● 吉田調書:福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの 「朝日新聞デジタル」
 朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。
(※ 以下略)
● 吉田調書〔Google検索〕
■ 検証:吉田調書
「フクシマ50」感動の真実と官邸・東電・朝日新聞の大罪



■ 検証:吉田調書 「ザ・リアルインサイト」より
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From: 鳥内浩一

己の利害関係のために事実を隠し、ねじ曲げ、視聴者である国民を間違った方向に導くマスコミ。

私は、その報道のあり方に憤りを感じ、「日本人のための真のメディア」となることを使命として、昨年8月、マスコミが決して報道しない本物の情報を届ける新しいメディア、「ザ・リアルインサイト」を立ち上げました。

それから1年。日本のマスコミの病理を絵に描いたような体質の新聞社が、日本のマスコミの病理の縮図と言えるような捏造報道(誤報などではない)を行い、それが白日の下に晒されました。

いわゆる「吉田調書問題」です。
+ 続き
福島原発事故発生時の状況について、当時の所長吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の調べに対し答えた「聴取結果書」を朝日新聞が入手、今年5月から、「福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの」として大々的な特集記事を展開しました。

「所長命令を無視して原発所員が逃げた」

などという根も葉もない嘘が書かれたその特集記事は、事故収束のために決死の覚悟で闘ってくれた部下に、調書の中でも心からの感謝を示していた故・吉田所長の遺志をただ踏みにじるだけでなく、世界に大反響を巻き起こし、当初海外メディアが「フクシマ50(フィフティー)」と賞賛した彼らの評価を、「韓国のセウォル号に匹敵する責任放棄だ」と報じられるまで失墜させました。

あなたはあの時、原発所員の方々が何から日本を守るために闘ったか、ご存知でしょうか?

チェルノブイリの10倍の被害が日本を襲う

最悪の事態です。もしそれが起こっていれば、汚染地域を中心に日本が3分割されるほどの事態になっていたのです。

事故収束のために闘った原発所員の方々は、私達と同じように、それぞれの人生があり、家族がある、普通の人々です。

その普通の人々が、「命がけ」などというレベルではなく、「死を覚悟」して、最悪の事態から日本を守り、私達の命を守るために闘ってくれた事実、海外メディアが「フクシマ50(フィフティー)」と賞賛した真実を、私達は重く受け止めなければなりませんし、そんな人々を侮辱し、貶め、海外にまでそれを飛び火させた朝日新聞の罪は、あの程度の謝罪などで許されるものではありません。

私達日本国民は、「原発推進」か、「脱原発」か、といった立場を超えて、


極限状態の原発に最後まで残り、死を覚悟して、日本を守るために闘った「フクシマ50」の名誉のためにも、

「チェルノブイリの10倍」「日本3分割」などという、想像もしたくない危機を招いた事故を二度と起こさないためにも、

あの時福島原発で何が起こったのか、その真実を知る必要があります。

しかし、残念ながら、言い訳をするのに必死の朝日新聞、朝日新聞叩きに必死のメディアからは、その真実は見えてきません。

政府が公開している事故調査委員会の聴取記録を読んでも、黒塗り部分が多かったり、情報が断片的すぎて、何が真実なのか、どこに問題があったのか、なかなか見えてこないでしょう。

そんな状況の中、私達は、福島原発で起こった真実、何が問題の本質だったのかを誰よりも正確に語ることの出来る人物へのインタビューに成功しました。

(※ 門田氏紹介記事略、サイト本文で)
門田隆将氏です。

門田氏は、正真正銘、「福島原発事故の真実を誰よりも知る男」であり、真実への固い信念を持つ本物のジャーナリストであり、日本のよりよい未来を願う、熱い魂の持ち主です。

門田氏の口から、吉田所長はじめ原発所員の方々が、責任感と使命感を持って決死の覚悟で闘った真実を知る時、その感動の物語にあなたは涙が止まらなくなるでしょう。


朝日新聞
■ 朝日新聞購読者の皆さん、これでも朝日を読み続けますか? 「私的憂国の書(2014.8.19)」より
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朝日新聞がスクープとして掲載した、吉田昌郎所長が福島原発事故について語った、いわゆる「吉田調書」についての記事は、掲載直後から大きな疑義を指摘されていた。吉田調書とは、政府事故調の聴取に対し、吉田所長が28時間に渡って答えたことの記録だが、一般には公開されていないため、読者や一般国民が朝日の記事の信憑性を判断することは不可能だ。そんなときに、朝日の報道内容を「嘘だ」と断言したのが、吉田所長をはじめとする東電関係者のみならず、菅直人、班目春樹・原子力安全委員会委員長など100名近くに実名で語ってもらい、それを「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」として上梓した、門田隆将氏だ。


「ああ、またか」。失礼ながら、それが正直な感想である。今週、私は取材先の台湾からやっと帰ってきた。私が日本を留守にしている間、朝日新聞が「吉田調書」なるものを“加工”し、「福島第一原発(1F)の現場の人間の9割が所長命令に違反して撤退した」という記事を掲げ、そのキャンペーンが今も続いている。

 「ああ、またか」というのは、ほかでもない。ある「一定の目的」のために、事実を捻じ曲げて報道する、かの「従軍慰安婦報道」とまったく同じことがまたおこなわれている、という意味である。

 門田氏は、5月31日のブログ「お粗末な朝日新聞「吉田調書」のキャンペーン記事」を、このような書き出しで始める。そして、この朝日新聞の報道姿勢を、慰安婦捏造報道と根が同じという指摘をしている。

(※ 中ほど大幅に略、詳細はブログ記事で)
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 門田隆将氏が産経のインタビューで語っているように、事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、朝日の吉田調書報道は、先に朝日が懺悔した慰安婦虚偽報道と同質である。このような嘘ばかり読まされて、それでも朝日を購読し続ける読者の心情を、私は到底理解することができない。そういう人たちは、特定の宗教をカルトと知りながら信じつづける人と同じだ。朝日への怒りは、私のように朝日を敵とする人物より、まず読者が露わにすべきものだ。怒りの具体的行動は、購読停止である。こんな新聞、まったく必要がないどころか、害悪である。


朝日新聞
■ 朝日新聞捏造暴露・第2弾 「あるウソつきのブログ(2014.8.18)」より
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先日、朝日が従軍慰安婦の捏造を自ら検証し、自爆した。
 産経新聞は大喜びでこの朝日の捏造肯定に飛びついたわけだが。

 どうやら産経新聞が、「過去の朝日新聞叩き」第2弾を画策したように思う。

 フクイチ原発事故の事故調査記録、所謂「吉田調書」の曲解暴露である。

【産経】吉田所長、「全面撤退」明確に否定 福島第1原発事故
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140818/plc14081805000001-n1.htm

 東電の吉田所長については様々な主張があり、功罪ある人だという事は百も承知だが、事故直後からお亡くなりになるまでの期間だけに限定してみれば、彼は明らかに英雄である。少なくとも俺の目から見た限り、疑う余地はない。

 当時、特に酷かった報道が、「福島原発から全員撤退しようとしたフシがある」というやつと、「菅直人の無理矢理な引き止め策が、現場作業員の撤退を防いだ」というやつである。

 今回の記事では、吉田調書より「全員撤退なんぞ言ったことはない」というコメントと、「菅直人は邪魔だっただけ」という怒りに満ちたコメントが紹介されている。

 つまり、前述の「朝日に代表される特に酷かった報道」が、慰安婦と同じく全面的に誤報であった事を暴露する記事なのである。

 まあ、今回の産経の記事の方が誤報というケースもありえるかもしれないが、まず産経の方が本当であろう。産経にも誤報が多いのは否定せんが…。

 しかし、時既に遅し。海外メディアはこの日本の反日メディアの報道をうけ、

「日本の原発技術者は、原発事故を見て一目散に逃げ出した」

 と報道されてしまった後なわけであった。


■ 共同通信が決着させた朝日新聞「吉田調書」誤報事件 「夏炉冬扇の記(2014.7.25)」より
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どうやら朝日新聞の「吉田調書」の“誤報事件”も決着がついたようだ。共同通信の連載記事『全電源喪失の記憶~証言福島第一原発~』が、ようやく問題の「2011年3月15日朝」の場面に辿りつき、その時のようすが克明に描写されたのである。
(※ 中略)
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そして、共同通信の現場への食い込み方は、やはり活字媒体ならでは、の思いが強い。しかし、朝日新聞だけは、現場取材の痕跡がない。「ひょっとして朝日は現場に取材もしないまま、あの記事を書いたのではないか」と、どうしても疑ってしまうのである。
現場を取材する他紙の記者たちの中にも、今は、あの時の“現場の真実”を知っている記者たちが多くなってきた。彼らは、今回の朝日の「吉田調書」キャンペーンには、実に冷ややかだった。そこには、裏取りが不完全なまま「9割の人間が逃げた」と書いてしまう同業者に対する諦めと怒りがあるように私には思えた。
だが、朝日の報道の結果として残ったのは、「日本人も現場から“逃げて”いた」「日本版“セウォル号”事件」と外国メディアに大報道され、現場で闘った人々の名誉が汚され、日本人そのものが「貶められた」という厳然たる事実だけである。
(※ 後略)

■ 日本のメディア“偽善”と“すり替え”の罪 「夏炉冬扇(2014.7.10)」より
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昨日7月9日は、福島第一原発(1F)の元所長、吉田昌郎氏が亡くなって丸1年、すなわち「一周忌」だった。ちょうどこの日、『週刊朝日』の元編集長で、朝日新聞元編集委員でもある川村二郎さんと私との対談記事が『Voice』に掲載され、発売になった。
対談の中身は、例の「吉田調書」である。政府事故調によって28時間にわたって聴取され、記録されたという「吉田調書」なるものを朝日新聞が報道して、1か月半が経った。
それによって朝日新聞は「福島第一原発の所員の9割が所長命令に“背いて”福島第二に撤退した」という、事実とは真逆のことを書いた。私がこれに異を唱えて朝日との間で問題になっているのは当ブログでも書いてきた通りである。
この問題について、『Voice』誌に依頼され、私にとっては雑誌業界の大先輩である川村さんとの対談をさせてもらったのだ。題して、「吉田調書を公開せよ」。つまり、それは、「朝日新聞は責任をもって『吉田調書』の全文を公開せよ」という内容の対談となった。
+ 続き
私は、吉田さんや汚染された原子炉建屋に突入を繰り返した1Fのプラントエンジニアたち、あるいは当時の菅直人総理や班目春樹・原子力安全委員会委員長ら、100名近くの当事者を取材し、その実名証言をもとに『死の淵を見た男』を上梓した。2012年11月のことである。
私が描かせてもらった1Fのプラントエンジニアたちは、多くが地元・福島の浜通りの出身だった。つまり、地元の高校、工業高校、そして高専などの出身者である。
地震から5日目の3月15日、2号機の圧力が上昇して最大の危機を迎えた時、総務、人事、広報など、女性社員を含む多くの事務系職員たちを中心に、600名以上が吉田所長の命令によって福島第二原発(2F)に一時退避する。
この時、1Fには、彼らのような多くの“非戦闘員”たちが残っていたのである。フクシマ・フィフティ(実際には「69人」)を残したこの600人以上の退避を、朝日新聞は、所長命令に「背いて」、「9割」の人間が「撤退した」というのである。朝日の報道を受けて、外国メディアが、「日本人もあの現場から逃げ去っていた」と大々的に報じたのは、周知の通りだ。
私は、朝日新聞には、本当に『吉田調書』を公開して欲しい、と思う。菅直人政権下の政府事故調によって非公開とされた『吉田調書』。しかし、これほど真実とかけ離れたかたちで調書が朝日新聞に利用され、極限の現場で奮闘した吉田氏と部下たちが貶められた以上、このままであってはならないと思う。
朝日新聞の報道によって、現場の必死の闘いは、外国から「あざ笑われるようなもの」となった。貶められた1Fの現場の人間たちも、是非、朝日には「吉田調書」を公開してもらいたいだろう。何をもって自分たちが「所長命令に背いて逃げた」と言われなければならないのか。その根拠とは何なのか。そして朝日が伝えたい“現場の真実”とは一体、どんなものなのか。そのことを確かめたいに違いない。
実際に、私のもとにはそういう現場の声が多数、寄せられている。朝日新聞には「吉田調書」の全文公開をなんとしてもお願いしたいと思う。そして、いかに事実とは真逆のことを朝日が書いたのか、多方面のジャーナリズムの検証を受けて欲しいと思う。
発売になった同じ『Voice』誌には、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が〈『朝日』と中国から日本を守れ〉という記事を書いていた。私はこの記事に目を吸い寄せられた。
それは、櫻井氏が、日本がそこから守らなければならない「相手」として、「中国」だけでなく「朝日」も俎上に上げていたからだ。〈『朝日』と中国から日本を守れ〉――それは、実に強烈なタイトルだった。
櫻井氏はこう書いている。〈『朝日新聞』の特徴は、中国の特徴と似ています。多くの事例から『朝日』は「嘘をもって旨とする」メディアといわれても仕方がないでしょう〉、さらに〈歴史の事実を目の前に突き付けられても反省する気配のない『朝日新聞』の報道姿勢を見ると、「この人たちには名誉というものの価値がわからないのではないか」と疑わざるをえません〉。
厳しい論評だが、私もまったく同感である。櫻井氏も指摘する1991年8月の朝日新聞による報道に端を発した「従軍慰安婦問題」などは、その典型だろう。櫻井氏は、中国が嘘を連ねる背景を孫子の「兵は詭道(きどう)なり」の言葉を引いて説明している。
残念なことに、日本にはこの隣国の掌(てのひら)で踊るメディアは少なくない。日本のメディアが、なぜここまで日本を貶め、真実とは程遠い隣国の主張を代弁しつづけるのか、確かにそのあたりから説き起こすべきかもしれない。
私は最近の一部のメディアを見ていて、感じることがある。それは、「公平」や「中立」、あるいは「客観報道」というものから、完全にかけ離れた存在になっている、ということだ。
それは、あたかも「“活動家”が記事を書く」、すなわち真実はそっちのけで、自分の主張に都合のいいファクトを引っ張って来て、一定の活動家勢力の機関紙かのような内容になっている点である。「こんな新聞を毎朝読んでいたら、知らず知らずに洗脳されていくだろうなあ」と思わずにはいられないのである。
宗教的な事件が起こるたびに“マインドコントロール”という言葉がよく出てくるが、まさにそんなあからさまな紙面が毎朝、「当たり前」になっているのである。新聞メディアの部数低下の大きな原因は、読者の“愛想尽かし”にあるのではないかと、私は思う。
櫻井氏が指摘するように、「慰安婦問題」の検証は重要だと思う。この問題がもたらしたものは一体、何だろうか。朝日新聞の報道をきっかけに始まったこの問題で大騒ぎした人々は、今、満足しているのだろうか、と思う。日韓両国の間に残ったのは、根深い憎悪と怨念だけである。しかも、もはやそれは、修復不能かもしれない。
あの貧困の時代にさまざまな理由で春を鬻(ひさ)ぐ商売につかざるを得なかった薄幸な女性たち。喜んで色街(いろまち)で働く女性は当時とてなく、あの不幸な時代に“身売り”していった女性たちの気持ちを思うと胸がしめつけられる。
しかし、これは、その薄幸な女性たちが、「日本軍、もしくは日本の官憲によって戦場に強制連行されていった」という“虚偽”によって問題化され、そして国際化されていったものである。その中心にいたのは、あくまで「日本人」だったのだ。
日本と日本人を貶めたい彼(か)の国の人々と連携し、自分たち日本人を必死で貶めようとする「日本人の存在」が、この問題を大きくし、複雑化し、そして国際化させていったことを私たちは忘れるべきではないだろう。
あの時代の薄幸な女性たちの存在を私たちは、永遠に忘れてはいけない。しかし、その存在を「事実を捻じ曲げて」、日本の「強制連行問題」に巧妙にすり替えた「人々」とその「手法」もまた、私たちは絶対に忘れてはならない、と思う。
それは、日本の一部のメディアが得意とする“偽善”と“すり替え”によるものである。以前、当ブログでも書かせてもらった「マスコミ55年症候群」がそれだ。
私たち日本人は、「日本」と「日本人」を貶めようとする記者たちの巧妙な手法に、いつまでも騙されていてはならないだろう。櫻井氏のレポートを読みながら、私は、日本を救った男の一人・吉田昌郎さんの「一周忌」に、そんなことを考えていた。

■ 朝日新聞「吉田調書暴露」への反発 「粗忽な夕べの想い(2014.6.11)」より
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朝日新聞が5月20日に報じたいわゆる吉田調書の暴露記事に最近批判が高まっている。。吉田調書は、政府事故調査委員会が東京電力福島第一原発所長吉田昌郎氏に事故の詳細を聴取した調書で、一般非公開のものであった。しかし、朝日がこの調書を「極秘裏」に入手して、そこでの問題部分を暴露するキャンペーンを続けている。

これに対してノンフィクション作家の門田隆将氏が「私はこの報じ方は本当に恐ろしい、と思う。一定の目的をもって、事実を『逆』に報じるからである。」と彼のブログで朝日新聞を批判している。門田氏は吉田所長を始め事故の関係者を実名取材し克明に書き留めた著書を出しておりこの方面の専門家である。
(※ 中略、詳細はブログ記事で)
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原発事故と韓国旅客船沈没事故を関連づけて東電社員を中傷するなど全く酷い話である。これは朝日が慰安婦問題で捏造記事を出して、結果的に世界に拡散したころを想起せずにはいられない。今回、朝日新聞はこの二つの週刊誌の報道に直ぐさま厳重抗議をしている(週刊ポスト、フラッシュ)。どうも朝日の「捏造」批判に敏感に反応している感じだ。慰安婦問題では沈黙しているが、これまでの鬱憤を晴らすような反応だ。

この際、朝日と両週刊誌で徹底的にこの問題で激論を交わして欲しいと思う、どうにも自分には今回も朝日の意図的な決めつけに疑念を抱かずにはいられない。ただ残念なのはすでに吉田所長自身が故人であることだ。吉田所長は今回の騒ぎを草葉の陰でどう見ているだろうか。

■ 朝日の吉田調書"スクープ"でサンゴ事件を思い出した。 「Yahoo news[花田紀凱 | 『WiLL』編集長、元『週刊文春』編集長](2014.6.16)」より
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5月20日、朝日一面トップ記事を読んで違和感を禁じ得なかった。
福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏(故人)の政府事故調査委員会による聞き取り調書、非公開のそれを朝日が入手したというのだ。これは、ま、スクープであろう。
で、1面の見出しにはこうある。
「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一所員の9割」。2面では「葬られた命令違反」とも。
要するに「フクシマ・フィフティ」と世界で絶賛された第一原発の所員たちのうち650人が吉田所長の命令に反して、第一原発を撤退、第二原発に行ってしまったというのだ。
ニューヨークタイムズは早速、「パニックに陥った作業員たちは福島原発から逃げた」と書き、アホな韓国のメディアは「福島は日本版セウォル号だった」などと書き立てた。
冗談ではない。
朝日がスクープしたという吉田調書をどう読んでも、「命令に反して逃げ出した」などとは読めないのだ。
問題の部分、調書ではこうなっている(朝日の記事による)。
「本当は、私2F(福島第二)に行けと言ってないんですよ。福島第一の近所で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」
朝日デジタル版ではこう続いている。
+ 続き
「2Fに行ってしまいましたというんで、しょうがないなと」
「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」
この吉田証言のどこをどう読めば、「命令違反」という大見出しがつけられるのか。だいたい吉田所長がハッキリと「命令した」とは書いていない。
15日の撤退時点で、第一原発敷地内で放射能を、いちばんシャットアウトできるとされた免震重要棟には700人近い所員や協力企業の人たちが避難していた。現場の作業員だけでなく総務、人事、広報などの社員もおり、女性たちも少なくなかった。
食糧もなく、排泄もままならない。彼らを早く安全な場所に脱出させなければならない。大混乱の現場で、吉田所長は決断を下さねばならなかったし、所長の意図が正確に伝わらなかったことは十分考えられる。それぞれの現場責任者が判断を下さねば大惨事につながる恐れもあったのだ。
だからこそ、吉田所長は調書でも後に、
「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と言っているではないか。
担当の木村英昭という記者は「吉田調書の教訓は過酷事故では電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起りうる」と書いているが、しかし、福島第1では吉田所長以下69人は最後まで第1の現場に命を賭して残っていたではないか。だからこそ後に世界から「フクシマ・フィフティ」と賞賛されたのだ。
朝日の今日の“スクープ”は吉田発言を故意にねじ曲げている。あるいは朝日の意図に合う部分のみを抽出している。
それにしても朝日はなぜ、今、こんな意図的なねじ曲げ報道をしたのか。
23日の朝日、吉田調書の後追い記事にその答えが載っている。“自白”しているのだ。
〈柏崎刈羽7基、大飯4基、玄海4基……。切迫した場面でひとりの責任者が複数の原子炉について正しい決断を下せるのか。人間の能力の限界を踏まえた対応策が用意できないなら、原発再稼働への不安はぬぐえない〉
要は規制委員長の交代など原発再稼動に向けて着々と手を打っている安倍政権に対し、吉田氏ほどの人物をもってしても「対応に限界がある」、だから原発再稼動は考え直せ、このことを言いたいがための20日の記事だったのだ。
事実をねじ曲げてでも、自分の主張を通そうとする。サンゴ事件を思い出した。
1989年、朝日のカメラマンが自ら沖縄の海に潜りサンゴにK・Yと大きな傷をつけて、カラー写真付きでサンゴが傷つけられているという記事を書いた。
タイトルは「サンゴ汚したK・Yって誰だ?」
ところが、これが写真部員の自作自演(つまり自分で傷をつけ写真を撮った)と判明。本人は懲戒解雇、編集局長、写真部長が更迭された。
今回の吉田調書ねじ曲げは第二のサンゴ事件と言われても仕方なかろう。
最後に朝日に言いたいのは、20日の“スクープ”以降、さかんに事故調査委員会の調書の公開をキャンペーンしているが、ならばまず最初に、朝日が入手したという吉田調書を自らの責任で全面公開するのが筋だろう。


■ 朝日の吉田調書報道「なぜここまで日本人貶めるのか」と作家 「Social News Network(2014.6.9)」より
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 海外メディアは朝日新聞について、「日本のクオリティ・ペーパー」といった形容をよく用いる。しかし、その“高級紙”が、国家国民の尊厳や矜恃を毀損しかねない「虚報」を重ねているとしたら、日本人にとって“悪い冗談”では済まされないだろう。

 2011年3月15日、福島第一原発。吉田昌郎所長と所員たちは、日本の運命を左右する“際”にいた。その彼らについて、朝日は「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一 所員の9割」と書いた。生前の吉田所長に唯一インタビューしたジャーナリスト・門田隆将氏は、週刊ポスト誌上で朝日報道を子細に検証した。その冒頭部分を紹介する。
(※ 以下略、詳細はサイト記事で)

■ 吉田調書は朝日新聞の不毛なリークか 「BLOGOS(2014.5.24)」より / 同記事の本人サイト記事 「誇りはどこにある(2014.5.24)」
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朝日新聞が独占スクープとして特集している「吉田調書」について、内閣官房から吉田氏本人の上申書が公開されました。

この上申書に、政府が吉田調書を秘匿した理由が書いてあります。

リンク先のPDFを見るとわかると思いますが、この上申書では前後関係がつかみにくい。私も3回読み直してようやく大意を得ました。

上申書の内容をかいつまんで整理すると、
  • 政府事故調による吉田氏へのヒアリングで吉田調書は作成された。書類は政府事故調が保管している。
  • 国会事故調が吉田氏にヒアリングしたかったが、氏は入院中で出来なかった。
  • 国会事故調はヒアリングの代わりに吉田調書を使わせてもらうことにした。
  • 吉田氏は国会事故調が検証する目的でこれを許可した。
  • ただし、吉田調書を国会事故調から外部へ漏らさないことを条件とし、それには政府事故調も国会事故調も同意している。
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ということになると思います。

つまり、この調書を扱ったのは政府事故調と国会事故調だけであり、両委員会はそれを第三者に漏らさない約束を吉田氏と交わしていたことになる。

両委員会のいずれかに、この約束違反をして朝日新聞の記者に漏らした人がいる。

朝日新聞の記者は、そういう性質の調書と知ってか知らずか、これを自社だけのスクープとして特集を組んだ。

ーーというのが、吉田調書をめぐる事実関係ということになります。
(※ 中略)
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マスコミはすぐに「隠蔽体質」などと騒ぐので、調書を秘匿するのは悪いことだと思われるかもしれませんが、決してそんなことはない。

原発事故に限らず、不祥事の検証を行なう際に当事者の聞き取りは必須ですが、事が事だけに、必ず自分か仲間の失敗をありのままに語ってもらわなければなりません。そのためには、聞き取り対象者をその内容によって処分しないことと、聞き取り内容を秘密にすることを約束しておかなければいけません。そうでなければ、検証は上手く進まないのです。

秘密を守ることによって事実を洗いざらいにする。一見矛盾するようですが、完全な検証に近づくには避けて通れない道でしょう。

公開されることを前提にした暴露話など、真面目な人ならするわけがないからです。
(※ 中略)
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そもそも吉田調書を取り上げた1面に朝日新聞が「原発所員、命令違反し撤退」というセンセーショナルな見出しをつけていますが、これは特集記事の該当部分を読めばミスリードだとすぐわかるのです。

なぜそんなことをするのか?

吉田調書に驚愕の内容などないことを朝日新聞自身がいちばん知っているから、賞味期限が切れないうちに派手な見出しをぶち上げた、と考えると合点がいきます。

だとすると、今回の朝日新聞の暴露はスクープといえるような代物ではなく、不毛なリークにすぎないのではないでしょうか。
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正直いって、故人の遺志を踏みにじる、それもあの吉田所長の遺志を踏みにじって「死人に口なし」とばかりにその名誉を傷つけることを平気ですること自体に、私はかなり憤っています。
(※ 赤字はmonosepia)


★ 福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明 「朝日新聞(2014.5.20)」より
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東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。

■所員9割、震災4日後に福島第二へ

 吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。

 とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。

 午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」

 待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と調書には記録されている。安全を確認次第、現場に戻って事故対応を続けると決断したのだ。

 東電が12年に開示したテレビ会議の録画には、緊急時対策室で吉田氏の命令を聞く大勢の所員が映り、幹部社員の姿もあった。しかし、東電はこの場面を「録音していなかった」としており、吉田氏の命令内容はこれまで知ることができなかった。

 吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「第二原発に行け」と指示し、午前7時ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。

 その中には事故対応を指揮するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員もいた。過酷事故発生時に原子炉の運転や制御を支援するGMらの役割を定めた東電の内規に違反する可能性がある。

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最終更新:2014年09月29日 21:57