真鍋かおり
■ 無敵の人に拒絶反応した真鍋かおり 「橋本さんのプログ(2014.3.19)」より
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昨日の大竹まことのラジオ番組で、「黒子のバスケ」事件の犯人の意見陳述が読み上げられた時に、パーソナリティーの真鍋かおりが、この文章を「社会に甘えている」「これをラジオで放送すること自体がおかしい」と即座に全否定した。その後の視聴者からの声は8割が批判的だったという。



大竹まことは控えめながらも、格差社会の歪みを問題点に上げていたが、真鍋かおりの拒否反応は、その問題と表裏一体であることを証明している。

黒子のバスケ事件は、格差社会の負け組である犯人が、勝ち組である「黒子のバスケ」の作者の藤巻忠俊氏への妬みでであり、勝ち組にいる人間であれば誰でもよかったのである。

真鍋かおりが、反射的に全否定したのは、自分が勝ち組にいる人間であるからで本能的な防御反応である。

犯人は、人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」による勝ち組に対する無差別な犯罪社会を予言している。

大竹まことは、格差社会という問題点を取り上げたかったが、真鍋かおりのように本能的に拒絶するのをみて、格差社会の底辺にいる人間は権力によって弾圧されるだろうと感じた。

この意見陳述に批判的なのは勝ち組にいるか、まだ負け組の底辺にいない人間だろう。しかし、今後大多数の人間が、経済的奴隷階級となり消費者としての権利は持てない社会となる。

勝ち組とか負け組ではなく、労働者≠消費者という構図なのだ。そして、労働者でもなく消費者でもない難民が出現する。最低限の食料も消費できない難民の人々から「無敵の人」が出てくる。

「無敵の人」の主張は政治的メッセージであり、彼らの犯罪行為はテロリズム以外の何ものでもない。弱者は強者を批判し攻撃する。貧困が権力を攻撃する。古今東西、この繰り返しが人類の歴史である。

芸能界や公務員は「無敵の人」のテロのターゲットになりやすいだろう。この意味で、真鍋かおりの拒絶反応は本能丸出しで正しい。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)













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最終更新:2014年03月19日 19:11