北朝鮮のミサイル発射問題について、マスコミの議論とは全く異なる観点から論じたい。最初に思ったことは、もし金正日が生きていたら、今回(12/12)の打ち上げはなく、また人工衛星の軌道進入もなかっただろうということだ。金正恩政権だから成功できた。今回の発射は、4月の失敗を挽回しようとするもので、2012年中を目標としていた「人工衛星打ち上げ成功」の国家プロジェクトを完遂させるためのものだ。それゆえに、ロケットの名称も4月に失敗した「銀河3号」をそのまま使い、人工衛星も「光明3号2号機」と銘じている。報道によると、北朝鮮は4月に失敗した6日後に原因の解明を終え、次の発射のため燃焼実験を繰り返していたという。金正日の独裁が続いていたら、責任者は即刻銃殺を免れず、開発チームは強制収容所送りにされていただろう。国家と独裁者の面子を潰して恥をかかせた責任を取らせたに違いなく、そうした恣意的で酷薄な厳罰で報復・加虐するのが金正日の性格と手法だった。今回、新政権は技術者に失地挽回のチャンスを与えている。同じ失態が二度続けば、世界中の笑い者になるところを、技術者を信頼して国家のリスクを賭ける選択に出ている。金正恩と金正日の指導者としての差異と見るべきで、北朝鮮の国家体質が合理的な方向に変化している点を感じてよい。それだけではない。北朝鮮は今年だけでミサイル開発に13億ドル(1100億円)を投入したと言われている。余裕があるのだ。

NHK-NW9の報道では、アジアプレスが極秘に取材した電話音声を使い、北朝鮮の地方に住む者が、「3年分の食料費を使って」云々と批判する声を伝えていた。このNHKによる北朝鮮批判の論調は基本的に正当だと思うし、アジアプレスの音声情報の真偽(謀略性)を疑うことを私はしないが、注目したのは、そちらではなくて、この成功を外国プレスの前で讃える平壌市民たちの服装であり、市内のホテルのテレビでニュースを見ていた市民たちの姿である。少しずつ少しずつ、平壌の人々の暮らしが向上しているのが窺われる。そして、北朝鮮が外国の報道機関に対してオープンな姿勢に変わりつつある事情も分かる。鄧小平が実権を掌握し、文革の混乱に終止符を打って国を改革開放へと進めた、80年代初頭の中国北京の風景を想起させる。ボアフードが付いたカラフルなダウンコートを女性たちが、路上インタビューの絵に登場する。無論、日本や中国で流通している瀟洒で上質なものとは異なるが、それでも、ちょうど10年前、米朝対決で核戦争の危機となったとき、平壌の金日成広場で大規模な反米集会が催された際に見た、上下真っ黒の貧相な身なりの人民の集合とは全く趣きが違う。中国東北部の急激な経済成長が鴨緑江を越えて波及し、トリクルダウンの恩恵が北朝鮮を浸している。平壌市民のダウンコートや携帯電話普及の経済的事実は、政権がロケット=ミサイル開発に注ぎ込む資金上の余裕と連動しているはずだ。

新聞報道によれば、安保理での北朝鮮への追加制裁は必至で、イラン制裁と同水準に引き上げられ、効果のある金融制裁の強化を含む厳しい決定が下されるだろうと見通しが示されている。2005年に米国が執行したところの、バンコ・デルタ・アジアの金正日の金融資産(2500万ドル)を口座凍結した措置が、今回また着手されるのではないかという観測もある。ただ、この問題を論じるマスコミ報道は、北朝鮮がこうした経済制裁を折り込んだ上で、敢えてミサイル発射を強行した理由について踏み込んで分析していない。そして、マスコミの論調や各国の動向からも、嘗てのような瀬戸際外交と戦争の断崖に向かうという緊張感が伝わって来ない。具体的にどのような制裁措置となり、中国がどう対応し、米国と中国の二大国の間でどのような駆け引きが演じられるのかは不明だが、北朝鮮は事態を楽観視しているのに違いない。4月のときは、世界各国の記者を東倉里に呼び集めていて、金正日の時代とは違う弛緩したムードが漂った。また、4月以降も、水面下での米朝交渉は続けられていたと報じられている。北朝鮮の楽観と余裕の背景には、国際政治の中で力を増し続けている中国の保護という安心があり、安定した中朝関係の環境で経済が潤っている現実と自信がある。その点、国際社会で孤立無縁のイランとは境遇が異なる。金正日から金正恩に体制が移行した後、中国にとって北朝鮮はトランスペアレントでコントローラブルな友好国になった。

中国は、核はともかくミサイル(ロケット)については、北朝鮮による開発を暗黙裏に認めている。問題は、弾道距離を伸ばして合衆国本土が射程に入ってきた状況変化について、米国がどう対応をするかだ。昨夜(12/12)の報ステで紹介されていたように、今回、米国の反応はきわめて遅く鈍かった。韓国や日本のように、意表を衝かれたとか不意打ちで騙されたという狼狽ではなく、オバマ政権が北朝鮮に無関心で、注意を払ってなかったというのが実情だろう。米国の関心の焦点は東南アジアであり、東南アジアと中国をめぐる動向と戦略に熱中している。朝鮮半島は意識の外に遠のいている。そこへ射程距離の衝撃があり、オバマ政権としては方針を定めるのが難しいのだろう。米国がこの問題に対処方針を策定するに当たっては、二人のキーパーソンが具体的に決まらなくてはいけない。一人は韓国の大統領であり、もう一人は米国の国務長官である。前者が決まるのは12/19で、それまでは首脳間で電話相談することもできない。国務長官の人事は、12/18までに発表されるという情報になっている。私の希望は、この機に米国が北朝鮮との国交正常化を決断し、朝鮮戦争の最終講和を確定させることである。北朝鮮が求める体制保障を平和条約の形で提供し、東アジアに残る冷戦を終結させることだ。経済支援のプログラムと引き換えに、北朝鮮に核を放棄断念させることだ。米国と北朝鮮が友好関係になれば、現在の日本の北朝鮮敵対政策は無意味なものになる。

そうした希望とは裏腹に、私の予測は全く逆方向の厳しく悲観的なものだ。現在の米国の動機と思惑は、何よりASEANのテリトリー化にあり、東南アジアと南シナ海から中国を排除することにある。中国の封じ込めにあり、そのための日本の改憲と集団的自衛権のdoneにある。そこから戦略の優先順位を組み立てたとき、朝鮮半島の平和と安定は二の次となり、逆に米朝関係の緊張を高めた方が、日本を改憲と集団的自衛権に誘導する条件と環境を得る上で都合がいい。北朝鮮を日本を動かすドライバーとして使う。すなわち、国連安保理で北朝鮮制裁の強化を強硬に主張し、中国に対して妥協せず、対決姿勢を露わにするのではないかと懸念する。来年以降、嘗て日中関係を言い表わしていた「政冷経熱」が、米中関係を特徴づける表現になるのではないか。ブッシュ時代の米政権は、ラムズフェルドやボルトンなど右翼ネオコンが外交を牛耳り、圧力をかけて北朝鮮を体制崩壊させようと本気で目論んでいたところがあった。今回は、米朝が軍事的な緊張に至るような演出は控え、専ら、日本のマスコミと世論を刺激して扇動する政治に主眼を置くだろう。水面下での米朝協議は切らさず続け、ミサイル開発の放棄まで実現することを獲得目標にはしないだろう。つまり、北朝鮮問題には強くコミットしないという対応だ。現状、米国にとってイランは潰すべき敵だが、北朝鮮は日本操縦に効果を発揮する便利な道具である。北朝鮮の体制崩壊に執念と情熱を燃やしているのは、今では日本一国だけとなった。

今回の「ミサイル」発射のニュースで、おそらく世界中で最もヒステリックにマスコミと国民が狂騒したのが日本で、当の韓国は日本より冷静に事態を受け止めている。発狂したように興奮したり、憎悪の感情を爆発させたりしていない。病的に右傾化した日本社会と、精神が正常な韓国社会の違いが出ている。そもそも、これが人工衛星を偽装したミサイル発射実験であったとしても、射程1万キロの長距離弾道弾なのだから、韓国にとって何の直接的被害はなく、日本にとっても軍事的脅威になるものではない。脅威を感じる国があるとすれば米国だけで、騒いで取り乱すべきは米国だろう。米国の代わりに日本が錯乱している。異常としか言いようがない。しかしながら、私は逆のことも思うのであり、2年前の延坪島砲撃事件のときも感じたが、韓国の人々が北朝鮮に対して無関心になっている。15年-10年前、あれほど太陽政策に強くコミットし、民族の悲願である南北統一を志向していた韓国人が、今ではそうではなくなっている。「シュリ」や「JSA」や「ブラザーフッド」の頃の熱意が失せた。まるで、38度線から向こうは別の国のように冷淡な態度になっている。小さな韓国だけの成功に酔い、小さな韓国だけの幸福や生き残りを追求しているように見える。それは何故なのだろうか。単に北朝鮮の裏切りだけが理由であるとは思えない。おそらく、韓国社会も日本と同じ病理が蔓延していて、中間層が破壊され、そこから出来するエゴイズムとニヒリズムの毒に社会が感染しているのだ。自分のことしか考えられず、個人が生きるのに精一杯なのである。

格差社会の矛盾が激越に進行し、韓国の人々が、経済的・精神的に余裕がないのだ。大きく韓国の未来の可能性に思いを馳せることができず、民族の将来を考えるパースペクティブを持つことができないのだ。自己の狭い周辺の暗鬱な世界に這いつくばり、明日の生活に必死で、隣人や他人のことまで思いやれないのだ。関心空間の広がりを持てないのだ。南北統一の夢や希望を描き、そこに積極的にアイデンティファイする楽観的な中間層(=平均的国民像)の存在がないのである。民族の夢を構想する主体性(=大塚久雄的な中間市民層)が失われているのだ。








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最終更新:2012年12月13日 23:05