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■ 宇多田ヒカルのパパが、沢木耕太郎の「藤圭子」本に激怒しているワケ 「ライブドアニュース[日刊サイゾー](2013.11.7)」より
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 藤圭子の突然の死から2カ月足らずの10月中旬、ノンフィクション作家・沢木耕太郎が、三十数年前の藤を描いた『流星ひとつ』(新潮社)を緊急出版し、話題を集めている。

 藤の自殺直後、本サイトでは沢木がかつて藤と取材を通じて男女関係にあり、そのもつれから発表予定だった藤をテーマにした作品を封印してしまった事実を指摘していた(記事参照)。

 『流星~』はまさに、その封印していた“幻のノンフィクション”であり、今回の出版は「沢木は藤が自殺を遂げた今こそ、作品を発表すべき」と書いた本サイトの声が届いた形だ。

 ところが、この『流星~』に対し、藤の元夫でヒカルの実父である宇多田照實がかみついている。
+ 続き
 11月2日のTwitterで、フォロワーから「沢木耕太郎さんの『流星ひとつ』は読みましたか?」と質問された照實は、「厚かましく本を送って来ました。許諾もしてないし、30年以上前に発行予定だった本。藤圭子は怒っていると思います」と怒りをあらわに。「藤圭子さんが生前に出版する事を快く了承しています」と反論する別のフォロワーには、「僕はNYで原稿を受け取った藤圭子の怒りを目の当たりにしました」と主張している。

 しかし、この照實の発言には、いくつか首をかしげたくなる部分もある。まず、実子であり親族であるヒカルが出版に関し苦言を呈すのならわかるが、照實は藤と離婚しており、「許諾もしてない」と怒る権利はないようにも思える。さらに、藤はニューヨークで原稿を受け取ったと照實は述べているが、『流星~』のあとがきによれば、ニューヨークに移り住む以前に藤は沢木より原稿を受け取り「自分は出版してもいいと思うが、沢木さんの判断に任せる」と返事したと書いている。

 しかも、マスコミ報道などとは違って、今回の作品は、藤の歌への情熱や、小さなことにもいちいち感動する素直でまっすぐな性格などを描いたもので、決して藤を貶めるような内容ではない。

 にもかかわらず、照實が激怒している理由を、「許諾云々の問題ではなく、嫉妬のような感情があるのではないか」と週刊誌記者は話す。

「沢木の『流星~』は、照實と出会う前の藤の姿を描いています。沢木と藤は恋愛関係にあったとされていますから、照實にしてみれば沢木は“昔の男”。そんな人間が、2人の濃密な関係を漂わせる本を出版するのは、離婚したとはいえ気分のいいものではないでしょう」

 しかも、沢木は長らく封印していた『流星~』を緊急出版した理由について、ヒカルと照實が発表したコメントによって「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげくの投身自殺、という説明で落着」してしまったことが「あまりにも簡単に理解されていくのを見るのは忍びなかった」と書き、ヒカルに「輝くような精神の持ち主」だった藤の姿を知ってほしいと願う気持ちから今、出版したのだと説明している。これではまるで“精神を病んだ人”というイメージを植え付けた照實から、藤を救済する目的で出版したとも受け取れる。

「こうした沢木の記述に、照實がカチンと来た可能性は高いでしょうね」(同)

 もっとも、照實の感情とは別に、沢木の『流星~』については、出版業界からも「きれいごとで片付けすぎではないか」という指摘もある。というのも『流星~』には、沢木と藤の関係性がきちんと描かれていないからだ。

 例えば、そのひとつがあとがきの問題。沢木によれば、『流星~』の原稿を渡した後、藤から手紙が送られてきて、その手紙の最後には「追伸『流星ひとつ』のあとがき、大好きです」とあったという。ところが、沢木はそう書きながら、肝心のあとがきについてはなぜか“残っていない”として、執筆ノートに記されていたという“あとがきの断片”を公開しているだけなのだ。

「本当のあとがきには、“沢木から藤へのラブレター”が書かれていたはず。沢木さんはわざと残ってないとして隠したんじゃないでしょうか。それ以外にも、『流星~』は肝心な部分をことごとく避けて通ってる気がしてならない。そもそも2人の恋愛関係は、沢木さんが途中で逃げ出して終わった可能性が高い。別れの時にもいろいろあったはず。それをああいう“美しい物語”仕立てにしてお茶を濁すというのは、どうなんでしょう」(大手出版社のベテラン編集者)

 自分と取材対象の関係性を丁寧に描く手法で“ニュージャーナリズムの旗手”として高い評価を得てきた沢木だが、今回はそこまで踏み込めなかったようだ。いや、それとも元夫を刺激して怒らせているのだから、やはり2人の関係性は作品からにじみ出ていると考えるべきなのだろうか?

自殺報道
■ 藤圭子出棺で霊柩車を妨害して写真を撮りまくったマスゴミに怒る宇多田ヒカル 「憂国世界(2013.9.21)」より
(※ 前後略、詳細はブログ本文で)
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巷間の意見>>
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日本人らしくねーな、マスコミってのは
衣食足りても礼節を欠くの典型だな
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(^_^;) もどきが多いのは有名。有名人枠、在日枠、学会枠…。

巷間の意見>>
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人はこうして精神が壊れて統合失調症になっていくのか
………………………………
(^_^;)  なったらなったでマスゴミとしては更に美味しい 。


■ 藤圭子さんの自殺 テレビのニュース報道は、国際的な「ルール違反」だらけ 「Yahoo!ニュース(2013.8.23)水島宏明 | 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター」より
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8月22日、テレビ各社は昼ニュースから夕方ニュース、夜のニュースまで、歌手の藤圭子さんの転落死を伝えるニュースをトップ扱いで報道した。

こうしたテレビ報道の多くが、実は自殺に関する「国際的な報道のルール」ともいうべきガイドラインに違反している。ところが、このガイドライン、一般的にほとんど知られていないばかりか、肝心のメディア報道に携わる記者やデスクらもほとんど理解していない。このため、有名人が自殺するというニュースのたび、同じようなルール無視の報道が繰り返されている。

■自殺に関する国際的なルールは・・・
(※ 後略、詳細はサイト記事で、あるいは自殺報道を参照。)



■ 開く夢などあるじゃなし 「ネットゲリラ(2013.8.28)」より
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藤圭子は20歳で前川清と結婚しているんだが、その頃の前川清はナニがデカいので有名で、おまけにヤリチンで、手が早かったらしい。移動の夜行列車の中でとかいう噂もあったな。藤圭子が処女だったので責任取らされたとか、人気歌手同士の結婚だったので騒がれたもんだが、1年で離婚。この後から段々と様子がおかしくなって行って、人気も低迷する。事務所トラブルも報じられたな。ところで、病気というのが統合失調症だったとすると、若い頃に発症して、以後、治ったように見えたりする時期と、症状が激しく出る時期と、繰り返しながら次第に壊れて行くというのが典型的なパターンで、なまじカネがあるので、働く必要もないし、勝手放題に暮らしながら、徐々に壊れて行く。病識がないので入院もさせられないし、薬を出されても飲んでくれない。アメリカの空港で大金を所持して問題になった事があったが、アレも病気特有の症状で、他人を信用できないわけです。なので、全財産持って世界中を彷徨うみたいな奇矯な振る舞いに及ぶ。麻薬犬が反応したとも言われたが、アメリカのドル札だったら、コカインの匂いくらいは染み付いているのが当然なので、何の問題にもならずに返却されてます。思えば、藤圭子の歌手としての盛りは短い物だったが、女のルサンチマンを「唄」に込めるという、五木寛之によって思想的な方向性だけは示されていたものの、誰も出来なかった事を成し遂げ、新しい「演歌」への道筋を作ったという功績は大きい。こればかりは、娘の宇多田ヒカルもまだ、乗り越えられない偉業です。
(※ 以下略、詳細はブログで)

■ 幼い頃から、母の病気が進行するのを見ていました 「ネットゲリラ(2013.8.27)」より
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藤圭子が死んだ時、おいらが書いた文章だが、
レコード会社も事務所も見放した藤圭子を、なんとか復活させようと足掻いてた父親と、歌手としては「壊れて」しまっていた母親と、おまけみたいにスタジオに付いていった小学生の自分と、15歳の宇多田ヒカルの歌には、何代にも渡る表現者としての歴史が秘められている。人は、生まれ、死んで行く。死んだ後に、一つでも二つでも唄を残して死ねたら、それは幸福な人生だったと言えるだろう。合掌。
控えめに書いたんだが、藤圭子が「壊れていた」のは業界筋では有名な話で、それもずいぶん若い頃からです。あれだけのヒット曲を持ちながら、歌手を続けられなかったのにも、それが関係しているだろう。デビューして数年後には、もう症状が出て、所属プロダクションとうまく行かず、喧嘩してしまう。あの時代、人気歌手が精神分裂症だという事情など、おおっぴらに出来ない。宇多田照實は、そんな藤圭子の面倒を最後までよく見た。問題のマンションは、宇多田照實の持ち物です。そんな宇多田照實さえも信用できず、疑心暗鬼になって妄想世界の住人であった藤圭子。精神分裂症の名前が統合失調症に変わっても、事情は変わらない。この病気は本人の病識がないので、医者にかかるのを嫌がる。それでもカリフォルニアで医者に見せたりしていたようだが、そもそも病識がないので、薬も飲まない。強制入院させるしかないんだが、最近では強制入院という制度自体が、あまり使われてないらしい。入院しないんだから、いくら医者にかかっても無駄です。薬を飲まないんだから。かくして、何十年にも渡って、良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、段々、壊れて行く。こういう人は、世の中にはたくさんいます。15歳でデビューした時の宇多田ヒカルが、なんであんなに悟りきったような言葉を紡ぎ出す事が出来たのか、その秘密が、ここで明かされたような気がする。
(※ 以下略)


★ 宇多田さん、母の遺体と対面 「産経ニュース(2013.8.27)」より
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 歌手の宇多田ヒカルさん(30)が27日午前、22日に死去した母親で歌手の藤圭子さん(62)の遺体と東京都目黒区内の葬儀場で対面した。その後、藤さんの遺体は宇多田さんが乗った霊きゅう車で品川区内の斎場へ運ばれた。

 宇多田さんは26日に公式ホームページで「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」とのコメントを発表していた。

 遺族側は、葬儀は行わないとしている。

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★ 宇多田ヒカル、無念の思い「何も出来なかった」 「産経ニュース(2013.8.27)」より
+ 記事
22日に東京・西新宿のマンションから飛び降り自殺した歌手、藤圭子(本名・阿部純子)さん(享年62)の長女でシンガー・ソングライター、宇多田ヒカル(30)が26日、公式サイトで母の死について初めてコメントした。藤さんが「精神の病」に苦しめられていたと告白する一方で、「母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」とつづった。前夫の音楽プロデューサー、宇多田照實氏(65)もコメントし、故人の「遺言書」が存在すると明かした。(サンケイスポーツ)

 藤さんの衝撃死から5日目。母親から音楽的才能を継承し、トップアーティストの地位を確立した宇多田が、苦しい胸の内を明かした。

 「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」

 無念の思いをつづった宇多田は公式サイトで「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」と告白。幼少のころから母と生活する中で藤さんは治療をめぐり、家族にも不信感を抱くようになったという。当時の状況を「私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と振り返りつつ、「悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います」と感謝した。

 一方、藤さんの前夫、照實氏も宇多田の公式サイトで初めてコメントを発表。23日に藤さんの遺体が東京・目黒区の碑文谷会館に搬送された際、関係者を通じ「故人の遺志により葬儀はしない。火葬のみとする」と発表したが、それについて「故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志」と説明した。藤さんの自殺後、警視庁新宿署は遺書は見つからなかったと発表。しかし、藤さんが生前にしたためた遺言書が存在することを明かした。

 さらに、宇多田が告白した「精神の病」についても触れ、娘が5歳のころから、藤さんの攻撃的な発言などが目立つようなったと説明。最近の藤さんについて、「直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました」とし、米ニューヨークを拠点に欧州各国、豪州など頻繁に海外旅行していたという。

 最後の会話は今月14日。電話で約8分間、世間話をした照實氏は「最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです」とつづった。沈黙を破り、藤さんへの愛情を示した2人。ただ、宇多田がコメントをどこから発信したか、不明だ。ニューヨークにいるとされるが、すでに帰国したのか。「精神の病」など家族の秘密を公にしたことで、ひと区切りつけた宇多田。27日にも、遺体は荼毘(だび)に付される。

 藤さんの遺体が安置されている碑文谷会館には26日、休館日にもかかわらず、約50人の報道陣が集まった。午前中には棺とみられる白い箱を乗せたワゴン車が到着したが、同会館側は「藤さんのものではありません」と説明。この日も、宇多田は同会館を訪れなかった。

★ 宇多田ヒカル 公式HPで胸中吐露「母の娘であること誇りに思う」 「livedoor News(2013.8.26)」より
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 22日に自殺した歌手の藤圭子さん(享年62)の長女でシンガーソングライターの宇多田ヒカル(30)が26日、公式サイトにメッセージを掲載。母の死について「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」と辛い胸中を吐露した。藤さんの死後、宇多田がコメントするのは初めて。

 「様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と切り出した宇多田は、藤さんが長期間「精神の病に苦しめられていた」と明かし「何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と告白。「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と振り返った。

 また、生前の藤さんについて「誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」と偲び、「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と締めくくった。

 また、「沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました」と、関係者やファンへの感謝の気持ちもつづっている。


☆ Hikki's WEBSITEより
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+ 記事
8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。

様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。

彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。

幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。

母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。

誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。

母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。

25年8月26日  宇多田ヒカル

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ご報告と謝辞

この度の故宇多田純子、投身自殺に於きましては、各方面の関係者の皆様、歌手藤圭子の大勢のファンの皆様、そして宇多田ヒカルのファンの皆様に多大なご心配と世間をお騒がせしていることに対して、所属事務所代表として、また25年間連れ添った元夫として心からお詫びを申し上げます。また、宇多田ヒカル並びに僕に対して沢山の心の籠った暖かいお言葉、お悔みをいただいたことに対しては、この場を借りて感謝の意を表明させていただきます。

通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従い、執り行わないことにしました。

出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。

この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。

直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました。

そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、「元気?」という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした。

最後に僕が純子と会話をしたのは今年の8月14日でした。純子からでした。この時は珍しく明るい口調で、元気そうな純子の声でした。約8分間、世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承し電話を切りました。その8日後の自殺となってしまいました。

純子として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです。

これまで宇多田純子を、藤圭子を愛情を持って見守ってくださった方々全員に、本人に代わり、心から感謝いたします。ありがとうございました。

純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています。

平成25年8月26日       宇多田照實



■ 「和田アキ子」と・・飛び降り自殺した藤圭子には暗い過去があったのかも? 「わらし仙人の読書三昧日記(2013.8.25)」より
(※ 前略)
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 本当はロックなどの洋楽が好きだった藤さんは、その夢を娘に託した。80年代、家族3人で「世界を目指そう」とニューヨークで生活を始め、資金が底をつくと帰国し、一時引退していた歌手業の地方回りで稼いだ。

 苦しかったその頃、ニューヨークの時計店で買った“宝物”の高級時計を質店に入れて食いつないだ時もあった。日本中が衝撃を受けた宇多田のデビュー曲「Automatic」には「time will tell」というカップリング曲が収録されている。実はこのタイトルはその時の時計店の名前。藤さんは記者に「私はこの子に自分の人生のすべてをかけている。その象徴の一つ」と、そこに込めた思いを明かしていた。

 幼少期から勉強好きで成績優秀だった藤さん。しかし、浪曲師の旅芸人だった両親との生活は貧しく、高校進学を断念せざるを得なかった。00年に宇多田が米国の名門コロンビア大学に合格したのも、学業を犠牲に歌手の道へ進んだ母の思いを知っていたからこそで、母娘執念の“倍返し”だった。

 02年に宇多田の全米デビューが決まった時は、まさに母の夢を娘がかなえた時だった。しかし、米レコード会社と専属契約を結んだ時に撮影した親子仲良しのスリーショットをその後、見ることはなかった。

(※ 後略)




★■ 宇多田ヒカルと母・藤圭子の「関係」に口出しする権利は誰にもない 「Livedoor news[messy](2013.8.23)」より
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10年リリースのベストアルバム『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』(EMIミュージック・ジャパン/イーストワールド)収録の楽曲「嵐の女神」は、彼女自身が母親とのことを書いたものとして有名だ。藤圭子を「嵐の女神」にたとえ、

「嵐の女神 あなたには敵わない」
「受け入れることが“愛”なら
“許し”って何? きっと……
与えられるものじゃなく与えるもの
どうして私は待ってばかりいたんだろう」
「お母さんに会いたい」
「分かりあえるのも 生きていればこそ
今なら言えるよ ほんとの『ありがとう』」

……と歌っている。母親との確執と和解を連想させる歌詞だが、この曲を書いたであろう頃には、宇多田の両親は6度目の離婚をし、母は前出の30代知人男性と暮らしていた。会いたくても会えないからこそ歌で届けたのかもしれない。
(※ 前後略)



■ ルサンチマンのアイコン 「ネットゲリラ(2013.8.23)」より
(※ 前後略、詳細はブログで)
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ところで、五木寛之というのは日本生まれだが、生後すぐに朝鮮半島に渡り、15歳で引き揚げている。人格形成期をルサンチマンの本場、朝鮮半島で過ごしたというのがどう影響を与えているのか、まぁ、興味深いところもあるんだが、あまり深入りしないでおこうw ただ、この時期の五木寛之が、演歌の進むべき道筋を思想的に示していたというのは間違いない。で、矢作俊彦が、「藤圭子は五木寛之と寺山修司によって、不幸のアイコンにされてしまった」と書いているんだが、まぁ、アレだ、デビューした時から、女の恨みつらみを唄う存在として喧伝されていたのは間違いない。藤圭子のデビュー当時は、演歌でも艶歌でもなく、「怨歌」という惹句が付けられていた。怨み唄ですw また、彼女は父親が浪曲歌手で、コレが時代の変化で売れなくなって、食うや食わず、幼い彼女が盲目の瞽女である母親の手を引いて夜の街を流して歩き、酔客から食べ物を貰って食い繋いだという出自であり、それもまた、宣伝の一環としてマスコミで盛んに報道された。デビューに当っては、当時まだB級の繁華街であった新宿で、白いギターを抱えて24時間連続キャンペーンというのをやっている。五木寛之が予言した「女のルサンチマンを体現する歌手」として、徹底的に「不幸のアイコン」として売り出された。もともとの藤圭子というのは、普通に美人で、普通に歌が上手で、声域がアルトで低くて、ごく普通の歌手だと思うんだが、そこに様々な人の思いが付着し、その特異な生まれ育ちと相まって、時代を象徴する歌手になる。彼女のファーストアルバムは、長いこと、アルバム販売数の日本記録を保持していた。それを破ったのは、娘である宇多田ヒカルのファーストアルバムです。

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■ 哀れ!多分どこも触れない藤圭子の半生 「J - CIA(2013.8.23)」より
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 ここ数年は行方不明になっていたという藤圭子。その近況が報道されたのは、同棲していたヒモのマンションから飛び降り自殺を図ったためだった。
 宇多田ヒカルの反応、葬儀日程などまだまだ不明な部分は多い。警察も割と進んでマスコミに情報を出しているようだが、決して語られることはないであろう彼女の知られざるエピソードを、本サイトではお届けしたいと思う。
(※ 以下有料記事)

■ みだれ髪


■ 藤圭子 逝く… 涙目 合掌 「飯山一郎のLittleHP(2013.8.22)」より
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手の藤圭子さん自殺か マンションから転落死
あまりにも痛々しい見出しである。
自殺とすれば…、発作的な飛び降り自殺である。
この原因は、断定するが、クスリである。
藤圭子さんは大金持ちであるが、悩みも多かったようだし…。

藤圭子、歌手復帰! この望みは薄かったが…、いつかどこかで即興で持ち歌を歌う姿を、いつも鷲は夢みていた…。

だが、この夢も、きょう限りで捨てねばならない。無念である。
涙目で合掌する以外、ない。





■ 藤圭子が謎の転落死 高層マンションの13階から 「憂国世界(2013.8.22)」より
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巷間の意見>>
………………………………
宇多田ヒカルの近作である「嵐の女神」「桜流し」を聴くと母との別れを予感していたかのような詩の内容に驚く

タイミングは偶然とはいえこれらの作品でようやく宇多田は母への愛を素直に表現できたと言っていいだろう

今世での母娘、お互いの役割を終えたのかもしれない

全ての終わりに愛はあったのか

………………………………
(-_-) 私もここのところ藤圭子の曲が無性に聴きたくなり、移動中にウォークマンで聴いていました。

何やら電波が私の頭の中で飛んでいたんですね。



巷間の意見>>
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若い時は超美人
30過ぎて生んだ娘が宇多田ヒカル なのに・・

人生における成功って何だろうと思わせるな

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(-_-) 本当ですね。ご冥福をお祈りします。





なるほど・・・本人じゃなかったのか。↑これ「宇多田ヒカルの歌で死にたいって聞こえた」と陰陽師が言ったから書いた記事なんだよね。

でもさー、聞いたときは「そんなもんそのまま書けるか」とさすがに思ったし、そのまま書いてキチガイ扱いされても困るから(苦笑)、上記くらいの話で書いといたんだけど・・・現実的なところで、もしかして本人病気なのかなとか思って病気とかも調べたけどなんも出ないし、なんだろと思ってたんだけど・・・忘れていた頃にこんな・・・

ま、偶然ですな、偶然!!!(^_^;)


■ 「聞いて下さい私の人生」 藤圭子 「日本製原爆完成全文(2011.4.15)」より ☠
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「聞いて下さい私の人生」 藤圭子

“スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族”は、本当に外道共の集合体だね。此処まで悪党だと、閻魔大王も裸足で逃げ出してしまう。閻魔大王から閻魔帳を奪って、地獄の鬼を皆殺しにする“釈迦白足袋族”は最強の卑人である。地獄の火でも、原子炉の熔解温度でもその「曲がった性根の塊は熔解しない」のである。それ程「我の塊」がカチカチに凝固していると云う訳である。それなら、その「我の塊」は太陽に投げ込んでも熔けない、何億年間でも、太陽の中で燃え続けていれば、無限エネルギーと成って逆に、宇宙のために成るが、原子炉の炉心の中で燃え続け場合は、地球の底が抜けて仕舞う事に成りかねないから、手の施し様がない。それとも、京都府の“スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族”は、「地獄の沙汰も金次第」とばかりに、東日本大震災の義援金(義捐金)と国民年金を全額盗んで、世界一の大宴会を開いて、日本の飛地領土「ナウル共和国(太平洋南西部に浮かぶ珊瑚礁のナウル島からなる共和国)」に亡命して、次の戦争準備にでも入る計画を立てている訳である。俳優の児玉清の番組「アタック25」の収録を欠席とか。石巻市で“さんまを焼いて烽火”だとか。日本はアメリカを再び攻撃(アタック)する計画を準備している訳だ。両国民と日米の政治家達が考えていることには、天と地の開くがあるから、深層海流の流れは緩やかだが、そこに出来る渦は意外に激しい怒りに満ちているのかもしれない。何故、こういった書き出しになるのか?と云えば、芸能人 藤圭子(本名:阿部純子)の子「歌手 宇多田ヒカル」が、2010年10月に発売した「Utada the best」 (ユニバーサル 16曲で新曲なし)を“買わないで”と発言した事と、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の義援金として日本赤十字社を通じて8000万円を寄付した。また、被災者支援として人生初の献血を行い、400ccの献血をした。などの情報が再び流れ出したからである。タイトルは、藤圭子の曲そのままである。日本の芸能界は、スメラ学塾(スメラクラブ、スメラ文庫・・・)と繋がっているイタリアレストラン「キャンテイの川添浩史・象郎一族」を抜きにしては、存在しない程に絶対的な影響力を持つ正に「暗黒世界」である。それは、先の「熔解しない“我の塊”」である。藤圭子は日本規模だったが、「歌手 宇多田ヒカル」は、母 藤圭子の出生地岩手県の奇物 新渡戸稲造が発願した「太平洋の架け橋」として活躍しているのである。それで「満点」でしょ。歌は言語の違いを超えて「平和でしょ」たぶん。歌手の声の最高は「だみ声(ハスキーボイス)」であることから、すれば、宇多田ヒカルの声帯は潰れていないから、最高の声帯とは云えない訳である。しかし、高額所得者の仲間に入る位だから、良いのかもしれない。宇多田ヒカルの胤が、作家沢木耕太郎なのだろうが、此処では問題としない。藤圭子が問題なのである。藤圭子と新渡戸稲造に思想的な関係は見られないし、まして「血縁関係」も見られない。しかし「太平洋の架け橋」に成って居る理由が問題なのである。新渡戸稲造の妻は、米国のクエーカー教徒である。明仁天皇(本人は死亡して、現在は影武者が演じている)の家庭教師(バイニング夫人)もクエーカー教徒である。「太平洋の架け橋」は日米間では「クエーカー教徒」と相場が決まっているのである。藤圭子の家庭環境を表面上見る限り、「クエーカー教徒」を匂わせる物は存在しない。しかし、「太平洋の架け橋」に成って居るのである。実に不可視な世界である。藤圭子の「恨み節(怨念節)」と、英語・日本語混じりの宇多田ヒカル調がシックリと来ないのは、藤圭子の歌が街中に溢れていた高度経済成長時代と、現在とにおいて「隔世の感」があるからでもある。逆に見れば、<藤圭子の歌が街中に流れていた時代は、何故?アノ歌でなければいけなかったのか?>と云う疑問である。それは、マスメディアが国民の思考を「経済戦士」として、疑問府を抱かせないよう強制していたとし考えられないのである。つまり、藤圭子に「恨み節(怨念節)」を歌わせる事で、完全な「会社帰属型の人間」だけを造り上げていったのである。それは、森進一にも共通している訳である。そう「キャバレー日の丸」の登場である。「円天・L&G・あかり研究所の詐欺事件」で広告塔に成ったのは、全て「演歌=恨み節(怨念節)」歌手らである。時代に不変性が欠けているくせに、「電子立国・自動車立国・資源がない」だけには不変性がある様に、京都府の“スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族(日本共産党の医療と教育)”から、徹敵的な教育をされ続けているのである。そういった意味で「藤圭子」の存在(=発言)する意味は重大なのである。前にも書いたが、藤圭子が2009年夏に発言した【日本はガラスで囲まれているようですね。外から見ると開放的でたやすく入れそうだけれど、実際は見えない分厚い壁がある。いつか、ヒカルも感じるのではないでしょうか】日本に在住していて、藤圭子が感じている「不自由さ」とも受け取れる発言である。「外から見ると」だから、アメリカ側から日本を見ている視点ではある。藤圭子の視点から云えば【長く日本に住んで居た時には、気がつかなかった事ですが、アメリカと日本を行き来し、今ではアメリカに居る時間が長くなって、気がついた事ですが、日本の芸能界は外から見ると、開放的でたやすく入れそうな「ガラスで囲まれた社会」に見えますが、実際には見えない分厚い壁があるのですね。いつか、ヒカルも感じるのではないでしょうか】こういった発言に成るはずだが、藤圭子の発言の中に「芸能界」と云う名称がないのである。冒頭から【日本はガラスで囲まれているようですね】で始っているのである。日本の多くの芸能人らは、アメリカを始め、欧州から北欧、アフリカ大陸まで仕事や旅行から、長期滞在まで多種多様に、国外で生活している人も見受けられが、藤圭子の様な発言を聞いた事が無いから、この発言に面食らう訳である。そして、翌2010年に宇多田ヒカルの休養宣言となる訳である。歌手 郷ひろみは、アメリカで何をしているのか知らないが、ニューヨークに長期滞在して、現地妻やら、不倫やら無差別セックスに明け暮れて、日本に来ると突然路上ライブなどして、その言動は無軌道である。日本の芸能界は「不可視か?可視か?」など気にも止めていない訳である。二谷友里恵に黒田清子(明仁天皇の長女)との間に出来た“二人の女子”を養育させておいて、自分は無差別セックスに励んでいる。それは「島地黙雷の胤」からできているから、島地黙雷・大等と同じ浄土真宗の教義を実践している訳である。結果を考えないでである。“外道の郷ひろみ”と比較する事は対象が異常分子だからやめる。藤圭子のデビューから今日に至るまでの足跡に見られるのは「金銭問題」である。幾ら歌ってもまるで「砂漠に水を打つかの如くに、金銭が底をついているのである」。水原弘(黒いはなびら)や勝新太郎などの様に、連日連夜、銀座で大宴会を繰広げているなら、「借金王」であるが、藤圭子にはそんな豪遊伝は無い様であるが、いつも「金に追われている」のは何故か?である。美空ひばりは山口組の田岡一男(興行師・広域暴力団組長)と母 加藤喜美枝に守られて、芸能界人生を閉じた。芸能界は先にも書いたが、右大臣・左大臣・皇室・皇族の非嫡出子ばかりである。歌の実力とか、芸の力は無関係なのである。マスメディアに出て、生みの親に自分の姿を連日見せる為に、テレビ・ラジオ・雑誌などの媒体が必要なだけである。為政者らの非嫡出子問題の解決策が、「シャープの液晶テレビ」と云う訳である。国民はこの「非嫡出子問題の解決策」に翻弄されて、その真似を強要させられている訳である。実に馬鹿げた社会である。それが「さんまのカラクリテレビや、恋のから騒ぎ」などである。そう云った訳で、芸能界で生き残る為には「右大臣・左大臣・皇室・皇族などの後見人」が絶対必要条件と成ってくるのである。藤圭子は宇多田照實と結婚する前に「歌手 前川清」と結婚していた訳だが、この時も「前川清に金銭問題を相談している」のである。藤圭子の両親は北海道で「門付け(旅周りの芸人)」で、生活をしていたと云うのであるが、藤圭子の「だみ声(ハスキーボイス)」からして、浪曲の発声法(ボイストレーニング)はしていた訳である。芸能界に入ったきっかけは<17歳の時にさっぽろ雪まつりのステージで歌う姿が、レコード会社の関係者の目に留まり上京し、歌手デビューする事になる。>と云う“実に恵まれたきっかけ”である。これなら、毎年雪祭りから最低でも一人は芸能界デビューしている計算になるが、そう云った「ワラの中から針を探す」様な幸運は存在しない。同じ北海道からでた「北島三郎」ですら、長く流しをしてから、芸能界の大御所にまで登り詰めた訳である。確かに藤圭子は、北島三郎が遊んでいる時に、両親と一緒に「門付け」をして生活していた様だから、幼少期に苦労を先にした感はある。藤圭子と宇多田ヒカルは同じ周回軌道を回る母子の如くに、芸能誌は書いている。確かに同じ周回軌道を回っている。其処まで同じになる芸能界の親子は存在しない。歌舞伎役者なら、確かに家族中が不純異性交遊と云う周回軌道を回っているが、宇多田ヒカルのとは違うのである。「太平洋の架け橋」と云う視点で同じ周回軌道上にあると云う訳である。市川海老蔵の大根歌舞伎とは話の次元が違うのである。そう云った意味で、歌舞伎は京都府の村芝居程度である。とてもとても国際性や不変性はない。梨園を出た事がないのである。歌舞伎役者が映画にでると、全てが歌舞伎調で小学校の学芸会以下である。そんなのに、文部科学省は巨額の援助をしているのだから、どうしょうも無い訳である。ドブに金を捨てているようなものである。藤圭子と宇多田ヒカル親子が「同じ周回軌道を回っている」のであれば、それは「輪廻」と云う事になってしまう。そこから抜け出す手だてがないから、同じ軌道を本人の意志とは関係なく、回り続けている訳である。その軌道を修正して、本来の藤圭子・宇多田ヒカルの持つ軌道に戻す作業が、「休業宣言」だった訳である。それに1年間の準備期間を必要としたと云う訳である。そこまで、芸能界は不可視な世界といわざるを得ないのである。藤圭子も美空ひばりの様に強力な「後見人」がいれば、複雑な軌道修正は必要なかったかもしれない。しかし、美空ひばりも多難だった訳だから、<非嫡出子だけで構成された芸能界>では“イジメは半端ではない”訳で芸能界では政治家が常に暗躍して、芸能界の甘い汁に群がっているのである。そう云った意味で、藤圭子の【日本はガラスで囲まれて・・・】と云う発言は、芸能界と云う名称が抜けているのは「政治的な発言」だからである。だから「太平洋の架け橋」に繋がっている訳である。それは何時からそう成ったのか?と云えば、生れた時からである。その謎を解く鍵がタイトルの<「聞いて下さい私の人生」藤圭子>と云う歌なのである。この歌が問題となるのは、1976年12月6日の第422回「夜のヒットスタジオ」で“司会者の芳村真理と井上順”から、藤圭子が紹介される会話内容である。その動画が次ぎのサイトに在る。
YouTube<http://www.youtube.com/watch?v=PbdKY4iEhJM&feature=related
この<1976年12月6日の第422回「夜のヒットスタジオ」>の番組の中で、“司会者の芳村真理と井上 順”らは、藤圭子を挟んで、次の様な会話をしているのである。
芳村:エーと、
井上:今度は細い方です。
芳村:ぐっと。
芳村:ハイどうぞー
芳村:てるちゃん 暫くでしたね。
芳村:元気でしたか?
藤圭子:ハイ
芳村:痩せてしまったけど 意味はないの?
藤:ぜんぜん
芳村:痩せようとして?
芳村:そんなことない。
井上:ホント細く成りました。
井上:恋でもしてるんじゃないですか?
藤:ウフフ
スタジオないが、少しざわめく
芳村:妖艶な感じ。
芳村:エー。あら
芳村:赤ちゃんの鳴き声。
藤:ィやー ウフフ
井上:佐良直美さんの赤ちゃんでしょ。
井上・芳村:一呼吸の沈黙があって。
芳村:えー。それでは。暫くぶりなので。
芳村:アノー兎に角
芳村:たつぷり 歌って下さい。どうぞー
伴奏がはじまり、藤圭子が歌いだす。
この「聞いて下さい私の人生」藤 圭子の作詞と作曲は<詞:六本木哲 曲:岡 千秋 R:1976/08/25 HC:70位>と云うことである。
この映像以外にも、藤圭子と赤ん坊が一つの画面に登場する番組がある。この時期を境にして、「夜のヒットスタジオ」から藤圭子の姿は消えるのだが、その後も何故か?「郷ひろみ」だけは露出度が増していくのである。あの独特の甲高い声が今でも日本中に響いているのは、郷ひろみの胤である“浄土真宗の島地黙雷・大等”の「黄色い声」だからである。
藤圭子を挟んで、会話(司会)を進行している「芳村真理と井上順」の実に惚けた演技には唖然とさせられる訳である。藤圭子にとって「1976年」とは一体どんな年だったのか?
藤圭子の公表されている履歴に、<1976年「夜のヒットスタジオ」>に出演した「佐良直美と藤圭子」のリストを重ね合わせて、井上順の「佐良直美さんの赤ちゃんでしょ。」と云う発言の意図を読み取る作業が必要と成ってくる訳である。それは、1980年6月に梨元勝が報道した<“佐良直美”のレズビアン騒動に政治家が介入>した事件を解く鍵になるからである。又、レズビアンの“佐良直美”が出産したのなら、木原光知子とキャッシー中島との騒動とは一体何だったのか?と云う疑問である。そして、司会者の“芳村真理”がこの一連の事件に関与しているから、現在、森林保護活動で重要な役割を担って居る事に行き着く訳である。それは芸能界が「政治家の演技を代弁」している訳でもある。
1951年7月5日出生{浪曲歌手の父 • 阿部壮(つよし)、三味線瞽女の母 • 竹山澄子(2010年に死去。享年80)}
1968年 札幌雪祭りで、レコード会社にスカウトされる。
1969年 9月25日 『新宿の女』でデビュー。
1970年 『圭子の夢は夜ひらく』が10週連続1位を獲得77万枚売上げる大ヒット。第12回日本レコード大賞大衆賞を受賞。『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場。
1971年 前川清と結婚。
1972年 離婚。
[1975年4月30日 - サイゴン陥落によりベトナム戦争終結]
1976年5月31日 第0395回「夜のヒットスタジオ」出演者:北島三郎、都はるみ、布施明、佐良直美、フォーリーブス、森昌子、岡田奈々、殿さまキングス
1976年6月14日 第0397回「夜のヒットスタジオ」出演者:和田アキ子、藤圭子、アグネス・チャン、西城秀樹、細川たかし、林寛子、西川峰子、三波豊和
1976年08月23日 第0407回「夜のヒットスタジオ」出演者:ダーク・ダックス、佐良直美、和田アキ子(代理司会)、五木ひろし、山口百恵、ずうとるび、片平なぎさ、岡崎ひとみ
1976年12月6日 第0422回「夜のヒットスタジオ」出演者:布施明、佐良直美、藤圭子、郷ひろみ、丸山圭子、岩崎宏美、アローナイツ、岡崎ひとみ
1976年12月6日の第422回「夜のヒットスタジオ」に出演。
1979年 突然引退を表明し、アメリカ合衆国に渡る。
1980年6月佐良直美とキャッシー中島・木原光知子とのレズビアン騒動
1981年 藤圭似子の名で再デビュー。
1982年 宇多田照實と結婚(再婚)。
1983年 長女、光(宇多田ヒカル、本名:宇多田光)を出産。
1984年 芸名を藤圭子に戻す。
1993年 有限会社ユースリー・ミュージックを資本金300万円で東京都杉並区に夫照實と設立し取締役になる。
1995年 夫照實と娘光(宇多田ヒカル)の3人で「U3」のユニット名でインディーズでレコードを発売。
2000年 娘、ヒカルの全国ツアー札幌公演で、ステージに飛び入り参加し、『圭子の夢は夜ひらく』を歌う。
2006年 3月にアメリカ・ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される。
2007年 夫・宇多田照實と離婚。
2009年 前述のケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還が決定。

上記の履歴から、「1976年 藤圭子」は目立った活動はしていないのである。それでは、司会者の「芳村真理と井上順」の“惚けた演技”は何を云いたかったのか?そして、其処から渡米した藤圭子が、宇多田照實と結婚し、“光を出産”し離婚した。と云う過程が読み取れないのに、「宇多田ヒカルのCDは売上NO1」と云う、動かし難い数字が存在するのである。それを、藤圭子の言葉を借りて云えば【藤圭子(宇多田ヒカル)の履歴はガラスで囲まれているようですね。外から見ると開放的でたやすく入れそうだけれど、実際は見えない分厚い家庭事情という壁がある。いつか、ヒカルも感じるのではないでしょうか】となる訳である。<1976年12月6日の第422回「夜のヒットスタジオ」>司会者の芳村真理と井上順の演技の要点は、<“痩せた”即ち出産してお腹が経こんだね。と云う訳だから、1976年6月14日第0397回「夜のヒットスタジオ」に出演している所からして、芳村真理は「1976年夏頃に、藤圭子は赤ちゃんを産んだ」と云って居る事になる。しかも、井上順は「佐良直美さんの赤ちゃんでしょ」とまでハッキリと云っているのである。この時点では、佐良直美のレズビアン騒動は報道されていない。4年後の1980年に政治家を巻き込んだ「佐良直美のレズビアン騒動」が、連日週刊誌からテレビなどで報道される事になるのである。井上順の発言を直接読み取れば「佐良直美の子供は、4~5歳」である。「佐良直美のレズビアン騒動」の時には、藤圭子はアメリカに居住している訳である。謂わば「対岸の火事」である。しかし、<1976年12月6日 第422回「夜のヒットスタジオ」司会者の芳村真理と井上順の惚けた演技>は、重大な政治問題だったことが、<2009年 前述のケネディ国際空港で没収された現金42万ドルの全額返還が決定>と云うニュースと成って現れているからである。ここで、1976年に藤圭子が出産したとすれば、宇多田ヒカルには兄妹がいる事になる。1977年頃の藤圭子の映像には「男の子」が何故か出てくるのであるから、1976年に藤圭子が産んだ子は「男子」である。そうなると、問題はその父親は誰か?と云う事に絞られる。父親として「作家の沢木耕太郎」説を今までは取ってきたが、「作家の沢木耕太郎」が川添一族に取り込まれたとして、「太平洋の架け橋」となる事件にまで発展するだろうか?と云う疑問がでてくる。更に「巴工業 代表の佐良直美」が登場し、橋田壽賀子・石井ふく子・泉ピン子などの、テレビ業界を取り仕切る<テレビ番組「渡る世間は鬼ばかり」の制作一家>と、芳村真理・井上順らも関係してくる「藤圭子・宇多田ヒカル」とは、何処がどう繋がるのか?正に「ガラスで囲まれた不可視の世界」である。先に述べた<藤圭子と宇多田ヒカルは同じ周回軌道を回っているのなら、藤圭子は母 竹山澄子と同じ周回軌道を回っている筈である。>しかし、藤圭子は“母 竹山澄子”と同じ道を歩んでいるとは到底見えないのである。“母 竹山澄子”が「三味線瞽女」と云う履歴にも疑問がある。何度も申しますが、芸能人は右大臣・左大臣・皇室・皇族らの非嫡出子しかいない訳だから、札幌雪祭りでスカウトされたと云うのは演出であって、17歳まで無事に育った「非嫡出子 藤圭子」を、生みの親が引き取りに来た。と云うのが真相である。つまり、{浪曲歌手の父 • 阿部壮(つよし)、三味線瞽女の母 • 竹山澄子}は育ての親と云う訳である。それでは、「非嫡出子 藤圭子」の親は誰か?と云う問題である。<生み母は“山本富士子(1931年生)”>である。藤圭子の生年月日が、1951年7月5日だか?この年度は、偽装された可能性が高い。それは、後日に書き換えられたものと考えるべき性質のものである。さて、1951年に山本富士子は“ミス日本”として公式訪米した年であり、又、その年は「日米安全保障条約が妥結した年」でもある。その様な政治的な状況を念頭に於いて、藤圭子の渡米を見ると、藤圭子の胤(父親)は、ジョン・F・ケネディ(後に第35代米国大統領)しかいないのである。だから、ジョン・F・ケネディが下院議員だった「1951年11月8日、弟ロバート・妹パトリシアと共に来日」した訳である。“山本富士子”はアメリカへの日本側からの“プレゼント”だったのである。それでは、藤圭子が1976年夏頃に出産した「男子」の胤(父親)は誰なのか?と探して見れば、「明仁天皇」しかいないのである。その理由が、井上順の「佐良直美さんの赤ちゃんでしょ」と発言しているのが答えである。前にも書いた通り、「佐良直美の実家は、日本製原爆を製造と完成する為に、必要だった“遠心分離器”のトップ企業」だった。その関係で、皇室から武器企業の高田商会とも深い関係に在った訳だ。その事が、政治家を巻き込んだ「佐良直美のレズビアン騒動」と云う訳である。「巴工業 代表佐良直美」は藤圭子から養育を託されたが、ただと云う訳には行かない。「養育費」を皇室に請求しても、皇室は出さないから、母親の藤圭子に養育費を請求する事になる。それで、藤圭子は「巨額な養育費」を「巴工業 代表佐良直美、石井ふく子、橋田壽賀子」側に支払う為に、生活に困窮をきたしている訳である。その金銭問題の話が<2006年 3月にアメリカ・ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される。>と云う不可視な事件の裏側の事情である。アメリカ側の金庫に保管されてしまえば、「巴工業 代表佐良直美、石井ふく子、橋田壽賀子」側でも手が出せない訳である。そして、宇多田ヒカルの結婚と離婚問題にも関係してくるのである。藤圭子が産んだ「男子」が“明仁天皇の直系”だから、問題は皇位継承問題にも関係して、京都府“スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族”と「巴工業 代表佐良直美、石井ふく子、橋田壽賀子」から、秋篠宮家・徳仁皇太子・外務省 小和田恒家・福島の相馬一族・原不二子やら常陸宮華子やらで、もう泥沼状態でありながら、東日本大震災と福島原発に問題では、災害救助隊の足ばかり引っ張ることでは、一致すると云う実に外道な世界を演じている訳である。これが、藤圭子の云う【ヒカルも感じるのではないでしょうか】と云う含みのある発言と成って居る訳である。藤圭子の両親は、育ての親だから血縁関係はない。逆に「藤圭子と佐良直美や山口四郎などとは血縁関係にある」と云う実に“おぞましい世界”が芸能界では常識として罷り通っているのだから、畜生以下の世界である。先の<司会者 芳村真理と井上順>の両名も“川添浩史・象郎のキャンティ”関係者である。何処までも泥沼は続きます。原子炉熔解が燃え尽きるまで止まらない状況と同じに。
藤圭子が「太平洋の架け橋」と云う意味がご理解できましたか?それは、「藤圭子の父親が“ジョン・F・ケネディ(第35代米国大統領)”で、母親が“山本富士子”」だからである。それを云う為に「ジョン・F・ケネディ国際空港で大金を没収された」と報道した訳である。
宇多田ヒカルの大学がハーバード大学からコロンビア大学中退にウィッキペディアで書き換えられている。日本では出鱈目しかない。この宇多田ヒカル・宇多田照實・藤圭子の音楽事務所の名前が「U3」と命名されているのは「ゆすり」と云う意味からきているのである。それが、“ケビン・メア”アメリカ国務省アジア部長の「ゆすり・たかり」と云う意味だから、藤圭子はやはり「太平洋の架け橋」である。逆に「モーラー祖心尼 元東照寺国際参禅道場住職予定者」は、明仁天皇とバイニング夫人の子供だから、こちらも「太平洋の架け橋」である。“ケビン・メア”アメリカ国務省アジア部長の奥さんも、日本人だと云うが、沖縄県なら“琉球王朝の血筋”だとすれば、“ケビン・メア”アメリカ国務省アジア部長は、琉球王朝の王様と云う事になるし、日本人なら沖縄は日米の不可視な共和国体制と云う事になる。どちらにしても、“ケビン・メア”アメリカ国務省アジア部長の子供が、沖縄県の王様であることだけは確かである。此処で、民主党の渡部恒三最高顧問が、<菅直人首相と松本健一内閣官房参与が福島第1原発の周辺地域に「20年住めない」との会話を交わした>事で激怒しているとニュースが流れた。これにはビックリである。渡部恒三は<厚生大臣時代の1984年1月に原子力関係者との会合の席で「原発を作れば作るほど国民は長生きできる。日本のエネルギー問題の解決は原発だというのが私の政治哲学だ。」>と発言した人物である。民主党の枝野幸男官房長官は渡部恒三最高顧問を極刑に処すべきなのに、ハイハイと意見を聞いている。これで日本は終わりだね。所で<「夜のヒットスタジオ」の初代の司会者は“前田武彦と芳村真理”>である。この前田武彦は鎌倉アカデミアである。つまり、町田敬二や高嶋辰彦の「皇戦会=スメラ学塾」に繋がっている訳だから、丸々の「国家主義者=スメラノミクニ」なら文化戦争の尖兵が<テレビ番組「夜のヒットスタジオ」>なのである。そこが、右大臣・左大臣・皇室・皇族の非嫡出子問題の宣伝部隊と云うのだから、もう如何しょうも無い世界なのである。

2011年4月15日(金曜日)  榎 本 東 州  記


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■ ありがとう(ARI GATO)作戦 「日本製原爆完成全文(2011.4.18)」より ☠
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ありがとう(ARI GATO)作戦

始めに、4月15日に書いた<「聞いて下さい私の人生」藤圭子>について、補足致します。「山本富士子と藤圭子と宇多田照實と佐良直美と石井ふく子」この5名と、京都府の釈迦白足袋族らは「宇多田ヒカル(光)の生い立ち問題」について秘密を共有して、アメリカを脅迫している。アメリカとはこの場合「クリントン国務長官・オバマ大統領」のことである。“宇多田ヒカルの存在”が「日米間の深刻な政治課題」に成って仕舞ったのである。その理由は「近親交配」だからである。ギリシア悲劇を現実の出来事として、テレビ(液晶)画面を通じて直視しているのは苦痛である。前に書いた様に「ミス日本の山本富士子とジョン・F・ケネディ(当時は下院議員)の間に出来たのが“藤圭子”である。その藤圭子と明仁天皇の間に出来た“男子”は、巴工業の代表 佐良直美(歌手)の戸籍に入れられた。その後、藤圭子はアメリカに渡り、父方であるジョン・F・ケネディの親族(知人)の庇護を受けて生活する。其処は“ジミー・カーター(第39代大統領)”の親族若しくは、“ジミー・カーター”自身だった訳である。何故“ジミー・カーター(第39代大統領)”の所なのか?と云えば“ジミー・カーター(第39代大統領)”はケネディ(JFK)の非嫡出子だったからである。この“ジミー・カーター(第39代大統領)”のところにいたのが、“ジミー・カーター”の非嫡出子だった“ビル・クリントン”である。この<ビル・クリントンと、藤圭子の間に出来たのが“ヒカル(光)”である。非嫡出子の子には戸籍と父親で必要となる。そこで、日米間で協議した結果、宇多田照實の戸籍に入れたので“宇多田ヒカル”と成った訳である。だから、“宇多田ヒカル(光)”は完全な「近親交配」で出来たと云う実にオゾマシイ関係と成って居る訳である。アメリカ史の暗部「ケネディ家」の狂気である。ヒラリー・クリントン国務長官は良い人と結婚した訳だ。権力とは近親交配を望むわけだ。ヒラリー・クリントン国務長官の希望通りに成ったでしょ。上記の内容について、次のニュースが報道している。
1、クリントン長官、歴代最高の外遊40回 大統領選出馬待望論が再燃
産経新聞 4月16日(土)21時34分配信
【ワシントン=犬塚陽介】内政に重点を置くオバマ米大統領に代わる米外交の顔として、クリントン国務長官が精力的に外遊を重ねている。就任2年で計40回、165日間に達する外遊は、ブッシュ前政権下のライス長官を超えて歴代最高を記録。17日にも訪日し、菅直人首相らと東日本大震災の支援などについて協議する。メディアへの露出の高さから支持率も政権内でトップを維持。長官自身は強く否定しているが、大統領選への出馬待望論も再燃している。・・・中略・・・国務長官は外遊の多さや交渉の重圧、時差との戦いなどから「最も激務な閣僚」とされクリントン長官は唐辛子が大好物。外遊に持ち歩くバッグに肌の乾燥を防ぐミネラルウオーターのスプレーとともに瓶詰の唐辛子を忍ばせ、激務を乗り切っているという。「大統領は内政に比べて外交への関心が低い」(外交筋)との指摘もあり、特にリビア情勢ではクリントン長官が前面に出る場面が少なくない。メディアへの露出の多さと連動するように支持率も上昇している。米ギャラップ社の世論調査によると、3月のクリントン長官の支持率は、就任後最高の66%。同じ調査でオバマ大統領の支持率は54%、ゲーツ国防長官は52%、バイデン副大統領は46%。党派間対立が国民の批判を生んでいる内政問題に関与しなくて済むことも高支持率につながっている。大統領選への出馬も取り沙汰され始めたが、クリントン長官は先月16日、米CNNのインタビューにオバマ政権1期目満了で国務長官を退くことを表明。2016年の大統領選出馬も強く否定し、女性や子供の権利を支援する活動に力を入れる意向を示した。だが、CNNのインタビューを担当し、クリントン夫妻を20年以上にわたって取材してきたウルフ・ブリッツァー記者は、発言後に考えを変えるのは個人の自由であり、長官も「そうするのではないかと怪しんでいる」と語っている。

2、泥酔のN・ケイジ、家庭内暴力容疑で逮捕
CNN.co.jp 4月17日(日)10時51分配信
(CNN)米俳優ニコラス・ケイジさんが15日、ニューオーリンズ州フレンチクオーターで家庭内暴力などの容疑で逮捕された。ニューオーリンズ警察当局によれば、映画の撮影のため同市内に滞在しているケイジさんとその妻が15日午後11時30分ごろ、路上で言い争いを始めた。その様子を見ていた人からの通報を受けた警官が現場に到着したとき、ケイジさんは泥酔状態で、路上に駐車してあった乗用車をけるなどした後、タクシーに乗り込もうとしたという。駆けつけた警官がタクシーから降りるように命じると、怒鳴り始めたため、警官はケイジさんを拘束し留置所に収監した。容疑は家庭内暴力、治安妨害、および公衆酩酊。16日午後、保釈金1万1000ドルで保釈された。公判は5月31日に開かれる予定。妻に肉体的暴行をふるった形跡はないという。ケイジさんは過去数年間、税金滞納や家屋の差し押さえなど、深刻な財政トラブルをかかえている。現在の妻アリス・キムさんは、3度目の結婚相手。

上記1番目の「クリントン長官、歴代最高の外遊40回 大統領選出馬待望論が再燃」と云う記事は、ホワイトハウス側が流した意図的な、人気取り挽回の記事である。実はアメリカ国内でのヒラリー・クリントン国務長官の人気は急落している。その原因は、先に【宇多田ヒカルの胤が、ビル・クリントン元大統領であり、母が藤圭子だったと判って、“ケネディ家”は一つ屋根の下で、近親交配を繰り返して居たことが、世論の知る所と成ったからである。】その「近親交配」の問題を、2番目のニュースが報道している訳である。この“米俳優ニコラス・ケイジ”とは「ビル・クリントン」と書けないので、“米俳優ニコラス・ケイジ”としたのである。つまり、日本の政治歌舞伎と同じ手法で、劇場が人通りのある日常生活に「路上が劇場」になっていて、ビル・クリントンと云う、役名を“米俳優ニコラス・ケイジ”が演じ、ヒラリー・クリントンの役を“妻アリス・キムが演じたと云う訳である。ヒラリー・クリントン国務長官は訪日したが、内心では政治活動どころではなかったのである。それは「心ここにあらず」と云うべきものであった。“米俳優ニコラス・ケイジ”がビル・クリントン元大統領を演じないで、“映画監督のウッディ・アレン”でも良かったわけであるが、75歳では路上劇場での出演は無理だったのである。だから、ヒラリー・クリントンの天敵政治家 小沢一郎元民主党代表が“築地の新喜楽”でクリントン国務長官対策を謀議しなくても、良かった訳だが戦略謀議は行われた訳である。その根拠が次ぎニュースである。
3、航空管制官、また居眠り=勤務体制見直しへ―米
時事通信 4月17日(日)9時16分配信
【ワシントン時事】米連邦航空局(FAA)は16日、深夜勤務に就いていたフロリダ州マイアミの航空交通管制センターの管制官が居眠りしていたとして、停職処分にしたと発表した。航空管制官の勤務体制を3日以内に見直すことも明らかにした。
 この管制官は同日未明、指示を出していた離陸後の航空機が巡航高度に達した後、居眠りを始めた。パイロットとの交信に問題はなく、運航への影響もなかった。当時管制室には計12人の管制官と管理職2人が詰めており、同僚の管制官が居眠りに気付いた。管制官の勤務中の居眠りは今年7件目。ラフード運輸長官は「弁解の余地はない」と述べた。

<航空管制官、また居眠り>とは、17日のクリントン国務長官の訪日にあわせて、日本の内閣情報調査局(室)は、9・11事件に続いて、再びアメリカ国内で飛行機による爆発墜落テロを実行しようとしていたが、瀬戸際で阻止(中止)で来たと云う日米開戦まで行っていたのである。それの証左が次ぎのニュース<「ARIGATO」文字に感動=機上から発見―復旧支援の米軍指揮官。時事通信 4月16日(土)9時22分配信。【ワシントン時事】東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた仙台空港の復旧作業に携わった米軍嘉手納基地(沖縄県)の特殊部隊指揮官、ロバート・トス空軍大佐が15日、ワシントンと電話回線を通じて記者会見した。空港近くの浜辺に、米軍の支援に感謝する「ARIGATO」(アリガトウ)という木を組み合わせた文字を機上から発見した際、「苦境の真っただ中にありながらも、感謝の気持ちを示す日本人に心を打たれた」と語った。地震発生当時、韓国で演習中だったトス大佐は、戦地の前線への兵力投入を得意とする353特殊部隊を率いて仙台に移動。「戦地や災害派遣経験のある自分にとっても、被害規模は想像を絶するものだった」と感じ、「滑走路のがれきの除去には数週間はかかる」と覚悟した。しかし、自衛隊との連携で震災から5日後には滑走路のうち約1500メートルを確保し、援助物資の空輸を開始。「悲劇に直面しながらも秩序を保ち懸命に復旧作業に取り組む日本人の姿に感銘を受けた」と述べるとともに、「震災支援を通じて日米同盟はより強固になり、深まる」と力を込めた。>
この「ARIGATO」(アリガトウ)の英語表記にブランクを入れると【ARI GATO】となる。これは【飛行機 たくさんの猫を殺す】である。それは、アメリカの災害支援部隊が空母「ロナルド・レーガン」の人文字で<はじめまして>の日本語表記だから、日本人の誰が見ても意味が分るが、アメリカ軍の飛行機にたして<ARIGATO>では、アメリカの将兵の誰もが理解できるとは思えない。この場合は英語圏の表記とすべきだが、日本語のローマ字表記にしたのには、先の様な意図が日本側に存在していたからであるし、ネット上でもアタックと云う表現が随所に存在していたのだから、四川省での核兵器地下格納庫で、核 弾頭を全弾起爆した際のネット記載と同じである。アメリカ若しくはアメリカに同調している国へにアタック(攻撃)は確実に存在していた訳だし、今後もその危機は終息していない。日本が行うであろう「テロ攻撃」に対して警戒警報は出し続けるべきである。先のヒラリー・クリントン国務長官訪日に対して、時価総額の3倍を出して日本政府はロシアから天然ガスタンカーを寄港させて、日露関係の擬似同盟まで演出している。そんな事の為に“義援金(義捐金)”が、使用されていくから、被災地と原発事故への支援金は直ぐに底をつく事になるのである。このロシア液化天然ガスを破格の値段で買ったお金の出所は、<埼玉県に寄付された災害義援金>を、畑茂(畑和元県知事の三男)が、京都府に送金したものである。その件のニュースが<4月16日―埼玉県とヤマト運輸を書類送検 県警、郵便法違反容疑>と云うものである。このヤマト運輸と云うはメール便を指すが、これは、ゆうメールと云えないので、ヤマト運輸と書き換えているのである。埼玉県の義援金全額が郵貯銀行を通じて「三井住友銀行と云う京都府」に振り込まれた事件に関する報道である。そして、石原慎太郎都知事が全国知事会の会長に「上田清司 埼玉県知事」を推薦する理由が此処にある訳である。『義援金を戦争準備資金』に使うという計画である。その第1段階が<スウェーデン空軍から“マルチロール機(多目的戦闘機)サーブ 39 グリペンを500機”>購入する商談を進めているのである。スウェーデンから直接できない場合は、タイ王国を経由する計画である。震災義援金の使用目的は「巨大軍事大国への道」と云うのだから、原子炉は燃えつづけ、被災者は次々を息絶えて、生き残った者は、日米開戦で戦死すると云う図式が静かに計画実行されているのだから、正に“スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族”の思考は、常軌を逸脱しているのである。

2011年4月18日(日)  榎 本 東 州 記









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最終更新:2023年10月30日 15:29