● ダグラス・マッカーサー〔Wikipedia〕
(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥。第二次世界大戦後に日本を占領した連合国軍の最高司令官や、アメリカの植民地のフィリピンの高等弁務官などを務めた。元1928年アムステルダムオリンピック選手団団長でもある。


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■ マッカーサー「自衛戦争」証言 ■ ウェーク島でのマッカーサー発言
「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてだったのことだったのです」 マッカーサーは当初、「真珠湾に対する"騙し討ち"だけを裁く裁判を望んでいたのだが、ドイツでニュルンベルグ裁判がはじまってしまったので、日本に対してもやむなく同様の裁判を行わなければならなくなった」と語っていた。朝鮮戦争を戦ってみると、がぜん、日本側の言い分が基本的に正しかったことが、マッカーサーには痛いほどわかった。東京裁判における日本側の主張の一番重要な部分は、共産主義の脅威である。満州を守らなければ満州が共産化する。それから支那も赤化する。支那事変であろうが、満州事変であろうが、その背後にはコミンテルンが働いていたと東條英機は主張した。日本の「A級戦犯」を処刑して二年後、まさにそのとおりになった。支那全土は満州も含めて共産主義になってしまったのである。その時はじめて、アメリカは事態の重大さに気づいた。それで東京裁判宣言の舌の根も乾かないうちに、日本との講和条約を結ぶべく動くことになる。翌年、マッカーサーは日本の戦争が侵略ではなく、自衛戦争であったことを認める。




■ あなたは反米?親米?それとも反ユダヤ?①~マッカーサーとパチンコと朝鮮人 「日本の面影(2013.2.9)」より
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親米・反米でグループ分けなんてナンセンス。
 でも、リベラルなオバマ政権で危ういアメリカですが、アメリカには今も信用、仲間にすべき人々、派がたくさんいると思ってます。
 これはどういうことかというと、フランスで革命が起こった時、フランスのライバル国であるにも関わらず、革命の余波を脅威に感じた英国やスペインらがフランスの王党派(反革命派)のシンパだったのと同じ。
 私がアメリカの左翼を応援することはありえませんが、アメリカの保守派とは味方として仲よくしておかなければならないと考えてます。「米国こそ真の敵」なんて発想は愚かなこと。

時事ネタに一喜一憂してはいけませんが、東京では去年からこんな教材が配られてたのですね。
 私がここで取り上げる前は、このマッカーサ-の証言が日本で殆ど知られておらず、当時はかなりのアクセスがありました。
 他の府県もマッカーサー証言の載った教材を配ってほしいものです。教科書にも載せるべき。
 でも、朝鮮起源に乗っ取られた古代史など、そっちの方が日本のルーツに係る問題であり、重要に思ってます。

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「日本は自衛戦争」 マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石 (2012.3.30 産経 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n1.htm









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最終更新:2013年02月10日 23:03