■ソ連の中枢浸透説を補強 英所蔵文書で判明

 終戦間際の昭和20(1945)年6月、スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として、「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と重慶に機密電報で報告していたことがロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった。戦局が厳しい状況に追いこまれる中、日本がソ連に接近して和平仲介を進めたのは、ソ連およびコミンテルン国際共産主義が日本中枢に浸透していたためとの説を補強するものとして論議を呼びそうだ。(岡部伸)

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 機密電報は1945年6月22日付で中国国民政府のベルン駐在チツン(中国名・斎●)陸軍武官が重慶の参謀本部に伝えた。

 英国のブレッチリー・パーク(政府暗号学校)が傍受、解読し、ULTRAにまとめ、公文書館に保管されていた。英国は交戦国だったドイツ、日本だけでなく、中国など同盟国を含め三十数カ国の電報を傍受、解読していた。

 電報の内容は「米国から得た最高機密情報」として、「国家を救うため、日本政府の重要メンバーの多くが日本の共産主義者たちに完全に降伏(魂を明け渡)している」と政権中枢がコミンテルンに汚染されていることを指摘。そのうえで、「あらゆる分野で行動することを認められている彼ら(共産主義者たち)は、全ての他国の共産党と連携しながら、モスクワ(ソ連)に助けを求めている」とした。

 そして「日本人は、皇室の維持だけを条件に、完全に共産主義者たちに取り仕切られた日本政府をソ連が助けてくれるはずだと(米英との和平工作を)提案している」と解説している。

 敗色が色濃くなった日本では同年5月のドイツ降伏を契機に、ソ連を仲介とする和平案が検討され、電報が打たれた6月には、鈴木貫太郎内閣による最高戦争指導会議で国策として正式に決まった。

 斎●武官は、この電報のほかにも同年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦を正式に決めたと打電したほか、5月からベルンで繰り広げられた米国との直接和平工作の動きを察知して逐一報告するなど、日本の動静を詳細に把握していた。

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【用語解説】コミンテルン

 ロシア革命でボリシェビキ派が実権を握ったソ連共産党が1919年に、「世界革命の実現を目指し、ボリシェビキが各国の革命運動を支援する」国際組織を結成。22年に非合法に組織された日本共産党は「コミンテルン日本支部」と位置づけられた。35年まで7回の大会を開催したが、32年、「天皇制の廃止」を打ち出したテーゼを公にした。さらに35年、最後の大会で共産主義化の攻撃目標として日本、ドイツ、ポーランドをあげ、英国、フランス、米国の資本主義国と提携して撃破することを決議している。

●=火へんに俊のつくり

★ 終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」 「msn.産経ニュース(2013.8.12)」より
+ 昭和20年の主な出来事【表】


 ベルン駐在中国国民政府の武官が米国からの最重要情報として「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と打電した背景には何があるのか。陸軍中枢にはソ連に接近し、天皇制存続を条件に戦後、ソ連や中国共産党と同盟を結び、共産主義国家の創設を目指す「終戦構想」があった。

 鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」と、スターリンを評価する発言をした。

 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策として作成した「終戦処理案」だ。松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。

 さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指すべきだとしている。

 同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結ぶ-と書かれている。

 陸軍内の動きについて、近衛文麿元首相は20年2月、「国体護持にもっとも憂うべき共産革命に急速に進行しつつあり、共産分子は国体(天皇制)と共産主義の両立論で少壮軍人をひきずろうとしている」と上奏文で天皇に警告した。

 また、真珠湾攻撃目前の16年10月、ソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲの協力者として逮捕された尾崎秀実は「(われわれの目標は)コミンテルンの最終目標である全世界での共産主義革命の遂行」で、狭義には「ソ連を日本帝国主義から守ること」と供述している。

 岸信介元首相は、25年に出版された三田村武夫著『戦争と共産主義』序文で「近衛、東条英機の両首相をはじめ、大東亜戦争を指導した我々は、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だった」と振り返っている。(岡部伸)

■“愚策”の謎を解く一次史料 半藤氏

 昭和史に詳しい作家、半藤一利氏の話「愚策といわれる大戦末期のソ連仲介和平工作の謎を解く一次史料だ。当時、統制派を中心とする陸軍中枢が共産主義(コミンテルン)に汚染され、傾斜していたことがだんだんと知られ、大本営の元参謀から『中枢にソ連のスパイがいた』と聞いたことがあったが、それを裏付ける確証がなかった。近衛上奏文など状況証拠はあるが、直接証拠はなかった。英国が傍受解読した秘密文書で判明した意義は大きい。米国の情報源は、ベルンで活発に諜報活動をしていた米中央情報局(CIA)の前身、戦略情報局(OSS)欧州総局長、アレン・ダレスだろう。当時、米国と中国国民党政府は、日本の首脳部が赤化していると判断していたことがうかがえる。ベルンで米国側からピースフィーラー(和平工作者)の動きが出てくるのは、こうした認識から戦争を早く終わらせ、アジアの共産化を防ぎたかったからだろう」

 ■日本を転換する周到な工作 中西氏

 コミンテルンの浸透工作など大戦期のインテリジェンスに詳しい中西輝政京都大学名誉教授の話「英国立公文書館所蔵の機密文書の信頼性は高く、第一級の史料である。第三国のインテリジェンスで、日本の指導層とりわけ陸軍中枢にソ連工作が浸透していたことを浮き彫りにしている。米国の最重要情報源とは、OSSのアレン・ダレスで、日本に対するOSSの分析だろう。また当時は国共合作していたため、武官は、中国共産党員の可能性もある。統制派を中心とした日本陸軍の指導層にはソ連に親和性を感じ、ソ連共産党に通じた共産主義者(コミンテルン)がいて、敗戦革命を起こして戦後、ソ連型国家を目指す者がいた。ゾルゲ=尾崎事件では、軍部は捜査を受けず、人事も刷新されず、コミンテルンによる浸透工作が継続していた。『ヴェノナ』文書により、米国のルーズベルト政権ですら、200人以上のソ連のスパイないし協力者がいたことが判明したが、防諜が弱かった日本でも、総力戦体制の中でソ連の浸透が進んでいた。ソ連を頼り、和平を委ねたのは、日本を共産主義国家へ転換する周到な工作だったとも考えられる」










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最終更新:2013年08月12日 14:01
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