■ 3年目の 3月 11日に思う「これから」の世の中と日本人 「In Deep(2014.3.11)」より
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追悼はいつか自分にも向けられる

震災から3年目になります。

どうしてなのかわからないですが、今年は 2011年3月11日のことを、昨年や一昨年より強く思い出します。思い出すというか、あの時を「感じ」ます。日本語には「まるで昨日のことのように」という表現がありますが、そういう感じです。

3年前は、あの日の後からしばらく、わけもなく涙が出て来るような状態に唐突に陥るという日々が続いたのですが、昨日あたりからまた同じような状態になっています。

多分、今日あたりはテレビでは震災の特集の番組などもやっているのでしょうけれど、ちょうどあの震災の数日後から私はテレビ報道を見るのをやめて、その後3年間、ほとんど見ることはありません。

その時の涙に関しては、震災2日目の 2011年03月13日の「決意の涙 : 東京 DAY3」という記事に、

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恥ずかしい話ですが、今は本当によく涙が出ます。
子どもの前でも止まらなくなることがあります。
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と私は書いています。

(※ 中ほどは大幅に略、詳細はブログ記事で)

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つまり、巨大地震は必ず起きるけれども、「いつ起きるかわからない」というのが現時点で最も正しい表現だと思われます。

地震だけではないですが、どんな災害であれ、その「いつか」が来た時に、自分がどのような心境で迎えられるかということも考えます。あの時の死者の方々を冒瀆しないでいられることとしては、あの3年前に被災地の方々の態度から何かを学び、「ほんの少しでも自分が人類として進化していたと思いたい」ということがあります。

ふと、「追悼」という言葉は、最終的には自分にも向けられる言葉でもあることに気づきます。


■ 3年前に崩壊していた日本国 「逝きし世の面影(2014.3.12)」より
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『ゾンビ国家としての日本国の無残』

 3年前の2011年3月11日の東日本大震災直後の福島第一原発事故で日本の国家としての命運は尽きていたのだろうか。
 現在も日本政府は存在するし一見すると日本国は以前と姿かたちが少しも変わらず、正常に動いている風には見えるが『3年前に死んでいる』としたらゾンビ(生ける死体)である、丸っきりのホラーですね。
 記事上↑(※ ブログで確認を)に掲げた図表は文部科学省が発表している最新の自主避難者数なのですが、相馬市の11・8%県最北端の国見町の9・8%いわき市4・5%以外は何れも1%弱の有り得ない数字なのである。
 摩訶不思議な『有り得ない数字』の種明かしは、その『日付』にある。今の文科省が公式に公開しているのは平成23年3月15日時点の数字なのですよ。
 大地震発生の数時間後には福島第一原発はメルトダウンして翌日の2011年3月12日は1号機が大爆発。その2日後の3月15日には3号機がもっと大規模に爆発した。
 文科省が出している最新情報の平成23年3月15日とは、3号機の大爆発時の数字なのである。文科省のホームページから分かることは、3号機の大爆発の時点で日本国は機能停止に陥り、実質的に死亡していたと思われる。

『崩壊しているのは日本国家だけでは無い』

 火山学者の早川由紀夫の『首都圏からの自主避難者数はわからない』と題する2014/01/22(水)記事に掲載されていた文科省の図表が、3年前のものであることを指摘してブログ主に注意を喚起するコメントを送ったのですが、現在まで何の反応も無い。
 事実を指摘したコメントを不掲載とした理由ですが、多分早川由紀夫の火山ブログ自体が実質的に死んでいるのでしょう。
 3年前の3月11日中に原子炉はメルトダウンしていた。ところが毎日新聞では11日に特集記事を大々的に組み報道するが、地震と津波一色で何処にも原発事故の記事が無い。
(※ 以下略、詳細はブログ記事で)

マスコミ
■ マスコミ批判に関する一考(182)マスコミが作った「風評被害」をマスコミが問題視する「マッチポンプ」を嗤う 「宇田川敬介のC級ニュース解説と宇田川的ぼやき(2014.3.10)」より
(※ 前半略)
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 まさにマスコミが「原発反対」を配慮なく報道することが、その映像などを見た多くの人に対する福島の偏見を生み、そして福島県産の農産物に対する差別を生むのである。反対してはいけないということを言うつもりはない。そうではなく、その反対の方法として、福島の農業や漁業に関することを考えろと言っているのだ。まさに、現在の福島原発に関する風評被害は「マスコミが加害者の人災」か「反原発デモが加害者の人災」である。アレルギー的に「危険」「死ぬ」などと声高に叫ぶことによって、福島の人々の農業を壊滅させ、そして生活を脅かしているということにいつになったら気づくのか。先週の土曜日に【「反対というお仕事」の人々の稚拙な論理「自分たちの人権のために、他人の人権を踏みにじって無視してもかまわない」ということ】http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2014/03/post-3486.htmlを書いたが、まさにそれがマスコミまで蔓延し、事実として、福島の人々の「人権」を蹂躙しているのである。そしてそのことを棚に上げて毎日新聞などは「風評被害」として上記の記事を書いているのである。

 はっきり言って、どうかしている。マスコミは自分の言動で風評被害が出た場合に、それを補償すべきではないのか。その辺の制度をまず作らないと、日本は「言論の身勝手」で多くの人の人権が守られない国になってしまうのではないかと危惧している。

■ ぶらぶら ブラブラ。きょうから 4年目に突入する。 「飯山一郎のLittleHP(2014.3.11)」より
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数枚の写真で 国家が滅亡してゆく流れが分かるw
(※ 写真はブログ記事で)
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  • きょうから 4年目に突入する。生き地獄がはじまるぞ。
  • 国民を一切まもらない国家と政府がキバを剥き出す!
  • 反抗し、抵抗する者は排除され、反逆者は、殺される。
  • 何十万人、何百万人の国民が死のうが… 知らんぷり。
  • 抵抗しようにも気力が失せ…、すぐに風邪をひくから…
  • ぶらぶら、ブラブラ、ぶらぶら。フラフラと墓ないイノチ…
  • たくましく したたかに生き残るためには豆乳ヨーグルト!
  • その豆乳ヨーグルトや乳酸菌も危険だ!と禁止される…
  • そんな国家になるぞ。 ひとでなしの社会になってゆく…
  • だっから、ひそかに静かに、一切騒がずに生きてゆけ!
  • 生きて生きて生きて生き残り、元気に生き延びてゆけ!
  • 牛ー、あなたしか自分と自分の家族を守るヒトはいない。
  • 先ずは、あなたが健康で頑健で、たくましい人間になれ!
  • 何か大きな悩みがあったら鷲に電話しろ。秘法を教える。




■ フクシマの嘘 其の弐(隠ぺい・詭弁・脅迫) 翻訳全文 「放射能メモ(2014.3.2)」より
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この動画をあなたのYouTubeチャンネルにアップしてください。
この翻訳をあなたのブログに掲載してください。
日本中の人が目にするまで!!
(※ 以下翻訳文は略、詳細はブログ記事で)



■ あれから3年 「T's日記(2014.3.11)」より
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 東日本大震災から3年が経過しようとしています。


「都市部ではすでに(震災の記憶が)風化している」

「他県からのボランティアが減少している」

 ...そんな報道を見聞きすることがありますね。

 3年も手伝っていただいて感謝以外ありません。

むしろ、被災地周辺の学校などでボランティア活動をやるなどの取組などが

それほど活発化しないことに少々違和感を感じます。

遠く離れた土地の方々の意識の中で風化は避けられないかもしれませんが

本当に風化するのが怖いと感じるのは被災地周辺の地域です。

子どもたちに経験させ、次の世代に伝えていくことこそ大切だと思います。

(※ 以下略)

★ 41%が自身の復興「全く進まない」 本紙・大阪市大、被災者アンケート 「産経ニュース(2014.3.11)」より
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 東日本大震災の発生から3年となるのを前に、今も仮設住宅での暮らしを強いられている被災者の意識を調べるため、産経新聞社が大阪市立大学の協力を得て、仙台市と岩手県宮古市田老地区の仮設入居者計100人にアンケートしたところ、仙台市で自分の生活の復興が「全く進まない」と答えた人が64%に上り、発生2年の調査時から大幅に増加した。逆に田老地区は30ポイント以上減少した。

 アンケートは、2月中旬に仙台市内と国内屈指の規模の防潮堤が整備されていた田老地区で仮設入居者50人ずつ、計100人に実施。「自身の生活復興はどこまで進んだか」について「全く進まない」から「緒についたばかり」「完全に復興した」までの7つの選択肢から選んでもらったところ、「全く進まない」との回答は全体で41%と、発生から2年のときと全く同じ割合だったが、仙台は32%から64%に倍増した。

 田老地区では、「全く進まない」が50%から18%に減少。「3割」は8%から16%、「半分」は4%から24%にそれぞれ増えており、仙台との復興感覚の差が顕著になっている。

 金銭面での両地域の感覚差は「震災前を10点としたとき、今の生活資金は何点ですか」との質問への回答にも表れており、仙台の平均点は4・77で田老地区の6・04よりも低かった。2年のときと比べると、田老地区(5・88点)は平均点が上昇。仙台(5・34点)は下がり、差が広がっている。

 阪神大震災(平成7年1月)の被災者アンケートも分析した大阪市大の宮野道雄副学長は「都市部の被災者の方が、周辺との比較において自身の生活復興の遅れをより強く感じている傾向は、阪神大震災のときと共通している」と指摘している。


■ 東日本大震災 市民のつどい Peace On Earth 2014 「USTREAM」より
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あれから3年。東京の真ん中、日比谷公園に、被害に遭われた方々を追悼し、これからの未来を共有する場をつくります。

2014年3月8日(土)、9日(日)、11日(日)
@日比谷公園特設ステージ及び野外小音楽堂

【公式WEB】
http://www.peaceonearth.jp/

【運営資金チャリティーT SHIRT】
https://poe311.stores.jp/


Live streaming video by Ustream

■ あれから3年、寒風吹きすさぶ石巻にて|冨永愛 「huffingtonpost(2014.3.11)」より
(※ 前半略、詳細はサイト記事で)
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私はもう一度、廃墟と化した小学校へ足を踏み入れた。
壊れた廊下の壁に、門脇小学校の校歌が掲げられていた。



太平洋はひろびろと 望みを今日も思わせる

楽しく若いこの夢よ

光れ ひかれ 美しく



北上川は生きていて 命を深く思わせる

明るく高いこの歌よ

ひびけ ひびけ どこまでも

さあ 手をとって 手をとって 進もうよ

小学校は門脇 


海に希望を見つめ、川の流れに生命を託したこの詩魂が、
私にはあまりにも皮肉に響いた。
涙が止めどもなく流れてくる。
何十年もの間、生徒達に歌われてきたこの校歌は、
今では悲しみの歌となってしまった。

この門脇小学校は、石巻の人々の深い苦しみと悲しみを内包しながらも、
前へ前へ進もうとする東北の人たちの象徴として、このまま立ち続けるのか?
それとも、取り壊されるのか?

校庭でソフトボールの練習をする女子高生達に私は尋ねた。
「ねえみんな!この小学校をどうしたい?」
すると彼女達は即座に答えた。
「残して欲しい!」 
「忘れたくないから!」と。

暮らしがあったはずの石巻の大地に、無縁仏を弔う3体の小地蔵様。
白き花たちがささやかに供えられていた。
私は身をかがめて手を合わせた。
防波堤の向こうの海は凪いでいる。
何事もなかったかのように...。
あれから3年たったのに。


冨永愛さんをTwitterでフォローする: www.twitter.com/@Ai_Tominaga


■ ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」 「NEWSポストセブン(2014.3.11)」より
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 東日本大震災から3年。震災直後にビートたけし氏が『週刊ポスト』誌上で語ったインタビュー記事「『被災地に笑いを』なんて戯れ言だ」は、当時大きな反響を呼んだ。その言葉は、震災から3年が経過した今でも色褪せることはない。著書『ヒンシュクの達人』(小学館新書)にも収録されている当時のたけし氏の言葉を、あらためて全文公開する。

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 なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。

 ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。

 だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ何でもない話だけどさ。

 どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。

 地震発生から間もない14日の月曜日に、『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。所(ジョージ)と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。とてもじゃないけど笑えないよってさ。

 よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

 オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。早く、そんな日がくればいいね。

 常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

 本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

 だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

 逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。

 それにしても、今回の地震はショックだったね。こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。

 それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。

 人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。

 オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

 今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。

 そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。










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最終更新:2014年03月12日 22:47