● 連合軍軍政期(朝鮮史)
38度線以南(南朝鮮)
1945年8月25日、アメリカ軍が仁川府から南朝鮮への上陸を開始し、9月7日にアメリカ合衆国極東軍司令部が南朝鮮に軍政を布くこと宣言する



■ 李承晩と朝鮮半島の歴史 「ねずさんの ひとりごと(2011.10.12)」より
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大東亜戦争のあと、朝鮮戦争があったという事実は、多くの方がご存知のことです。
この戦争は、昭和25(1950)年6月25日~昭和28(1953)年7月27日の停戦まで戦闘行為が続きました。
いまでも、南北朝鮮の間に38度線が引かれ、韓国と北朝鮮の両国は戦争状態にありますが、一般に「朝鮮戦争」と呼ばれるのは、戦闘が行われていた上述の期間を指すようです。

さて、その朝鮮戦争ですが、戦闘期間を通じて、韓国では軍人約42万、民間人106万が命を失いました。そして約1千万人が一家離散の悲劇にあった。

大東亜戦争終結後、日本が軍事徴用した朝鮮人たちを国費をもって彼の国に返し、どうしても日本に残りたいと申し出て日本に残留した朝鮮人は、わずか245人です。
そのわずか245人が、戦後65年経ったいま、日本国内に約100万人にも増殖したのは、要するにこの朝鮮戦争が最初のきっかけです。

ひらたく言ったら、朝鮮半島で殺されそうになった朝鮮人たちが、ボートピープルとなって大挙して日本に逃げて来たのです。
昭和25年から昭和28年にかけての日本といえば、まだまだ貧しい国でした。
ほとんどの日本人は、まさに食うや食わずの苦しい生活を余儀なくされていた。
それでも、多くの日本人は身ひとつで逃げて来た朝鮮人たちをかくまい、衣食を与え、ときには経済的援助まで行って来た。
そのおかげで、多くの朝鮮人たちが、日本にそのまま定着して、現在に至っています。

また韓国については、戦後たびたびウォンが危機状態となり、巷に失業者があふれ、結果として職を求めて(このとき女性は売春による荒稼ぎ目的で)日本にやってきた者も多い。
それでも昭和の間は、日本に永住していても、たとえば運転免許証などでは、免許証の一番上の「国籍/本籍」欄に、「国籍:大韓民国」とか表示され、だから免許証をみれば渡来人かどうかがわかった。

ですからサラ金が世に出た当時は、貸付審査に際して、運転免許証を見て、韓国人だとわかれば、融資をお断りしていた。
それがなぜか、お国からの通達で、外国人だからと融資を断ってはイケナイとされるようになり、挙げ句の果てが、どこでどう決まったのか、いまでは運転免許証の「国籍/本籍」欄は、印刷上は空白とされ、警察の保有する特殊な機械を使わないと、一般人には外国人であるかどうかの識別はできなくされている。
実に不思議な話です。

(※ 以下長文略、詳細はブログ記事で)
















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最終更新:2014年09月26日 21:40