■ どうしよう これからの3年間 (その3) 「反戦な家づくり(2013.12.24)」より
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(その1 その2 を読んでいない方は、そちらから先に読んでいただけると助かります)

「ゲリラの戦争学」という本を読んだ。自衛隊の制服組の幹部だった松村劭という人が書いたもので、古今東西のゲリラ戦を客観的に解説している。自衛隊だからといってゲリラを貶しているのではなく、かなり淡々と技術的に解説をしている面白い本だ。
 圧倒的に劣勢な勢力が、どうやって圧倒的に強い敵と戦うのか。そんな観点で読むと、それなりに参考になるところがある。

 数々の代表的なゲリラ戦争を総括して、最後の方にゲリラ戦成功の要件というまとめがある。いくつかを抜粋すると。
a.カリスマ的指導者が必要
b.戦場の一般住民の支持を獲得する
c.すぐれた機動力で「ヒットエンドラン」
d.非戦闘員を攻撃しない
e.軍需物資を提供する支援国
f.逃げ込むことのできる聖域
g.より大きな戦争になることを匂わせて敵を制限する

これに対して、ゲリラ掃討戦のポイントは、遠巻きにして補給を絶ち、苦し紛れに攻撃を仕掛けてくるように誘導するのだそうだ。
むやみに攻め込むと、一緒に責められる住民がゲリラに味方して、かえって逆効果になるという。

ゲリラの側は、ヒットエンドランのゲリラ戦だけでは負けなくても勝つことはできない。しかし、長期戦にすることで敵の側に何らかの綻びが生じる。そこに乗じて最終的な勝利につなげるのである。

もちろん、今の日本において、銃をとってゲリラ戦で闘おうという話ではない。
圧倒的に弱い我々が、どうやって安倍晋三を、自公政権を、米国への隷属を、断ち切って生きていくことができるのか、その参考を探りたい。
a は、裏を返すと、ゲリラは直ぐに分裂しがちだということでもある。そういう工作もかけられる。
分裂せずに、大きな目的で協働できることが、まず条件になる。

b は当然である。ゲリラ戦ですらそうなのであって、選挙を前提にするならば、絶対的な条件である。

c は、特に今の生活の党や保守系の方々には理解してもらいたい点だ。政権党や責任野党の腰の重い感覚では、今の状況では闘いにならない。

d も要注意だ。敵側の立場の人でも、非戦闘員はむやみに攻撃しない。中立的、または消極的な人を、あえて強力な敵にする必要はない。感情だけでそういうことをするケースは非常に多い。

e とf については、かなり困難だ。
他国にそれを求めるのははなから無理だし、筋が違う。かといって、国内でそんな支援や領域をつくることができるか。難しけれども、これは考えなくてはならない。

g は、ゲル石破の「デモはテロ」発言をきけば意味が分かる。国民を舐めきった自民党といえども大規模なデモは怖いのである。1万のデモが10万に、10万のデモが100万になれば、自民党は政権を投げ出すか、自衛隊の治安出動かという究極の選択を迫られる。その可能性が垣間見えたから、ゲル石破は恐怖したのだ。そういう脅威を与えられれば、マスメディアの対応や、不正選挙の可能性も含めて、敵のきたない手を縛ることができる。

では、今敵はどのように攻めてきているか。まさに、ゲリラ討伐の常道である包囲して補給を絶つという戦略そのものだ。そして残念ながら、それは見事に功を奏している。
(※ 以下略)











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最終更新:2013年12月27日 15:07