● つかこうへい〔Wikipedia〕
つか こうへい(本名:金峰雄〔キム・ボンウン、김봉웅〕、日本国内での通名:金原峰雄〔かねはら みねお〕、国籍:大韓民国、男性、1948年4月24日 - 2010年7月10日 )は、日本の劇作家、演出家、小説家。 福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)牛隈生まれ。 三男一女の二男。 血液型A型。 生前は東京都北区に在住し、同区のアンバサダーも務めた。

● つかこうへい の ことば@tsuka_bot〔Twitter〕
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つかこうへい の ことば ‏@tsuka_bot 1月31日
ちまたでは、演出家は、作品に対する理解力と役者への説得力が必要といわれるが、そうではない。演出とは、役者を愛し、そして憎む力のことだ。
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歴史認識
★☆ 慰安婦、つかこうへい氏の見方「歴史は優しい穏やかな目で」 阿比留瑠比 「msn.産経ニュース(2013.6.24)」より
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 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の唐突な問題提起をきっかけに、慰安婦問題をめぐり国内外で刺々(とげとげ)しい言葉が飛び交い、ぎすぎすとした対立が目立っている。

 もとより、降りかかる火の粉は払わなければならない。「強制連行の証拠はない」「慰安婦は性奴隷ではない」など正当な主張は、百万回でも繰り返すべきである。

 とはいえ、正しいことをただ生硬に訴え続けるだけでは、初めから旧日本軍に悪いイメージを抱き、しかも熱くなっている相手を説得するのは難しいだろう。

 こじれにこじれたこの問題を、どこから解きほぐせばいいのか。そんなことを思うにつけ、16年前の平成9年にインタビューした直木賞作家で在日韓国人2世でもあった故つかこうへい氏の言葉を思い出す。

 当時も慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた。そんな中でつか氏は『娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編』という著書を書くため、元日本軍兵士や慰安所関係者らへの取材を重ねたという。

 「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」

 つか氏はこう語った。作家の偏見を排した冷徹な目で少し調べると、マスコミ報道とは異なる実態が見えてきたというのである。また、つか氏は自らの当初の「思惑」も「知識不足」も隠そうとしなかった。
+ 続き
「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」

 現代史家の秦郁彦氏の研究によると、慰安婦の4割は日本人であり、朝鮮半島出身者はその約半数だった。この事実についても、ほとんどのマスコミや左派系の政治家らは気付かないか無視している。

 筆者は12年10月に当時、元慰安婦に一時金(償い金)を支給するアジア女性基金の理事長だった村山富市元首相にインタビューし、こう問いかけたことがある。

 「慰安婦の多くが日本人だったことはどう考えるのか。今後は、日本人も一時金の支給対象とするつもりはあるのか」

 すると、村山氏は「うっ」と言葉に詰まったきり、何も答えられなかった。同席した基金理事が、慌てた様子で「今の質問はなかったことに」と取り繕っていた。

 話を戻すと、つか氏は「営業行為の側面が大きくても、人間の尊厳の問題なのだから、元慰安婦には何らかの誠意を見せ続けるべきだ」とも語ったが、歴史の見方はあくまで公正で透徹していた。

 「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったり蹴ったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏を作ろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」

 そして最後につか氏が述べた次の言葉を、筆者は今こそかみしめたいと思う。

 「人間の業(ごう)というか、こういう難しい問題は、自分の娘に語るような優しい口調で一つひとつ説いていかなければ伝えられない。人は、人を恨むために生まれてきたのではない。歴史は優しい穏やかな目で見るべきではないか」

 つか氏のような視座が、もっと世界に広がることを願う。(政治部編集委員)


◆ 【慰安婦問題】在日2世の故つかこうへい氏「強制連行は無いと思う。マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」 「保守速報(2013.6.24)」より
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1:そーきそばΦ ★:2013/06/24(月) 12:28:44.16 ID:???0
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の唐突な問題提起をきっかけに、
慰安婦問題をめぐり国内外で刺々(とげとげ)しい言葉が飛び交い、
ぎすぎすとした対立が目立っている。

もとより、降りかかる火の粉は払わなければならない。

「強制連行の証拠はない」
「慰安婦は性奴隷ではない」など正当な主張は、百万回でも繰り返すべきである。

とはいえ、正しいことをただ生硬に訴え続けるだけでは、初めから
旧日本軍に悪いイメージを抱き、しかも熱くなっている相手を説得するのは難しいだろう。

こじれにこじれたこの問題を、どこから解きほぐせばいいのか。
そんなことを思うにつけ、16年前の平成9年にインタビューした直木賞作家で
在日韓国人2世でもあった故つかこうへい氏の言葉を思い出す。

当時も慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた。
そんな中でつか氏は『娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編』という著書を書くため、
元日本軍兵士や慰安所関係者らへの取材を重ねたという。

「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして
犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。

将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという
人間的な付き合いもあった。不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしている
イメージに洗脳されていた」

つか氏はこう語った。

作家の偏見を排した冷徹な目で少し調べると、
マスコミ報道とは異なる実態が見えてきたというのである。
また、つか氏は自らの当初の「思惑」も「知識不足」も隠そうとしなかった。

「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、
慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。僕は『従軍慰安婦』という言葉が
戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」



【関連補足】
及川廣信
■ 60年代前後をふりかえる その肉体性の奪還 「OIKAWA HIRONOBU archive」より / 記事保護
(※ 前後略)
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期待の70年は石油ショックもあってか、途中から肩すかしを食った感じでいるうちに、体制はいつの間にか末端までシステムかされ、対象が掴み難くなる。
 演劇は70年に入ると二つの方向を模索しながら分離して行く。つかこうへい、星野共、六月劇場から流れた深田良介らが研究会COREをやっていたが、その後、星野は兵藤哲と「げきば」を結成し、若月つねおのマイムを受け入れ肉体化していく。そしてさらに大野一雄の舞踏の方法論を舞台に持ち込もうとする。一方、つかこうへいは、表現技術というより、セリフの内容と、その語られる状況にドラマ性を見い出す芝居を作る。
 演劇が肉体化してことばを失って行った例として、岡本章の「錬肉工房」と大駱駝艦を上げておこう。
 美術の方でも60年代後半から表現を最小限にとどめようとするミニマル・アート、さらにデュシャンに帰ったかと思われるコンセプチュアル・アート。創作から素材を分離し、さらに素材から、フォルムと色彩を遊離させて行く傾向。たしかにこれはヴィトゲンシュタインの思想の影響を受けているようにも思われるが、そのあと、作者の表現よりも、素材そのものに表現させる方向に向かって来ている。








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最終更新:2013年06月24日 17:37