● 朝鮮通信使〔Wikipedia〕
朝鮮通信使のそもそもの趣旨は室町将軍からの使者と国書に対する返礼であり、1375年(永和元年)に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりである。15世紀半ばからしばらく途絶えて安土桃山時代に、李氏朝鮮から豊臣秀吉が朝鮮に出兵するか否かを確認するため、秀吉に向けても派遣されている。しかし、その後の文禄・慶長の役によって日朝間が国交断絶となったために中断された。その後、江戸時代に再開された。広義の意味では室町時代から江戸時代にかけてのもの全部を指すが、一般に朝鮮通信使と記述する場合は狭義の意味の江戸時代のそれを指すことが多い。「朝鮮通信使」という表現は研究者によって造作された学術用語であり、史料上には「信使」・「朝鮮信使」として現れる。また江戸幕府は朝鮮通信使の来日については琉球使節同様に「貢物を献上する」という意味を含む「来聘」という表現を専ら用いており、使節についても「朝鮮来聘使」・「来聘使」・「朝鮮聘礼使」・「聘礼使」と称し、一般にもそのように呼ばれていた。

■ 朝鮮通信使 「ねずさんの ひとりごと(2012.10.24)」より / 記事保存
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韓国の歴史教科書によると、江戸時代に、朝鮮から来日した朝鮮通信使は、徳川幕府が経済的に困窮に陥ったために、先進文物を取り入れようと、李氏朝鮮王に懇願して招いたものだったのだそうです。

それがいかにデタラメな捏造にすぎないか。
今日は、たっぷりと書かせていただきました。
(※ 長文労作です。ぜひ一読を。)


■ 朝鮮通信使の真実 「実録:KOKI の ざっぱ汁」より
(※ 前中後略、詳細はブログ記事で)
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朝鮮通信士が、鶏を盗んで乱闘になっている有名な絵なのだが、白昼堂々の集団強奪事件であることが見てとれる。

辻の中央では、奪おうとする朝鮮通信使たちと、そうはさせじと、もみ合っている町人たち。その足下には人が倒れている。盗まれた鶏を、取り返そうとして、返り討ちにあったようだ。

画面中央では、かっぱらった鶏を仲間に渡そうとしている者と、受け取ろうとしている者。また右側では、鶏を脇に抱えた町人の襟のあたりをつかんで、鶏を奪おうとしている朝鮮通信使の姿も見える。

欲しいと思った物は、力ずくだろうとなんだろうと、何がなんでも手に入れようとする、執念ともいえる大陸系的粘り強さ・・・か?

朝鮮通信使の役割として、
「朝鮮通信使は日本に儒教をはじめ、さまざまな文化や技術を伝承をしました」
といわれているが、これが、朝鮮通信使の真の姿である。

もっとも、鶏泥棒の文化や技術が、日本に伝承されたという記録はない・・・
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それにしても、朝鮮通信使とは、いったい、何様?
なのだが、世界の常識なのか、非常識なのかは、ともかくとして、朝鮮通信使には、朝鮮通信使たちなりの理由があった。

鶏泥棒・・・? Why!なぜだ!
であり、どうして非難されるのか理解できなかったのだ。
理解できるだけの脳みそがなかったから?
んーっ、まぁ、それは・・・

彼らは、たいがい内気で、わたしたちの姿が目に入るとあわてて鶏をひっつかんで隠してしまう
イザベラ・バード 朝鮮紀行(p133)

伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民たちを脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
イザベラ・バード 朝鮮紀行(p137)

これは、「朝鮮紀行 英国夫人の見た李朝末期 イザベラ・バード」の中の一文であるが、鶏や卵をかっぱらうのは、両班の当然の権利であり、まさに強奪者以外の何者でもない。

このことから、自国(李氏朝鮮)において、官僚や両班にとって、食い物など「勝手に盗ってよし」は普通のことであり、日本において鶏を盗んだことで、なぜ咎められるのか理解できなかったことが想像される。




■ 朝鮮通信使の嘘に騙されるな!! 【保存・拡散】 「BBの覚醒記録(2014.5.8)」より
(※ 前後略)
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朝鮮通信使は文化度の低い盗人集団だった。

江戸時代を「探検」する』 山本博文 新潮社より、

 「通信使の随員の中には、段々と尊大な行動をする者も現れた。出船の時に、前夜 出された夜具を盗んで船に積み込んだり、食事に難癖をつけて、魚なら大きいもの を、野菜ならば季節外れのものを要求したりというような些細なことから、予定外 の行動を希望し、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりするようなことも あったという」

韓国の教科書が教える朝鮮通信使の大嘘

壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。
ために戦乱後成立した

日本の徳川幕府は先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。
朝鮮では日本が犯した誤りを恨みながらも建国以来の交隣政策の原則に照らし、
制限された範囲内での交渉を許した(1609年(光海君2年)、己酉約条)。
そうして富山浦に再び倭館が設置され、そこで日本人は米、木綿、人参などを求めていった。
また日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。
これに対し朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。
日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。
したがって通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした 。


大嘘

女子高生まで動員されて、捏造朝鮮通信使の再現
http://www.youtube.com/watch?v=HSUCdorzW6k

雨宮礼子さん、思い込みの?嘘を広めて日本を貶めないでください。
あなた日本人なのでしょう? 朝鮮通信使は家康の友好政策などではありません。
勉強してください。


■ 日韓文明度比べ 【保存・拡散希望】 「BBの覚醒記録(2014.5.10)」より
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本来、日本と韓国の文明度を比較する必要などないのですが、韓国が
「朝鮮通信使」の「世界記憶遺産登録」を日本に持ちかけて来ていて、
それに乗るNPO法人AYUドリームの雨宮礼子氏のごとき阿呆な人物や、意識の低い地方自治体が驚くほどあります。

韓国の狙いはただひとつ、「当時の朝鮮は日本より遥かに優れた文化を誇っていて、
未開の日本がどうぞ文化を教えてくださいと朝鮮に懇願。文化を日本にもたらしてやって
使節団が朝鮮通信使」である、という嘘を世界に発信、定着させたいのです。

とんでもない妄言ですが、しかし放置していたら、従軍慰安婦や竹島の嘘と同じくそれが真実として定着してしまいます。

韓国側の1800~1900年代は過去記事にまとめました。

朝鮮通信使の嘘に騙されるな!! 【保存・拡散】http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95772a21292a8bfe25688f12ca53fb8a

(※ 中略)
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英国婦人イザベラ・バードは、日本と韓国、そして中国を旅行して寄稿文を
残していますが、日本は絶賛、韓国と中国は「汚い」と描写しています。
倫理観も礼儀も日本は群を抜き、中韓最低・・・・・だと。
アートが庶民の暮らしの細部にさえ息づいていると、日本の文化度の
高さに驚嘆しています。

以下はバードが泊まった金谷家の絵と、バードの文章です。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)















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最終更新:2014年05月10日 15:06