• &blankink(ネルソン・マンデラ〔Wikipedia〕){http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A9}



「私の闇の奥(201.12.20 - 2014.1.20)」より
■ ネルソン・マンデラと自由憲章(1)
■ (2)
■ (3)
■ (4)
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 1994年の全人種選挙で黒人主導のアフリカ民族会議(ANC, African National Congress)が勝利し、マンデラが大統領に、デ・クラークが副大統領に就任して、目出たく国民統一政府が発足しましたが、それからの20年間に南アの大多数(〜85%)の黒人の生活環境は良くなったか悪くなったか?平均寿命、住宅事情、若者の失業率、犯罪率などで測れば、明白に悪化しました。この時期の前半についての分かりやすい具体的数字がナオミ・クラインの著書上巻(翻訳)のpp303~304に出ています。
(※ 中略)
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実際、リビアのカダフィ、ジンバブエのムガベ、キューバのフィデル・カストロは米欧が一貫して蛇蝎視し、あらゆる制裁を加え、あらゆる悪口雑言を浴びせてきた独裁者たちですが、ネルソン・マンデラはこの三人に対する尊敬と友情を最後まで持ち続けました。これも我々がマンデラについて真剣に考える時に忘れてはならない事実だと思いです。
 たぶん、マンデラに対する私の気持は甘すぎるのでしょう。私には、皆で互いに折り合って平和に生きる世界を希求したマンデラに、私の大好きなアルベール・カミュを重ねたい気持があります。カミュはフランス植民地のアルジェリアで生れ、貧乏で耳が悪く読み書きも出来ない母親に育てられました。彼は、生地のアルジェリアを心から愛し、第二次世界大戦後、独立を求めるアルジェリアと宗主国フランスの間で止まることを知らない暴力の応酬が生じた時に、はっきりと独立革命の正義に組せず、何とかお互いに殺し合うことをやめて共存する道を求めて止まなかったため、アルジェリア側からもフランス側からも攻撃され、見捨てられてしまいました。
 2013年、ハーバード大学出版からカミュの『Algerian Chronicles』の訳書が出ました。単なる英訳書ではなく、特別に編集した付録の文章もあります。訳者(Arthur Goldhammer)の覚書と編集者(Alice Kaplan)の序文が大層な優れものでこれだけでも二千円の価値があります。
 ネルソン・マンデラが亡くなってから、多量の関連記事を読んできました。その始めの頃に目にした盟友デスモンド・ツツ元大主教のマンデラ追悼の言葉があります。残念なことに出所の記録を失ってしまいましたが、私の記憶は多分大丈夫です。:
■“Your suffering has finally ended. May you rest in peace and rise in glory.”(君の受難は遂に終わった。静かに眠れ、そして、栄光の中に復活されよ。)■
マンデラの生を至近距離から見守り続けたこの盟友は、マンデラの苦難が出獄の以後も、以前に劣らない重さで続いていたことを見抜いていたのではありますまいか。十字架上の死のあとにキリストは光に包まれて復活(rise)します。殺し合いの応酬の連鎖を飽くまで拒否したマンデラやカミュの精神が栄光に包まれて復活し、讃えられる日が来ることを信じたいと思います。












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最終更新:2014年01月24日 22:31