり、強姦を減らすことには役立たないという意見もある。だが、女子大生たちが自衛に非常な神経を払い自衛訓練なども受けていれば、大学構内における強姦の数を減らすことは出来るはずだ。「別の子」が居ないような学校になることに勤めればよいではないか、何故それがいけないのか?
フェミニストの言うことは洋の東西を問わず個性がない。これはずっと以前にカカシが出会った自衛は害あって益なしと唱えていた日本のフェミニストたちの言ってたことと全く同じである。
無論我々はフェミニストたちの建前を信じてはいけない。彼女達の本当の目的が女性を守ることにあるなどと間違った考えを持つと彼らの行動の意味が理解できくなる。だいたい現代フェミニストたちはフェミニズムより社会主義のファシストだ。彼女達の本当の目的は人々をコントロールすることにあるのだ。
(※mono.--後略、詳細はブログ記事で)
■ どんどん異様な事実が明らかになるバージニア女子大生の狂言輪姦事件 「苺畑より(2014.12.11)」から
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先日も紹介したバージニア大学の女子大生ジャッキーが2年前に同大学の男子生徒7人から暴力的に輪姦されたという話しだが、事件があったとされる当日の真夜中にジャッキーから呼び出されて彼女から直接話しを聞いたという三人の友達の証言がジャッキーの供述と全く違っていることがわかった。また、ジャッキーが当日デートしたとされる人物の実在性まで疑われており、この輪姦話はどんどん異様な展開を見せている。
(※mono.--中略、詳細はブログ記事で)
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大学構内強姦が多いという嘘
この間も紹介した別の事件、リナ・ダナムも件でもそうなのだが、別の記者がちょっと関係者にインタビューするだけで、事件がどんどん崩れていくのに、元の記者が全く取材を怠るということはいったいどういうことなのか?
最近何故か左翼リベラルフェミニストの間で、大学キャンパスにおける強姦問題が注目を浴びている。何故彼女たちが大学キャンパスを標的にしたのかわからないが、実は大学構内で起きる強姦は構外よりもずっと少ないという統計が出ており、大学キャンパス内で起きる強姦事件は全体の0.3%くらいなのだそうだ。だが、フェミニストたちは大学内は女子学生には危険な場所だ、男子学生や大学側は女子大生を虐待しているという自説を推し進めるのに余念がない。
だから、リナ・ダナムの大学時代に保守派共和党学生にレイプされたという嘘や、ジャッキーの7人の大学生に輪姦されたという妄想が、裏づけもせずに大々的に報道されてしまうのだ。
最近ダナムは自分が話した「バリー」という名前は仮名で実在の人のことではないと認めた。だが、実在する保守派共和党クラブ員だったバリーという男性が受けた被害は、今更ダナムが謝っても取り返しが付かない。彼女の場合は確信犯だ。彼女はそういう男性が存在することを知った上で、読者が誤解して彼を強姦魔だと思い込むことを狙っていた。だが彼の姿形をとっぴょうしもないものにすることで、後で別人だ仮名だと誤魔化せると計画していたのだ。これも大学内における強姦の話を推し進め、保守派共和党員の名誉を傷つけることが最初から目的だったのである。
(※mono.--以下の太字はmonosepiaによる)
ジャッキー自身も左翼リベラルのフェミニスト活動家であり、彼女の話を書いた記者も過激派だ。
左翼リベラルにとって事実などどうでもいいのである。自分のはちゃめちゃな説が通せれば嘘だろうと妄想だろうともってこいなのだ。
だからこういう奴らには絶対に騙されてはならないのだ。
しかし一番頭にくるのは、こういうふうに強姦されたと嘘をつく女がいくらも居ると、本当に被害にあった女性たちがはた迷惑をこうむる。実際に被害にあった人たちが信じてもらえなくなるからだ。
常に思うのだが、フェミニストこそ女性の敵である。
■ 慰安婦問題はフェミニズムで脱線した 「池田信夫blog」より
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今夜のアゴラ読書塾は『未完のファシズム』の片山杜秀さんと話した。彼が慰安婦問題で注目したのは、90年代には強制連行が焦点だったのが、2000年代にはフェミニズムが入り込んできて、強制だろうとなかろうと(賃金をもらっても)売春は性奴隷だという話にすり替わってしまったことだ。
これは私も驚いた。メルマガでも書いたように、NHKが放送した「女性国際戦犯法廷」は、弁護人もつけないで昭和天皇に欠席裁判で有罪判決を出す恐るべきイベントだったが、このときの罪状は強姦罪だった。いうまでもないが、慰安婦は売春であって強姦ではない。ここまでめちゃくちゃになると、もう反論のしようもない。
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)
早稲田大学や慶応大学といった難関大学の女子学生が「一般職」に殺到している。
「一般職」というと、コピー取りやパソコンへの入力作業などの定型的で補助的な業務で、転勤することがない職場で働くことが多い。「総合職」に就いて、男性と肩を並べてバリバリ働けると意気込んでいた、かつての女子学生とは意識が違ってきたようだ。
という記事を発見した。何を皆さんは感じるだろうか?
頭のいい女性ほど分かっている。何が働くことの喜び。人生の喜びかと。男性のようにストレスにさらされてガムシャラに働くことに価値観を置かない人が増えているのかもしれない。それでなくても女子力を磨け!でも仕事もしろと現代の女性は大変だ。そんなあり方への反動かもしれないし、男に戦いを挑めという前世代の非現実的なバカげたフェミニストへの冷めた気持ちもあるかもしれない。
アメリカでも女性の労働市場への参加が頭打ちになっているという。そして、より高学歴の男性と結婚している高学歴の女性ほど働くことをやめているという。日本で高学歴の女性に専業主婦志向が広まっていると言われるのと同じかもしれない。
フェミニズムの押し付ける理想の女性像・社会像はあまりに闘争的でステレオタイプだった。
でも、一部の女性にそんなことを言わなくても古来女性は労働力として労働に従事してきたのである。抑圧された面もあろうが、江戸時代などもそうだが女性の権利や奔放さは現代よりも担保されていた面もあるんじゃないだろうか?
(※mono.--以下略、詳細はブログ記事で)