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招致委・東京都に「2020年オリンピック・パラリンピック東京開催」取り下げを求めます。
宛先:竹田 恆和 様 2

賛同者の署名は以下の宛先へ届けられます

東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 理事長
竹田 恆和 様

東京都知事/招致委員会 評議会 会長
猪瀬 直樹 様

内閣総理大臣/招致委員会 最高顧問
安倍 晋三 様

文部科学大臣/招致委員会 顧問
下村 博文 様

公益財団法人 日本オリンピック委員会 監事/招致委員会 監事
深津 泰彦 様

招致委・東京都に「2020年オリンピック・パラリンピック東京開催」取り下げを求めます。
2020東京オリンピック・パラリンピック開催取り下げを求める若者有志の会

発信者
2020東京オリンピック・パラリンピック開催取り下げを求める若者有志の会




■ 【炎上】利権オリンピックが酷い!東京五輪を中止すべきの意見多数! 「NAVERまとめ(更新日: 2018年09月09日)」より


■ 反東京五輪宣言 「住ムフムラボ(2017.11.?)」より
(※mono....抜き引用につき、詳細はサイト記事で)
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3年後に東京でオリンピック&パラリンピックが開かれる。どうやらそういうことらしい。
 そういうことらしい? 今さらなにを言っているのだ?
 高みから見下ろすような白々しいこの物言いに難癖をつけたくなる読者はおそらく山ほどいるはずだ。しらばくれるつもりはもちろんないが、その気持ちはよくわかる。がしかし、つい嘯(うそぶ)いてしまいたくなるほどにリアリティが感じられないのが今の僕の偽らざる実感だ。
/
 過去も現在もスポーツの恩恵に与る立場の人間がスポーツの祭典を批判してもよいものだろうか。アスリートのための4年に一度の晴れ舞台を元アスリートが否定することは、つまりのところ自己否定につながるのではないか。そう自問自答してきた。
 主張したいことが明確にあるにもかかわらず、それを口にすることは憚られる。アクセルとブレーキを同時に踏み込んでいるような状態に耐えかねて、東京五輪関連のニュースを知らず知らず遠ざけているうちに、だんだんリアリティがなくなっていった。ここではないどこかで粛々と進行していることとして決めつけて、思考を手放すことによって楽になろうとしていたのだった。

 でももうやめにする。元アスリートでスポーツを愛する一人の人間として、これ以上は黙っていられない。競技者の理想を脇に置きつつ、権力者は「レガシー」作りのため、資本家にとっては商機をつかむための巨大なイベントにオリンピックが成り下がっている現状に、一言物申したい。
/
 フクシマを蔑ろにした虚偽発言、未解決なままの裏金問題、この二つだけでも十分に返上に値する理由になる。さらにその他の東京五輪にまつわる報道を見渡せば、どこをどう考えても開催を見送るべきという結論にしか至らない。新国立競技場建設にまつわる諸問題(今年の7月には建設現場監督の過労自殺事件も報道された)、エンブレムの盗用疑惑から競技会場をめぐる問題まで、挙げていけばきりがない。これらを合わせ読むと、いかに「開催ありき」で事が進んでいることは明らかである。理念がまるで感じられないこんなハリボテの大会は、もうやめにしたほうがいい。

 内田樹氏は、未来のスポーツ紙に「金で票を買って招致した五輪は、この東京五輪が最後になった。経済浮揚効果を狙っての招致だったが、所期の効果は得られず、経済はさらに失速し、社会制度全般の劣化をもたらし、『亡国のイベント』と呼ばれた」と書かれることが確実だとSNSで発信している。僕もそうなる気がしてならない。
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 東京五輪の開催をめぐり、逡巡のうちに日々を過ごしていた僕が、友人の勧めで手にしたのが『反東京オリンピック宣言』(小笠原博毅・山本敦久編、航思社)だった。 
 この本にはスポーツを、オリンピックを、その本質から捉え直そうとする重厚かつ深遠な論考が収められている。どれも読み応えがあり、恥ずかしながら僕はこの本を読んで初めて知った事実がたくさんある。中でも特筆すべきは、オリンピックを真っ向から批判している現役のアスリートがいたことである。ノルウェー出身のプロスノーボーダー、テリエ・ハーコンセン選手だ。

 IOCが国やスポンサー、選手に求める欲求が非常識で受け入れ難いとして、彼は1998年長野オリンピックの出場をボイコットした。スノーボードの歴史や文化に対する敬意が一切存在しないIOCを自分たちは必要としないという意思を表明したのだ。
「オリンピックでは、自分の荷造りすらさせてもらえない。あらゆるメディアを統制したいという理由から、ソーシャル・メディアでさえ自由に使わせてもらえない国もあるようだ。スポンサーにも統制される。急にコカ・コーラやマクドナルドを宣伝しなければいけないことになる。なんでこんなことに付き合わなければいけないのか、僕には理解できない。」

 ここだけを読めば自由への希求が彼をそうさせていると思われるが、本質は別のところにある。次を読めば彼が抱いている危機感の射程の遠さに思いが及ぶだろう。

「(……)オリンピックのせいでハーフパイプは過去十年ほぼ何の変化もしていない。同じ形式で、同じパイプで、選手がどんなことをするのかさえ簡単に予想できてしまう。
 ひどく停滞しているんだ。三位、あるいは三位とは言わずとも、どうしたら入賞できるかを選手達は把握している。アクションスポーツが築きあげてきた自発的創造性がそこには存在しない。」

 スノーボードの一種目であるハーフパイプ全体の競技レベルの停滞を彼は憂いている。その要因として、入賞を目標に、高得点を目指してミスなく滑ることを最優先にするときに失われる「自発的創造性」を挙げ、過度な競争的環境がパフォーマンスの向上を阻害することを危惧しているのだ。
 共同体内での競争相手にいかにして勝つのかに腐心するのではなく、勝ったり負けたりしながら互いに切磋琢磨することで、その共同体が全体としてより高みに至ることを彼は望んでいる。スポーツが単なる精神修養や身体訓練、名声や金を得るための手段ではなく、その本質にあるアートな部分を彼は全力で守ろうとしている。彼が抱く問題意識はとても高い。
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 同書の中で池内了氏は「スポーツはもはやオリンピックを必要としない」と述べている。テリエ・ハーコンセン氏の主張と照らし合わせると、これまで抱いていた様々な靄が晴れて腑に落ちる。
 そういえば僕の周りにいる生徒や学生たちは、それほどオリンピックに興味を示していない。個人的な憧れは抱きつつも、ここではないどこかよその世界での出来事かのように現実と切り離して、クラブ活動や各スポーツ活動に励んでいるようにみえる。おそらく彼女たちはスポーツに含まれるアート性に魅力を感じ、「自発的創造性」の発揮を楽しんでいるのだと思われる。

 これからはオリンピックのしがらみがないところで、ラグビー指導やスポーツに関する研究を粛々と行っていくことにする。オリンピックを必要としないスポーツのあり方を模索し、それを発信していきたい。



■ 東京五輪返上論が浮上 「「ジャーナリスト同盟」通信>本澤二郎の「日本の風景」(2013.9.16)」より
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 安倍晋三や小泉純一郎の所属した自民党清和会派閥の元ベテラン秘書が、珍しく電話をしてきた。彼は安倍の若いころのことを、よく知っている人物である。能力・性格について詳しい。嘘と金で手に入れた2020東京五輪を、とても喜べないという。ゴルフ三昧の夏休みを返上して、早期に国会を開き、徹底して議論した上で、2020年の五輪を返上すべきだ、と訴える。とても子供に夢と希望を与えられる中味がない、とも断じたものである。頷ける主張であろう。
(以下副題のみ、詳細はブログ記事で)
<放射能歓迎五輪は日本の恥>
<福島廃炉失敗・巨大地震?>
<所詮、貴族のお遊び・利権>
<1000兆円借金国は東北復興が優先>
<人災解明・世界に発信の義務>
<油断して戦争ごっこ御免>


■ 2020年東京オリンピックは返上できるそうです 「パリの東から(2013.9.15)」より
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福島の原発事故の時もそうだったが、事故が起こってから、こりゃ大変、原発はやめましょうとか言っている自分が情けなかったが、今回も同様。2020年の夏季オリンピックが東京に決まってから、今オリンピックなんかやっている時か?と言っている自分がつくづく情けないが、仕方ない。原発事故も東京オリンピックも警告・予告していた人は沢山おり、その方達を尊敬します。

ぼくにできることは海外からこんな小さなブログで、何かこちょこちょと言うだけのこと。

さて、オリンピックは返上できるそうです。過去1976年の冬季オリンピックが、アメリカのデンバーで開催予定だったのに、環境破壊等の問題で住民の反対運動が起こり、住民投票の結果開催が返上され、オーストリアのインスブルックに変更されたそうです。そういえばそんなことがあったなあ、とおぼろげに思い出されます。

今のところ大規模な反対運動は起きていないようですが、このようなインターネット署名運動もあります。
(※ 以下詳細はブログ記事で)


■ 東京オリンピック、返上しようよ。開催不可能と思うけど。 「睡蓮の花のアセンション日記。(2013.9.14)」より
/
東京オリンピック。
まさかで、決まってしまいました。

多額のお金がIOCに。
ほぼ、出来レース。買収に近いものだったという。

「汚染されている東京なんて、候補地にもなれません」と
突っ返されたらほっとするんだけど。

世界の団体も、陰謀、隠蔽に加担、かー。

アスリートには、本当に失望した。
金儲けの駒なんだなー、と。


でも、開催されない、と思いますよ。
だってその頃には東京もたくさんの方が亡くなったりしてると思うし、
地震やフクイチ、もっとヤバいことになってると思うし、
世界中の選手もボイコットすると思うし。


■ 東京五輪、返上しませんか? 「クジラ・クリッピング(2013.9.9)」より
(※ 前後略)
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とはいえ・・・
 やめた方がよくないですか? いまからでも。
 決まったことはどうしようもない? 動かせない?
 そんなこと言っても、やろうにもできなくなるかもしれませんよ? 無理やりやって、取り返しのつかないことになるかもしれませんよ?
 であれば、遅すぎることはないのではありませんか?
 ムチャだとか言わずに。やるほうがムチャですよ。
 一夜限りのお祭り騒ぎが、まるで無から富を生み出す魔法ででもあるかのようにみなし、国の持続的発展を賭けてしまうほうが、よっぽどムチャだと思いませんか?
 何より、大勢の国民の生活や自然の〝持続性〟がそのために失われてしまうのでは、本末転倒なのではありませんか?


 大きな問題があります。

1.国民の財政負担
2.自然破壊
3.福島の原発事故収束への影響と推進路線へのお墨付き
4.右傾化の加速
5.震災リスク


■ 経済における不確実性原理・・・東京オリンピック決定 「人力でGO(2013.9.8)」より
(前略)
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今回の東京開催の決定は、日本経済には少なからぬメリットももたらすでしょう。しかし、この様な確実性の低い外部的要因は、経済学の予測に大きな揺らぎを発生します。これは、金融危機なども同様の効果を持ちます。

経済は不確実なイベントによる変化を完全には事前に織り込む事が出来ません。
そして困った事に、これらの不測のイベントは大きなインパクトを経済に与えます。

言い換えれば、経済は偶然が支配しているとも言えます。

一方でイベントが意図的に仕組まれる場合、経済は一部の人達にコントロールされているとも考えられます。

「偶然か必然か」。経済学も歴史と同じ、根源的な問題を抱える学問なのかも知れません。そして、歴史も経済もある程度必然に支配されていると陰謀論者は考えてしまいます。

東京オリンピック決定の思惑とは何か・・・妄想にはもってこいのお題です。

上記エントリー記事のコメント欄より
  • 2013/9/8 20:16投稿者:faber

かつて1940年(昭和15年)に東京オリンピック招致が成功したことがありましたが、日中戦争で開催返上になりました。今回も、憲法改正→国防軍創設→尖閣問題悪化→日中戦争→オリンピック開催返上、なんてことにならないことを祈ります。









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最終更新:2019年03月19日 20:50