★■ 「これは俺の墓穴ではない」 引き揚げ者が見た“地獄” 終戦直後の朝鮮半島で何があった? 「産経ニュース(2014.8.14)」より / 全文コピペページ
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 69年前の8月、日本の敗戦とともに朝鮮半島は北緯38度線で南北に分けられ、その北側には多くの日本人が取り残された。ソ連軍の進駐の中、38度線を突破し、帰国を果たした人々がいる一方で、望郷の思いかなわず、約2万4000人もの日本人が彼の地で命を失った。この手記は、当時14歳の少年が北朝鮮で経験したことを記録したものである。

最北からの難民行

 終戦の時、僕たちの一家は咸鏡北道会寧邑(現在の北朝鮮東北部、中国との国境に接する地域)に住んでいた。8月13日午後7時、避難命令が出た。そして僕たちの新しい戦争が始まったのだ。14歳の僕はその時、それから始まる“冒険”に興奮した。だがそれは、実にみじめな“戦争”だったのである。

 咸鏡北道庁では緊急事態に備えて避難計画を立て、会寧邑の住民は平安南道成川邑(朝鮮半島北西部)に避難することになっていたという。両親と弟、4人の妹、そして僕は豆満江(現・中朝国境を流れる川)沿いに、まず茂山をめざして歩き出した。敗戦を知ったのは、茂山の手前の小さな集落だった。川に洗濯に行った母が、朝鮮人警官にそれを知らされたと告げたとき、朝鮮人国民学校の校長だった父は、「ばかげたデマを信じるな」と激しく叱責した。

(※ 以下略、詳細はサイト記事で)

■ 闇に葬られる終戦後の日本女性の悲劇・・・二日市保養所など 「韓流研究室(2013.5.27)」より
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1946年、満州からの日本人民間人の引き揚げが開始されてから、博多港に上陸した日本人引き揚げ者は約1年半で139万人に上った。

ソ連兵や北朝鮮の保安隊兵士に強姦されて、妊娠させられた多くの女性が存在した。
上陸寸前、絶望して博多湾に身投げした女性も多かったそうだ。

妊娠した女性の中絶手術が厚生省博多引揚援護局二日市保養所で行われた。
(※ 以下詳細はブログ本文で。)
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「北朝鮮に侵入せるソ連兵は、白昼、街道にて、
 通行中の婦女を犯す。
 汽車の通らぬため歩いてくる途中、1日数度強姦せらる。

 2人の娘を伴う老婦人は、かくして、上の娘は妊娠、
 下の娘は性病に罹る。

 元山か清津にては(ソ連軍に)慰安婦の提供を強いられ、
 (引き受け者の)人数不足せるを(補うものを)
 くじ引きにて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる。

 (慰安婦を)強要せられ自殺せるものも少なからず。」
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「要するに、満州・北朝鮮におけるソ連軍の日本人虐待は、
 口ではいい表せないほどひどいものだった。
 暴行と強奪は日常的だった。そして残虐な行為を犯した。

 ・・・とくに野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、
 抵抗するものは片っぱしから殺した。
 ソ連軍の兵士たちが日本の女にしたことは、
 いまでもぞっとするほど残虐なものだった」
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終戦直後の混乱期にはソ連兵や現地人(韓国人、朝鮮人)ら
による略奪、そして強姦が平然と繰り広げられていた。
中田さんの父親は年頃の中田治子さんのことを
案じて止まなかった。
当時18,9だったから坊主にして、
兄の服を着たり、男の子の格好をするように言われた。

そんなある日の夜、自宅に男たちが押し掛けます。
中田さんは隣の家に身を寄せ、静かに時を過ぎるのを
待ちました。
何か棒を持っていて入ったのか、
ガサガサ探している音が聞こえた。

「隠れていてよかった・・・
 あの時、(朝鮮人の男達)に見つかって
 (強姦されて)いたら・・・
 舌を噛み切って死のうと覚悟していました 。」
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