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「出エジプト」は虚構。「ユダヤ人の追放もなかった」 「るいネット(2019/10/01 PM06)」より
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「奴隷として迫害され続けてきたとされるユダヤ人」のイメージは「モーゼの出エジプト記」やその後「約束の地を追放された人々の末裔がユダヤ人」という物語によって補強され、イスラエル建国運動、つまり「シオニズム」の根拠とされている。
しかし考古学的には「出エジプト」は虚構であり、ユダヤ人の追放を示す「文献」も存在しない。いずれもが「シオニズム」を正当化するための政治的言説であるという。
ユダヤ人は、奴隷故に高い追求力を獲得したのではなく、奴隷制度や国家秩序の枠外で市場の可能性を追求し続けてきたからこそ高い追求力を身に着けてきたのだ。ただその追求力は、壮大な嘘をつく能力でもあり、事実の追求の時代に通用するかどうかは別ではあるが。
以下は「ユダヤ人の起源(発明)」の著者、シュロモー・サンド氏のインタビュー記事である。
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イスラエルはユダヤ人の国であると規定されている。ユダヤ人とは預言者モーセ(モーゼ)に率いられてエジプトを脱出し、約束の地カナンに戻ったユダヤの民の子孫であり、ローマ帝国に反乱して追放され、世界に離散した民だと信じられている。しかし、イスラエルの歴史家シュロモー・サンドさんは「ユダヤ人という民族は存在しない」という。
――過激な本ですね。
サンド いえ、政治的には過激ではありません。私は歴史分析によって「(現在の)ユダヤ人に聖書のユダヤの民とつながる起源はない」とユダヤ人というアイデンティティーを否定しました。その点では過激です。
ダビデの時代、王国は存在せず エルサレムは当時、小さな村
――聖書の記述は事実ではないと書かれていますね。
サンド イスラエルでは普通の学校で聖書の物語を宗教としてではなく、歴史として教えます。モーセの「出エジプト」は紀元前13世紀とされます。しかし、考古学の発掘の結果、そのころのカナンはエジプトの支配下にあったことが分かっています。「出エジプト」はなかったのです。私がそれを知ったのは12年前です。衝撃でした。
考古学的発掘によってダビデやソロモンの時代とされる紀元前10世紀に、強大な王国が存在したという証拠は何ひとつ出ていない。エルサレムは小さな村に過ぎなかったことが分かっています。
――ユダヤ人の追放も否定しています。
サンド ユダヤ人はユダヤ人追放を誰もが事実として信じています。しかし、それを記した歴史書は一冊もないのです。ユダヤ考古学の研究者に質問しました。彼は「追放ではなく破壊に伴う移民だ」というのです。しかし、大量な難民が出たことを示す記述はないのです。本のなかで「追放の発明」として書きました。
――パレスチナ人はかつてユダヤの地にいた人々の子孫だと書かれていますね。
サンド シオニズム(19世紀以来のユダヤ人国家建設運動)の歴史家は7世紀のイスラムの征服でユダヤ人は追放されたと唱えます。しかし、アラブ人がエルサレムのユダヤの民を追放した証拠はありません。ユダヤの地にいた人々の多くは農民でした。農民は簡単には土地から離れません。アラブ人がエルサレムを占領し、彼らの宗教を受け入れれば税を免除しました。多くの農民が受け入れたでしょう。追放がなかったとすれば、ヨルダン川西岸にいるハマスの活動家のほうが、私よりも古代のユダヤの民の子孫である可能性はずっと高いのです。
――イスラエルのユダヤ人には受け入れられない主張でしょうね。
サンド パレスチナにいるアラブ人はかつてのユダヤの民の子孫ではないかと考えたのは、私が初めてではありません。初期のシオニズム運動の指導者たちも同じように考えていたのです。1948年のイスラエル独立で初代首相のベングリオンが若いころ、パレスチナのアラブ人はユダヤ人の血をつぐものたちだから、ともに国をつくることができる、と書いています。ところが彼は独立宣言ではイスラエルは追放されたユダヤ人の国と規定しました。アラブ人とともに国をつくるという考えは排除されたのです。
ロシアや東欧のユダヤ人は 改宗ユダヤ教徒ハザールの子孫
――世界にいるユダヤ人についてはどうですか。
サンド かつてユダヤ教は積極的に布教する宗教でした。追放ではなく、改宗によって世界にユダヤ教徒が増えたのです。例えば、黒海とカスピ海の間にできたハザール王国は8世紀から9世紀にかけてユダヤ教を国の宗教としました。13世紀にモンゴルによって滅ぼされますが、ロシアや東欧に大勢のユダヤ教徒がいることは、改宗ユダヤ教徒ハザールの子孫と考えることが自然です。
――イスラエルの将来を、どのように見ていますか。
サンド シオニズムはユダヤ人国家を正当化するために聖書につながる民族の起源として「ユダヤ人」を作り出しました。私はイスラエルの存在を、シオニズムのように過去によって正当化するのではなく、この国が民主国家に生まれ変わるという将来によって正当化するべきだという立場です。イスラエルはユダヤ人国家として存続することはできません。国民として生きるアラブ人にも平等の権利を与えねばなりません。
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ユダヤ人は純粋に罪なき被害者なのか?-歴史の因果 「万国時事周覧(2018-03-06 15:33:40)」より
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仏作家セリーヌの激烈な反ユダヤ評論、大手出版社が復刊に意欲
ユダヤ人批判は、欧州諸国ではタブー中のタブーであり、ドイツやフランス等ではヘイトクライムとして刑罰の対象ともなりかねません。こうした中、フランスの大手出版社ガリマールが、作家ルイフェルディナン・セリーヌが著した反ユダヤ論評を復刻する計画を温めているそうです。
セリーヌの反ユダヤ論評の内容については詳らかではないのですが、同氏への批判は、第二次世界大戦時におけるナチスドイツによるフランス占領下において、同氏の作品が対独協力に貢献したとする認識によるものです。言い換えますと、ドイツの反ユダヤ主義に阿った“売国作家”ということになります。その一方で、当時、セリーヌが偉大なる作家として称賛されていた事実は、当時のフランスにあって、反ユダヤ主義にはフランス国民の潜在意識に訴え、ドイツとの連帯を醸し出す心理的な効果があったことを示しています。そして、この反ユダヤ主義の根源を探る時、そこには、独仏を含むヨーロッパ諸国がユダヤ人を“共通の敵”と見なすに至る歴史が横たわっているように思えるのです。
(※mono....中略、詳細はサイト記事で)
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ガリマールに依れば、セリーヌの反ユダヤ論評の復刻は、“天才は同時に卑しき人間にもなり得る”こと、即ち、“卑しき天才”を示すことが動機なそうですが、果たして、ユダヤ人は、胸を張って自らを“崇高なる民族”であったと言えるのでしょうか(崇高なる精神には他者に対する慈悲深さや責任感等が伴う…)。歴史の因果を無視した一方的なユダヤ人被害者論には疑問があり、ユダヤ批判者を“卑しい”と決めつけ、事実に基づく正当な批判さえ許さない選民意識こそ、ユダヤ人自身がユダヤ人問題を引き起こす原因ではないかと思うのです。ユダヤ人は、何故、人々から尊敬される善き人々に自らを変えようとはしないのでしょうか。
私も(ユダヤ人の存在を)信じていたし、そーこのブログでも過去に云々していましたけど...
でも...どこか、おかしい...
ところで、皆さんは、『ユダヤ人とは、いったい何もの...?』という根本的な疑問を持たれた事はありますか...?
最初、私が抱いたのは、このごくごく普通の疑問でした。
ところが、誰も答えられないのです。
誰に聞いても...納得ゆく答えをしてくれる人は、いませんでした。
nっで、ネットがあるから、片っ端から、検索...検索...
nっでね。...
歴史を調べてみると、驚いたことにユダヤ人の痕跡が存在しないことに気づきます。
彼らは歴史上、何処にも存在していないのです。
信じられないかも知れませんが...
これは事実です。
聖書の記述以外に、彼らを記録したものは存在しません。
勘違いとして、その名称で呼ばれた人々はいましたが...
ユダヤ人は、歴史上、存在したことは、ただの一度も無いのです。
古代ヘブライ人はサウジアラビア南部、アシール地方に定住していました。ヘブライ語は、フェニキア語やアラム語の影響を受けていますが、独自の言語で、かなりナロー(僻地的)な存在。
サリービー博士は、この事を指摘していました。
実際、パレスチナには、フェニキア人のバアル教の都市しかなかったとしか、思えない。
パレスチナは、地政学的に中東とアフリカを結ぶ橋のよーな場所。欧州による植民地支配の拠点としての政治的な意味しかない。
宗教的な意味は、明らかな後付けでしかないのです。
イスラエルそのものの存在すら疑わしいと、私は思っています。
失われた10支族なんて、明らかなフィクション。